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2020年4月4日土曜日

これから

先月28日、
「全てのエネルギーが変わった」
と感じました

エネルギー的には、
明るい清らかな方向へとチェンジしています

精妙なところで、
全て生まれ変わったような感じです

すっきり、軽いです




それでも、
この実相の世界でその変化が起こるには、
タイムラグがあります

ちょうどその頃の先週末、
東京で新型コロナウィルスの感染拡大防止のために、
外出自粛の要請が出されました

その前の学校の臨時休校から、
日本でもようやく新型コロナへの認識が高まってきましたが、
この、外出自粛の要請によって、
かなり急速に進み、
そして、志村けんさんの訃報と、
その遺族による「遺体に会うこともできない」など、
具体的な状況がメディアで流されたことによって、
一気に国民の意識が変わりました

(志村けんさんはじめ、亡くなられた方々のご冥福をお祈りしています)

東京では、
外出自粛の期間に大雪になって足止めされるなど、
日本の神々が守るためにがんばってくださっていると思いました

翌日の大気は清々しく、相当に浄化されたのだと思います
(その後も雨が続き、空気は本当にきれいになっています)

でも、エネルギー的には軽くなっているのに、
何か身体が重くだるく、
変な感じでした

志村けんさんが亡くなった後、
さらにそれがひどくなっていきました

そして、
この感じは以前にも経験したことがあるのを思い出しました

2011年、3月11日から数日間です

あの時も、
全く変な感じで、
身体もマインドも全く働かず、
何もできない状態で数日が過ぎました

あの大津波の際は、
私自身も予想していなかった大惨事が目の前で(モニターを通してですが)繰り広げられたため、
私自身がショック状態に陥っていたということもありましたので、
もっとインパクトの大きなものでしたが、
今回感じたものは、
それと同じような質を持っていました

最初は、妙にだるいのはコロナの症状か?ついに?とも思いましたが、
3.11の時の感覚と似ていたので、
世間の人々のエネルギー状態と関連があるのだろうと思いました

私は「逆エンパス」なので、
今回は予想していたにも関わらず、
私自身は伊豆で籠っているにも関わらず、
どうしても他の人たちの集合的なエネルギーをキャッチして、
身体は影響を受けてしまいます

今回の新型コロナに関しては、
最初から大きな危機感を感じ、
どうなっていくのか予測もできていたため、
少しでも回避をと思っていましたが、
残念ながら、事態はその予測通りになっていっています

これから起こっていく世界の大変動の、
幕が切って落とされた、とでも言いましょうか・・・

コロナや食糧問題、経済だけではなく、
政治的な事に加え、
地球規模、宇宙規模の変動も起きてくる可能性は非常に高いです

実際には、
一昨年辺りまでが「序章」で、
去年から「第一章」に入った感じです
今年、来年辺りで、
かなりのスピードで展開していくことでしょう

でも、クライマックスはもうちょっと先だと思います

これは、恐怖や不安を煽ったり、脅したりするためではなく、
むしろ逆に、
何が起きても慌てないよう、
心構えし、備えておいて欲しいからです

心理的物理的に準備万端でいれば、
事は好転し、
被害も少なく、場合によっては完全に回避できるからです

「そうならない」という意志やイメージを持つことも、
ポジティブな変化をもたらすでしょう

何より、
その大きな変動の中で、
常に自分自身を保ち、
神性とつながっていて欲しいからです

のほほんと何も知ろうとせずに、
自分自身の潜在意識へのワークもせずに、
日常の目先の事だけにかまけていることが、
一番危ういのです


今、
新型コロナの感染、症状自体もありますが、
それだけではない、命に関わる経済の危機が大きく懸念されています

私個人も、
1月終わりから、
いくつかの個人セッションや個人リトリート以外の仕事を全て休んでいるため、
ほとんど収入がない状態が2か月以上続いています

でも、
こうなる前から、
4月からは瞑想とヒーリング、石屋さんの方に専念していこうと思っていたので、
コロナの影響によって伊豆の自宅に籠らざるを得ないのは、
とても好都合となりました

この3年間、忙しさのあまり、
全く手の入れられなかった庭や花の手入れや、
畑の手入れ、家のリノベーションに時間をかけることができ、
今日も一日花の手入れで、
ものすごく幸せな時間を過ごすことができました

特にうれしかったのは、
3年間ほぼ放置で瀕死状態だったバラ達の世話がようやくできたことでした♪






私個人にとっては、
「もう余計な仕事はしなくていいよ」と、
ようやく宇宙からもお許しをもらえたようで、
毎日せっせとやりたいことにかまけています

もう一つ面白いのが、
今回、都市封鎖やこれからの食糧難に備えて、
お米を中心にかなりの備蓄をしたのですが、
(自分たちだけではなく、いざという時に他者も助けられるように・・・マスクも、早めに買ってあったので、無くなって困っている人にあげることができました)
収入がないにも関わらず、
かなりの出費になってしまいました(;´Д`)

でも、その金額の大半が、
臨時にある人からの返済が入り、まかなえたのです

で、私の持ち出し負担額が、結局8,000円ということになったのですが、
やはり返済というか、
まだいただいていなかったセッションのお金とスカイプセッションのお金、
ちょうど8,000円が昨日振り込まれました(*‘∀‘)

ということで、
結局、備蓄分、滞りなく、まかなうことができました

いつも、こうやって必要なお金は入って来るのですが、
いつもぴったりなのが面白いところです

もうちょっと余分があっても私は構わないんだけどなー、って思うんですけどね(*´ω`*)

また、今までどうしても抵抗があってできなかったスカイプセッションでしたが、
(意外とシャイなんで、電話とかスカイプとか苦手なんです(^_^;)
対面は逆に何の抵抗もないんですけど)
今回のコロナで都内に行くことができなかったため、
どうしてもスカイプでやるしかなく、
やってみたら意外と大丈夫で、
エネルギー的にも対面とほぼ変わらずにできたので、
これからはスカイプセッションもやっていこうと思いました♪

これから、世界の状況は、とても深刻な状態を通過していくと思いますが、
一方で、
今までのシステムややり方が否応なく使えなくなり、
誰しもがシンプルな生き方や、
本当に必要な事、
本当にやるべきことに向かわされていくのではと思います

さて、
ということで、今まで伸ばし延ばしになっていた、
「トータル・パス」の教えの内容をブログにアップしていくという事に、
そろそろ着手していこうと思っています

(ようやく!(/_;)






















2020年3月13日金曜日

2月10日投稿 「新型コロナウィルス」の記事について反省とお詫び

昨日、WHOも「パンデミック」と表明した新型コロナウィルスの猛威、
危惧したように、
全世界に拡がってしまっています

亡くなられた方のご冥福、
そのご遺族の方々の心が癒されること、
重傷で苦しんでいる方々を始め、
感染してしまった方々が治癒されるよう、
祈りを捧げています

今日は、
2月10日に投稿した「新型コロナウィルス」の記事に関して、
H氏より下記のご指摘をいただきましたので、
それに関して書きたいと思います

H氏の在日中国人に関するご指摘はとても素晴らしく、
私の心に響いたので、
ご本人の許可を得て、
ここに全文を転載させていただきました

そして、
ご指摘の「在日中国人の方へのレイシズムを煽ってしまう」という件について
私の配慮がなかったことに対して、
反省とお詫びをお伝えしたいと思います

***

「突然のメール、失礼いたします。Hと申します。
荻原様に直接お会いした事はありませんが、アジズの著作の翻訳をしておられる事から荻原様を知り、たまにですがブログも読ませていただいております。またアナディ来日(は残念ながら叶わなかったですが)の際にはリトリートの申し込みもさせていただきました。
私自身はまだまだ不勉強で、アナディの著作も荻原様の記事もまだまだ分からないことだらけですがとてもいい刺激を受けており、特にアジズの著作の翻訳の仕事についてはとても感謝しております
難解な内容でありながら、行間からアジズの人柄が伝わってくるとてもすぐれた翻訳だと思っています。

さて、前置きが長くなりましたが、2020年2月10日月曜日に投稿された 
 新型コロナウィルス というタイトルの記事についてです。単刀直入に言います。この記事は撤回もしくは修正してほしいです。
理由は

1現時点でコロナウイルスが人工的に作られたという事実は科学的に確定していないという事。
2このような内容の記事は確実に中国人の方、在日中国人の方へのレイシズムを煽ってしまうという事です。

私自身はコロナウイルスが自然のものなのか、人工的なものなのかの判断はできません。私には科学的な素養が無いからです。ですが、現時点で我々ができる事はウイルスに感染しないための予防や、それを拡散しない行動、そして社会的パニックを起こさない事ではないでしょうか。
社会的パニックはいつも真偽不確かな情報からもたらされます。そしてそのパニックの犠牲者になるのは常に社会的マイノリティーや社会的弱者、女性や子供、老人です。
日本にはすでに多くの在日中国人の方が暮らしています。彼らは我々の社会の仲間です。
日本に住む彼らがコロナウイルス生物兵器説を目にした時、彼らはどんな気持ちになりますか?それは不快さではなく、恐怖です。
そしてこのような言説は必ずレイシストらに悪用され、彼らは精神的肉体的に攻撃を受ける事になります。現に本日東京でレイシスト集団がそのような差別デモを行い、その様な文言も飛び交ったようです。(あまりに不快なので直接その動画を見たわけではありませんが)

もちろん、荻原様がそのような意図であの記事を書かれたとは私も思っていません。そして荻原様がコロナウイルスを生物兵器だと直感するのも良いと思います。ですが、今このタイミングでこの記事を出される影響というものを考えてほしいのです。この記事は荻原様にその意図が無くても確実に傷つくマイノリティ集団がいる記事です。そして残念な事ですが、世の中にはこの記事を曲解し、中国の方への憎悪や差別感情を募らせそれを正当化させる人間も存在するのです
正直私はあの記事を読んで凍り付きました。本当ににショックでした。
コロナウイルスが自然のものなのか、生物兵器なのかを検討し批判するのはパンデミックが収束してからでも遅くないはずですし、それは大いにすればいいと思います。ですが、少なくともそれは今やるべきでは無いと私は思います。

荻原様にこのメールを書こうかどうかとても迷いました。日本には表現の自由があり、そして私自身も誰かが表現した事に対してそれをやめさせるような事はしたくない、とてもしたくないからです。
ですが今回の記事は現時点であまりにも配慮に欠けたものだと思います。
ですので、今のところ真偽が確定してない情報でもってエスニックマイノリティへの憎悪を煽る効果のある記事を発表するのは止めてほしいです。それが不可能であればこの記事を読んだ人が中国の方への憎悪を煽らないように一言添えてほしいです。

長々と纏まらない文章を書いてしまい申し訳ありません。わたしの思いを強制するつもりはありません。
ですが、あの記事を読んでそのような思いをする者もいるのだという事が少しでも伝われば幸いです。

H

***

件の記事を書いた時、
在日中国人の方の存在は全く私の中になかったので、
そこまで考えが及びませんでした

私の言いたかった事は、
むしろ今回は中国が被害を受けた側であるかもしれないということと、
一地域から発生した単なる感染症拡大という問題ではなく、
その奥で何らかの世界的な意図が働いているということに、
だからこそ危険なんだという事に気づいてもらい、
とにかく感染しないように、
しっかりとした認識を持ってもらいたいという事でした

あの時点で、日本国内の大半は、
のんびりとして甘い認識しか持っていなかったからです
周りの人たちも、予防どころか、
世界での感染拡大の危機感を持つ人たちに対して、
「考え過ぎよー、あんた、頭おかしいんじゃない?」という、
全くの変人扱いでした

危機感がはっきりとあるのに、
何も伝えずに傍観していていいのだろうか?
後で言うのは簡単です
こうやってまだはっきりしない中で言えば、
H氏のおっしゃる通り、混乱を招いたり、
変人扱い程度ならいいですが、
攻撃されることもあるでしょうし、
もしかしたら、単なる私の妄想かもしれない
どっちがいいのか、
実はこれでも10日以上書くのを躊躇していました
でも、やっぱりこれ以上は放置しておかない方がいいと判断し、書いた次第です

できるだけ早い段階で、皆を感染から守りたかったのです

それが一番の理由でした

新型コロナウィルスが生物兵器であるかどうか、どころか、
今、私たちにははっきりと見えないところで世界で起こっていることは
それこそ今の段階ではまだ誰しもにわかるエビデンスが取れる話ではないですし、
はっきりと書くこともできなかったのですが、
それがかえって様々な解釈をさせてしまう危険性をはらんでいるという事でもありますね

感染への危機感が先だって、
その他のことが見えずにいました
「レイシスト集団」なるものの存在も、
H氏のご指摘で初めて知りました
勉強不足でご迷惑をかけてしまいましたこと、
反省し、ここにお詫びいたします

今回のブログでは、中国を批判的に見る「人種主義」を助長したいという意図は全く、
ましてやヘイトデモを行うような「レイシスト集団」に加担するなどとんでもないことなので、
勇気を持たれてH氏がご指摘くださった事に感謝しています

「レイシスト集団」や他の悪意ある何かに利用されないよう、
意図をしっかり掲げておき、
また、今後はちゃんと配慮できるように気をつけていきたいと思います

中国人であろうと、どんな国籍であろうと、
同じ人間です

今回の件で、2019年4月の時点で、
在日中国人が96万人であることも調べてわかりました

その方々が、中国人であるという理由だけで、
個人的に迫害されたり攻撃されたりいじめられたりすることは、
本当に理不尽な事ですし、
決してあってはならないことだと思います

記事を削除したり訂正したりせずに、
こうやってH氏のメールをそのまま転載させていただいたのは、
まず、
自分の言葉には最後まで責任を持ちたいということ、
そして、
全て起こったことはありのままにオープンにし、
そういったオープンな場で、
皆さんと一緒に考え、
成長していきたいと思っているからです

件の記事でもちょっと触れ、
先ほどもちょっと触れた中国や世界情勢については、
他にもいろいろお伝えしていきたいことがあります
もうそんなに時間が残されていないので、
特に私のブログを読むようなスピリチュアルな方々には、
早急に関心を持って一緒に考えていっていただきたいことがあります

ですが、まだちょびっと時期尚早な感覚であることと、
まだ情報が不足していること、整理されていないこと、
そして、
この「瞑想」のブログでは場が違うように思うため、
その時期が来たら、
別のブログを立ち上げて、
記載していきたいと思っています

ただ、ひとつ、
今回の新型コロナもそうですが、
真偽がわからない時や、
いろいろな情報が飛び交う中で不安になったりとまどう時は、
まず、自分自身で「何が本当か、知ろう」と思うことが大切だと思います

今は、ググれば、いろいろな情報に触れることができます

世界各国の論文を読むこともできます
PCには翻訳機能もあるので、
外国語でも、ある程度はわかるでしょう

また、いつもアンテナを張っていれば、
必要な情報は人を介したりして、向こうからやってきます

そして、
自分の内側の感覚を研ぎ澄まして、直観を磨き、
今までの全ての経験を通して得て来たものを総動員して、
何が事実なのかを、
嗅ぎ分けてください

それには、必ずしも専門的な知識が絶対的に必要な訳ではありません

要は、あらゆることへの洞察力です

情報隠蔽、情報操作しているのは、
中国だけではありません

その例を、ここでは長くなってしまうので、次の記事で書きたいと思います

その上で、
何が自分にできるか自分で考え、
実行していくことが大切だと思います

これからの時代は、
特にそれが重要になってくると思います

新型コロナ、
日本は正確な感染者数(と、それによる死者数)がわからない状態が続いていますが、
それでも、
かなり守られているように感じます

日本の清潔な生活環境(特にトイレ事情)と、
和食のおかげも大きいと思います

それと、
コロナ騒動が始まってからここのところ、
大雨と大風が大変多いことも大きな要因だと思います

何か、
日本を守るという意志を感じます

また、日本人が自然に和を優先する性質を持つため、
先週からの自粛要請にそんなに不満も言わずに、
ばっと協力する事も大きいのでしょう
(これはこれで心配な側面もありますが・・・)

とはいえ、
予防は欠かせませんので、
皆さまも十分に予防、免疫力をアップして、
くれぐれも自衛してください















2020年2月10日月曜日

新型コロナウィルス

中国武漢市から発生し、現在全世界に拡散している新型コロナウィルスについて、
少し書こうと思います

1月半ば、新型コロナウィルスのニュースを最初に聞いた時点で、
その爆発的な拡散の仕方から、
「これは細菌兵器だな」
と直観的に感じました
「これはやばい」
そう感じました

これまで、
SARSやMARS、エボラウィルスなど、
あるいは鳥インフルエンザなど、
何度かパンデミックがありましたが、
一度も気になった事はなく、
大丈夫という感覚がありました

今まで、インフルエンザとかが流行しても、
全く気にしたことがない私ですが、
今回は、なぜか最初から内側で警報が鳴り響いていました

マスク嫌いの私がマスクをし、
ホテルでのセラピストの仕事も、
会社の方が何の対策も取る気がないため、
休みました

先月末から昨日まで東京に滞在していたのですが、
人々の認識は、
まだまだといった様子でした

街や電車内でも、
マスクをつけている人は3割にも満たない、という感じでした

いつもの私なら、何とも思わなかったでしょう

基本的には、
人間とウィルスははるか古から共存し、
生きて成長していく上で、
お互いになくてはならない存在だという認識でいます

例えば、
幼児期におたふくに罹ることによって、
生殖器が発達します

もし、その時期に罹らないと生殖器が未発達のままで大人になってしまい、
大人になってから罹ると、
男性なら精巣、女性なら卵巣に異常をきたし、
精子がなくなったり、卵子がなくなったりしてしまいます

幼い子は、
風邪を引くと、その後ひとつ成長を見せます
知恵づいたり、
ちょっと大人になったりします

腸内に100兆個もいるという腸内細菌がなければ、
私たちは食べたものを十分に消化し、
身体に有益な物質を取り込み、
残ったカスを大便にして排泄することもできません

皮膚の常在菌は、
有害な菌をやっつけてくれます

古から仲良く共存しているウィルス達が体内や皮膚の上で元気であれば、
ちょっと位変な菌が来ても、
そのウィルス達がやっつけてくれます

普通の風邪やインフルエンザや、ノロなどのウィルスが入ってきても、
それにやられることがないのです

あまりに潔癖症の方が、
変な菌に感染しやすいとも言えます

また、インフルエンザに罹るとインターフェロンが生成されて、
癌に罹らなくなると言われてるので、
むしろ積極的にインフルエンザに罹ろうと思うのですが、
罹ったことがありません(;´Д`)

ウィルスは、生物でもなく非生物でもない、
その中間の存在、というから、
なんとも不思議な存在ですよね

生物ではなくても、
何らかの意識があるように感じてしまいます

なので、私は基本的に、
ウィルスそのものに対して、特に不安も危惧も感じていない、
むしろ一緒にこの肉体を維持している同士のような感覚を持っています

それなのに、
この新型コロナウィルスに関しては、
最初から危機感と不安を覚えていたのです

ビーッビーッと、内側で警報が鳴っている

武漢の海鮮市場から発生したと言われていますが、
普通に考えて、
自然発生ではこんな拡散の仕方はしないでしょう

自然界には、
バランスと淘汰がありますし、
自然界で突然変異したものがこれほどまでに人間に適応する事自体、
ちょっと考えにくい気がします

海鮮市場から約30キロのところにある、
武漢にある中国科学院武漢国立生物安全研究所(武漢国家生物安全実験室)という、
フランスが協力している、
中国の生物兵器プログラムに関与している武漢ウィルス研究所内にある施設から漏れたという情報を、
イギリスのデイリーメール紙が発表し、
また、その後アメリカのワシントンタイムズが、「これは生物兵器だ」と発表していますが、
偶発的に漏れたとしたら、
一体どのような形で漏れたのでしょう?

普通に考えられるのは、
①人が研究中に感染して研究所外に持ち運んでしまった
②ウィルスを使って実験した動物(こうもり:武漢ウィルス研究所では、
 こうもりを使っての免疫を持たせない実験が繰り返されていた)の処理が
 いい加減だった、
 もしくは、それを小遣い稼ぎに?販売した
③ウィルスのついた容器をうっかり普通のゴミとして処分してしまった
④ウィルスの入った容器等をうっかり持ち出して、うっかり落としてしまった
⑤ウィルスが勝手に脱走した(;´Д`)

などなど、素人の私が考え付くのはそんな程度なのですが、
バイオセーフティレベル4の研究所であること、
実際に研究所内(当該の研究所かどうかは不明)での様子は、
下の画像のような状態のようなので、
(すごいですね、想像以上の徹底さです)
これほどのアウトブレイクが起こるほどの量が、
偶発的に漏れたというのはかえって不自然な気がします

Dr. Xiangguo Qiu - Chinese Biological Warfare Agent

この画像に写っている女性は、中国人の優秀なウィルス研究者ですが、
カナダの国立微生物研究所で働いていた頃、
何度も中国の研究所に行っていて、
現在、カナダはこの女性を、
中国のエージェントとしてカナダに潜入していた疑いで調査中とのことです

今回の拡散の仕方、
海鮮市場と研究所との位置関係から、
新型コロナウィルスと研究所との因果関係は誰でもすぐに思いつくと思います

でも、うっかり漏れたとしたら、
それを隠したい中国政府は、
研究所から微妙な距離にある海鮮市場をあげるでしょうか?

私には、それも不自然に感じ、
そこに意図的な何かがあるように感じるのです

珍しく感じている危機感も、
それに関わっているのかも知れません

実際、その後、
インド工科大学のチームが、
新型コロナウィルスの遺伝子の4つのたんぱく質がHIVウィルスと同様であることを発見したり、
新型コロナウィルスのRNAの分岐配列GC値がおたふくやHIVに近い事から、
SARSのコロナウィルスにおたふくとHIVを挿入したものが新型コロナウィルスで、
それは自然ではありえない遺伝子情報であること、
また、アメリカで、
ハーバード大学教授と二人の中国人が21種類の生物化学兵器を密輸したことで、
起訴されているなど、
新型コロナウィルスが人工の生物兵器である可能性があることが、
情報としてあげられてきました

現段階では、
新型コロナウィルスが生物兵器であることは、
かなり確実な事として受け止められてきているようです

HIVが掛け合わされているということは、
感染したら、感染時の症状は大したことがなくても、
免疫不全になる可能性があり、
感染後、他の病気に罹った時に免疫力がない状態になるかも知れないのです

この新型コロナウィルスは抗体ができないとも言われていて、
何度でも感染する可能性もあり、
二度目に感染した時に重篤化するとも言われています

おたふくも掛け合わされていれば、
当然、男女ともに不妊になる可能性が否定できません

そして、
ウィルスは感染を重ねていくうちに、
どんどん変異していきます

どういう影響を人間に与えることになるのかを鑑みて、
十分に備えておく必要があるでしょう

また、現在ワクチンが大急ぎで開発されていると報道されていますが、
ワクチンはすでにできているとも思います

かつて、ポリオ撲滅運動で、
1957年から1960年まで、ポリオ生ワクチンをアフリカで実験投与したことがあります
その際、チンパンジーの免疫不全ウィルスが混入していたため、
そこからHIV(ヒト免疫不全ウィルス)が発生したという説もあります
これは、立証されてはいませんが、
ワクチンに何が混入されるかわからないという示唆を与えてくれます

実際、
例えば、子宮頸がんワクチンで不妊になる可能性も高いと言います

ワクチンで儲けるためにウィルスをばら撒いたという見方も見受けられます

全てはお金の行方を見ろ、という言葉がありますが、
新型コロナウィルス拡散によって、
どういう経済効果、経済への影響が発生するのかも、
よく見ておく必要があるかもしれません

いずれにしても、
アメリカや各国の対処の速さと徹底さ
北朝鮮は、武漢封鎖前に、完全国境封鎖をしました
何かを知っていたのでしょう

こういった事柄全てが何を指し示しているのか・・・?



ここではまだ触れませんが、
私が直観的に感じていることと同じことを感じている人はいるようで、
youtubeなどでもそういった動画をよく目にします

一般的には、
「陰謀論」とひとまとめにくくられて敬遠されがちですが、
現在、アメリカでは新型コロナウィルスを大幅に上回る(公的な発表の数値ですが)
インフルエンザの感染者と死者が発生しています

世界で、今現実に何が起きているのか?

それを、
私たちは冷静に見ていかなければならないと思います

感染症のパンデミックだけではなく、
ソマリアやケニアのイナゴによる被害、
アメリカも昨年バッタの大群に襲われるなど、
あるいは、
環太平洋地域で続発している火山の噴火や地震・・・

「環太平洋火山帯」の画像検索結果

この状況によく似た描写を、
旧約聖書や日月神示に見ることができます


今年は昨年に増して、
水害も増大すると言われています

台風もよりいっそう、強大化するでしょう

南極の気温もあがっていて、
海面上昇、
津波もより高くなるでしょう

一昨年までは「序章」という感じでしたが、
昨年から「第一楽章」に入ったと感じています
今年はまだまだ「第一楽章」のクライマックスには至りませんが、
徐々にそれに向けて様々なことが起こっていくでしょう

新型コロナウィルス、
感染しても大したことないからと、気軽に考えずに、
皆さん、
しっかりと免疫力をアップして、
自己防衛してください













2019年12月20日金曜日

大嘗宮 ~地球の中心へのポータル~


半年以上振りの投稿です

今年は、日本にとっても、新元号のスタートや台風の災害など、
多くの出来事が起こりましたが、
個人的にも周りに様々な事が次から次に起こり、
忙しさが募り体調も不安定になって、
ブログもすっかりご無沙汰してしまいました

まだまだ忙しさは続きますが、
ピークは越えた感がしています

さて、
先日、大嘗祭が行われた大嘗宮の一般公開があったので、
行ってきました

(もう、何日も経ってしまいましたが・・・(;´Д`))


一般公開の最終日だったので、
たくさんの人が訪れてずらーっと大行列を作っていましたが、
空は真っ青に晴れ渡り、暖かく、
広々とした皇居で待つ時間も心地よく、
久しぶりにゆっくりとハイキングを楽しむような感じでした

上の画像の広い芝生のところは、地図によれば「本丸」とのことでした
画像奥の左端の方に、石垣が残っていたので、
そこが江戸城が建っていたところなのか、
この「本丸」に建っていたのかは、また後に調べたいと思いつつ、
この広場が何かとてもいい感じだったので、
そのエネルギーを感じてみたところ、
何か、地球の中心と繋がっているような、
言い換えれば、
地球の中心に行く時のポータル(入り口)
のようなイメージが来ました

真っ青に広がる空に向かって開けている場所なので、
なんとなく天に向かうエネルギーを感じるものかと思っていたのですが、
逆でした

「ああ、なんか、ただ単に徳川幕府の中心地とか、今の日本の中心地という訳ではないんだな、もっと意味のある場所なんだな」と感じました


本丸広場には、今の時期に咲く桜も満開でした

大嘗祭が行われた大嘗宮は、
本丸広場の奥に建てられていました




皮を剥がない木で作られた鳥居や灯篭、
歴史的には5日間で建てられ、大嘗祭の翌日には取り壊されたという、
簡素で自然の野趣を感じるものでしたが、
今回のお宮は茅葺でもなく、
たった5日間で建てられたものとは思えないものでした



正面は、人がどっと押し寄せて、
「押さないでくださーい!!」
「立ち止まらないでくださーい!!」
「写真を1枚撮ったら移動してくださーい!!」と、
警備の警官や職員の大声での注意喚起が絶え間なく、
殺気立っていたので、
ゆっくり見る余裕もなく、
ゆっくりレンズを構える余裕もなく、
パッと撮っては移動するの繰り返しだったため、
神気が残っているのを楽しみにしていたのですが、
残念ながら、エネルギーを感じる余地は全くありませんでした

写真も、ほとんど歩きながらパッと撮るという感じで、
ロクなのがなくて残念です(;´Д`)


横の方に移動するにつれ、人は減っていきましたが、
まだまだ、パッと写真を撮るのが精一杯です


後ろ側に回ってきました
画像中央に見えているのが、主基殿
左奥にちらっと見えるのが悠紀殿

この画像ではわかりにくいですが、
悠紀殿と主基殿では屋根の上につんと立っている千木の形が違います

悠紀殿の千木は内削(うちそぎ)と言って、上が平らになっていて、
伊勢神宮の内宮と同じです
主基殿の千木は外削(そとそぎ)と言って、横が平らになっていて、
伊勢神宮の外宮と同じです

屋根に乗っている鰹木も、内宮(偶数)と外宮(奇数)では違うのですが、
このふたつの殿舎がどうだったか、
はっきり確認はしてこなかったのでわからないのですが、
画像から判明する限り、どうも同じ数のようです

というのも、
悠紀殿は東日本の祭場であり、
主基殿は西日本の祭場だということなのですが、
なぜ、わざわざふたつの祭場で儀式を行うのかと考えると、
日本を東と西に分ける理由がピンと来ず、
私はなんとなく、
それぞれが天照大神の和魂と荒魂をお迎えする祭場なのではないか、
と感じていたからです

あるいは、
内宮と外宮のように、
天照大神と豊受大神をお迎えする祭場・・・

あるいは、
女神と男神・・・

あるいは、
天津神と国津神・・・

これは全く私が勝手に感じていることなので、
何の根拠もありませんが、
なんとなくその方がしっくり来ます

いずれにしても、
これらの殿舎で、秘儀が行われました


真裏に回ってみると、
天皇がお召し替えなどされた殿舎の背後に出ました


ちょうど日の光が降り注いでいて、
人もまばらで静かだったので、
真裏でしばらく瞑想をしてみました

神社も、真裏のエネルギーがいいですからね♪

すると、
最初は穏やかだったものの、
徐々にぐーっと下に引っ張られ、
最後はものすごい強さでグラウンディングし、
それがハートともつながる感じでした

しばらく、
エネルギー酔いの状態になるほどでした

ここでも、
最初は「神気を感じられるかな」とか、
「天とつながる感じなのかな」とか思っていたのですが、
まさに、地球の中心へと引っ張られていきました

ここで来たヴィジョンは、
まず、
ここでお迎えされたとされる神が、
宇宙からの存在であり、
なんとなく「プレアデス、プレアデス」というイメージが来ました

個人的に、実は常々プレアデス系はあまり信用していないところがあったので、
(というか、私が感じてきた天皇家のエネルギーと、
よくスピリチュアルでプレアデス系と言われているもののエネルギーは、
完全に違っていたからです
実際に、私自身がプレアデスのエネルギーを直接に明確に感じたことはないので、
単なる思い込みかもしれません(;´Д`))
「え~っ?」という感じでした

でも、来たものはしょうがないので、
「そうなんですか~?」と思っていたら、

次に、
地球が宇宙の中心で、
ここに多重的に、多層的に、多次元的に、
宇宙の全てが存在している、
というヴィジョンが来ました

私たち人間の内的宇宙が、
私たちの内面に多層的に多次元的に拡がっているように、
全ての宇宙が、
地球の内側に拡がっている、
という感じです

「ああ、だから、ここが地球の中心へのポータルなんだ」
とわかりました



地球の中心と言えば、
ある事柄を思い出します

私の霊的進化の師匠であるフーマンがボディを離れた時の事です

その知らせを受けたのはボディを離れてから1週間後だったのですが、
フーマンがボディを離れる数日前から、
フーマンのエネルギーを強く感じ出していて、
まさにそのエネルギーですっぽりと包まれている状態が続いていたので、
フーマンがどこにいるのか、
チューニングしてみたことがありました

すると、住んでいたハワイでもない
日本でもない、
アメリカでもない

強いて言えば、
地球の中心か、宇宙、
といった感じだったのです

自分のチューニング力に自信があった訳ではなかったので、
「どういうこと?」と思っていましたが、
その後、フーマン逝去の知らせを受けた時、
「ああ、あながち間違っていた訳でもなかったんだな」と思いました

フーマンがボディを離れて、
高次元に行ったことは確かでしょう

ちなみに、
フーマンがボディを離れた後は、
もう、そのエネルギーが完全に私の内側に入り、
一体になっている状態でしたが、
49日を過ぎる辺りから、
徐々に薄れていきました

「ああ、49日というのは、ちゃんと意味があるのだな」とわかりました

死後、エネルギー体は49日でここを離れていくのでしょう


その体験と、
今回の大嘗宮での体験とを鑑みると、
今回のヴィジョンも、
あながち間違ってないかも・・・( ̄ー ̄)



人間の意識と、
地球の意識

ひとつの同じものなのか、
はたまた・・・?

またひとつ、
探究してみるテーマができました♪















2019年3月21日木曜日

宇宙元旦


今朝、今年一番のうぐいすが鳴きました🎵
本格的な春到来ですね

リトリートの朝一の瞑想中、
昨夜から続く浄化の雨の合間に、
「ケキョ、ケキョ」と
まだうまく歌えないのかと思っているうちに、
「ホーケキョ」🎵

今日は満月の春分の日で、
春分の日は占星術で言う1年のスタートの日であり、
「宇宙元旦」とも言うそうですね

しかも今年は満月が重なり、
かなり強力な一日になりそうです

外も晴れたり雨が舞ったり、
風の強い春の嵐です

浄化も佳境といった感じです

1年のスタート、
昨日まではまだ2018年という年の影響が残っていて、
体調を崩したり、
古い感情が出て来たり、
何かトラブルや大きな変化があった人も多いのではないでしょうか

地球的にも、
各地で地震、噴火も未だに活発です

日本では、
天皇の交代、元号が変わるという大きな変化の節目にあたります

長い目で見れば、
大きな変容という素晴らしい結果に至る事ですが、
そこまでのプロセスは、
人類にとって、
個々の人達にとって、
かなり厳しいものになるのでしょう

その厳しい状況の中でこそ、
その人の真のあり方が問われます

それは、
あなたの「精神」を、
大いに発現するチャンスです

この二元の世界を超えた次元に根ざした、
無条件の安心、絶対の平安にくつろぎながら、
「宇宙」への無条件の信頼に委ね、
でも、
目の前に起こる事態にはいつでも真摯に、
愛のスペースから、
取り組んでいきましょう

その結果は、
必ずしも世間で言う「成功」という形にはならないかも知れません

今までの、
「成功」という価値観自体がひっくり返るかも知れません

それは、
人々のマインド自体が変容するからです

何が正しいのかも、
何が本当に自分を満たすのかも、
変わって行くでしょう

今までのマインド、
つまり集合意識そのものが掻き回され、
ひっくり返り、
変容していくからです

人々は、
それでもしばらくは馴染みのあるマインドに、
しがみつくでしょう

自分の中に、
こんな無意識の思い込み、信じ込み、
あまりにも当たり前で意識したこともなかった「前提」「仮定」があったのかと、
気づかされて行くでしょう

それらに意識的である事で、
それらを手放していく事ができます

いつまでも古いマインドにしがみついていると、
変容のためのプロセスも、
悲惨なほど辛いものになりかねません

でも、
もし、「脱皮」というプロセスに自ら協力すれば、
それはあっという間に完了し、
あなたの背に美しく強い翼が生えているのを見る事ができるかも知れません

あなたは、
変容という未来に羽ばたく人になるか、
古ぼけた過去にしがみつく人になるか、
この1年のスタートの日に、
決意するといいでしょう

新しき世界の始まりへと🎵





2019年2月10日日曜日

命を愛する

数カ月前からになるでしょうか
東京の自宅で、瞑想クラスや1デイリトリートで瞑想すると、まるで何かが歩いているように畳が音を立てるので、何が来ているのかなあ、と思っていました

瞑想してエネルギーが高まると、家がピシッ、みしッ、と音を立てるのはいつもの事で、それは単に振動数が上がるために物理的に影響を及ぼして、音が発生するので、いわば、瞑想が深まっている指標にもなるのですが、畳がこれだけ音を立てるのは、しかも、何かが歩いているように感じられる事が多いのは、あまり他に記憶がありません

嫌な感じや変な感じは全くないので、心配の必要はないのですが、
先日、一人でスダルシャン呼吸法をしていたら、またもや、みしみし、ピシピシ、そして最後の深呼吸の時に、ピシピシピシピシピシッと、前面ぐるっと音に取り囲まれて、一瞬、驚きました

それで、何かメッセージ性を感じたのですが、ふっと思ったのが、ご先祖様かな、という事でした

それは、ご先祖様が来た、という直接的な意味というより、先祖への供養と感謝をちゃんと行おうという気持ちを持つ事の大切さに気づく、という事でした

スピリチュアルな世界では、肉体としての先祖、血縁よりも、魂としての繋がりを重要視するため、私も今まではあまり先祖供養の必要性や重要性を感じて来ませんでした

「千の風になって」の歌のように、死後、魂がお墓にいる訳でもないですし、肉体的な先祖をずっと辿れば、それこそ世界人類皆兄弟ですから、自分の先祖、家系だけを供養することにあまり意味を感じていませんでした

でも、今回ふっと思ったのは、先祖を供養して感謝を捧げるという事は、たくさんの先祖達の「命」の思いが引き継がれ、積み上がって行ったからこそ、今の自分の肉体、存在があるという事を知る、という事なのではないか、と思ったのです

頭では、もちろん、先祖がいなければ今の自分はいないとずっとわかっていますが、一方どこか深いところでは、何か自分という存在がどこからともなく突然ぽっと生じたように感じていたのだと思います

物心つく頃から、親との本当に深い繋がりを感じられず、この世界そのものからも疎外感を感じていたのは、今でもはっきりと覚えています

その感覚ゆえに、深いところで、孤独感やこの世界に存在している不安定さを感じていたのだと思います

でも、累々と積み重なって来たご先祖様達の「命」の思いを受け取る時、何か自分がこの世にやっと根を降ろせたような感覚を持ちました

膨大な数の「命」が、自分を支えてくれているのですね

言い換えれば、膨大な数の「命」で自分ができているのです

独りだと思っていたけど、存在している時点ですでに独りではないのですね

この肉体は、私のものだと思っていたけれど、私だけのものではなくて、ご先祖様全員のものなのですね

そんな感覚を持つ事ができたのです

それは、悟りによって得られるワンネスとはまたちょっと違うニュアンスの感覚であり、むしろ肉体に対する感覚とも言えるでしょう

そして、素直に、「先祖供養をしよう」「お墓参りに行こう」と思えたのです

何か、今は私の肉体となり、私という存在になっているご先祖様にご挨拶するのは、まるで私の肉体の細胞1つひとつに「はじめまして🎵今までありがとう❤」と、挨拶をするようで、私の肉体との新しい出会いのような感じがします

ご先祖様に供養を捧げるという事は、他ならぬ自分自身に供養を捧げる事なのでしょう

命とは、本当に不思議なものですね

命は命から生まれ、ずっとつながっています

魂とはまた別に、ずっと連綿とつながっています

「あなた」という存在が今ここにいる、という事は、その命がずっと連綿と続いて来た、という事です

だからこそ、この命を生きなければならない、
そして、ただ生きる事だけが大切なのでしょう

先祖が王様であろうと、貧民であろうと、今の自分には何の関係もないですよね

神にとっては、私達が何になろうとどうでもいいのです

ただ、命を大切に、この命を愛して生きる事しか望んでいないのでしょう

自分を愛するという事は、この命を愛するという事です

肉体無しでは語れない、この命を、
全てひっくるめて愛するという事です

そんな事を気づかせてくれて、素直に先祖供養をし、この命を愛する気持ちをくれた、畳の音でした(*´ω`*)

2019年1月1日火曜日

新年 明けましておめでとうございます



新しい年が始まりましたね

昨夜、0時前に、
「やれやれ、厄年が無事に終わった」とホッとしたとたん、
大型のモリオンにけっつまづいて、
足の指を痛めてしまいました

指は腫れて痛いですが、
なんだか身体はちょっと軽くなりました

こうして最後の厄落としも無事に終え
(・∀・)、
今朝は近くの海に初日の出を見に行きました

昨年までは、誰もいなかったのに、
今年は大勢の人が見に来ていて、驚きました

なんだかいいなあ、と思いました(*´ω`*)

空にはまだ雲が残っていましたが、
隙間があって、そこから初日の出が顔を見せてくれました

今年はまだまだ、
遮るものが残っていて、
ちらっとしか光が顕れないのかな、
と思いましたが、
それでも十分に太陽は力強く、
とても神聖でした

晴れ渡っていたら、
大島から登る太陽が見られるのですが、
それも素晴らしいでしょうが、
意外と雲がある日の出も、
刻々と変わる、
雲との色と光のコラボレーションは、
人の手では決して描き出せない芸術以上で、
本当に美しくて、好きです


上の雲に隠れた後の、大島に降り注ぐ
黄金色の神々の階段が、
素晴らしく荘厳でした

今年は、元号が変わるという、
大きな変化がありますね
しかも、生前退位という特殊な形で行われます

昨年12月23日、誕生日のスピーチで、
天皇陛下がこれまでの天皇としてのご自身の旅について、涙声も交えながら語られました

そのお姿から聞こえて来るのは、
天皇という日本の象徴として生き、
歩むことへの、
一人の人としての深い探求と苦労でした

象徴という言葉は、天皇を、
絶対的な神と等しい責任ある権威者から、
理想の国民代表へと変えたのかも知れません

一方で、
天皇家代々に伝わる、それこそが本質である
国そして国民を守り育むための祭儀を、
滞りなく行わなければなりません

天皇に即位する際の大嘗祭において、
実際に神が天皇に降ろされ、
それ以前とそれ以降では、
天皇自身のエネルギーが全く変わると言います

その時初めて、
本当の意味で天皇になるのでしょう

国皇ではないのです
天の皇なのです

にもかかわらず、
国民代表に過ぎない天皇は、
神とつながった絶対的な権威者としても
生きられず、かと言って、
ただの国民としても生きられない

在位中に象徴と変わった昭和天皇ともまた
違う葛藤がそこにあっても、
不思議ではないでしょう

前例がないのです
自分で模索するしかない

それを受け入れ超えて来られた天皇陛下に、
悔いも、
不条理さを感じる事もないのでしょうが、
生前退位、そして譲位を選ばれたところに、
天皇陛下の最後の抵抗、
心の叫びを感じ取るのは、
私だけでしょうか

昭和という激動の時代から、
平成という元号の名の如く、
戦争のない平和な時代を天皇として生き、
国民を見、
直接相まみえ、
国民に姿を晒しながら、
国民の一人であった皇后を選び、
その皇后もともに表舞台に立たせ、
支え合って、
歩んで来られた

そして最後は、
上皇ではあるものの、
天皇としての任を譲り、
一人の人間として生きる事を選ばれた

それは、
まさに非常に象徴的であると言えますね

終戦を迎え、
マッカーサーと対面した昭和天皇は、
「自分の命はどうなってもいいので、その代わりに国民の誰一人も飢えのない生活を送れるように約束して欲しい」と言われたといいます

自分の命を差し出す事で示した
昭和天皇の矜持

それに深く感動したマッカーサーは、
昭和天皇を心から尊敬し、
日本への対応を変えたと言います

昭和天皇の人としての本当の胸の裡を、
聞いてみたかったと思います

それらの時代を経て、
それらの天皇の生き方を経て、
次に在位する天皇は、
どういう時代を生き、
どういう生き方を見せてくれるのでしょうか

皇太子は、私とほぼ同年代、同世代です

平成天皇より、より自由に、
より積極的に、
一人の人として生きる事を模索したとしても、
不思議ではありません

でも、それは、
絶対的でたった一人しかいなかった
神としての顕現者、それを託された者が、
国民とさほど違いが無くなるという事を
象徴するという事かも知れません

つまり、逆に言えば、
国民一人ひとりが神の顕現者になっていく
という時代の到来を象徴する、
という事かも知れません

今朝、伊豆の本当にマイナーで小さな海辺に、
思いがけず大勢の人が初日の出を拝みに訪れた
という事も、
太陽が顔を出した瞬間、
喜んで手を叩く人もいましたが、
後は本当に皆静かに、厳かに佇んで、
初日の出を待ち、見ていたということも、
その象徴かも知れません

聞こえるのはシャッターの音だけ

これが日本人だなあ、と思いました

静かでいられるのは、
厳かでいられるのは、
誰かと一緒にいても、
一人で日の出と向かいあえるのは、
心の中で神聖さを知っているからです

心の深くに、
太陽を神と崇める精神が宿っているからです

日の出も美しかったですが、
人々も美しかったです


今年、自然現象は、
ますます激しく動いていくかも知れません
同時に、
世界情勢も激しく動いていくかも知れません

でも、
平和ボケ、国民総おバカ化と言われた時代から
皆目が覚めつつあるように思います

今朝、大島に降り注いだ黄金の光のように、
私達一人ひとりの荘厳さが、
地上に降り注ぐようになるといいですね








2018年12月31日月曜日

2018年の終わりに その2

いよいよ大晦日の夜です

今年は、一段と神道との繋がりが現れて来ました

これまで、霊的進化の道を歩む上で、
その時期によって、様々な宗教に関心を持ち、
そこから多くのものを受け取って来ました

本格的な修行そのものは、
アジズとフーマンに出会ってから始まり、
彼らの教えの元に歩み、
その後は、自らの内なる光を宝燈として歩み続けて来ました

生まれた家庭が、佛立宗という日蓮宗のマイナーな宗派で、
物心つく頃から、仏教が身近にあり、
お寺の活動に熱心な母に付いて回っていたため、ずっと仏教とともに育って来ました

そのため、
いつでも仏様に守られていることは、
体験的に、身体で知っていました

ベースに、この仏様への信頼、
宇宙への信頼が培われた事は、
人生にとってとても大切な事だったと思います

ただ、日蓮宗は非常に排他的な面を持っていることと、お教化という、いわゆる宗門への勧誘を信徒の最も重要な奉仕として捉えているため、
僧侶の講話も他の信徒達の体験話も、
お教化のことがメインで、
子ども心にも、なぜ仏様の事や宇宙の事、
仏教や悟りの事を話してくれないのかと、
いつも物足りなく感じていました

仏様に守られて、人生は順風満帆に進み、
可愛い子どもと裕福な暮らしにも恵まれて、
何不自由ない生活を送っていましたが、
30歳を過ぎた頃、理想と違う現実の自分の母としての姿に、
息もできない程の自己否定に落ち込みました

それは、魂からのアラームだったのですね

その時に、自分が何を探しているのかわかり、
自分なりに探求を始めました

そして、家の近くにあった不動尊の瞑想に通い始め、
空海密教と出会いました

排他的な日蓮宗と違い、広くて全てを包み込む密教に強く惹かれ、
密教を学び始めました

でも、最初に瞑想会に参加し、最後の唱明を聴いた瞬間、
それまで「南無妙法蓮華経」のマントラに守られていたカルマのスイッチがカチっと動き出したのがわかりました

カルマを体験し、昇華していくことは必要な事だったので、それそのものは良かったのですが、
改めて「南無妙法蓮華経」の力の凄さも知りました

密教で10年ちょっと学びましたが、
本質的な変容は、当たり前ですが起こらず、
渇きに渇いた私は、
ようやくそこで本当の師に出会うことになりました

それがアジズですが、
彼の教えのベースは禅でしたので、
そこから禅の実践的で本格的な修行が始まりました

そして、フーマンとの出会いによって、
ハートが開かれ、
自然にイエス・キリストに惹かれることとなりました

同時に、フーマンのバックグラウンドであるスーフィーにも惹かれていきました

フーマンは、日本の女神であるアマテラスとコノハナサクヤヒメに呼ばれて、日本に教えに来る事になったのですが、
アマテラスから、「私の娘達の手助けをしてください」と頼まれたそうです

フーマンから直接、「アマテラスとつながれ」と言われ、伊勢神宮に行ったのが始まりで、日本の神々との繋がりができ始めました

全く別のところの霊能者の力を持った人にも、私を見ると「アマテラス、アマテラスって来るんだけど」と言われたり、アマテラスとの縁を強く感じる事が度々ありました

イエス・キリストもですが、
実際にアマテラスのエネルギー体が会いに来てくれた事も何度かありました

私の産土神社も神明神社で、御祭神はアマテラス、本社は伊勢神宮だと言うことが後になってわかり、
やはりアマテラスとの縁が深い事がわかりました

その後、なぜかスサノオから頻繁に呼ばれ、各地の神社を巡る旅が始まり、
4年程前から、神武天皇に呼ばれ始めて、
神道との関わりが大きくなって行きました

生家の宗教から、子どもの頃は神社の鳥居をくぐってはいけない、神社で礼をしてもいけない、と教えられて来たのが嘘のように、
今では神道の重要さがわかるようになり、
これからの日本、世界にとって、
神道が非常に重要になって来ると思うようになりました

3000年以上、神道によって、
一つの神によって、守られて来た国は他にはないと言います

神道を知るようになってから、
天皇への見方も180度変わりました

それは、奈良の橿原神宮にある神武天皇陵で、まさに日本を守り続けているそのエネルギー、おそらく、天皇家にずっと伝えられているそのエネルギーを実際に体験した事によって、
ずっと秘されて来たものがわかったからに他なりません

これからの世界にとって、神道の何が重要なのか

それは、そのエネルギーそのものと
もう一つは、神道では禊が柱になっていることです

神道程、人としての清らかさを求める宗教は他には知りません

どの宗教も、人としてのあり方は説いていますし、浄化も重要視していますが、
神道のそれは比較にならないように感じます

最も透明で純粋なのです

現存の神社が実際にどれほど真摯にそれを行っているかは知りませんが、
というのも、今年出雲に参拝の旅に出かけた折、
以前訪れた時には素晴らしかった神社が、なにやらおどろおどろしい場所や気枯れした場所に変わってしまっていたところが多かったからです

余談になりますが、
このようにエネルギーが落ちてしまった理由は、
神社の神職がパワースポットブームに乗って金もうけに走ってそれに寄ってたかった人達の欲か、
あるいは、自称神社を浄化する人達や光を降ろす人達の、
そのマインドフルなエネルギーを降ろされまくったからではないかと思います

本当に浄化できる力のある人は、人知れず行うでしょう
いえ、そういう人は、ただ参拝するだけで清まるのです
「私が浄化してあげよう」などという我のエネルギーを降ろすより、ただ箒で掃き清めたり、雑巾で拭き掃除する方が、よほどエネルギーをきれいにできます
普通の人が、ただ神に感謝する、それが場を清めていきます
そういう、謙虚でシンプルな行いの方が、
美しいのです

話は逸れましたが、
今年後半に入って、
ようやく私の中にも、
きちんと神々を祀ろう、
神様にちゃんと顔向けできる生き方をしようという心が自然に芽生えて来ました

それまでも、
伊勢神宮と産土神社と氏神神社の御札は、
年に一度は参拝して新しいものと交換して神棚に祀っていましたが、
毎朝神棚のお米とお水とお塩を取り替えて、
礼をするのは大サボりでした

今は自然に、毎朝神棚に向かいたくなります

来年は、さらに深く神道を学んで行きたいと思っています

ご利益(ごりやく)という、
この現象世界でより良く幸せに生きるために宗教を利用するのではなく、
この世にあって本当に清らかな心を持つために、
神道の神に向かい合って行きたいと思っています

神道の神様は、厳しいです
ちょっとのごまかしも許してくれません
だからこそ、です








2018年12月30日日曜日

2018年の終わりに その1

前回、記事を載せてから、半年以上が過ぎてしまいました
というのも、立て続けに東京と伊豆の両方のPCが壊れ、未だに私専用のPCのセットアップが終わっていないからです(´・ω・`)

でも、大晦日を目前にすると、やはり今年をきちんと終わらせ、新しい年を新たに迎えるためにも、ブログを書きたいと思い、スマホからの投稿にチャレンジすることにしました

無事にアップできるといいのですが

今年は、地球規模での大災害が軒を連ね、未だに世界各地での大地震や噴火が相次いでいます

それと同じように、私の個人的な生活も怒涛の大波に襲われ、尋常ではない忙しさに見舞われました
12月の誕生日に還暦を迎えましたが、この年は本厄の年でもあるのですね
次から次に押し寄せる波に、これでもかと、動いて来ましたが、さすがに肉体からのSOS、腎臓や心臓がくたびれ果ててしまいました(´・ω・`)

私の母も、還暦直前に乖離性大動脈瘤で倒れていて、母のカルマをことごとく立て直して来た私なので、用心しましたが、どうにか帯状疱疹という型で通過する事ができました

とはいえ、さすがに自分でも命の危機を感じる程の深い疲労感でした

薬は使わず、基本的には落ちた免疫力を高めて行くために、今回は野口整体だけではなく、シュリシュリラヴィシャンカールのスダルシャンクリア呼吸法と、エドガー・ケイシーのひまし油湿布の助けを借りました

それでもなかなか完全に回復しないのでいるので、水ごりが良さそうに感じ、少しずつ始めているところです

「そんな事言ってないで、とにかく休養しろ!」という声が聴こえそうですが(;^ω^)、私の人生、休養したくてもさせてもらえないし、何か、徹底的に浄化、禊をする事へとどうやら押し出されているようです

肉体だけではなく、パートナーとの関係性を通して、私のパーソナリティの徹底的な浄化、これは浄化というより、変容を求められていると言った方がいい程、生易しくない事が求められました

ただ、不要なものを手放していくだけではなく、自分自身を超えて行く事でもなく、まさに、パーソナリティの変容です

これは、大きなチャレンジです

今年、アナディ日本招致の動きの中で、アナディとの関わりを通して、つくづく、霊的進化の道を歩む人は、自分自身のパーソナリティと直面し、しっかり向き合う事が重要であると感じて来ました

霊的進化が進めば進む程、パーソナリティが手つかずのままだと危険であることを、かつての師の今の姿から知る事ができました

自分自身のパーソナリティの持つ問題は、自分ではなかなかはっきりと見えない

でも、他者という「鏡」が映し出してくれる
相手が教えてくれるのです

それは、あまりにも基本的なスピリチュアルな叡智ではありますが、それを真摯に受け止める事は本当に難しいです

ニューエイジ思想からこのかた、ありのままの自分でオッケー、というムードがスピリチュアルな世界でも当たり前になっています

それは、ある開放をもたらしてくれたため、霊的進化のある程度の段階までは有効ですが、それではやはり、最終開放の手前で躓くのです

魂によって違いがあるのかも知れませんが、真の解脱を求めている魂にとっては、もし、自分のパーソナリティに何らかの問題を残したままだと、先に進もうと足を踏み出した時、その自分自身につまづいてしまうのです

それゆえ、それぞれの宗教の伝統が、人としてのあり方を説いて来たのでしょう

それは、何も法律に反する行為を行わないというレベルの事ではなく、邪心を持たないというような事や、怠け、自分自身の証明、正当化、相手を利用するなど、自分自身が潜在意識的に何をしているのか、その低い性質を目を逸らさずに見つめ、変容させていかなければならない、ということです

誰しもが、自分の中に、高い性質と低い性質の両面を携えています

相手の低い性質は許さなくても、自分の低い性質は許してしまうのでは、やはり、最終開放には至れないのです

相手の低い性質は許しても、自分の低い性質を許してはならない

それは、自分を責めるという意味では全くありません

ありのままに認める、という事は、それが自分の低い性質であることを認める、ということです

認めて始めて、次の一歩を踏み出せます

そのレベルでの認めこそが、真の叡智であり、真の開きであり、すでに変容への一歩でもあるのです

今までも散々浄化はしてきましたが、さらに深いレベルでの浄化ならぬ変容です

そんな理解を得、そして、その理解から自分自身が逃げられない、つまり、自分がやらなくちゃならない事も知り、それに向かわされた1年でした

なので、本当にむちゃくちゃ大変ではありましたが、実に実り多い年でした

本厄って、悪い事が起きるのではなく、大変な事が起きるけど、それを通して成長していける年なのですね(*´ω`*)

来年は後厄
大掃除の後片付けの1年になりそうです🎵

今年1年、ありがとうございました

来年もよろしくお願いいたします

良き年をお迎えください


2017年1月1日日曜日

新年あけましておめでとうございます

2017年ですね♪

なんだか、
久しぶりにウキウキする感覚で新年を迎えました

ゴーン・・・・・ゴーン・・・・・と、
除夜の鐘が、
冷えて澄んだ夜気に響く中、
東京での鎮守神社である、熊野神社に初詣に行ってきました



そのせいか、
何かすっきりした感じです




昨年は一層増した忙しさが最後の最後まで続き、
さっきまでどろどろに疲れていましたが、
今は心が喜びを感じています

昨年までは、
いろいろな面で浄化のプロセスが進行する時期だったのが、
エネルギー的に振り子が振れきって反対の方向に向かうように、
今年は飛躍、上昇の年になるような感じがします(*^_^*)

昨年の暮れから、
少し詳しくパーソナリティの浄化について、
シリーズで書き始めました

本当は年内に書き終えたかったのですが、
とにかく予定外のことが次から次に起こりまくる年だったので、
書き切れず、
年を越すことになってしまいました

2017年は1の年、
新しい流れが始まる年ではありますが、
それが表面化し、
実際に変化を感じ始めるのは9月を過ぎる頃だと思います

それまでは、
昨年までの流れの影響が続きますので、
まだまだ、
いえ、
ますます浄化が重要になってくると思います

その重要性も含めて、
1月は浄化の方法についてしっかりと書いていきたいと思います

私も個人的に、
今年は仕事の上で大きな変化が訪れそうな予兆が起こっているし、
そろそろ伊豆と東京を行ったり来たりする生活に体力的な限界も感じているので、
この先どうなっていくのか楽しみではありますが、
そのプロセスにおいて、
いろいろと過去の清算をしきらないとならない状況に追い込まれるでしょう

「鋳型」から完全に解放されること

それは大変ではありますが、
それをしっかりと通過しないことには、
結局、過去に影響を受け続けてしまいます

過去を完全に手放して、
人間としての完結ができたら、と思っています

肉体を持っている限り、
人間としての完結に向けて、
歩んでいきたいですね

それは地道な道ですが、
不可欠な道です

瞑想と浄化は、
両輪のごとく、
どちらも不可欠です

皆様にも、
その大きな飛躍が起こる年となりますよう

新年の祈りを捧げます









2016年12月25日日曜日

Merry Christmas♪

聖夜も終わりを告げようとしていますね

イエスの誕生を祝う日

イエスの誕生を感謝する日

イエスへの愛を再確認する日

Merry Christmas!!


愛を込めて

2016年7月27日水曜日

「支援員」がいらなくなること

先ほどのブログで、
私が障碍者を「絶対的にケアの必要のある人」と見ていると書きましたが、
それはあくまでも今の時点では、ということであることを、
付け加えておきます

私の目標は、
私たち「支援員」が必要なくなることです

障碍の程度やその特質によって、それは大きく異なりますが、
少なくとも、私が関わっているB型支援の福祉施設に通っているような人たちに関しては、
いつか、私たち「支援員」がいなくても、
社会の中で彼らが十分に安全に幸せに生きていけるようになること、
それが私の願いです

そのためのまずの目標として、
彼らが施設を自治で運営していけることです

あくまでも全て彼らのペースで、
彼らの都合で、
彼ら同士、コミュニケーションを図り、
仕事の相手先との交渉もし、
仕事の段取りもし、
仕事をし、
施設の管理もし、
問題が起きれば彼らで相談し合い、
解決していく

今の社会のように、効率を優先したり、
利益をあげることを優先するのでは、
もちろん、その可能性は低くなってしまいますが、
そうでなければ、
それだけの力を彼らは持っているのです

実際には、組織を運営していくための支援や、
多少の交通整理としての支援が必要な時もあるでしょうが、
基本的には、
その中身に関しては、
彼らが主導で進めていくのです


それがもっと進めば、
プチ福祉施設が社会のあらゆるところに存在するようになること、
言い換えれば、社会そのものが福祉施設になっていくこと、
そして、それと同時に、
彼らも彼らなりの社会の中で生きていく方法をもっともっと見出し、
自らを表現していく力をつけていけるということです

極端な言い方をすれば、
彼らを健常者に近づけようとするのではなく、
社会が彼らに近づいていくということです

彼らに寄り添い、ともに生きていく社会です

そういった社会は、私たちにとっても幸せで楽しい場になると思います

そのためには、
経済第一優先の経済信仰が終わり、
内面の豊かさ、霊的な発展が優先される社会が実現される必要がありますが、
この先、人類はそちらに向かって進まざるを得なくなると思います

そのために、
彼らから教わること、受け取ることは本当にたくさんあります

本当は、そのために彼らという存在がいるのではないかと、
密かに思っている私です



ですが、
この私の目標に対して、
今の段階で、
同じ職場で同意を得られるのは良くて一人か二人でしょう

大半は、
「そんなの無理に決まってるでしょ!」と、
一言下に却下するでしょう

社会は厳しいものだ!それを彼らも知らなくてはならない
それこそが彼らのためだと信じて疑わない職員が多いのです
まだまだ、それが現実です



知的障碍というと、
読み書きが不得手だったり、
計算ができなかったり、
形の認識力に欠けていたりなど、
そういった知的な面における未発達さや、
感情的な未発達、
また、
むしろその敏感過ぎる感受性のためと、
それを表現する方法がわからないために、
人とのコミュニケーションにおいて難しさを感じることなどが特徴ですが、
実際には、
それに精神障碍が重なっているケースが多く、
そのあり方はより複雑になっています

私が関わっている中で感じたことは、
これはあくまで、軽度の障碍の方のケースですが、
その人の障碍の特性そのものより、
両親に「受け入れられているか」どうかが、
集団の中でトラブルとなる行動や現象の現れに大きな影響を与えているということです

両親に受け入れられて、
十分に愛情を受けている人の場合、
障碍の程度、質にかかわらず、
穏やかで、他の人からも愛される傾向が強く、
障碍があることを親が本当には受け入れていない場合、
不安定になりがちで、
深刻な場合は精神障碍を伴い、
非常に不安定で攻撃的になり、
他の人たちとトラブルを起こす傾向が強いのです

もちろん、
単純に親の愛という問題ではなく、
その周りの環境や、社会の体制など、
本当に様々な要因がありますし、
親となった方々は、どの方も、
その社会がもたらす重荷を背負い、
精一杯にできることを果たされているのは確かなので、
その親御さんを責めるつもりは全くありません

ただ、少しでもその点に関して、
お互いに心を開いて話し合ったり、
少しでもその重荷を降ろしてあげられたらとは思うのですが、
それすらなかなか難しいというのが現状です

自分の子どもに障碍があるとわかった時、
それを受け入れるのは、
口で言うほど簡単なことではないでしょう

どれほど、そのご両親たちがこの社会の中で、
「いっぱいいっぱい」になっているか、
深い胸の内で、どれほど傷ついているか、
それは痛いほど伝わってきます


五体満足で、健常の子どもですら、
私たちの多くは、そのあるがままを受け入れたりしません

障碍があろうとなかろうと、
本当にあるがままを「受け入れられている」子どもは少ないでしょう

それ以前に、
あるがままの自分を受け入れることがどれだけ難しいか

やはり、
一人ひとりがそこから地道に取り組んでいくしかないのだと思います










障碍者施設での事件によせて

今朝、神奈川の障碍者施設で、前代未聞の悲しい事件が起こりました

犠牲になられた存在の魂が安らぎを得られること、
ご家族、ならびに関係者の方々の悲しみが少しでも癒されるよう、
祈りを捧げたいと思います

この事件は、犯人である元職員の男性の個人的問題に終わらず、
人間というものの深層を見て行く上で大きなきっかけになると思うので、
ここで取り上げることにしました

人間の霊的進化の上で、
この事件は自分自身の内側を見て行くための大きな示唆を与え得るものです

普段、知的障碍者の施設で働いている者としても、
本当に彼らが彼らでいられる社会になってほしいという思いとともに、
私自身も、自分の内側に深く問うてみたいと思います

そもそもがあり得るはずもない命を否定し奪うという手段を取ったことは言うまでもなく、
体力ある26歳の青年といえど、
包丁やナイフで45人もの人を刺し続けていける体力と気力とモチベーションの持続は、
尋常ではなく、
何らかの精神の異常状態や、あるいは何らかの憑依などがあったかもしれませんが、
ここで取り上げるのはそういった面ではなく、
彼が投げかけた問いそのものです

「産まれてから死ぬまで回りを不幸にする重複障碍者は果たして人間なのでしょうか?」

そう、彼は問いました

彼の結論は、「人間ではない」というものでした

また、彼の結論は、「回りを不幸にする存在である」というものでした

それに対して、憤りを感じたり、
「私はもちろん人間だと思うわ!」と簡単に答える人は多いでしょう

もちろん、その答えは明らかです

でも、自分の生活がそのケアのために犠牲にならざるを得なくなった時、
自分がまさにその関係者になった時、
心の底の底から、
自分と全く同じ人間なのだと、
一人の尊厳ある人間存在なのだと、
一点の疑いも、ごまかしもなく、
彼らと、その尊厳を本当に尊重して接し続けることができるでしょうか?

偽善ではなく、
意志の疎通の全く取れない、
排泄も自分でできず、
こちらの思うようには決して動いてくれない相手に対した時、
きれいごとではすまない、
自分の弱さを突き付けられるのです

「人間ではない」と結論づけた彼は、
そのまま彼自身の弱さを表出しています

「そういう人たちだからね」と片づけるのもまた、
問題から目を反らすための逃げにしか過ぎません

あるがままの彼らの姿を、その有り様を、
本当に認め、受け入れ、尊重しているのでしょうか?

本当に、そういう彼らを、
彼らのその姿そのままに愛しているのでしょうか?

本当に、彼らとともにいて、
幸せでいられるでしょうか?

皆さんは、何をもって、
自分自身が人間であるということのよりどころにしているのでしょうか?

人間であるということは、
どういうことなのでしょうか?


私の友人に、知的障碍のある娘さんを持っている人がいます

その人の言葉で、私が生涯忘れ得ない言葉があります

「自分より先に子どもが逝くと、ホッとするんだよ」
「最後まで、自分で見守れて良かったね、って、障碍者の親同士は話しているんだよ」

その言葉は、ものすごい衝撃でした

私にとっては、子どもが先に逝くことだけは絶対に起こらないで欲しい、というのが、
親の当たり前の気持ち、
唯一の絶対的な願いだと思っていたからです

「自分より先に死んで欲しい」というのが、障碍者の親の本音であり、
それが彼らの愛なんです

自分の死後、子ども達がちゃんと生きていけるのか、
不幸な目に合わないか、
困ったり、苦しい思いをしないか・・・・・
そう、心配しているのです

もちろん、それだけではない

その言葉を聞いた時、
その裏にあるたくさんのたくさんの複雑な思いを受け取りました

それだけ、この社会では、
障碍者の親であるということは、
それだけで大きな重荷を背負ってしまっているのです

ホッとするのは、
その重荷を降ろせるからなのです

もちろん、そうでない親御さんもたくさんいらっしゃるでしょう

障碍を持つ存在たちから、
たくさんの愛とたくさんのギフトを受け取ったという方もたくさんいるし、
私も、その一人です

一緒にいて、「幸せ」を感じられるのです
パワーを、元気をもらえる

彼らは、決して、「回りを不幸にするだけの存在」などではないのです

彼らという存在の本当に素晴らしい側面を見て行ける人もたくさんいます

現場で働いている職員の多くは、
だからこそ、働き続けているのだと思います

「えーっ、人間じゃないよ、天使だよ!」と、言い切ってしまえる人もいるかと思います

これからはますます、そういう人が増えていくと思います

それでもなお、
本当に「同じ人間」として心底見ているのか・・・・
そのハードルは案外、高い

その疑問は、私自身にも言えることです

私は、「絶対的にケアすべき相手」として見ている
「絶対的に保護すべき相手」として見ている

もちろん、彼ら一人ひとりの意志や思い、願いを尊重し、
それを少しでも汲み取り、その実現の手助けをしたいと思う、
「手助けすべき相手」として見ているのです

それは愛と言えますが、
でも、同時に、同等の、対等な相手として見ているのかというと、
そうではない、ということです

本当に、一人の対等な人間として、
相手を尊敬していけるのか・・・

このハードルは結構高いのです

そういう、一人ひとりの本音が、
社会を形づくっていくのだと思います


ただ、「ひどい事件だ」と片づけるのではなく、
ただ心を痛めるのではなく、
まして他人事と見るのではなく、
ぜひ、この機会に、
自分自身の本音と語り合ってみてください

正しい答えはなくていい
お決まりの答えもいらない

ただ、自分自身の本音と触れ合う

そこからこそ、
本当の変化が生まれてくると思います








2016年5月17日火曜日

人間って

今、パートナーさんが、大元教の出口王仁三郎の「霊界物語」を読んでいます

その中で、出口王仁三郎が、
「全てのことは人がやってくれている。だから人を大切にしなさい」
という旨のことを言っていると教えてくれました

その時は、
本当にそうだなあ、やっぱり、人を大切にしないと、
と思いました

でも先日、
電車の中で、ふっと、そうかなあ?っと、思いました

人にとって必要なことは、
本当に人が全てやってくれているんだろうか?

空気も水も、自然が作ってくれている
食べ物も、他の生き物がその命を与えてくれています

身体を作っているのも、
その機能を働かせてくれているのも、
人ではなく、何かの力

人は本来、
自然の中で完結できるよう、創造されています

もし、一人の人が、
自然の中でたった一人だったら、
その人は孤独を感じることもなく、
満たされているでしょう

人は、
人の中にいるから、
孤独を感じるのではないでしょうか

修行時代、
「もし、宇宙にたった一人だったら?」と考えたことがあります

ちょっと、そう想像してみてください(*´ω`*)



そう想像したとたん、
強烈な歓びに満たされました

私にあれこれ注文や要求や文句を言う人もなく、
そこに何の比較もなく、
私は解放され、
全く自由で、
安心しきって、
完全にくつろいでいます

私が全てであり、
全てが私です

私が始まりであり、
私が終わりです


それは、
完全な完結であり、
充足です





 私たちは、そこに向かうべく、
今は不完全な形で、
存在しています

不完全であるのは、
そこに比較がある時だけです


人は本来、
自然の中で一人で完結できるよう、創造されています

でも、
同時に、
人は群れで暮らすよう、デザインされています
(多少の個人差はありますが)

両性があるということ自体、
生命という点において、
不完全さ、
言い換えれば、二元が存在しています

比較も、二元です

でも、
比較がなければ、
私たちは自分自身を知ることもできません

二元は悪いものではなく、
私たちが私たち自身を知るためにこそ、
存在しているのでしょう

そう思うと、
人間って、
本当に不思議な存在です

その不思議さは、
不思議さのままで置いておきたいですね

きっと、
それぞれの魂が、
それぞれの魂として完結すること、
それがその不思議さの答えなのでしょう♡





2016年4月17日日曜日

熊本地震

今回の熊本、九州の地震に被災された方々に、
心からの祈りを捧げます

この地震が起きた間、
今日まで伊豆でリトリートを行っていましたが、
16日になるまで、知らずにいました

伊豆の家はテレビもないし、
特にリトリート中なので外界の情報をシャットしているためです

今回は、たまたま16日に友人がLINEで教えてくれたので、
知ることができました

去年の九州旅行でとてもお世話になった方(スモーキークォーツ採取の隊長)が、
熊本に住んでいるので、
慌てて連絡したところ、
無事で何よりでした

こうやって、必要な情報は、いつも何らかの形でやってきます

でも、実は、
身体の方はちゃんとキャッチしていたのです

9日辺りから身体が妙にだるく、
10日の夜に突然下痢、
11日から頭痛とどうにもしようのないだるさ、
異常な花粉症の症状、
歯が浮いて痛みを発し、
ヘルペスや吐き気など、
具合が一気に悪くなりました

奈良への旅からずっと休む暇がなかったので、
最初はただの過労だろうと思ったり、
御陵や三輪山の超絶パワースポットに行ったので、
その浄化か、
そのエネルギーに調節されていく過程かとも思ったのですが、
どうにも、
いつもの過労や浄化や調節とは違う感じなのです

身体の感じ(体感)が違うし、
具合の悪くなり方が違う
寝ても寝ても眠い

こんなのは初めてで、
一体これは何なのだろう?と思っていました

いつもは、自分でいろいろやったり、
パートナーさんにやってもらったり、
ひたすら寝るとすぐに良くなるのが、
今回は、自分でいろいろやっても、
リトリートの最低限の仕事だけして後はひたすら寝込んでいても、
全然良くならず、
外の好きな私が、外に出る気に全くならない

ディープヒーリングのセッションも、
いつもはどんなに具合が悪くても、
セッションをすると自分も元気になるのが、
今回は、全然ダメで、
本当に不思議でした

ピークは14日の午後で、
もう、しんどくてしんどくて、めちゃくちゃ変で、
本当にどうなっちゃうのかと思いましたが、
それが、夜になったら、
すっきりと抜けて、
あの具合の悪さが嘘だったかのように、
もりもり元気になっていったのです

そして、15日の夜、
また少し頭痛が起きて来て、
11時ごろに布団に入ったのですが、
今度は逆に、なんだか寝られず、
眠れたのは夜中の1時過ぎだったでしょうか

そんな状態だったのですが、
熊本の地震の情報を聞き、
調べてみたら、
14日といい、16日といい、
時期、時間的にぴったりと符合するのです

大地震の前は、
電磁波が発生するので、
それで頭痛や耳鳴りが起きたり、
体調を崩す人が結構多いようです

ここまでひどい体感の体験は初めてでしたが、
去年の九州旅行で、
特に熊本とはエネルギー的に繋がって来ていたので、
敏感に身体がキャッチしていたようです

私の周りの人にも、
頭痛を起こしたり、だるくなった人が数名います

私の場合、
体調が悪くなるのと同時に、
熊本の隊長のことがやたら思い浮かんできて、
「隊長にメールしないと」という思いがずっと浮かんできていました

具合が悪かったので、
結局16日に地震のことを聞くまでメールできなかったのですが、
こうやってちゃんとお知らせが来ていたのですね

他の予兆として、
熊本の隊長も、
「最初の地震の前に、鳥が異常な鳴き方をしてました」とのことでした

隊長によれば、
天草でクジラが上がっていたり、
三重県で深海魚の「メガマウス」が上がっていたそうです

関東大震災の時は、
私の祖母が前日に、千葉から東京方面に、
光の柱が立っては倒れ、立っては倒れしていたのを見ています

私も、昔、
長野で、空がぱっと光り、雷のような轟音がするのを何度も聞いたことがあります
空が光るのですが、そこに雲一つなく、晴天で、
明らかに雷ではないのです

そしたら、翌日に轟音のした方向にあった横浜で震度5の地震が起きました

今回のことで、
地震の予兆となるような身体の調子がどういうものかわかったので、
もし、またこのような状態になったら、
一応、皆さんにもお伝えしたいと思います

今回の熊本大地震が、今後どう展開していくのか、
震源地の東征?によって、
各方面でいろいろな心配が取り上げられています

阿蘇山などの大規模な噴火
九州には大きな活火山がいくつもありますしね

南海トラフへの影響、発展
四国、和歌山、三重、静岡などで大規模な地震が起きる可能性

どう展開していくにしろ、
スピリチュアルな存在としてそれにどう呼応していくか

まさに、今日のプレイヤー瞑想がそれに関するガイダンスとなったので、
次にそれをアップしますね