さて、これも昨年書きそびれていたことですが・・・
昨年、体調がかんばしくなく、
右膝が痛むのと、
リウマチの疑いがかかっていたため、
肉体の振動数をあげていこうとワークを始めたことは、
以前ブログで書きましたが、
その経過報告を書きそびれていたので、
それを書こうと思います
そのために私が取り組んでいたのは主に、
チベットの若返りの体操である、右回りに21回旋することと、
スーフィーダンスでしたが、
その効果は以前少し書いたように、とても素晴らしいものでした
また、それと同時に、
いくつかやっていたことがありました
それは、肉体の振動数をあげるという目的というより、
普通に肉体のケアという観点からではありますが・・・
まず、以前からずっと行っている野口整体
これは2つの要素があって、
ひとつは自分で活元運動という、身体を整えていく動きをすること、
これがメインの要素になります
もうひとつは、
コンサルタント(いわゆる先生)の躁法と言いますが、
自分でまかないきれないところを、
先生にやってもらう、ということがあります
月に一度しか先生のところには行けないので、
なかなか身体を整えきれないのと、
それまでの私の身体の状態があまりにもひどかったため、
なかなかそれだけでは間に合わないという状況でした
また、整体という方向からは、
足首とふくらはぎの筋膜をよくほぐすということをやりました
大腿部などもよくほぐしていったのですが、
これだけではなかなか改善は見られませんでした
若い頃からずっと、
免疫系の病気に罹ることが多いので、
免疫力アップのためにいろいろなことはしてきましたが、
昨年から、
はちみつ水とヘンプシードオイルを飲み始めました
また、自分でエッセンシャルオイルを調合して、
患部に塗っていました
クローブを主軸に、ティートリーやラベンダーなどを配合したと思います
オイルの調合は、
いつも直感的にやっているので、
他の方の参考になるように書けないのがたまに傷ですが・・・(-_-;)
そして、
エドガー・ケイシーの推奨している「ヒマシ油湿布」をしてみました
ヒマシ油をフランネルにたっぷりと染みこませて、
右腹に当て、
上から電気あんかで温めるというものです
詳しいやり方は別途記載しますが、
要するに肝臓を温めて、
肉体の免疫力、自己治癒力を高めていくというものです
これも、
まだ全部終えているわけではありませんが、
それでもすでに、
素晴らしい効果を感じられています
1回やるごとに、
身体の中がきれいに、透明になっていくのがわかります
そして、とても身体が温まってきました(*^_^*)
これらを、
総合的にやっていった訳ですが、
昨年の取り組みの特徴としては、
やっぱり、
「回転」と「オイル」ということになるでしょうか(*^_^*)
整合させる動きと、
その潤滑油、って感じでしょうか(*^_^*)
クローブのホールを毎日そのまま食べたのも、
非常にいい感じでした(*^_^*)
あ、後、もうひとつ大きな要素として、
歯の治療を始めたことがあります
昔々に治療して金歯になっていた歯から始めましたが、
何年もここの歯茎がいつも膿んで、
疲れるとぽこっと膿のポケットができてしまっていたので、
ようやく、手をつけた訳です
たまたま、普通の歯科医ではなく、
体術を習得していて身体全体を診ながら治療してくれる歯科医を紹介してもらったので、
何年も放置していた問題に取り組むことにしたのです
遠いし、自費診療なので大変ですが、
とても信頼できる優しい先生なので、
思い切って始めました
金歯を外し、
金歯の土台にしていた金属を外してもらった時、
ものすごい解放感を体験しました
それだけで、身体が驚くほど軽くなったのです!
それまで、
どれだけそのちっぽけな金属によってぐーっと押さえ込まれていたか、
すごくよくわかりました
もう、本当に、
狭くて堅く思い鳥かごに閉じ込められていたのが、
外に飛び出たかのような、
すごい解放感でした(*^_^*)
歯ひとつで、
これだけ身体が変わってしまうのですね
5ミリあるかないかの小さな金属の塊が、
これだけ影響を与えることにも驚きました(゚_゚)
また、マウスピースを使って、
噛み合わせの調整もしています
これらを総合的に行った結果、
右膝の痛みは完全に消え、
リウマチも無事に回避することができました(*^_^*)v
それだけではなく、
身体が変わってきているのを感じられています
今年は暖かいせいもありますが、
以前よりかなり薄着で大丈夫になっていること、
特に、足の冷え方が全く違います
あまりに固まっていてどうにもこうにも動きようのなかった背中も、
ほぐれ始めてきました
どうも、性格的に、
「やる!」となったら、
あれこれ同時に始めてしまうため、
どれがどのように効いたのかよくわからないのが難ではありますが(-_-;)、
おそらく、
総合的に、相互補完的に、効いたのだと思います(*^_^*)
その中でも、
やはり「回転」と「ヒマシ油湿布」の効果は大きいと思います
まだまだ、
歯の治療も始まったばかりの段階で、
何本も再治療すべき歯を残していますし、
肉体に溜め込んでいた「負」の要素を取り切れているわけではないので、
本当の意味で肉体の振動数を上げていく「スタートライン」にはまだ立てていないと思いますが、
これらを続けていくことで、
そのスタートラインに立てるのもそう遠くないと思っています
それはそれは厳しい整体の先生にも、
「なんか、いい感じですね」と言われました(*^_^*)
以上、
途中報告です♪
2017年1月6日金曜日
2017年1月4日水曜日
イエスの恩寵
昨年末のリトリートでの話・・・
忙しさに、書きそびれていましたが・・・
リトリートの最後のクロージングの時に、
昨年12月のミネラルフェアで手に入れたタンザナイトのイエス像を座の前に据えました
これらの画像は、東京の自宅で撮影したもので、
背後から太陽の光が差し込んでいるため、
色が薄く写っていますが、
実際はもう少し深い青です♪
でも、レインボーが出ていたり、
少ーしピンクがかっているところがあったりして、
優しい雰囲気で、
なかなか魅惑的です♪
さて、そのタンザナイトのイエス像を、
リトリートのクロージングの時に、
座の前に置き、
一緒に座ってみることにしたのです
そういうのは、
直感的にぱっと来るのです
クロージングというのは、
リトリートを閉じる儀式ですが、
始まってまもなく、
わーっと部屋のエネルギーが変わり、
部屋全体が教会のエネルギーになっていきました
後で聞くと、生徒さんも、それを感じていたとのことでした
「ああ、教会になった」と思っているうちに、
その荘厳なエネルギーの中に、
天から光に満ちた、
神聖で圧倒的な、
でも穏やかで優しいエネルギーが降りてきました
そのエネルギーにすっぽりと包まれて、
しばし、恍惚状態♪
その時は、
「ああ、イエスが来てくれた」と思いましたが、
いつも感じるイエスのエネルギーに比べると、
質的には同じですが、
もっと柔らかくて優しいエネルギーでした
後から思うと、
クロージングをリードしているパートナーのエネルギーだったのかもと思ったので、
パートナーにその話をするとやはり、
「天から降りてきたエネルギーを、
僕の中を通して放射していた」とのことでした
イエスとパートナーのエネルギーが融合したものだったのかもしれませんね
それがタンザナイトのイエス像を置いたことと関係があることは、
明白でした
何かに導かれて、
このイエス像を手にすることになったのも、
ひとつのイエスの恩寵なのでしょう
こんな形で恩寵をいただくことはなかなかありませんが、
ハートの次元を深めている生徒さんのその時期に合わせるように、
素敵な石が訪れてくれて、
神の計らいって、
本当に素敵ですね♪
ダブル虹といい、
素敵なギフトの多かったリトリートでした♪
忙しさに、書きそびれていましたが・・・
リトリートの最後のクロージングの時に、
昨年12月のミネラルフェアで手に入れたタンザナイトのイエス像を座の前に据えました
青い石好きな私としてはずっと欲しい石でしたが、
タンザナイトという石は、宝石クラスの高い石なので、
なかなか手が出せるものではありませんでした
質が良ければ数センチで何十万、という代物なのです
でもその青は海のようでも宇宙のようでもあり、純粋で、
「いつかはタンザナイトを」と、ずっと思っていました
これもとても高額だったのですが、
ミネラルショーであまたある石をずっと見ていく中で、
はっと目が釘付けになりました
というか、目線より高いところに置かれていたそのイエス像から、
ふぁあーっと光が射していて、
その光に吸い込まれるように、
引き寄せられてしまったのです
その光が、その青が、とてもとても美しく、
なんだか、
惹きつけられてしまったのです
しかも、イエス様だし♪
高額にもかかわらず、
買うことに何の躊躇もなく、
即決でした♪
まさに、「呼ばれちゃった」状態ですね(*^_^*)
これらの画像は、東京の自宅で撮影したもので、
背後から太陽の光が差し込んでいるため、
色が薄く写っていますが、
実際はもう少し深い青です♪
でも、レインボーが出ていたり、
少ーしピンクがかっているところがあったりして、
優しい雰囲気で、
なかなか魅惑的です♪
さて、そのタンザナイトのイエス像を、
リトリートのクロージングの時に、
座の前に置き、
一緒に座ってみることにしたのです
そういうのは、
直感的にぱっと来るのです
クロージングというのは、
リトリートを閉じる儀式ですが、
始まってまもなく、
わーっと部屋のエネルギーが変わり、
部屋全体が教会のエネルギーになっていきました
実際は、
小さな古い家の広くもない部屋ですが、
それが大聖堂のように、
うわあーっと、天井の高い、
広大で荘厳な空間に変わっていったのです
「ああ、教会になった」と思っているうちに、
その荘厳なエネルギーの中に、
天から光に満ちた、
神聖で圧倒的な、
でも穏やかで優しいエネルギーが降りてきました
そのエネルギーにすっぽりと包まれて、
しばし、恍惚状態♪
その時は、
「ああ、イエスが来てくれた」と思いましたが、
いつも感じるイエスのエネルギーに比べると、
質的には同じですが、
もっと柔らかくて優しいエネルギーでした
後から思うと、
クロージングをリードしているパートナーのエネルギーだったのかもと思ったので、
パートナーにその話をするとやはり、
「天から降りてきたエネルギーを、
僕の中を通して放射していた」とのことでした
イエスとパートナーのエネルギーが融合したものだったのかもしれませんね
それがタンザナイトのイエス像を置いたことと関係があることは、
明白でした
何かに導かれて、
このイエス像を手にすることになったのも、
ひとつのイエスの恩寵なのでしょう
こんな形で恩寵をいただくことはなかなかありませんが、
ハートの次元を深めている生徒さんのその時期に合わせるように、
素敵な石が訪れてくれて、
神の計らいって、
本当に素敵ですね♪
ダブル虹といい、
素敵なギフトの多かったリトリートでした♪
2017年1月1日日曜日
新年あけましておめでとうございます
2017年ですね♪
なんだか、
久しぶりにウキウキする感覚で新年を迎えました
ゴーン・・・・・ゴーン・・・・・と、
除夜の鐘が、
冷えて澄んだ夜気に響く中、
東京での鎮守神社である、熊野神社に初詣に行ってきました
そのせいか、
何かすっきりした感じです
昨年は一層増した忙しさが最後の最後まで続き、
さっきまでどろどろに疲れていましたが、
今は心が喜びを感じています
昨年までは、
いろいろな面で浄化のプロセスが進行する時期だったのが、
エネルギー的に振り子が振れきって反対の方向に向かうように、
今年は飛躍、上昇の年になるような感じがします(*^_^*)
昨年の暮れから、
少し詳しくパーソナリティの浄化について、
シリーズで書き始めました
本当は年内に書き終えたかったのですが、
とにかく予定外のことが次から次に起こりまくる年だったので、
書き切れず、
年を越すことになってしまいました
2017年は1の年、
新しい流れが始まる年ではありますが、
それが表面化し、
実際に変化を感じ始めるのは9月を過ぎる頃だと思います
それまでは、
昨年までの流れの影響が続きますので、
まだまだ、
いえ、
ますます浄化が重要になってくると思います
その重要性も含めて、
1月は浄化の方法についてしっかりと書いていきたいと思います
私も個人的に、
今年は仕事の上で大きな変化が訪れそうな予兆が起こっているし、
そろそろ伊豆と東京を行ったり来たりする生活に体力的な限界も感じているので、
この先どうなっていくのか楽しみではありますが、
そのプロセスにおいて、
いろいろと過去の清算をしきらないとならない状況に追い込まれるでしょう
「鋳型」から完全に解放されること
それは大変ではありますが、
それをしっかりと通過しないことには、
結局、過去に影響を受け続けてしまいます
過去を完全に手放して、
人間としての完結ができたら、と思っています
肉体を持っている限り、
人間としての完結に向けて、
歩んでいきたいですね
それは地道な道ですが、
不可欠な道です
瞑想と浄化は、
両輪のごとく、
どちらも不可欠です
皆様にも、
その大きな飛躍が起こる年となりますよう
新年の祈りを捧げます
なんだか、
久しぶりにウキウキする感覚で新年を迎えました
ゴーン・・・・・ゴーン・・・・・と、
除夜の鐘が、
冷えて澄んだ夜気に響く中、
東京での鎮守神社である、熊野神社に初詣に行ってきました
そのせいか、
何かすっきりした感じです
昨年は一層増した忙しさが最後の最後まで続き、
さっきまでどろどろに疲れていましたが、
今は心が喜びを感じています
昨年までは、
いろいろな面で浄化のプロセスが進行する時期だったのが、
エネルギー的に振り子が振れきって反対の方向に向かうように、
今年は飛躍、上昇の年になるような感じがします(*^_^*)
昨年の暮れから、
少し詳しくパーソナリティの浄化について、
シリーズで書き始めました
本当は年内に書き終えたかったのですが、
とにかく予定外のことが次から次に起こりまくる年だったので、
書き切れず、
年を越すことになってしまいました
2017年は1の年、
新しい流れが始まる年ではありますが、
それが表面化し、
実際に変化を感じ始めるのは9月を過ぎる頃だと思います
それまでは、
昨年までの流れの影響が続きますので、
まだまだ、
いえ、
ますます浄化が重要になってくると思います
その重要性も含めて、
1月は浄化の方法についてしっかりと書いていきたいと思います
私も個人的に、
今年は仕事の上で大きな変化が訪れそうな予兆が起こっているし、
そろそろ伊豆と東京を行ったり来たりする生活に体力的な限界も感じているので、
この先どうなっていくのか楽しみではありますが、
そのプロセスにおいて、
いろいろと過去の清算をしきらないとならない状況に追い込まれるでしょう
「鋳型」から完全に解放されること
それは大変ではありますが、
それをしっかりと通過しないことには、
結局、過去に影響を受け続けてしまいます
過去を完全に手放して、
人間としての完結ができたら、と思っています
肉体を持っている限り、
人間としての完結に向けて、
歩んでいきたいですね
それは地道な道ですが、
不可欠な道です
瞑想と浄化は、
両輪のごとく、
どちらも不可欠です
皆様にも、
その大きな飛躍が起こる年となりますよう
新年の祈りを捧げます
2016年12月28日水曜日
「鋳型」の浄化方法 その3 ストーリーではなく、内側で起こる感情、感覚が重要
通常、人は人生において何かが起こったり、
何かを体験すると、
そのストーリー(物語)の方を非常に重要視します
「あの人がどうしたこうした!」
「あれこれこういうことが起きた!」
そして、
そのストーリーを体験していると信じています
そのストーリーに意味づけをし、
そのドラマに熱中しています
人がどれほど熱心にそのストーリーを語るか、
そして、そのストーリーに固着しているか、
誰しもが知っていると思います
今の人生を楽しむという観点からは、
それも悪いことではないでしょう
ですが、
パーソナリティの浄化という観点からすると、
本当に重要なのは、
その外側で起こっているストーリーではないのです
本当に重要なのは、
あなたの内側に起こっている感情、感覚なのです
相手を変え、
ストーリーのバリエーションを変え、
あなたの中の同じボタンが押される
問題は、
ストーリーではなく、
ボタンを押されることによって出て来る、
あなたの内側の感情、感覚なのです
つまり、
ある特定の指向性を持つインプットに対して、
いつもある一定の反応、つまりアウトプットが出て来る
私たちが本当に体験していると言えるのは、
実はそのアウトプットなのです
もとより、
あなたの目を通して映る他者の行為は、
あなたのフィルターを通って映し出されるものです
それは事実であるかもしれないし、
事実ではないかもしれない
ほとんどの場合、
事実とはズレがあるでしょう
たとえば、
誰かがあなたを愛しても、
もし、あなたが愛されることを拒絶していたら、
あなたはその愛を受け取ることができず、
他の何かと解釈してしまう
「私は愛されない」と深いところで信じていたら、
どんな愛の行為も本当には受け取ることができず、
いつもあなたは、
「あの人も、この人も私を愛してくれない」と思い続けます
もし、「こういう形」だけが愛の行為と信じていたら、
誰かが違う形であなたを愛しても、
あなたはそれを愛だとわからないのです
目覚める前の私たちは、
他者の行為を、気持ちを本当に直接に体験しているとは言えないのです
ですが、
私たちは内側で起こっている感情や感覚は、
私たちが直接体験しているものです
そして私たちは、
何回もの生を通して、
ありとあらゆるストーリーを通して、
その感情、感覚を体験し続けています
自分の内側を観察して、
そのしくみを熟知していくことが必要なのです
だから、
自分の内面を観察する際に重要なのは、
外側のストーリーに気を取られるのではなく、
内側で体験する感情や感覚に焦点を合わせることなのです
私たちは、
そのように内側を深く探究していくのです
それが理解できた時、
外側の具体的なストーリーがどうであるかは、
あまり意味をなさなくなります
あなたは、外側に気を取られず、
直接内側に入っていくことができるようになります
直接、
自分自身と向き合うことができるようになるのです
それができるようになって初めて、
パーソナリティの浄化を始められるようになるのです
何かを体験すると、
そのストーリー(物語)の方を非常に重要視します
「あの人がどうしたこうした!」
「あれこれこういうことが起きた!」
そして、
そのストーリーを体験していると信じています
そのストーリーに意味づけをし、
そのドラマに熱中しています
人がどれほど熱心にそのストーリーを語るか、
そして、そのストーリーに固着しているか、
誰しもが知っていると思います
今の人生を楽しむという観点からは、
それも悪いことではないでしょう
ですが、
パーソナリティの浄化という観点からすると、
本当に重要なのは、
その外側で起こっているストーリーではないのです
本当に重要なのは、
あなたの内側に起こっている感情、感覚なのです
相手を変え、
ストーリーのバリエーションを変え、
あなたの中の同じボタンが押される
問題は、
ストーリーではなく、
ボタンを押されることによって出て来る、
あなたの内側の感情、感覚なのです
つまり、
ある特定の指向性を持つインプットに対して、
いつもある一定の反応、つまりアウトプットが出て来る
私たちが本当に体験していると言えるのは、
実はそのアウトプットなのです
もとより、
あなたの目を通して映る他者の行為は、
あなたのフィルターを通って映し出されるものです
それは事実であるかもしれないし、
事実ではないかもしれない
ほとんどの場合、
事実とはズレがあるでしょう
たとえば、
誰かがあなたを愛しても、
もし、あなたが愛されることを拒絶していたら、
あなたはその愛を受け取ることができず、
他の何かと解釈してしまう
「私は愛されない」と深いところで信じていたら、
どんな愛の行為も本当には受け取ることができず、
いつもあなたは、
「あの人も、この人も私を愛してくれない」と思い続けます
もし、「こういう形」だけが愛の行為と信じていたら、
誰かが違う形であなたを愛しても、
あなたはそれを愛だとわからないのです
目覚める前の私たちは、
他者の行為を、気持ちを本当に直接に体験しているとは言えないのです
ですが、
私たちは内側で起こっている感情や感覚は、
私たちが直接体験しているものです
そして私たちは、
何回もの生を通して、
ありとあらゆるストーリーを通して、
その感情、感覚を体験し続けています
自分の内側を観察して、
そのしくみを熟知していくことが必要なのです
だから、
自分の内面を観察する際に重要なのは、
外側のストーリーに気を取られるのではなく、
内側で体験する感情や感覚に焦点を合わせることなのです
私たちは、
そのように内側を深く探究していくのです
それが理解できた時、
外側の具体的なストーリーがどうであるかは、
あまり意味をなさなくなります
あなたは、外側に気を取られず、
直接内側に入っていくことができるようになります
直接、
自分自身と向き合うことができるようになるのです
それができるようになって初めて、
パーソナリティの浄化を始められるようになるのです
2016年12月27日火曜日
ダブル虹♪ 浄化のご褒美
リトリート開けの夜、
生徒さんと夜中まで、
パーソナリティの浄化のワークを行いました
パーソナリティの浄化の重要性については、
すでに十分に理解されているため、
とても真摯に自分に向かい合うことを始めている方です
ワークが起こっている間に雨が降り出し、
今朝は嵐のようになりました
浄化が起きたのですね
しかも、かなりのものだったようです
その方を駅まで送っていった時、
虹が出ました♪
なんと、ダブル虹です!
生徒さんと夜中まで、
パーソナリティの浄化のワークを行いました
パーソナリティの浄化の重要性については、
すでに十分に理解されているため、
とても真摯に自分に向かい合うことを始めている方です
ワークが起こっている間に雨が降り出し、
今朝は嵐のようになりました
浄化が起きたのですね
しかも、かなりのものだったようです
その方を駅まで送っていった時、
虹が出ました♪
なんと、ダブル虹です!
しかも、
虹の根っこが両方とも見えました!
すごいですねえ(*´ω`*)
写真じゃわかりませんが、七色はっきりと見えていました
浄化の後の、
大きなギフトですね♪
この方のリトリートの時に虹が出ることがよくあります♬
こういうシンクロ、
自然界からの象徴的な現れを体験すると、
やっぱり「存在」から支えられているんだなあ、と、
しみじみ思います
美しいですよね♡
パーソナリティの浄化は、
実際は本当にシビアでハードなワークです
もちろん、これで完了した訳ではなく、
これからますます深く入っていかなければなりません
でも、真摯にやっていけば、
こういうご褒美をいただけるのですね
うれしい、
うれしいご褒美でした(*´ω`*)
2016年12月25日日曜日
「鋳型」の浄化方法 その2 1.内面の観察
つづきです
「鋳型」、カルマ、トラウマ、ブロック
それらを浄化するにあたって、
非常に重要なことが2点あります
前回のブログで、
まずはそれらであることを認識することが初めの一歩であると書きましたが、
そのためには、
いつでも自分の内面をクリアに観察するということができなければなりません
浮上してくるパワフルな感情や感覚に無意識であると、
否応なく巻き込まれ、
それらにかき乱され、
常にコントロールされ、
コントロールされていることにすら気づきません
そして、すぐさま反応を返して、
お決まりのパターンを繰り返したり、
余計事態を悪化させたり、
自己正当化に躍起になったり、
あるいは、
無意識にその嫌な感情や感覚を抑圧したり、
それから逃れようと必死になったりします
もちろん、
誰だって、
自分がどんな感情を体験しているかはわかっています
悲しいのに悲しいことがわからない人も稀にいますが、
まあ、通常、人は自分が悲しいことは十分にわかっています
私たちが「意識的である」という時、
それは、単に悲しいとかつらいとかわかっている、という意味ではありません
それらを、「意識的に体験している」という意味です
「気づいている」「気づき」がある、とも言います
思考であれ、感情であれ、何であれ、
自分の内面に起こっていることを全て、
意識のスクリーンに映し出して、
観察しているのです
意識の光を当てている、とも言えます
よく、
白昼夢のように、潜在意識から大した脈絡もなく沸き起こる思考のチェーンにはまり、
ある時、突然、ハッと我に帰り、
「あ、ぼーっとしてた!」と気づく時がありますね
それは、無意識の状態から、
一瞬、意識的な状態にスィッチが入った時なのです
でも、また、次の瞬間には無意識に戻ってしまうのが通常の人ではありますが・・・(;´Д`)
そうやって意識のスィッチを入れたり、
意識的に観察しているのは、「知性」です
よく、内側に「もう一人の自分」がいて、
その「もう一人の自分」に自分がいつも見られている感じがしますね
それが「知性」であり、
最上位(わかりやすく表現すれば)のマインドです
一番精妙なマインド、という言い方の方がふさわしいかもしれません
それは、思考などの粗い振動数のマインドではなく、
微細で高い振動数のマインドです
日本語の感覚で言えば「精神」が最も近いのではないかと思います
「理性」という言葉も、
これを指し示している場合が多いかと思います
魂に非常に近いところに位置し、
魂と密接に関連しているものです
「知性」は、魂が認識するための器官そのものなのです
魂そのものは全てを「観照」していますが、
「知性」なくして、それを意識化したり認識することができません
全ての認識、意識化は、「知性」の役割なのです
内面の自己観察は、
その上位のマインドの働きであり、
魂の「観照」とは異なります
というのも、
実際に魂は、観察されるパーソナリティとは全く違う次元に属しているため、
それそのものだけでは「人間」の次元に関わることができないのです
魂の側から言えば、
「人間」として繰り広げられる全ては、
異なる次元にあるスクリーンに映し出される映像のようなものです
それを見る眼の役割をしているのが、
「知性」なのです
ついでにもうひとつ付け加えれば、
アウェアネスを目覚めさせるために必要なのがこの「知性」です
「知性」が向きを変えて、
「知性」を司る主人そのものに気づく
それが真の「気づき」です
これについては、
覚醒のワークについて書くときに詳しく書きます
この「知性」を発達させていくことが、
実はスピリチュアルな道において、非常に重要になってきます
「知性」が十分に育っていないと、
進化における理解がとぼしいものになり、
本当の洞察力というものを持つことができません
それは、利口であるとか知識が豊富であるということとは、
何の関係もありません
いわば、叡智とつながっているかどうか、です
それは、
ハートと深いところでつながっています
計算高い頭の良さではなく、
むしろ「真・善・美」を知っているものと言えます
「知性」は、
私たちが霊的にだけではなく、
人間として進化していくために不可欠なものでもあります
私たち人間を人間たらしめているのが、
この「知性」だと言えるでしょう
そうでなければ、動物と同じです
純粋な生命維持のため以外に他者を殺したり、他者から搾取したりしない分、
動物の方がまだモラルがあるかもしれませんね(;´Д`)
さて、
この「知性」によって、
私たちは内面に起こることを観察する必要があります
自分の内側で何が起こっているか知らないと、
何も始まりません
「観察」を行う時に特に注意しなければならないのが、
起こっていることに「ジャッジをしない」ということです
通常、
認識と同時に、「ジャッジ」が行われています
感情が起こるか起こらないかの段階で、
すでに「ジャッジ」は起こっています
そして、即座にその「ジャッジ」の結果によって、
自分自身に対する「操作」が行われます
都合のいいように、
自己イメージに合うように、
ごまかしたり、
すり替えたり、
正当化したり、
あるいは、
なかったことにしようとしたり・・・
本当にそれを洞察できるようになると、
あきれかえるほど、あれこれと画策しています((笑)
例えば、
「全ての人を愛する私」という自己イメージを深くに持っていると、
怒りや嫌いという感情を持つことが許せなくなります
自己イメージに矛盾するからです
そのため、その怒りや嫌悪感を隠そうとしたり、
ねじまげて慇懃に表出したり、
あるいは、その怒りを正当化するために、
必要以上に相手を批判する気持ちになったりします
相手を完膚なきまでに悪者に仕立て上げるのです
なので、最初は「ジャッジをはずす」という行為が必要です
そして、何の「操作」もない、
本当の気持ち、本当の感情を知る必要があります
本音、ですね
純粋な感情
それを、
ただ、認識する
ただ、知る
ただ、受け取る
ただ、認める
それは、
自分への慈悲を持って行われるべきことです
といって、
それは自分を甘やかすこととは全く違います
自分を甘やかす人は、
都合のいいように「操作」したものを「本音」として捉え、
他者にそれを強要しがちです
怒りだったら、
相手にそれをぶつけて当然、と開き直り、
悲しみだったら、
相手にそれを癒せ、と迫るのです
「あたしの気持ちは正しくて当たり前でしょ!だから、あんたがどうにかしなさいよ!」
「あんたよりあたしの気持ちが大事なんだから!全部あんたのせいね!」
というニュアンスなのです
そうではなく、
何年も何年も奥底に抱えてきたその痛み、その苦しみを、
ただ、自分でやさしく抱きとめてあげるのです
そこで注意しなければならないことが、
もうひとつあります
自己憐憫に入らない、ということです
自分を甘やかす人は、
自己憐憫が大得意です
「ああ~、なんてかわいそうなわたしィ~」
それは、ねっとりとしたエネルギーを留めるばかりで、
何の進歩も生み出しません
そうではなく、
ただ、フラットに見る
ただ、シンプルに認める
ただ、素直にそのまま受け取る
これらを行っていくためには、
十分に成熟した「知性」が必要であることがわかるでしょう
言葉で言うのは簡単ですが、
実践は恐ろしく難しいのです
幼稚な「知性」では、
まともな観察さえできないのです
それ以前に、「観察」することすら、
しょっちゅう忘れてしまいます(;´Д`)
その重要性を理解できないからです
でも、逆に、
観察を続けることによって、
「知性」は徐々に成熟していきます
そのように、
まずは内面の「観察」から始まります
ごまかさず、
正直に、
自分自身に開いて、
自分自身を信頼して、
自分自身に慈悲の心を持って
これは、
心理だけではなく、
身体上の違和感や不快感にも当てはまります
身体と心はひとつです
心で感じられないがゆえに、
その分、身体がよく感じている人も多くいます
心で拒否できなくても、
身体が拒否する時、
本音は「嫌だ」ということもあります
身体の方が、実はよく知っているということも多いのです
そのどちらもよく観察して、
自分自身を深くよく知っていくこと
それが、
最初の一歩のための準備です
つづく
「鋳型」、カルマ、トラウマ、ブロック
それらを浄化するにあたって、
非常に重要なことが2点あります
前回のブログで、
まずはそれらであることを認識することが初めの一歩であると書きましたが、
そのためには、
いつでも自分の内面をクリアに観察するということができなければなりません
浮上してくるパワフルな感情や感覚に無意識であると、
否応なく巻き込まれ、
それらにかき乱され、
常にコントロールされ、
コントロールされていることにすら気づきません
そして、すぐさま反応を返して、
お決まりのパターンを繰り返したり、
余計事態を悪化させたり、
自己正当化に躍起になったり、
あるいは、
無意識にその嫌な感情や感覚を抑圧したり、
それから逃れようと必死になったりします
もちろん、
誰だって、
自分がどんな感情を体験しているかはわかっています
悲しいのに悲しいことがわからない人も稀にいますが、
まあ、通常、人は自分が悲しいことは十分にわかっています
私たちが「意識的である」という時、
それは、単に悲しいとかつらいとかわかっている、という意味ではありません
それらを、「意識的に体験している」という意味です
「気づいている」「気づき」がある、とも言います
思考であれ、感情であれ、何であれ、
自分の内面に起こっていることを全て、
意識のスクリーンに映し出して、
観察しているのです
意識の光を当てている、とも言えます
よく、
白昼夢のように、潜在意識から大した脈絡もなく沸き起こる思考のチェーンにはまり、
ある時、突然、ハッと我に帰り、
「あ、ぼーっとしてた!」と気づく時がありますね
それは、無意識の状態から、
一瞬、意識的な状態にスィッチが入った時なのです
でも、また、次の瞬間には無意識に戻ってしまうのが通常の人ではありますが・・・(;´Д`)
そうやって意識のスィッチを入れたり、
意識的に観察しているのは、「知性」です
よく、内側に「もう一人の自分」がいて、
その「もう一人の自分」に自分がいつも見られている感じがしますね
それが「知性」であり、
最上位(わかりやすく表現すれば)のマインドです
一番精妙なマインド、という言い方の方がふさわしいかもしれません
それは、思考などの粗い振動数のマインドではなく、
微細で高い振動数のマインドです
日本語の感覚で言えば「精神」が最も近いのではないかと思います
「理性」という言葉も、
これを指し示している場合が多いかと思います
魂に非常に近いところに位置し、
魂と密接に関連しているものです
「知性」は、魂が認識するための器官そのものなのです
魂そのものは全てを「観照」していますが、
「知性」なくして、それを意識化したり認識することができません
全ての認識、意識化は、「知性」の役割なのです
内面の自己観察は、
その上位のマインドの働きであり、
魂の「観照」とは異なります
というのも、
実際に魂は、観察されるパーソナリティとは全く違う次元に属しているため、
それそのものだけでは「人間」の次元に関わることができないのです
魂の側から言えば、
「人間」として繰り広げられる全ては、
異なる次元にあるスクリーンに映し出される映像のようなものです
それを見る眼の役割をしているのが、
「知性」なのです
ついでにもうひとつ付け加えれば、
アウェアネスを目覚めさせるために必要なのがこの「知性」です
「知性」が向きを変えて、
「知性」を司る主人そのものに気づく
それが真の「気づき」です
これについては、
覚醒のワークについて書くときに詳しく書きます
この「知性」を発達させていくことが、
実はスピリチュアルな道において、非常に重要になってきます
「知性」が十分に育っていないと、
進化における理解がとぼしいものになり、
本当の洞察力というものを持つことができません
それは、利口であるとか知識が豊富であるということとは、
何の関係もありません
いわば、叡智とつながっているかどうか、です
それは、
ハートと深いところでつながっています
計算高い頭の良さではなく、
むしろ「真・善・美」を知っているものと言えます
「知性」は、
私たちが霊的にだけではなく、
人間として進化していくために不可欠なものでもあります
私たち人間を人間たらしめているのが、
この「知性」だと言えるでしょう
そうでなければ、動物と同じです
純粋な生命維持のため以外に他者を殺したり、他者から搾取したりしない分、
動物の方がまだモラルがあるかもしれませんね(;´Д`)
さて、
この「知性」によって、
私たちは内面に起こることを観察する必要があります
自分の内側で何が起こっているか知らないと、
何も始まりません
「観察」を行う時に特に注意しなければならないのが、
起こっていることに「ジャッジをしない」ということです
通常、
認識と同時に、「ジャッジ」が行われています
感情が起こるか起こらないかの段階で、
すでに「ジャッジ」は起こっています
そして、即座にその「ジャッジ」の結果によって、
自分自身に対する「操作」が行われます
都合のいいように、
自己イメージに合うように、
ごまかしたり、
すり替えたり、
正当化したり、
あるいは、
なかったことにしようとしたり・・・
本当にそれを洞察できるようになると、
あきれかえるほど、あれこれと画策しています((笑)
例えば、
「全ての人を愛する私」という自己イメージを深くに持っていると、
怒りや嫌いという感情を持つことが許せなくなります
自己イメージに矛盾するからです
そのため、その怒りや嫌悪感を隠そうとしたり、
ねじまげて慇懃に表出したり、
あるいは、その怒りを正当化するために、
必要以上に相手を批判する気持ちになったりします
相手を完膚なきまでに悪者に仕立て上げるのです
なので、最初は「ジャッジをはずす」という行為が必要です
そして、何の「操作」もない、
本当の気持ち、本当の感情を知る必要があります
本音、ですね
純粋な感情
それを、
ただ、認識する
ただ、知る
ただ、受け取る
ただ、認める
それは、
自分への慈悲を持って行われるべきことです
といって、
それは自分を甘やかすこととは全く違います
自分を甘やかす人は、
都合のいいように「操作」したものを「本音」として捉え、
他者にそれを強要しがちです
怒りだったら、
相手にそれをぶつけて当然、と開き直り、
悲しみだったら、
相手にそれを癒せ、と迫るのです
「あたしの気持ちは正しくて当たり前でしょ!だから、あんたがどうにかしなさいよ!」
「あんたよりあたしの気持ちが大事なんだから!全部あんたのせいね!」
というニュアンスなのです
そうではなく、
何年も何年も奥底に抱えてきたその痛み、その苦しみを、
ただ、自分でやさしく抱きとめてあげるのです
そこで注意しなければならないことが、
もうひとつあります
自己憐憫に入らない、ということです
自分を甘やかす人は、
自己憐憫が大得意です
「ああ~、なんてかわいそうなわたしィ~」
それは、ねっとりとしたエネルギーを留めるばかりで、
何の進歩も生み出しません
そうではなく、
ただ、フラットに見る
ただ、シンプルに認める
ただ、素直にそのまま受け取る
これらを行っていくためには、
十分に成熟した「知性」が必要であることがわかるでしょう
言葉で言うのは簡単ですが、
実践は恐ろしく難しいのです
幼稚な「知性」では、
まともな観察さえできないのです
それ以前に、「観察」することすら、
しょっちゅう忘れてしまいます(;´Д`)
その重要性を理解できないからです
でも、逆に、
観察を続けることによって、
「知性」は徐々に成熟していきます
そのように、
まずは内面の「観察」から始まります
ごまかさず、
正直に、
自分自身に開いて、
自分自身を信頼して、
自分自身に慈悲の心を持って
これは、
心理だけではなく、
身体上の違和感や不快感にも当てはまります
身体と心はひとつです
心で感じられないがゆえに、
その分、身体がよく感じている人も多くいます
心で拒否できなくても、
身体が拒否する時、
本音は「嫌だ」ということもあります
身体の方が、実はよく知っているということも多いのです
そのどちらもよく観察して、
自分自身を深くよく知っていくこと
それが、
最初の一歩のための準備です
つづく
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