2013年5月27日月曜日
プレイヤー瞑想
伊豆の自宅で、プライベート・リトリートを行っています。
プライベートというからには、生徒さんは1人か2人だけで、親密でアットホームな空間で、個人に合わせたリトリートを組んでいます。
その中で、プレイヤー瞑想というのをしています。
天の光のエネルギーとつながり、それに満たされていく瞑想ですが、OSHOのプレイヤー瞑想と、フーマンから教わったプレイヤー瞑想をベースに、実際にリトリートの中で行っていくうちに一番パワフルで集中的な形になってきたものです。
伊豆でのリトリートを始めてから、そのプレイヤー瞑想では様々なことが起こってきました。
最初の頃は、リードをしている私自身に大きな進化がやる度に起こり、たくさんの恩寵を受け取りました。
やがて、その場にたくさんの肉体を持たない存在たちが訪れてくれるようになりました。そして、様々なサポートを与えてくれたのです。
最初、そういう存在たちを感じ始めたのは、以前、天使となった雀のヒナのサブレが来た時からでした。
サブレは、巣から落ちて足を折り、泥にまみれて瀕死だったのを、私が何日も寝ずの看病をして元気になったのですが、ある日突然、肉体を去り、天使となったのです。
(サブレは、天使になるために、私のところにやってきたのだと、マーリンに言われました。このエピソードについては、別の機会に詳しく書きたいと思いますが・・・)
そのプレイヤー瞑想の時に、あるエネルギー体が、ふっといたずらをするかのように、ちょっとはしゃぎ気味で私の身体の横をすり抜けて行きました。
その瞬間、それがその天使のサブレであることがわかり、懐かしさとうれしさで、私もいっぱいになりました。
そして、その天使のサブレが、ある存在を連れてきてくれたのです。
とても懐かしい、とても近しいエネルギー体でした。フーマンのエネルギーに似ていましたが、フーマンではありませんでした。もっと、私自身のエネルギーにも似ているような感じでした。
最初はそれが誰かわかりませんでしたが、やがて、それがアマテラスであることがわかりました。
実は、フーマンに、「アマテラスとつながるように」と言われて、伊勢神宮に行ったことがあります。後に聞いたところによると、フーマンはハワイである肉体を持たない女性神から、「日本には私の娘たちがいます。彼女たちを助けて欲しい。あなたは私のエネルギーに似ているから。」と頼まれて日本にワークをしに来たということでした。フーマンは、伊勢神宮に行った時に、初めてその女性神がアマテラスだということがわかったそうです。
プレイヤー瞑想の時に感じたアマテラスのエネルギーは、フーマンにそう言われて伊勢神宮に行った時につながって感じたエネルギーとは印象が違いましたが、より、確かな感覚で、より近く、より親密にそのエネルギーを感じ、それに包み込まれ、ふるさとに帰ったように、私は安堵し、その愛に満たされたのです。
それは、本当に心震える、愛と感謝の涙にあふれる体験でした。
次に心深く揺さぶられる体験をしたのは、イエスが来てくれた時でした。
イエスに限らず、たくさんのそういった存在たちが来てくれたのですが、やはりイエスが来てくれたことは、私にとって、本当に心強いことでした。
その存在のエネルギーの強烈さもありますが、私のマインドにとっても、イエスがサポートしてくれていると実感できることは、大きな励みとなりました。
そして、このプレイヤー瞑想のパワフルさが改めてわかりました。
そして、一番心を深く揺さぶられ、一番、印象強く、心底感動したのは、他の誰でもない、未来の私自身のエネルギー体が来てくれた時でした。
初めに来てくれた時は、誰かわかりませんでした。アマテラスよりももっと本当に親密で、近しい、本当に近しい感じはわかりましたが、それが誰かという直観的理解ができないままでした。
でも、そのエネルギー体に包まれている時、それまでにない程の安堵と懐かしさで満たされました。それまでも、もうこれ以上ないと思うほどの安堵や感動で満たされていたのに、その体験は、本当にそれ以上の、言葉では表現できない体験でした。
初めて、神と直接顔と顔を向き合わせ、一体となった時もそうでしたが、その時も言葉にしようとしても、とても表現しきれない素晴らしすぎる体験でした。
(こういう時、言葉がどれほどつまらないものか、本当に深く実感します。それを言い表せる言葉を探してもなく、かろうじて言葉にすれば、それはあっという間に制限され、縮こまってありふれた、まったく陳腐なものになってしまうのです。一番近く表現しようとすれば、詩になるしかないのでしょう。ルーミーなど、詩人であったことがよくわかります。)
そのエネルギー体が次に来てくれた時に、初めて、それが未来の自分自身であることがわかりました。
その感動がわかるでしょうか? 本当に不思議な、この上なく歓びにあふれる体験でした。
こういった体験が毎回毎回起こり、リトリートでのプレイヤー瞑想はどんどん進化していったのです。
それらの肉体を持たない存在たちが、私とリトリートの場を整えてくれたのでしょう。
そして、次の段階では、肉体を持たない存在たちが来るというより、神との一体の中で、ガイダンスが来るようになりました。
それまでも、ガイダンスは来ていましたが、まだ、実際に言葉には出していませんでした。
言葉にして出すことによって、より強いつながりの中で、それが起こるようになっていったのです。
そして、毎回毎回、ベースは同じでも、違うエネルギーの場になるようになり、そこにいる生徒さんのその時に合わせたガイダンスが来るようになりました。
そして、ガイダンスを伝えている時もエネルギーの伝達は起こっていますが、言葉で伝えることが収束した後、沈黙の中で素晴らしいエネルギーワークが起こるようになりました。
それらは、私の意思とは全く関係なく、もちろん、私も完全に集中して、フォーカスしていますが、むしろ私を通して、大いなる存在がワークを行っている、という感じです。
沈黙の中で、何やらワーッと、パワフルに、エネルギーワークが起きているのがわかり、それは、私にとっても、素晴らしい、本当に興味深い体験です。
具体的に生徒さんの何にどう働きかけているのかは、わかる時とわからない時がありますが、いずれにしても、何か、そこで必要なことが全てなされている、という実感を持ちます。
この、エネルギー伝達とエネルギー的ワークが、ここでのプレイヤー瞑想の真骨頂です。
この段階になってから、プレイヤー瞑想が本当に楽しく、楽になりました。
私が何の準備をしていなくても、直前まで、食事の支度をしていたり、洗濯物を干していたり、庭いじりをしていたりしても、その場に立ったとたん、そのスペースに入り、そのエネルギーとつながり、ガイダンスの導きで、必要なことが起こるようになったからです。
毎回毎回、今日は何が起こるのか、本当に楽しみです。
次回のブログから、そのガイダンスを少しずつ紹介していけたらと思っています。
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