3つの側面から働きかけます
コンシャスネス(意識)・ハート・ビーイングの3つの柱です
その中でも、アナディの教えの特徴として、
意識の側面に特に大きな重要性を置いています
それに関する記事をアップします
意識(コンシャスネス)の重要性
もし人が、意識において断片的なら、他の目覚めの状態に不利な効果を与えてしまう。ゆえに、意識が私たちの道の一歩目だという事実は、それの重要性や深遠さを少しでも損なうものではない。目覚めの他の境地は、比較的シンプルだ。意識の目覚め、変容、そして、最終的には、明け渡しこそが、最もチャレンジングだ。意識は、シンプルに複雑だ。そしてこの複雑さが適切に捉えられ、理解されない限り、いつでもそこには混乱が生じてしまうだろう。あるいは、人は単に断片的なままにとどまるだろう。混乱している者と、混乱していないが断片的な者がいる。なぜなら彼らは、彼らの混乱にさえ触れていないからだ。混乱することの方が、実際にははるかに良いスタート地点だ。なぜなら少なくとも、そこから人は真の明晰さをもたらす意図を活性化させることができるからだ。
人は意識のI amに目覚め、「そこにもはやmeはいない」「その者は悟った」というような愚かな確信の上にとどまることができる。あるいは、人はI amの光へのアクセスを持つというこの機会を、完全な意識へと成長するプロセスを始めるために使うことができる。すなわちそれが意識の最初の開きの真の目的である。もしその目的が果たされないのなら、その最初の開きと、その変容を与える機会は、単なる無駄となる。「絶対状態」に達することは、主要なシフトではあるが、その本質とは、とてつもなくシンプルだ。つまり、人はシフトし、体現し、その状態を安定化させなければならない。そしてそれから、「絶対」から生きることになる。意識においては、それはそれほど単純ではない。皆が意識について話すが、誰も本当に意識の性質を理解していない;それはいまだに秘密だ。意識についてのこれら全ての概念は、単に無知を覆い隠している。時には、表面的な理解や、理解の見せかけの上にとどまるより、何もまったく理解しないことの方がましだ;もし人が単に理解しないなら、少なくとも全てのドアは開いたままで、まだ無邪気さの特質を保つ。
私たちの意識は複雑だ。しかし、その主要な側面、つまりそれは事実あなた自身の側面だが、それに触れる瞬間、あなたはそれが何か抽象的なものではないのだということを見いだす。それは、その微細なニュアンスを捉えることができるよう、非常に分析的なマインドを持つことをあなたに要求するような抽象的なものではない。私たちが話す意識の全ての側面が、あなたという者に本来備わっているものとして明快に体験されうる。それらはただ、あなたのアイデンティティのリアリティを見ることの、違う角度だ。これら全ての意識の要素が明確に認識され、出会われ、触れられた瞬間、あなたは、あなたの意識は、豊かで多次元的であるが、それはかなりシンプルでもあるということを、明らかに見ることができる。平均的な人間の知性は、この性質を捉えることができるはずだ。しかしながら、もし私たちが断片的で、マインドの中に閉じ込められ、完全に観察者の機能と同一化しているなら、明らかにそこには、意識とは本当に何なのかを理解する道はない。その理解が始まるためには、私たちは初めに、意識の土台を目覚めさせる必要がある。つまりそれは「純粋意識(ピュア・コンシャスネス)」―完全な意識の土壌だ。もしすぐさまに、私たちが触れているコンシャスネスのこれらの側面の変容と目覚めにつながらなければ、理解だけでは十分ではない。
「純粋意識」への目覚めは、全体としての意識の目覚めの過程の始まりだ。それは、この過程の中で、あなたが何か修行しているというようなことではない。あなたは修行しているが、何か技法を行っているというようなやり方ではない。あなたは、あなた自身へと育って行く。統合し、そしてあなたのアイデンティティの全ての側面とつながっていく。
0 件のコメント:
コメントを投稿