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2015年11月5日木曜日

パーソナリティの浄化 その7 肉体からのアプローチ 「ディープ・ヒーリング」

シリーズになってきました、パーソナリティの浄化(*´ω`*)
でも、これで最後?

今までは、内的ワークとして行う方法について書いてきましたが、
忘れてはいけないのが肉体から働きかける方法です(*´ω`*)

[フリー絵画素材] サンドロ・ボッティチェッリ - ヴィーナスの誕生 (1483 - 1485) ID:201304041600



カルマ、トラウマ、たくさんの条件付け、
産まれてからこのかた、傷ついたこと、痛み、抑圧した感情、
その他もろもろ、ネガティブな記憶は全て、
肉体にエネルギー・ブロックとして溜め込まれています

それらのブロックがフックとなって、
私たちをこの地上に縛り付けています

フリー写真, 人物, 女性, ポートレイト, 人物(シルエット), ヨガ, ストレッチ, 運動, モノクロ写真, 全身, タダーサナ

今まで、記憶は脳でされると思われてきましたが、
最近の研究で、筋肉、それも筋肉を包んでいる筋膜に記録されているらしい、
ということがわかってきたとのことでした

実際に、自分の身体に触れてみてください

指で、少し力を入れて押してみると、
身体のあちこち、そこらじゅうが痛いことがわかると思います

その痛みのあるところが、
ネガティブなエネルギーがブロックとなって溜め込まれているところです

痛いのはまだいい方で、
ひどいところは鈍くなっていて痛みを感じません

麻痺しているのですね

そういう場合、何らかの身体的な影響、
つまり、病気として現れたりもします

痛みを感じないところをずっと押しているうちに、
どんどん痛みが出て来る場合もあります

あるいは、瞑想したり、深いリラックスに入ったりすると、
痛みが浮上してくることもあります

それらを、心理的な内的ワークによって取り除いていくのは、
とてもたくさんの時間を必要としますが、
ボディからそのブロックに働きかけると、
とても早くそのブロックがリリースされていきます

肉体からのアプローチの方が早いのですね(*´ω`*)

私が通っている野口整体の先生も、
東大で心理学を学んで、心理カウンセリングの仕事をされていたとのことですが、
野口整体に出会って、
「身体からの方が早い」と実感されたとのことでした

私自身、
アジズやフーマンとのワークと並行して、
ずっとカタールのディープ・ヒーリングを受けてきました

いろいろなヒーリングがありますが、
ディープ・ヒーリングは肉体レベルからエネルギーレベル、魂のレベルまで深く作用する、
本当に有効で神秘的なヒーリングです

非常に繊細でありながら、パワフルです(*´ω`*)

実際に、肉体に働きかけるので、イメージトリップにならずに、
リアリティにとどまっていられます

内的ワークとボディからのアプローチ、
そして瞑想

この3本柱でワークを行っていくと、
それらが相互に作用しあい、
進化の速度が加速されていきます

その効果を自らよく知ることができたため、
霊的進化の道をサポートしていく上で、
これら3つの側面からサポートしていけるように、
私自身、ディープ・ヒーリングのトレーニング・コースを受け、
施術ができるようにしたのです

目の前で、クライアントさんの身体が実際に変わっていくのを見るのは、
とても感動的です(*´ω`*)

このディープ・ヒーリングは、
フーマンがつなげてくれたヒーリングエナジーとつながっています



セッションをしている間、
本当に神聖なエネルギーで部屋中が満たされます

ロマンチックで幻想的な光のボケをテーマにしたカラフルなテクスチャー94枚セット

クライアントさんとのワンネスの中で、
何が起こるか、セッションが終わるまで私にもわからない中で、
必要なことが必要な形で起こる、
本当に不思議なヒーリングです

そういったヒーリングを受けることは、
霊的進化の道を歩む人にとって、大きなサポートとなるでしょう(*´ω`*)

とはいえ、自分自身で行うワークがやはり最重要です

瞑想もせずに、ヒーリングだけ受けていても、
どこにも到達しません

自分で何かに気づき、学び、心理的に成長していくことも、
とても重要なファクターです

そして、瞑想、内的ワークとともに、
自分の肉体にあるブロックを、自分自身でもほどいていく必要があります

「痛み」がある、ということは、
そこに「意識をもたらしてほしい」という、肉体からの呼びかけです


私たちは、肉体そのものではありませんが、
肉体にいる間は、
肉体とのつながりを深め、
本当にその肉体に「いる」ということができなければ、
霊的進化も途中でスタックしてしまうのです

私たちは、どの道を歩もうと、道のどこかで必ず、
肉体とつながるワークをすることになるでしょう

本当に、私たちの肉体と霊体とのつながりは不思議です(*´ω`*)

私たちが普通思っている以上の意味がそこにあります

肉体の叡智は、想像をはるかに超えて深いのです

私たちが肉体を持つということは、
実はそれを通して、肉体を持たない存在達との繋がりを持つということなのです

[フリー絵画素材] ルイス・リカルド・ファレロ - 惑星のヴィーナス (1882) ID:201311032200


そして、自分への慈しみと愛を、
肉体をケアすることから学んでいくことができます



[フリー絵画素材] ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ - 祈る聖母 (1640 - 1650) ID:201301010000


自分への愛を実現した時、
世界に愛が満ちるでしょう(*´ω`*)

こうやって見て行くと、
霊的進化の道は、本当にたくさんの要素に働きかける必要がありますね

大変でもありますが、
人生をかけるにふさわしい、面白いものです♪

ともに歩み、
ともに人間としての最終美を飾りましょう♪















2015年10月27日火曜日

パーソナリティの浄化方法 その6 初歩的な「観察」

「パーソナリティの浄化方法 その5」までに書いたように、
自分自身の言動、行為、感情、感覚、思考、
その奥にある潜在的な素因に意識の光を当て、
自分自身をこの地上にフックしているものを解放していくことは、
スピリチュアルな道を歩む上で、必須であることは、
すでに理解していただけたことと思います

日々の瞑想とともに、
この日々の浄化をしていく上で、
正直さと誠実さ、クリアさ、忍耐強さが要求されますが、
これは魂の探求者として本当に大切な資質です

それは、魂の進化とともに、
また、浄化が進むにつれ、
徐々に養われていくものでもあります

とはいえ、「パーソナリティの浄化 その1~5」に書かれていることは、
実は「上級編」とでも言うべきものかもしれませんね

目覚める前、マインドはとても複雑です

それは断片的で、表層的で、
移ろいやすく、いつも混乱しています

それらは、バラバラにされたジグソーパズルのようなものです

[フリー画像素材] バックグラウンド, ジグソーパズル ID:201408181000

混沌以外の何物でもありません

人はあらゆる行為、言動、思考、感情の吐き出しなどをしますが、
それをしている「主体」がまだいません

皆、「私は~している」「私は~思う」「私はうれしい」「私は悲しい」と思っていますが、
その「私」はまだ潜在意識的で、意識は常に外側の対象に向けられ、
「私」は常に感情や思考と同化しています

感情や思考といったマインドという「内容物」のない、
それらとは何の関わりもない、純粋な「私」をまだ知らないのです



もちろん、誰でも、ほんの一瞬、それが現れ、
その純粋な「私」の香りをほのかに味わうことはありますが、
すぐに、またいろいろな「内容物」に意識を逸らされ、
それらに固着していってしまいます








そういう段階の人は、
集合的な潜在意識を映し出す、単なるモニターに過ぎません

「私の考え」と思っているかもしれませんが、
それは、集合意識から浮き上がってきたひとつの思考のエネルギーに過ぎません

目覚める前の私たちは、
たとえどんなに「私は特別」と感じていようと、
残念ながら、
集合的なものの単なる寄せ集めに過ぎないのです


その状態でマインドの浄化をしていくことは、
最初は困難で、大変な労力を伴うことはごく当たり前のことです

なので、
道に入って間もない人、浄化がまだ進んでいない人は、
内側の「観察」から始めることが必要です

自分の思考、感情、
なんであれ、自分の内側に起こることを「観察」するのです

太郎次郎の人間観察BLOG

「観察」するためには、
「観察するもの」と「観察されるもの」との間に距離がなければなりません

鏡に顔をくっつけていては、
顔を見ることはできません

そうして、まずは、自分の中に「距離」を作るのです


同時に、その「観察」を行うのは「知性」ですから、
日々の中で「観察」を行うことは、
「知性」を発達させていきます

とはいえ、
マインドに完全に「糊付け」されている状態では、
その「観察」ですら非常な困難を伴うことでしょう

一般的なほとんどの人は、
自分の感情や思考に溺れて、窒息しています

そこに何のスペースもないからです

一瞬、「観察」しても、
すぐにまた思考や感情の渦に巻き込まれ、
その海に溺れていってしまうでしょう

「観察」することもすぐに忘れてしまう

そういう人は、呼吸も非常に浅い状態です

ハートや下腹とつながっていず、頭だけにエネルギーがある状態です

もう、頭が沸騰している状態です

∫∫∫
(@_@;)

現代人のほとんどがそうです

「いっぱいいっぱい」というやつですね(・∀・)

皆、本当に自分の中に浮き上がってくる思考や感情で頭が忙しくて、
いっぱいいっぱいになっています

ですから、まずは下腹への深い呼吸を毎日の日課として、
エネルギーを下に落としていく必要があります

エネルギー的に変化を与えることは、非常に重要です

Abstract blue background

そして、「思考や感情は私ではないもの」と、
ちょっと脇によける

自分の思考や感情に、あまり重きをおかないようにします

大体がそれらを重要視しすぎて、
「もう!腹が立つ!」とか「え?そんなのおかしいんじゃない?」とか、
「~が欲しい!」とか「どうしよう、こうしよう」と、
自分の中の思考や感情にいちいち大騒ぎしすぎているので、
そこに「私はそれらより、何かもっと大きなものだ」という視点をもたらしてあげる

[フリー素材] 地球と太陽光のイラスト (cc-library010007042)

すると、それらをちょっと脇に置いておけるようになります

日常の生活に追われているなら、
頭の中であれこれ悩んでいる誰かとの関係性より、
「自分は今、この宇宙の中の地球という星に生きている」ことの方が、
はるかに確かな事実であることを、思い出してみるのもいい方法です

[フリー画像] 自然・風景, 天体・宇宙, 銀河・星雲・星団, 201109051900

限りなく広がる大空に目をやり、
自分が立っている大地を足で踏みしめてみる
そして、深い呼吸をしてみる

そうすると、何か自分の中にスペースが生まれてきます

それまで、思考や感情で満杯になっていた内側に、
何か何もない空間のようなものが生まれるのです

白背景の撮影スタジオ風の高画質な画像素材5枚セット

それをリラックスと呼ぶこともありますが、
ただくつろいでいる状態というよりも、
何か、自分の中に開けたスペースがあるという感じです

そのスペースがないと、「観察」どころか、
波にもみくちゃにされて息も絶え絶えのまま、生を送ることになります

深い呼吸と、「私は思考や感情ではなく、それらよりもっと大きなもの」という視点とともに、
そこから生まれたスペースから、
自分の思考や感情を「観察」していきます

「観察」する、ということは、
自分は、今自分が「観察」しているその対象物ではない、ということです

つまり、
誰かに怒りを感じたとして、その「怒り」を観察します

「観察」する前は、自分はその「怒り」と同化して、
「怒り」にすっかり飲み込まれていました


でも、「怒り」を観察すれば、
自分はその「怒り」ではないことがわかります

そして、「観察」がうまくできるようになると、
その「怒り」自体が消えてなくなってしまいます

でも、「観察者」は消えません

この「観察」は、
自分が、「観察」している対象物ではない、と知ること、
そして、自分の中に「距離」を作りだすことが目的です

そして、マインドと同化してべったり糊付けされている状態から引き剥がし、
真の自分へと向きを変え、それを認識できるだけの「知性」を育むためです

あなたはもはや、マインドと同化せず、
あなた自身が何かもっと違うものだと知り、
それを探し始めます

それこそが、
最初のパーソナリティの浄化なのです

マインドとのべったり同化の状態に、わずかな隙間ができること
それこそが、最初の浄化なのです


隙間ができれば、
そこから光が差し込みます

あなたは、その光に照らし出された「自分自身」を見つけることができるようになる

それが、最初の一歩です


ただし、
この「観察」は、道の初期段階のある程度の期間やるべき修行で、
長年にわたってやるべきことではありません

それを何年も続けてしまうと、
それを落とすのが大変になってしまいますし、
自分の中に乖離が生じてしまいます

真の自分、純粋な「私」を直接に認識できるようになったら、
この「観察」は手放していいものです

真の自分、純粋な「私」にとどまっていられるようになったら、
そこから、自分の潜在的なマインドの浄化を行っていけるようになります




2015年10月20日火曜日

パーソナリティの浄化方法 その5 自分の中で起こっていることに意識的になること

一般的な人は、
通常、自分の内側で実際に起こっていることに対して、
無意識です

それは、
自分が怒っているとか、
悲しんでいるとか、
楽しいとか、
そういう感情に気がついていないという意味ではありません

誰だって、今自分がどういう感情を体験しているか、知っています
そんなのは当たり前のことですよね(*^ー^*)

ここで取り上げるのは、
そういう表面的なことではありません

たとえば、
よく「地雷を踏む」という言葉がありますね

何か、その人にとって触れてはいけないところに触れた時、
人は過激に反応して、怒りを爆発させたりします

それで、「地雷を踏む」とか「逆鱗に触れる」とか言いますね

その人は、表面上は怒っていますが、
では、その奥でその人が体験していることは一体何なのでしょう?

それは、しっかりと蓋をしている大きな痛みに触れていたり、
見ないようにしている恐れに触れたりしているのです

でも、それは体験したくないことですから、
そこに触れられた瞬間に、無意識的に怒りに転換してしまうのです

でも、どうしてそこまで怒るのか、
自分でもよくわからないのです

でも、触れて欲しくないところであることは、
なんとなくわかっています

そういうこと、思い当たりませんか?

また、たとえば、
母親が子どものためだと思って「勉強しなさい」と言う

でも、「勉強しなさい」と子どもをせっつく本当の理由は、
「自分の子どもが悪い成績を取って、自分が恥をかきたくないから」とか
「自分の見栄のため、自分が優越感を感じたいから」だったりします

たとえば、
相手のために何か一生懸命やってあげる

でも、それは相手から見返りとして何かを得るためだったりする
つまり、自分が何かを欲しいから、相手に何かしてあげる

相手の気を引きたいから
認められたいから
愛が欲しいから
優位になりたいから・・・etc.etc.・・・

通常、私たちの行為の裏には、
たいてい何かのこういった「取引」が隠されています

それを、「パワーゲーム」と言うこともあります



そして、
それが得られないと、相手に対して不満を持つ
ひどい場合は、憎しみを持つことさえあります

これもきっと、思い当たることが多いと思います

思い当たる人は、自分をよく見ている人です(*^-^*)

中には全くもって無意識で、
あるいは見ないふりして、
完全な偽善者でいる人もいることでしょう

そういったマインドのトリックに気づいていないのです

あるいは、
小さな自分を大きく見せるために、
人はあらゆることをしています

自分で抱いている自己イメージ通りに相手が自分を見るよう、
あらゆるところで心をくだいています

そして、相手がそのイメージ通りに見ないと、
相手を悪く言ったり、相手を操作しようとします

そういう、「操作」をいたるところでしているのが、
人間というものです

あるいは、憂さ晴らしや八つ当たり

自分の中の不消化のネガティブなエネルギーを、
誰彼かまわずに投げつけます


ここで取り上げるのは、
そういう、表面的な感情の奥で「本当に起こっていること」
もしくは、表面的な行動、行為、言動の陰に隠れている「本意」や「動機」

そういった、自分の中で何かすりかえていること、
マインドのトリック、
そして「操作」や「パワーゲーム」、
もしくは正当ではない無意識的なエネルギーのやりとり

一言で言えば、
「自分が実際にエネルギー的にやっていること」です

それらは全て、エネルギー的に重く、どんよりとして、ねばついています

それらは、私たちをこの地上に縛り付けます

それらは、私たちの生気を奪い取っていき、
私たちをしおれた花のようにします






それとは逆に、
自分の行為や言葉に対して、
あるいは相手の行為や言葉に対して、
「何かひっかかる感じ」を感じることがあります

「何か、ざわつく」感じ

何が引っかかるのか、ざわつくのか、
明確にはわからない

わからないので、なんとなく流して通り過ぎてしまう

なんとなく気にはなるけど、よくわからないし、
「まっ、考えてる暇もないし、いっか」と、
気づかなかったことにする

それも思い当たるのではないでしょうか?

実はそういう時は、
魂からのコールがかかっているのです

何かに気づかなければならない

何に引っかかっているのか、
何に気づかなければならないのか、
「見て」と、魂が呼びかけているのです

それは、たとえて言えば、
釣りをしていて、
海の底の重いごみ(宝かもしれないけど)を引っ掛けて、
釣り糸がクンと引くようなもの

でも、海の上からは、何を引っ掛けたのかよく見えない

釣り糸を強く引っ張ってしまうと、
運がよければごみがはずれて釣り糸は元に戻るけど、
運が悪ければ糸が切れて、針はそこに残されてしまい、
いずれにしても、何に引っかかったのか、わからずじまい

で、ごみ(宝かもしれないけど)はそこに残されたまま


そういう時は、
海の底まで潜っていって、
そのごみ(宝かもしれないけど)を回収しなければならないのです

「海の底 潜り フリー素材」の画像検索結果


何が引っかかったのか、
何に気づかなければならないのか、
深く見ていく必要があるのです

海の底を光で照らし出さなくてはなりません

「海の底 フリー素材」の画像検索結果





そういった、自分の内面に起きているあらゆることにおいて、
本当は何が起きているのか、深く見て、知っていくこと



それは、自分の内面深くに、
潜在意識に意識の光を当てていくということです

「海の底 フリー素材」の画像検索結果


そして、隠れて見えなかったものを、
白日の下にさらしていくということです



それが、
自分の内面に対して「意識的」であるということです

ただ、表面に出てきた感情や思考に気づいているだけでは、
意識的であるとは言えません

「意識的」であって初めて、
スピリチュアルであると言えます

世の中には、全く無意識な自称「スピリチュアル」な人があふれています(^^;

そして、大切なことは、
それは「ジャッジ」するためではないということです

自分であれ、他者であれ、
「裁く」ことは私たちを「真なるもの」から遠ざけてしまうだけです

それは、
潜在意識に隠れていたものを、
白日の下にさらすことによって浄化し、
昇華していくためです

重く、どんよりとしたそれらのエネルギーに、
光を与え、振動数を上げ、軽くしていくためです

「無意識的」である時、
私たちはそれによってコントロールされ、
引きずられてしまいます

「意識的」である時、
私たちはもはやそれによってコントロールされず、
それらを愛を持って包み込むことができるようになります

私たちは、
パーソナリティを「変える」必要はありません

でも、それを「知る」必要はあります

そのことによって、
私たちは透明になっていきます

そのために、
アウェアネスと知性が必要です

どんよりとした知性では、
見ることができません

とはいえ、
潜在意識の全てを「知る」必要はありません

潜在意識には、潜在意識としての役割もまたあるからです

隠れていていいものもあるのです

それらも全て明るみに出そうとするのは、
コントロール・フリークに過ぎません

コントロール・フリークになってしまっては、
何の意味もありません

ただ、
私たちをこの地上にフックし、
飛翔するのを妨げているもの

自分にとって「重たい」もの

それらに「光」を当てていくこと

そのバランスは、
ハートの深みが知っています

「これは見るべき」
「これは見なくていい」

マインドの声ではなく、
(マインドはきっと、どれもこれも「見なくていい」と言ったり、
あるいは、強迫観念的に「見ないと!」と言うでしょう(^-^))
ハートの声を聞き分けていく

パーソナリティの浄化は、
ハートとともにやらなければ、うまくできません

だからこそ、
パーソナリティの浄化はハートのワークでもあるのです

絵 by Mizuka



そして、重要なことは、
ある地点でこれは手放していくということ

これをやりすぎると、
自分の中で乖離が生じてしまうからです

本当にあなたが「あるがまま」でいられること

それが、最終地点です

そのとき、
あなたはまったくもってシンプルに「普通」になることでしょう(*^-^*)V
















2015年10月18日日曜日

パーソナリティの浄化方法 その4 ネガティブな感情

嫉妬
怒り
不満
不安
恐れ

「黒 フリー素材」の画像検索結果

そういったネガティブな感情や感覚も、
抑え込んだり、振り回されるのではなく、
感じきること

アウェアネスにしっかりととどまって観察すると、
その感情は消えてなくなるけど、
完全に消滅したわけではありません

ずっと、胸の奥でくすぶり続けている

「ダーク フリー素材」の画像検索結果

相手と一緒の時はそうするのがいいけれど、
一人になったら、その感情を全開にして感じきること

それも単なるエネルギーだから

そして、自分の中で昇華させていくこと

よく、ネガティブな感情も抑圧しない方がいいというと、
それならその場で相手に吐き出した方がいいんだと浅く解釈して、
相手にその感情をぶつけてしまうことがあるけれど、
それは全く違います

それでは、問題を大きくするだけ

あなたがぶつけたものを、
数倍にして相手は返してくるだけです

それは、単にごみを投げつけているのと同じです

相手は、
ただ単に、あなたの「ボタン」を押しただけ

あなたの中に、
元々たくさんの部屋があって、
相手はその部屋の扉を開ける「ボタン」を押しただけ

怒りの部屋
嫉妬の部屋
恐れの部屋
不安の部屋・・・

「ダーク フリー素材」の画像検索結果

だから、
あなたは相手にぶつけるのではなく、
自らその部屋に入っていって、掃除すること

それらのネガティブなエネルギーをリリースしてあげること

たとえば、
怒りを感じきるとどうなるか

この上なく気持ちよくなり、
歓びに包まれるのです!

それらは単なるエネルギーだから、
コインの裏表のように、
ネガティブなエネルギーとポジティブなエネルギーは表裏一体

同じエネルギーの両端に過ぎない

だから、感じきれば、
もう一方の極へと転換する

「黄色 光 フリー素材」の画像検索結果

それらを、大きな紙に、浮かんでくるまま書き出してみるのもいい方法
そして、書ききった後は、破いて燃やす

「邪気」を吐いて吐いて吐きまくるのもいい方法
ゲーゲー、エネルギーを吐けるようになったらgood!

「すべて手放して、透明になりたい」
という心の底からの思いとともに、
新しい視点へとシフトしていくという決意とともに、
熟考して瞑想して

「私を浄化してください」
という祈りとともに、
まっさらな自分自身に戻っていくという決意とともに、
手放していく

様々な感情を体験する時こそ、
進化への階段を目の前にしている時

「階段 フリー素材」の画像検索結果

古い、馴染みのある思考のパターンに陥るのを許さないこと

本当にそこから脱したいと願うこと

あなたがその決意をすれば、
大きなサポートと恩寵がかならずやってきます

「黄色 光 フリー素材」の画像検索結果

パーソナリティの浄化の方法 その3 「痛みを感じている時」恩寵への扉

人生において、
人との関係性において、
痛みを感じている時

たとえば、
恋が成就しない時

傷ついた時・・・

その時こそ、ハートへ深く入って行く「チャンス」なのです

今まさに浮上しているその「痛み」に開いて、
完全に感じきるように

そして、その元へと元へと、深く入っていく

一人で、安全な部屋で、
美しい音楽をかけて、寝っ転がって

胸を上に向けて、
必要だったら、痛みの上に手を置いて

「痛み」の原因を思いめぐらすのではなく、
ただその「痛み」を感じきって

「痛み」の中に、深く深く入っていって

あなた自身が胸の奥深く入っていくように

「青  フリー素材 写真」の画像検索結果

その奥底へと・・・


「光 フリー素材」の画像検索結果

本当にその奥底に辿り着いた時、
奇跡が起こります

そこで神と出会うのです

あなたは、光に包まれる

黄色/バックグラウンド/フリー素材



実は、「痛み」は神へと至る秘密の通路なのです

恩寵への門

「痛み」は一変して、歓喜へと!

「 ピンク 光 フリー素材」の画像検索結果


なぜなら、
「痛み」を感じていたのは、
あなたの魂

「痛み」を感じる時、
あなたは魂のとても近くにいるのです

だから、「痛み」に深く入っていくということは、
あなたが魂に触れていくということ

そして、その魂に辿り着いた時、
あなたはその瞬間、神とともにいるのです

その時、
あなたの「痛み」は根本から癒されます

なぜなら、
あなたが感じる「痛み」はなんであれ、
神と分離した「痛み」が元だからです


「痛み」はつらいから、どうしてもそこから逃れようとしたり、
なるべく感じないようにしてしまうから、
本当にそこに完全に開いて入っていくのはとても難しいけれど、
もし、これ以上、その痛みを体験したくなければ、
入っていくしかない

それができなければ、
「痛み」はやがて風化しても、
自分はいつまでたっても惨めなまま

すぐにまた、
「痛み」は違う形でやってくる

だけど、そこに飛び込めば、
神の愛を知る

「 ピンク 光 フリー素材」の画像検索結果
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だから、実は「痛み」こそ、恩寵そのものなのです

あなたの魂と、存在が用意したプロセス

だから、いつまでも「痛み」に打ちのめされてる必要はないのです

大きなチャンスだと思って、
「痛み」に飛び込んでください

あなたが「そうする」と決意すれば、
大きなサポートがやってきます

「 ピンク 光 フリー素材」の画像検索結果



パーソナリティの浄化の方法 その2 「紙に書いて、焼く」

とはいえ、
その方法を口で説明してやってみて、と言っても、
なかなか難しいでしょうし、
どうにかひとつの手法として形にできないかと思いました

それはテクニックではないので、形にするというのも難しいのですが・・・

それは、テクニックというより、
なんでしょうね?
やっぱり、恩寵としか言いようがないのですが(*´ω`*)

それでも、その恩寵を招くきっかけだけでも形にできないかと思い、
先日から、1デイリトリートや瞑想クラスであることを試してみました

今、悩んでいること、気になっていることを思い浮かべてもらい、
それに関して浮かんできたことを、
なんでも正直にとにかく、
次々にどんどんと大きな白い紙に、鉛筆で書いていってもらいました

時間は、30分に設定してみました

そういうのは、全て直観的に決めたことです

実際に自分でも一緒にやってみたのですが、
予想していたより、はるかに深くまで到達し、
ある意味、そこで解答まで行きついてしまい、
全く違う視点にシフトし、エネルギー的にも変化を感じ、
ただ紙に書いていくだけなのに、そんな大きな効果があることに驚きました

それは私だけではなく、他の人にも起こったことでした

また、ある人は、今まで思ってもみなかったことが出てきた、と言っていました

自分のいろいろな思い、普段気づいてもいなかった深い思いを紙の上に俯瞰できることも、
大きな効果があるようでした

そして、時間が来たら、書くのをやめ、
そこに書かれたものの中から、
「手放したい思考」、そして、「取り入れたい思考」を各自で見て、
心に入れたら、
後は紙をどんどん破っていきます

そして、それを小さなボウルに入れて、
燃やします

火は、大きな浄化力と昇華力を持ちます

燃やした後は、皆さん、「なんだかスッキリした」と言っていました

燃やすのは、実際にエネルギー的に効果があることがわかりました

本当は燃やした灰をどこか土の上に撒けたらいいのですが、
場所的にそうもいかなかったので、
台所で水に流しました

ある人はトイレに流すと言って、トイレで流していました(*´ω`*)

その後、残っているものを全て落とすように数分間ジベリッシュをして、
エネルギーが変わったところで瞑想に入りました

今行ったことを、思考でではなく、
何か、感覚的に身体にしみこませていくような感じで、
そして、自分の中深くに入っていくように、瞑想をしました

その間、ガイダンスが降りて来たので、
そのガイダンスを伝えていきました

その瞑想で、一応、パーソナリティの浄化のワークは完了したのですが、
実際の浄化のプロセスは、
その後も水面下で続き、
各自のタイミングで何かが起こることでしょう

パートナーさんも一緒にこのワークをしたのですが、
それからほぼ1週間後くらいに、
「神の福音」と言えることが起きたとのことでした(*´ω`*)

もちろん、その時に書いた問題に関して、
神からの大いなる解答が来たのです

それは、自分で想像していたものより、
はるかに素晴らしいものだったようです

それについては、
パートナーさんからいつか何かの機会で皆さんにお伝えすることになるでしょう(*´ω`*)

楽しみにしていてくださいね♪

このワークに参加された方々は、
その後はいかがでしたでしょうか?

たぶん、
皆さんが思っているよりずっと深いレベルでこのワークは浸透していっていると思います

何かが起こるのは、すぐかもしれないし、
数年先かもしれません

でも、確かに何かが変化し、
何かがシフトしているはずです

楽しみですね♪

このワークをしたら、
火の儀式をしたくなってしまいました( *´艸`)

年末にでも、
この1年の全てを燃やし、昇華させる火の儀式♡

いいでしょう?

その時は声をかけますので、ぜひ、お越しください(*´ω`*)ノ

伊豆の家は、焚火、やり放題です♡


















パーソナリティの浄化の方法 その1

パーソナリティの浄化の重要さを理解しても、
では、それをどう行っていけばいいのか

それにはいろいろな方法があると思いますが、
私が自分なりにずっとやってきた方法は、
何か人生において問題が起こった時、
「どうしたらいいのか」、ということよりも、
「どうしてなのか」、と自分の中を深く見て行くことでした

例えば、
随分昔ですが、スピリチュアルな道に入った頃、
私は自己否定がひどく、
毎日のように「消えてしまいたい」と思っていました

「死にたい」ではないのです

「死ぬ」のは、まだ存在していた形跡が残るのです

だから、私の形跡が何一つ残らないように、「消えたい」のでした

この当時は、本当に苦しかったです

そして、ある時、
アレルギー性紫斑病という、自分の免疫抗体が自分の毛細血管を攻撃して破壊してしまうという、
つまり、自分で自分を破壊するという、
意味深な病気にかかってしまいました

私は、その病気の原因は、完全に自己否定であるとわかっていました

この自己否定をどうしたらいいのか、ではなく、
どうして私は自己否定をしてしまうのだろうと、
その「どうして」を心と身体の奥底に杭を打ち込むように打ち込んでいきました

頭でぐるぐると考えるというよりも、
本当に心と身体の奥底に、叩きこむように、打ちこむように、
「どうして?」「なぜ?」を非常に集中して問いかけていくのです

そうして、後は寝るなり、何かをやるなりして、手放します

すると、
ある時、突然、その解答と大きな理解が稲妻のように「ドン!」とやってくるのです

私の場合、それは大抵、明け方にふっと目が覚めた時でした

でも、ご飯を食べていたり、歩いていたり、瞑想していた時にそれがやってきたこともあります

いずれにしても、予期していない時でした

そして、その理解が一瞬にして起こるのですが、
自分が予想していたものとは全く違い、それよりもはるかに深い解答がやってきて、
その瞬間に私は深く癒されて号泣してしまうのです

それは、まさに感謝の号泣です

自己否定の時は、
明け方にふっと目が覚めて、突然、
完全に封印していた幼児の頃のいじめの体験の記憶がバーンと蘇ったのです

カミソリの歯で「話したら首を切るからね」と脅されながら、
私はいじめに合っていました

草っ原で、飼っていた犬にぎゅっと抱きついて、
泣くこともできずに、それが大きな痛みだということすらわからずに、
空をじっと一人で眺めていた記憶だけは鮮明に残っていたのですが、
それが、全ての記憶とつながったのです

なぜ、泣くこともできなかったのかというと、
泣けば、でき始めていた自我が完全に崩れ去ってしまうからでした

記憶を封印することで、私はどうにか自我を保てたのです

30数年間、その大きな痛みの記憶をずっと心の奥に抱え続けてきた自分に、
慈悲の心が沸き起こりました

同時に、いじめた相手にも、自分自身にも、許しが起こりました

私は、いじめられた自分をずっと責め続けていたのです

私は、入院していた病院のベッドの上で、
ずっと号泣し続けました
最後は、感謝の涙に変わっていました

1か月入院しても全く治らないばかりか、ひどくなっていった紫斑病が、
その日を境に、どんどん回復していきました

この入院の間、
私は毎朝、日の出の太陽の光を額に受けていました

なぜだかは知りませんでしたが、
そうしたいと思い、そうしていました

今から思えば、日の出の太陽の光を浴びるというのは、
非常にパワフルなヒーリングだったのですね

このように、
本当に浄化が起きた時は、
感謝が起こります

どんなにひどい仕打ちと思えることも、
最終的には感謝に変わるのです

これが、恩寵とともに起こる浄化の特徴です

私は誰に教わるともなく、
この方法を行ってきましたが、
実はこれが一番深い浄化が起こる方法なのではないかと思います

もちろん、
OSHOの瞑想法や、「家族の座」など、
本当に神秘的に大きな浄化をもたらしてくれるものもあります

それらは非常に有効なので、
それらをうまく使いながら、
自分に「なぜ?」と深く、強く問いかけていく

根源に到達するまで、
「なぜ?」「なぜ?」と問い続ける

そうすれば、必ず恩寵が大きな浄化をもたらし、
私たちは深いところから癒されることができるのです

何か、人生で繰り返し体験すること、
何か、大きな痛みをいつももたらすもの、
今、目の前にある課題、
恐怖、
疑い、
不安、

もし、そういったものに直面していたら、
この方法を試してみてください

頭でぐるぐる考えていてもだめです

「どうしたらいいか」ではなく、
「どうして?」です(*´ω`*)
それを、ハートと身体に打ち込むように、自分自身に問いかけてください







2015年10月1日木曜日

7つの約束



7つの約束

「私は、自分自身に約束します

 1.いつどこにいても、私もその一部である絶対無限の存在に、心をこめて奉仕します。

 2.いつどこにいても、私には神聖なる計画に奉仕する準備ができています

 3.いつどこにいても、またどのような状況にあっても、私は「神聖なる贈り物」である思考と
   言葉を正しく使います。

 4.最も賢明なる神聖なる法則が与えてくれる、あらゆる試練と苦難に対して、私は不平不満を
   言うことなく、忍耐をもって受け入れます。

 5.私に対する人々の行動がどのようなものであっても、私は心と魂の奥底から、誠意をもって
   兄弟姉妹である隣人を愛し、彼らに奉仕します。

 6.私のあらゆる思考・願望・言葉・行動が神聖なる法則と完全に一致することを目的として、
   毎日絶対無限の存在について瞑想し、熟考します。

 7.私のあらゆる思考・願望・言葉・行動が神聖なる法則と完全に調和したものであるかどうか
   毎晩、確認します。」
  


これは、世界的なヒーラーかつ霊的な教師であったダスカロス(スティリアノス・アテシュリス)の著書『エソテリック・プラクティス』の中に載っている、「7つの約束」です 



ダスカロス自身がヨハナン(聖ヨハネ)から授けられた約束で、
霊的進化の道を歩む人々にも薦めているものです

私自身、道を歩む上で、この約束を知っていて、
意識的にそれを行ってきた訳ではありませんが、
ずっと以前から心のどこかで知っていて、
特に霊的進化の道を歩むようになってからは、
常にこういった姿勢で自分自身に向かい合い、
そのパーソナリティの浄化をしてきたように思います

それゆえ、
よく人から「まじめすぎる」とか、
「まじめなのはいいけど、馬鹿が上につくよね」とか、
「固いなー」とか、
「人に甘すぎる」とか
「ともちゃん、○○さんに優しすぎるよ」」という意味合いのことを言われてきました

また、
「正しくあろう」として、苦しくなってしまうことも多々ありました

相手にとっても、正しい人が楽とは限らず、
むしろ逆で、
正しさ故に敬遠されてしまうことも多々ありました

そんな時、痛みの中で、
より深く自分の中を見て行ったものです

熱心な仏教徒の家庭に育ったこともあり、
「正しくあらねばならない」という条件付けがきつくて、
人にもそれを無意識に要求してしまうこともあり、
それを外していくことも、プロセスのひとつでした

それにもちろん、
他の人や、自分の置かれた状況に不平不満を感じたことなど、
数知れずあります

そして、それを無意識に相手にぶつけたところで、
問題はより悪化していくだけだということもいっぱい体験してきました

でも、人間として生きていくことの「道」として、
つまり、「人としての道」として、
ダスカロスの言うところのこの7つの約束、
このように自分自身に向かい、
このように他者に向かい合い、
このように神に向かい合うことが、
やはり、私たちが目指すところなのだと思います

このダスカロスの7つの約束を読んで、
それが改めてはっきりとわかりました

私は、間違った道を歩んで来ていたのではないと(*´ω`*)

存在によって、
自ずとそのように導かれて来たことがわかりました

そして、本当に有効で深い道とは、
この点に関して重要性を持って言及している道のことであると、
確信を持てました

ダスカロスの示す道はキリストの道ですが、
自己探求のシヴァの道でもあると思います



私たちがシェアしている「トータル・パス(まだ仮称ですが)」は、
まさしくシヴァの道であり、
言うまでもなく、この点も非常に重要視しています

直接に魂に向かう瞑想がまず何より重要ですが、
2輪の馬車のように、
このパーソナリティの浄化も重要なもうひとつの車輪です

それをしないと、
どこかで必ずスタックしてしまうし、
その浄化されずに重さを持っているパーソナリティが魂の軽さを引っ張り、
この重たい地上にフックし続けてしまうからです

だからこそ、
毎日の生活の中で、
周りの人々との関係性の中で起こる一つ一つのことを通して、
そこに起こる自分自身の内側を洞察し、
それを浄化し、昇華させて行くことが必要なのです

マインドは、とても巧妙なため、
自分自身をも欺きます

どれだけ誠実に正直に、
自分自身の内側にあるものを直視して理解していけるか

何か「ザワザワするもの」が自分の中にあるかないか
何か「苦い味わい」が自分の中に残っていないか
本当に自分で「OK」なのかどうか

そして、それを批判的にするのではなく、
自分自身に対する愛と慈悲を持ってできるか

ジャッジを手放し、
愛をそこにもたらす

それは、「まあいっか」と自分をごまかし、
見ない振りするのとは違います

それは、言葉で言うのは簡単ですが、
毎日の中で、それを成し遂げていくのは、
本当に強い意志力と、誠実さと、
そして、
飽くなき『全体性』への情熱を必要とします

でも、
霊的進化が進めば進むほど、
それは容易にできるようになっていきます

自分をフックしている重力が軽くなっていきますし、
洞察力も磨かれていくため、
気づきへの時間も短くなっていきます

また、
恩寵とのつながりも太く強くなっていきます

たくさんの存在がサポートしてくれるようになります

あなたは、きっと一つクリアする毎に、
自分がより軽くなり、より楽になり、
より透明になっていくのを感じられるでしょう

そして、
人間としての成熟と完結に向けて、
一歩一歩、進んで行くことに、
喜びと自信を持つようになるでしょう

それが、真の探究者です

その数は決して多くはないかもしれません

でも、
自分の足でその道を歩んできたからこそ、
そのプロセスを熟知し、
だからこそ、
その道を行く人たちのサポートをすることができます

そして、それは私自身の大きな喜びです(*´ω`*)

人生で無駄なことは何一つないのですね♪
















2015年9月17日木曜日

許し

ここのところ、ずっとワークしていることがありました



それは、
私をあまり受け入れてない人たち、もしくは私を尊重しない人たちとの関わりを、
どうしていったらいいのか、というものでした

明らかに嫌われているなら離れることも仕方ないのですが、
そこがとても微妙で、
あからさまに「嫌いだ」と言ったり、そういう態度を取るわけでもない

明らかに侮辱されれば、それはそれで対応の仕方もある

でも、微妙に、本当には受け入れていない、大切には思っていない、という態度、行動を取り、
口では「ウェルカム」という意味合いのことを言いながら、
実は「ウェルカム」ではないということがわかってしまう

本当には仲間に入れてもらえず、
私に対して心の奥底で何かネガティブな感情を持っていることがわかってしまう

そういう、なにやら微妙な関係性の相手と、
一体どうつきあっていけばいいのか、
ずっと思いあぐねていました

というのも、私はその人たちが好きで、仲の良い関係性を持ち続けたいと思うからでした
それだけ、縁の深い人たちなのです

でも、いつもその人たちと関わると、
その微妙なエネルギーを感じ、
私の中は痛みでいっぱいになるのでした

スピリチュアルなシーンでは、
「自分を尊重しない人たちとは離れればよい」「自分を傷つける人たちとは離れなさい」というのが、ある意味、常識です

相手を変えることはできませんし、
相手を責めることにも意味はありません

それに、
もし、自分が相手の行為により傷ついたということを言えば、
それで関係性が終わってしまいかねないので、
どう伝えるかも非常に難しい問題です

私はその人たちから離れるべきなのか、
私は「ひとりあること」へと行かなければならないのか、と、
日々、ハートに深く入り、
その痛みにワークし、
ある時は「もう、こういう痛みはいらない、きっぱり離れよう」と決めたり、
ある時は「やっぱり、それでも好きだなあ、痛くても一緒にいよう」と決めたり、
心はどちらにも本当には決まらず、揺れ動いていました

離れることに、何かハートが納得しないのです

彼ら彼女らがそういう態度を取るのも、
私が痛みを感じるのも、
何か、そこに私が超えなければならないものがあるから、
存在が私にそういう状況を与えているのだ、と思うのです

なるようになれと、放っておこうとしても、
また痛みを起こさせる出来事が襲ってきて、
私をそこに向かわせようとするのです

「私は私を尊重する、けれど、彼ら彼女も尊重する」という道が取れないものか、
自分のハートとワークを続けていました





実は、この痛みは、転生の間ずっと持ち運んでいる感覚で、
今生でも全ての出来事をそのフィルターを通して体験しているものです

それは、
「私の大切な人にとって、私は大切ではない」
「私は尊重されない」
といったような感覚です

それは、強烈な痛みの感覚で、私を否応なく引っ張ります

この痛みの大元の原因を探るために、
何年も前に、前世療法を受けたことがあるのですが、
その時に、
この次元に来た最初の時か、まだまもない頃に体験した痛みを見ました

私はどこか遠いところの神殿で、
何か、月に関わるような神官だか巫女だかのような役割を持っていたのですが、
いつもたったひとりぼっちで、
いつも孤独にさいなまされ、
神に向かって、どうして私を一人にするのかといつも泣いていました

それだけではなく、もう一人の神官だか巫女だかがいて、
その彼女はとてもピュアで無邪気で、
王だか最高位の神官だか、そういう重要な人の傍にいつもいました

その王だか神官だかは、私にとっても重要な意味を持つ人であり、
私もその人の傍にいつもいたいと思っていました

でも、その人はもう一人の彼女だけをいつも連れ歩き、
私は遠いところに追いやられ、
忘れられたまま、ずっとひとりぼっちで放置されていました

無邪気すぎて私の孤独にすら気づかない彼女に対する妬みや、
私を大切に思ってくれない人に恨みがないわけではありませんでしたが、
じゃあ、自分が彼女を嫌いかと言えば、むしろ好きなのでした

その葛藤の中で、
だからといって彼女自身に対する感覚、感情が自分自身を苦しめている訳ではなく、
むしろ、
「自分は重要ではないのだ」「自分は愛されないのだ」という痛みの方がはるかに強いものでした

ただ彼女を憎んでいるのなら、かえって楽なのになあ・・・というくらい、
孤独の痛みの方が強かったのです

それもただの孤独ではなく、対比のあることによって、その孤独がいっそう引き立てられたのです

その時に見たストーリーとしてはそんな感じでしたが、
ストーリー自体に意味があるのではなく、
要するに、そういう状況で感じる痛みというものを強く体験していて、
その痛みをずっと持ち運び、
雪だるま式に強めて来ている、ということがわかりました

それを思い出しても、痛みは解放されませんでした
過去、他にもいろいろな療法やヒーリングを受けましたが、
それは解放されずに残ったままでした

それほど強く、魂に刻み込まれた痛みなのです

この痛みのブロックを解放しない限り、
人生の中でこの痛みに何度も直面することになります

それにずっとワークしてきていた訳ですが、
その根はとても深く、なかなか解放するに至りませんでした

尊厳を損なわれて痛みが起こる出来事があると、
「やっぱり私のことはどうでもいいんだな」→「私は尊重されていないんだ」→「悲しい」→
「痛い」→「ひどい」→
「愛とかいつも口にしていながら、自分たちが私にしていることに気が付いているんだろうか」→
「言いたい」→「言えば関係が終わる」→「惨めな立場のまま終わりたくない」→
「気が付いて欲しい」→
「でも、全く気が付いていないわけではない」→
「そんな人たちのところにとどまる意味があるのか?」→「自分の尊厳を持とう」→
「ハートはどうしたいのだろうか?」→
「仲良くしたい、仲間になりたい、お互いに大切に思い、尊重し合える関係でいたい」→
「私は本当に好きなのだろうか?」→
「批判的に思うところはもちろんあっても、基本的には好き」→
「やっぱり、私から切るのは違う」→「でも、このままの関係にいるのは嫌」→
「ちゃんと大切にしてほしい」→「そう伝えたこともあるけど、結局こう」→
「相手がそうであるのは仕方ないし変えられない」→
「私の何が悪いのだろうか」→「相手の問題でもある」→
「どうしたら愛されるのか」→「やっぱり私は愛されない」→・・・・

と、抜け道のはっきりと見えないルーティンの中にはまり込んでしまうのです

ブロックになっていることはいつもそうですが、
何か頭の中に霞がかかっているような感じで、
どこかクリアにならない感覚がつきまとい、
明確な抜け道が見えず、グルグルと回っている感覚に陥るのです

なかなか視点を変えることができないのです

変えようと思っても、そこでストップしてしまって、なんだかよくわからなくなってしまうのです

でも、もう、いい加減にこれから卒業したいと本気で思いました

何世もずっと挑戦し続けてできなかった課題かもしれないけど、
いい加減、ここでクリアしたいと思いました

絶対的に違う視点に到達したいと思ったのです

一昨日、
瞑想をしながら、その痛みの中に入っていき、
この延々と続けてきた痛みという、遺伝子に刻み込まれた傷を、
本当に癒し、解放していきたいと願いました



翌朝、朝食を食べている時に、
ふっと、何かに気づきました

そのとたん、何かが解放されたのを感じました

ただ、それだけのことが起こりました
劇的でもなんでもなく、小さな内面の動きに過ぎない出来事でしたが

でも、何に気づいたか、実は、覚えていないのです
(そこ、重要なんですけどね(;´Д`))

何か、全く視点が変わった、という印象だけは覚えているのですが

どう変わったのか、覚えていないのです(;´Д`)

気づいた瞬間にシフトが起こった時は、
よく、気づいたことが何だったか、後で思い出そうとしても記憶がないことが多いのです

気づいたことを覚えている時は、
実はまだ消化し切っていず、真のシフトが起こっていないようなのです

シフトが起こっちゃうと、覚えている必要がなくなってしまうのでしょう(*´ω`*)

そして、その後プレイヤー瞑想をしたときに、
そのガイダンスの中で「許す」という言葉が出てきました

リトリートの中で、生徒さんのためのガイダンスでありながら、
私自身ともシンクロしていたのです

その中で、私は、私自身を深く許していたのです
私を尊重しなかった相手や、その相手の行為も許していたのです

結局、私は深いところで自分も相手も許してなどいなかったのですね

「許す」、朝食の時に気づいたのは、きっとそれだったのでしょう

「許し」
それこそがやっぱり「愛」の方法だったのです

「愛」は、許しているのです




そんな、ある意味わかり切っていることですが、
真に「わかる」ことはなかなかにして難しい(;´Д`)

私は一体、何世かかったのでしょう(;´Д`)

「許そう」としている時は、実はまだ許していないのですから

許した時は、全てが落ちます

人間の生においても、真の愛に到達するのは、たくさんのハードルがあります

私も、本当に落ちたのか、
ずっと持ち運んでいた痛みを解放できたのか、
実際にその人たちにまた会ってみないとわかりませんが、
ひとつ、階段を昇れたことは確かなようです(*´ω`*)

それは挑戦に他なりませんが、
実際の生に起こる様々な課題を通して、そこに真の「愛」を実現していくこと

それが、私たちの歩む道であり、
進化の道なのです




















2015年6月13日土曜日

怒りを楽しむ♪ ~炎の浄化~

人は疲れが限界を超えると、怒りを生じるのですね

ここ3週間ほど、全く休みが取れない日が続き、
しかもここ数日はあまりの忙しさに躁状態となり、
ついに昨日は疲れを超えて、
身体に怒りがふつふつと湧いてきたのです

その怒りに乗じて、憤懣が爆発しました

「やっぱり、GIVE &TAKEがちゃんとわかってる人とじゃないと、その辺のバランスが取れてる人じゃないと、付き合ってられないよね!!」

「なんで、GIVE、GIVEしなくちゃならないの!!ずるいよ!そんなの理不尽じゃん!!( `ー´)ノ」

「なんでTAKEばっかりする人が報われて、私は報われないの!!(; `д´)ノ」

「それなのに、またしても私たちはそういう人のために、自分たちのお金をかけて、忙しい中時間を割いて、すごい労力をかけて手伝ってあげようとしているんだよ!!人がいいにも程があるよ!」

「そういう自分にも腹が立つし、だからといって、それをやらなかったら、やらない自分にも腹が立つんだよ!だからやるんだけどさ!あー、もうっ!!」

「神様!本当にずるいよ!!がう~っ!!」

ってな具合に、伊豆に向かう車の中で、
パートナーに吐きまくっていました(^_^)

自分で自覚していた以上に、
そういうことに怒っていたようでした

怒りをどんどん出してあげました

人との関係で出てきた怒りがひと段落した後も、
疲れによる肉体的な怒りがまだ残っていました

その怒りのエネルギーを内側で解放して感じていると、
身体にエネルギーが満ちてきて、
とても心地よくなっていきました

疲れを超えた時の怒りって、
肉体の生命保存のための働きなのかも、と思いました

怒りのエネルギーそのものは、
抑圧せずに内側で感じていると、本当に気持ちいいものです

ふっと、「不動明王の怒り」が浮かんできました

何か、自分の中に残っていたねばついたエネルギーを、
その「不動明王の怒り」の炎が焼き払ってくれるかのようでした

怒りを相手に投げつけるのと、
怒りのエネルギーそのものを内側で解放して感じきるのは、
全く違います

怒りというより、まさに「炎」です

気持ちいい~

こんな浄化の仕方は初めてです

本当に、人間って、神秘ですね(*´ω`*)









ひとりあること

昨年の終わりごろから、今年の2月位までは、
強烈な浄化期間でしたが、
その後も大きな浄化が続いています

人との関係においても、
生活の中で行っているさまざまな事においても(例えば庭仕事とか、鹿対策とか)、
ここのところ、ずっと、「報われない」という感覚に何度も襲われていました

私の人生はずっと忙しいのですが(;´Д`)、
今年はまた一段と激しく忙しい思いをさせられています

それも、何度も何度も同じことをしなければならない状況がやってきて、
折れかかる心を立て直して、またものすごい労力をかけてやるのですが、
そのかいがなく、またやり直さなければならなくなったり・・・

人との関係も、どんなに心を尽くしていても、
ただでさえ忙しい中、時間も労力もかけてヘロヘロになりながら相手のために何かやっても、
私の立場からすると裏切られたと感じるようなことをその相手が平気でしてきたりすることが、
何人かの関係で起きたり・・・

一生懸命やっても、その結果が出るどころか、
裏目に出たり・・・

なんだか、「報われないなー」という思いが強く浮上してきたのです

でも、その中で自分の内側を深く見ていくと、
何か相手のためにやる時、
そこに「つながっていたい」という思い、
「それをやらなければつながりがなくなってしまうのではないか」という思いから、
やっていることがわかりました

それは、「ひとりになること」が怖いからです

「あなたのためにやってあげるから、私を一人にしないで!」というエネルギーがあるのです

この社会の中で、孤立したくはないのです

あるいは、
「あなたのためにこれをあげるから、あなたも私にちょうだい」という、
いわゆる「見返り」を求めているエネルギーです

GIVE & TAKEです

そういうエネルギーは、ずるっとしていて、心地よいものではありません

そんなエネルギーがまとわりついた状態で何かしてもらっても、
相手はうれしいはずがないですよね

自分自身も、犠牲的な感覚を持ってしまい、
それが苦しみになります

また、違う場面では、
私がエネルギーを「あげる」のをいいことに、
すねたり、いろいろ心理的な操作をしかけてきて、
もっともっと「奪おう」としてくる人もいます

それがわかっていながら、それを断ると「つながりが切れるのではないか」と恐れて、
きっぱりと断れない

ずるずると奪われていくことになりますが、
相手からそのかわりに何か返してもらおうとしても、相手は決して返してくれません

それに理不尽さを感じて、怒りが生じてきます

霊的なシフトが起きて、
「ひとりあること」の次元にエネルギー的にシフトしていても、
肉体にはそんな重たいエネルギーがまだ残っているのです

今回は、それを浄化して、
本当に「ひとりあること」へとエネルギー的に統合されていくプロセスのようです

他の誰かに全く依存しないですむことは、
どんなに自由でしょう!

つながりがあろうと切れようと、全く恐れないことは、
どんなに楽でしょう!

そうして、「ひとりあること」に統合されて初めて、
本当の「つながり」を持つことができるのでしょう
















2015年1月31日土曜日

カルマの浄化 ~正しい関係~

今、浄化強化期間なので、
3日間の絶食デトックスをしています
その間に、大きなカルマの浄化が起こりました

ここのところ、福祉作業所で仕事を一緒にしている友人との関係において、
何か、その友人の行為が気にかかっている感じがしていました

その友人は、表面的にはその福祉作業所をより良くしていこうと、
いろいろ考えて頑張っているように見えるのです
彼女的には、張り切っていろいろ考えているのでしょう
それは決して悪いことではありません

でも、そこから派生するいろいろな行為が、気にかかっていました
とにかく、ごり押しが強いのです

もう一人の福祉作業所で一緒に働く友人からもらった「ぐち」メールをきっかけに、
その感覚が強く浮上してきました

そこで、内側を見ていくと、何だか、その友人に腹を立てているのです
何故、腹を立てているのか、その理由はまだ明確にはわからないのですが、
なんだか、腹を立てている

「何に腹を立てているんだろう?」と、さらに見ていくと、
その友人から何かを奪われている感覚が出てきました

その友人は、何故か私をライバル視しているのか、
彼女いわく、「あなたは前世で私の母親だったから、なんだかあなたに反発しちゃうのよ」
とのことでしたが、
いろいろな面で、彼女から来る様々なやっかいなエネルギーを度々感じていました

嫉妬や、微妙な対抗意識とか、そういったものでした

でも、それはあからさまという訳でもなかったので、
私もそんなことにエネルギーを費やされるのは嫌なので、
特に取り立ててどうのということもなく、まあ、好きにやれば、という感じで過ごしてきました

でも、今回、そこを深く見ていくと、
実は彼女からいろいろ奪われて腹を立てていたのがわかりました

そこで改めて気づいたのですが、
ある作業生さんとの親密な関係も、いつのまにか彼女が取って代わっていたし、
今また、他の作業生さんとの親密な関係も取って代わろうとしている

口では、「その人のキーマンはあなたなんだから」と言いながら、
やっていることは、自分がキーマンになろうとして熱心にその人に働きかけている

ずっと私がやっていた仕事も、いつの間にか、うまいこと彼女がやることになっている
特段、やりたくてやっていた仕事ではなかったので、
別にいいやと思っていたのですが、何かがひっかかっていたのも事実でした

私がやったものに対しては、何かと文句を言ってくることが多いし、
彼女が「こうした方がいい」と思うことは、
「やってね!」「それを皆の総意にしてやろう!」とごり押ししてくる

そういう方法で、彼女は私から奪い、私を支配下に置こうとしていたのです

奪われたものに執着は全くないのですが、
そういう形で奪われていくのは理不尽です
それに腹を立てていたのでした

それに気づいたので、
奪われることにきっぱり「NO」を言うべきなのか、
「YES」と受け入れて好きなだけあげればいいのか、
どうしたらいいのか、
パートナーと話しながら寝たのですが、
朝、夢を見ました

夢のストーリーは、
私とパートナーとで、外国に旅行に行き、現地にいた私の友人の女性にいろいろ案内してもらうのですが、
パートナーはその友人にばかり気を使い、楽しく話し、私の存在など忘れてしまうのです

いつのまにか私一人取り残されて、私がいないことにもパートナーは気づくことすらない・・・
彼女の方が気づいてくれて、探しに戻って来てくれるのですが、
私は悲しみでいっぱい・・・

といったもので、
いつものテーマが浮上して来るものでした

実際に、肉体上にその痛みが浮上しています

その痛みと、前の晩気づいた友人との関係にワークしていきました

「NO」ときっぱり遮断するのも、ハートは違和感を感じる
そうやって自分を守るのは、どうしても何か「違う」という答えが返って来るのです

じゃあ、「イエス」と、母のように大きく包み込み、欲しいだけあげるか、というと、
それは「嫌」と返ってくる
奪うことに際限はないからです
もう、これ以上奪われるのは、やっぱり「嫌」なのです

「NO」なのか、「YES」なのか・・・

肉体の痛みに働きかけながら、さらに深く感じていきました

すると、
右の下腹から繋がっている絡まったコードが見えてきました

友人と繋がっているコードです
何か、ねちゃっとしたエネルギーのコードです
そのコードを通して、友人がエネルギーを奪っていくことがわかりました

まさに、カルミックな関係です

その絡まったコードに働きかけた時、
答えが来ました

それは、「NO」でもなく、「YES」でもなく、それらを超えて、
「正しい関係になる」というものでした

「正しい関係」が具体的にどういう関係なのかはわかりません
それは、なってみて初めてわかるものでしょう
エネルギー的にそこにべたついたものやひっかかるものがないのでしょう

「正しい関係になりますように」と祈りながら、
絡まってごちゃごちゃになっているコードがほぐれ、
まっすぐに繋がっていくよう、エネルギー的にワークしました

エネルギー的には、何かが明らかに変わりましたが、
その後、少し時間が経ってから下腹にワークしながら感じていくと、
まだ、友人のエネルギーが私の身体の周りにベッタリとした感触で纏わりついていました

それらを祓い、再び、「正しい関係になりますように」と祈り、
彼女の光の姿をイメージして、それとコードで繋がることをイメージしました

実際に関係が変わって、正しいものになっていくのには時間がかかるのでしょうが、
何かが明確に見え、何かがエネルギー的に変わりました

カルマの浄化は、ただエネルギー的にリリースするだけではなく、
全ての関係性をあるべき「正しいもの」へと転換させていくことだと、
新しい理解をもらえました

これらの流れが、たった半日のうちに起こりました

やっぱり、すごい浄化の期間です♪

恩寵に、感謝です♡

でも、すぐさま、次なる関係性のカルマが・・・

パートナーにイライラを感じて、ケンカになりました(;´Д`)

私は仕事しているのに、パートナーはPCでアニメばかり見ていて、
やらなければならないことがたくさんあるのに、私が言わないとやらないからです
私は「なんで自発的にできないんだろう」と、イライラしていました

でも、そこから出る言葉は「お願い」でも『命令』口調になり、
案の定、パートナーがひっかかってきました

ふー、
ちょっと大変です(;´Д`)

デトックス効果、ありすぎです(;´Д`)

でも、そうやってやり合うことで、
自分の作っている「制限」が明確に見えました

関係性の中で相手を攻撃し、攻撃されて追い詰められた時、いつも最後に逃げ込むところです
いつも最後に自分が口にする言葉です

私の場合は、
「どうせ私はそういうくだらない女性だから」
「どうせ私は価値のない人間だから」
という類のものでした

自分で自己否定しちゃえば、相手はそれ以上、攻撃してきません
自分で作り上げた、都合のよい逃げ場です
シェルターです

でも、それは同時に、自分で自分にかけた「制限」なのです

パートナーはパートナーで、また別のパートナー自身の「制限」に逃げ込みました

長年、使ってきた、
恐らく、何世も何世も使ってきたシェルターなので、
お互いに、そう簡単には開き、
超えることはできません

でも、お互いに、その「制限」を意識的にクリアに見ることができました

まだ、そこを打破できてはいませんが、
「制限」が明確に見えたということは、
打破できるのも時間の問題です(*´ω`*)

がんばります♪

でも、たぶん、次のケンカの時は、
お互いに変わっていると思います(*´ω`*)

本当に、浄化強化期間、すごすぎます



















2015年1月19日月曜日

「愛を受け取る」ブレス~さらに、その後! カルマのワーク

やっぱり、事はそう簡単ではなかった!

前日に、気付きを得て、カルマのリリースが起きたので、その周辺の固まった肉体を自分でしこしこ、ほどいていきました

特に、腕の付け根と脇の下に、硬結という、豆粒のような、筋が絡まってエネルギーが詰まってしまったしこりのようなものができていたので、それらを丹念に、丹念に・・・

もう、痛いのなんの!(;´Д`)

こんな状態だし、今年の2月いっぱいは浄化強化期間というガイダンスが来ていたので、2月7,8日でうちでデトックスをしようと思い、ディープヒーリングの仲間を誘ってその計画を立てました

でも、その直後、ディープヒーリングの師匠、カタールのところでのディープヒーリングセッション会(プラクティショナーの練習会)を7日にやるというお知らせが入ってきたのです
「あらー、重なっちゃった(;´Д`)」・・・

もちろん、セッション会は参加したかったので、デトックスの会の方は手放したのですが、その時に、私の中にひっかかるものがあったのです
何がひっかかっているんだろう?と、自分の中を見ていくと、「尊重されていない」という感覚に行き当たったのです

もちろん、師匠のカタールは、私の計画など知る由もなく、
むしろ、私が第2土曜日なら空いているということを配慮してくれての設定だったと思えるのですが、
せっかくやる気になっていた計画がおじゃんになったことに変わりはなく、
なんだか、私のその意志が「ないがしろにされている」、という感覚が沸き起こっていたのです

もちろん、師匠にないがしろにされているというのではありません

それは、突き詰めて行くと、
「私は神に尊重されていない」という感覚

存在がそうアレンジしたのだから、
やっぱり私は存在にないがしろにされている・・・と

これと、「愛されていない」という感覚は同じ源で、
同じ痛みなのです

「ああ、やっぱり事はそう簡単ではなかったな!
でも、ついにこれに深くワークしていく時が来た!」と思いました

周りをほどいたことで、
さらに深い層が浮上してきたのでしょう

その後、リトリートの中でナーダブラーマ瞑想をしたのですが、
その時に、その痛みを再浮上させるべく、
痰がからんでいた喉のところにハミングのバイブレーションを浸透させていきました

すると、ちょうど心臓のところに、
痛みが出てきました

魂に深く刻み込まれた痛みです

そこに深く入っていくと、
痛みがどんどん鋭くなってきました

エジプトで神官をしていた過去生で、
王がもう一人の神官ばかりを連れて歩き、
私は遠くの月の神殿にひとりぼっちで追いやられるというビジョンが来て、
その時の悲しみと恨み、絶望感がその痛みとなっていたようでした

「ああ、もう少しだ!」と思ったとたんに、
ナーダブラーマの第2ステージに・・・

なので、痛みを宇宙へと溶けさせていきましたが、
本当は、最後まで、
神との合一まで、
その痛みへと深く完全に入っていきたかった・・・

そう、
痛みへと深く完全に入れた時、
その瞬間、神との合一が起こるのです

その時、その痛みは完全に癒されるのです

でも、今回はそこまで行きませんでした

なので、これの完全な解放は、
また次の機会のようです(;´Д`)

でも、こんな立て続けの進展は、
今までにないスピード!

やっぱり、特別な浄化強化期間だけのことはあります♪
それと、この「愛を受け取る」ブレス効果のすごいこと!

以前なら、さすがにもう少し展開に時間がかかったと思うけど

それに、もう、こういうワークが全然しんどくなくなってる

痛みなんだか、
すでに喜びなんだか、ちょっとわからない

肉体に残っている残像が解放されていくプロセスなのかもしれませんね

わーお!です♪