2014年11月15日土曜日

伊雑宮の編  ~近畿五芒星レイライン巡礼の旅 7日目 ~ 

8月29日

あまりの美しさの神田で満たされた私たち、
同行の友人が「前世でいた私の故郷」という伊雑宮(いざわのみや)へと向かいます

以前訪れた時に、鄙びた雰囲気の中に何か威厳あるものを感じて、
私も大好きになったお宮です


伊雑宮は、伊勢神宮の別宮ですが、
本当は伊勢神宮より格式の高い神社だという説もあります

徳川の時代に、聖徳太子撰と言われている『先代旧事本紀』という古書を元に、
伊雑宮こそが本当の伊勢神宮だという主張がなされました

先代旧事本紀大成経事件[編集]

1679年(延宝7年)、江戸の書店で『先代旧事本紀大成経』(七十二巻本)[1]と呼ばれる書物が発見された[2]。この大成経の内容が公開されると大きな話題となり、学者神職僧侶の間で広く読まれるようになった。しかし、大成経の内容は伊勢神宮別宮の伊雑宮の神職が主張していた、伊雑宮が日神を祀る社であり内宮・外宮は星神・月神を祀るものであるという説を裏づけるようなものであることがわかり、内宮・外宮の神職がこの書の内容について幕府に詮議を求めた。
1681年(天和元年)、幕府は大成経を偽書と断定し、江戸の版元「戸嶋惣兵衛」、書店にこの書物を持ち込んだ神道家・永野采女と僧 ・潮音道海[3]、偽作を依頼したとされた伊雑宮の神職らを処罰した。後に大成経を始めとする由緒の明らかでない書物の出版・販売が禁止された。しかし、幕府の目を掻い潜って大成経は出回り続け、垂加神道などに影響を与えている。
(Wikipediaより)

これが、伊雑宮事件と呼ばれているものです
伊雑宮の本来の姿を主張する神職達など、訳50名が処罰されたそうです

時の権力によって、事実が隠されたり曲げられたりするのは世の常ですが、
ここ、伊雑宮には何か重要なことが隠されているようですね

伊雑宮の神紋がダビデの星(六芒星)であることは有名ですが、
今、さかんに言われている日ユ同祖論がここでも浮上してきます、というより、
まさにここが重要な場所だということです

どうやらその乱の最中にいたらしい友人から、初めてその話を聞いたわけですが、
そういった出来事と、今回のスサノオ、神武天皇に呼ばれた旅とがどうつながっていくのか、
楽しみではあります


遷宮のための、新しい社殿が建てられていました


懐かしい、神聖なエネルギーではありましたが、
遷宮を控えているためか、ちょっと落ち着かない感じもありました

伊雑宮を故郷と感じている友人が、結界の縄を超えて、社殿の裏側に回って行きます
その友人のために「見張り」をしていたら、
すぐさま、神職の方がすっ飛んできました

札所からは見えない場所です
隠しカメラでもあるのでしょうかね?

すぐに友人を呼び戻しましたが、直後に辿り着いた神職の方にちょこっとお咎めを言われてしまいました
でも、そう厳しくはなかったので、ほっとしました

後で、いろいろ調べてみたところ、上記のことも関係し、
何やら伊雑宮に関しては取沙汰されていることが多いので、
単に聖域だから禁足というだけではなく、
警備も厳しくなっているようですね

でも、元伊勢のセンサーと警報に比べたら、結界の縄と神職の方の注意というのは、
とても聖域らしく、いい感じでした

それにしても、そこに深い縁があり、
純粋にそこに祀られている神と触れ合いたいと思っている人には、
もっとオープンにゆるくしてくれたらいいのにな、と思いました

札所の横に、老木がありました
すごい気を放っていますね


駐車場の横に、御神田がありました♪

まだ若い稲がきれいにそろっています
つぎはぎされた鳥居がなんともワイルドで、素敵でした

毎年6月24日に御田植祭というのをやるそうです

所管社である佐美長神社は、車で少し行ったところにありますが、
そこのご祭神は倭姫に稲穂のありかを教えたという真名鶴です

佐美長神社の長い石段を見て、私とパートナーはお参りするのをあきらめ、
友人だけお参りに行きました
スサノオを祀っていたと聞いて、今度来るときはちゃんとお参りしようと思いました

真名鶴が教えてくれたその1本の稲穂から、代々、この御神田で稲が受け継がれてきたのでしょう
それを思うと、ぜひいつか、御田植祭に赴いてみたいものです

御神田から見る伊雑宮の森

山、川、田、磯・・・あらゆる面で、ここが本当の伊勢であるということ、
伊雑宮が隠された重要な働きを持っていること、
そういったことをふまえて、ここにはもう一度来なければならないな、と思います




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