2014年9月11日木曜日

弥山登山の編  ~ 近畿五芒星レイライン巡礼の旅 3日目 ~

さて、いよいよ弥山登山に向かいます

書き忘れていましたが、
天河に向かう途中で、洞川温泉の名水、ごろごろ水を採取に行きました

普通、名水と言えば、自然に滝や湧き水の泉のようになっていたり、
龍口や竹の筒からちょろちょろと出ていて風情のあるものですが、
ごろごろ水の採取場は、
長ーい水道管が広い駐車場の両脇にどーんと設置されていて、
各駐車スペース毎に蛇口がつけられています

その駐車場に入るのに500円かかります

蛇口から詰める名水は、なんだかありがたいようなありがたみがないような(^^;

でも、軽トラでタンクをたくさん持って来て詰めている人が何人もいて、
お店とかで使うのでしょう

お水は、確かにおいしかったです

500ミリのペットボトル2本にごろごろ水を詰めて(1本250円!)、
登山バックに入れます

最初、弥山登山のルートとして、
行きは天川の川合というところに村役場の無料駐車場があるので、そこに車を停めて、
タクシーで「行者還トンネル西口」という登山道入口まで行き、
そこからの3~3.5時間コースの登山道を登り、
帰りは川合までの6時間コースをゆるゆると下りて来る予定でしたが、
途中で熊野本宮大社の奥宮である玉置神社に寄ってから
8時には熊野の那智勝浦に到着して友人を一人迎えに行かなければならなかったため、
時間を計算したところ、
6時間コースで下りて来ると間に合わないということがわかり、
急遽、
「行者還トンネル西口」まで車で行き、そのコースで往復することにしました

川合にある天川村ふれあい直売場 小路の駅「てん」で、
素朴なおいしさの「じゃがぽた」を食べ、
お昼用に「かどや食堂」で巻き寿司をゲットして、いよいよ出発です

「じゃがぽた」は、お米の取れない天川村で、子ども達がひもじい思いをしないようにとの
思いから作られてきた、昔ながらのおやつで、
ジャガイモから作られたおもちのような食感の、やさしい食べ物でした

天川村を見ていて驚いたのは、畑がないことでした
当然、田んぼもありません

普通、どんな小さな村に行っても、庭やちょっとした空地を使って畑にしているのを見かけます

でも、天川村で畑は見ることができませんでした
じゃがいもですら、とても貴重なのでは?と思うほどです
どうやって天川の人たちは暮らしているのだろう、という疑問が生まれました
これは、後で、弥山の山小屋の管理人さんから話が聞くことができました

さて、天川の河合から、「行者還トンネル西口」まで、
タクシーで5000円かかる距離です
「5000円節約したね♪」、などと喜んでいたらとんでもない!
みたらい渓谷沿いのうねうねと曲がる細い道を延々と行きます

渓谷は素晴らしかったですが、見る余裕なんてなし・・
片側は川への崖、
反対の崖は岩が道の上に張り出していて、本当に車が通れるのかと思うほどの、
車もすれ違えない幅の道をうねうねと小一時間も行くので、
前から車が来ないか絶えず緊張し、
来る度にどちらかがバックしないとならなかったりで、
登山前にもうクタクタ・・・という感じでした

タクシー5000円は、高くない!

でも、みたらい渓谷は、またゆっくり来た時に、ぜひ歩いてみたいところです

そんなこんなで、ようやく1時前に「行者還トンネル西口」に到着しました


駐車場の奥に滝がありました

有料トイレを借りて、いよいよ登山開始です
パートナーにとっては、初登山です
登山届記入ボックスなるものがあり、「本格的?」とちょっと緊張します



まだ、使用前の顔です('ω')

最初は、ゆるやかな道が続き、「あれ?本当にこの道でいいのかな?」と思いながら進むと、
つり橋が見えてきました

この行者還コースは、吉野と熊野を結ぶ大峰山を縦走する修験道の行場であり、
世界遺産にもなっている「大峰奥駈道(おくがけみち)」を通るコースです

最初の1時間が険しく、その後の1時間がゆるやかで、最後の1時間が「胸突き八丁」と呼ばれている最後の正念場、急坂だとのことでした

入口を入ってすぐのところに、一般と行者とのルートの分かれ道がありましたが、
行者のルートは道なき道、崖をよじ登るようなルートでした

登山しろうとの私たちは、もちろん、一般の道です

そのつり橋を渡ったとたん、急な坂道に変わりました
いよいよです

前日、宿のお風呂で、私より年配の女性3人組と会い、
登山のいでたちをされていたので、
「山に登られたのですか?」と声をかけると、
私たちの目的地である弥山と、その先の近畿最高峰の八経ヶ岳まで日帰りで行って帰ってきたとのこと

山に経験のある方々といえど、
70代の方でも日帰りで行けるコースなのか・・・と、ちょっと安心してしまったのが間違いの元・・・

ものの10分も経たないうちに、足腰より先に心臓がバクバクして破裂しそうになり、
休憩に次ぐ休憩・・・

日頃どれだけ運動不足なのか、思い知りました
畑の過酷な労働で鍛えていたつもりでも、
水平運動はいざ知らず、垂直運動には激しく弱い私たちでした

木の根を伝い登るような箇所や、
砂利というか、岩の破片のような小石だらけで、
じゃりじゃりと滑ってとにかく歩きにくい

喘息を持っているパートナーも、息が入らず、苦しそうです
薬と、ティーツリーのエッセンシャルオイルの力を借りて、
ようやく呼吸ができるようになり、身体に酸素が回るほうになりました

30分位登ったあたりから、すこしずつ身体は慣れて来ましたが、
ぎっくり腰になった右側を庇って、左足で登ったため、左の膝と腿がこわばってきました

登山用ストックを持っていたにも拘わらず、家に忘れてきてしまったので、
それも痛手でした

でも、以前登山家の戸田さんから教わった歩き方、
お相撲さんのようなナンバ歩きで、手と足の同じ方を出して歩く歩き方、
要するに足で歩くのではなく、腰で足を出す感覚で登る歩き方で行きました
「ソアスで歩くのね!」と思いながら歩きましたが、
とにかく右の腰とお尻が痛い・・・

それと、大きく一歩を出すのではなく、小さな歩幅でちょこちょこと歩くと良いと、
漫画の「岳」に描いてあったので、それも取り入れて歩きました
確かに、ちょこちょこ歩きの方が、疲れずに続きます

坂も、まっすぐに登っていかず、いろは坂、もしくはスキーの斜滑降のように、
斜めに登って行きます

よちよち歩きで、ゆっくりと登ること1時間半・・・

ようやく、標識のあるところに辿り着きました



呼吸の入るようになったパートナーは、余裕ですが、
私はもうへろへろ・・・

弥山まで、2時間とあります
ということは、ここまでふつうは1時間で来るということ
すでに、30分オーバーしています
というか、1.5倍かかっている、ということ

疲れすぎて食べる気にもなりませんが、次の行程のため、
少しお腹に入れました

ここでしばし休憩して、次に進みます
ここから先は緩やかなコースということで、ちょっとほっとしたのですが・・・

確かに緩やかでしたが、それでも延々と続くように思え、
さすがに足腰がだいぶよれてきました
でも、道が緩くなると、膝は格段に楽になります

途中途中、苔が美しく、ひめしゃらの幹が美しい、
素敵な景色がたくさんあったのですが、もはや写真を撮る余裕など
皆無です
「帰りに撮ろう」と決めて、歩くことに専念

途中で、警察の一行に出会いました
その時はパトロールかな、と思っていましたが、
後で山小屋の管理人さんから聞いたところによると、
遭難者を探索していたとのこと

その方々は、遭難してから5日後のその日に見つかったとのことでしたが、
ガスって道がわからなくなり、迷ってしまったらしいです
夏だったので大丈夫だったのでしょうが、よくぞ5日間も無事でいたものです

やっぱり、遭難者が出るほどの山だということです

聖宝ノ宿跡というところに出、そこには醍醐寺を創建した聖宝理源大師の像がありました
真言密教と修験という縁のある大師です

大師像に手を合わせて、無事登山をお願いしました

延々と続くように思えたなだらかな道も終わり、いよいよ胸突き八丁にかかりました

時すでに3時です
ということは、ここまでもまたもや1.5倍の1時間半かかっています
すでに身体もボロボロです
暗くなる前に着けるか、怪しくなってきました

登山は、やはり午前中に登りはじめないとだめですね
下って来る人には数名会いましたが、
登ってくる人は他にいません

地図とコンパスも持って来るのを忘れ、
スマホもほとんど圏外です
GPSも使えませんし、そもそも地図を読み込めません

とにかく、ひたすら登るより他にありません

途中、視界が開けました


ガスっていましたが、時々それが晴れて遠くの山々まで見渡せます
その景色に励まされ、涼しい風に疲れも少し取れて、
よいしょっと、歩き続けます
一歩一歩、痛む膝と腰をなんとか騙しだまし、登ります

途中でパートナーが杖に良さそうな枝を見つけてくれて、それを頼りに登りました
やっぱり、杖があるとないとでは、全く違います

昨今は、ストックを2本持っている人が多いですね
それ、本当に正解です

登山家の戸田さんから教わった歩き方に、ストックを腰の後ろに回して水平にして、
両腕でストックを抱えるようにして、そのストックで腰を右、左と押しながら歩くと楽、
というのがあり、杖の枝でそれをやろうと思うのですが、
道幅が狭く、杖が両脇の木々や岩にひっかかってしまって、思うようにできません

胸突き八丁は、途中から木の階段が続きました
この「階段」、階段の方が楽なのかどうかわからないほど、
きつい!!
太もも、ばんばんです
膝、キンキンです(/_;)

でも、この材木を運んだり、階段を作ったり、
どれだけの時間がかかったのだろう、
すごいことだなあと、感心、感謝しながら登りました

この階段、どれだけ続くのだろうと思うほど延々と続き、
限界を超えてもう嫌気がさしてきたころ、
辺りがほんのり夕暮れ色に染まりだす中で、ようやく弥山山小屋が見えてきました
後少しです!



やったー!!!!
やっと、どうにか、弥山山頂の弥山神社に到着しました!

弁財天が最初に降り立ったという弥山山頂です
(後で調べたところ、弁財天が最初に降り立ったのは、熊野寄りの山上が嶽

ガスっていて、下の景色はほとんど見えず、ぽつぽつと雨も降りだして来ました

でも、雨は水の神のウエルカムです

霧の中に、八経ヶ岳の山頂がかすんで見えます
とても神秘的です



神殿にご挨拶して、祈りを捧げました

感動というよりかは、とにかく無事に辿り着けた安堵の中、
立っているのが精一杯でした

時はすでに5時半でした
なんと、4時間半もかかってしまいました
(もしかすると、かなりの最長記録じゃない?)



手前に、護摩焚きの跡がありました

ネットで検索したところ、5月に護摩焚きの行があったとのことでした

神社で護摩?と意外でしたが、修験道や密教との繋がりが深いところ、
今の感覚でいう神社というよりは、むしろ、それが元々の姿なのでしょう

実は、天河と熊野には、私の中では5月頃に行くという感覚があったのですが、
一緒に熊野に行く友人の都合で、8月になったものでした

本来は、この護摩焚き行に行くべきだったのかもしれません
次に行く機会があれば、5月に行きたいと思いました

また、呼んでくれるかな・・・でも、それまでにトレーニングしておかないとね

弥山神社の神殿の隣に、小さなお堂が並んでいたので、
行ってみると、
役行者と円空さんを祀っているお堂でした

行くまで知らなかったのですが、
この弥山が修験道の始まりであり、吉野と熊野、高野に広がる聖地の中心であるとのことでした

行ってみて初めて、行った意味がわかりました

ここが、全ての始まりだったのです
ここが全ての中心だったのです

それを胸深くに噛みしめて、もう一度祈りを捧げました



去年の投げ入れ堂&大山&出雲参拝から、どうも修験の旅が続きます
そろそろ老体になってきた身体には厳しいのですが・・・

前世で散々修験をやってきたのだろうなあ、と思いつつ
ようやく完結の生を迎えられたのだなあと・・・

最後のお礼参りというか・・・
そのための、旅でもあったのでしょう

それにしては、よれよれの情けない状態でのお参りでしたが(^^;

今回の生では、今までに縁のあった方々との残されたカルマを解消するための関係が
数多くありました
それは痛みを伴う関係でしたが、本当に解消されるとさっぱりと、感謝へと変わります
今はまだ痛みを伴う関係がいくつか残されていますが、
全ての関係が感謝へと変わるのも、そう遠くないのかもしれません

その時に、また来るのかもしれません

密教で始まった私の魂の旅が、アジズとフーマンを経て、アマテラスを経て、
こうしてまた密教の始原に戻ってくることになるとは、
やはり、そこに縁の強さを感じざるを得ません

何か、完結して、次のステージに向かうのでしょう

一見、味わいの全く違うそれらが一体となり、何か大きな世界を創り出している
そのベールを少しずつめくり、それを知っていくこと
まだ、その全容は見えませんが、そう思うとこれからが楽しみです


さて、
クリスタルを埋めていいかどうか、お堂に向かって尋ねると、
いいという返事が返ってきたので、
どこに埋めていいか聞いたところ、ある場所を示してくれたので、
そこに埋めてきました

ここには、五ぼう星レイラインの各聖地とは違うクリスタルの方がいい感じがしたので、
違うものを埋めてきました

1デイ・リトリートに参加してくださった方々に、お土産として、
弥山に埋めたのと同じクリスタルを差し上げました

そうすることで、皆が始まりの場所と繋がれます

光のコードが、張り巡らされます



やっぱり、この弥山に登拝することが、
今回の旅のひとつのクライマックスでした

まだ、ずっと山頂に居たかったですが、暗くなってきたので、
山小屋に戻りました

山小屋に泊まるのは、私たちだけ、というラッキー
山小屋のピークは、連休のようです

山小屋の管理人さんは、天川の方で、連休から今まで、
ほとんど自分の家の蒲団では寝ていないとのことでした

パートナーの初登山に弥山を選んでくれてうれしい、と喜んでくださいました

天川の人たちがどうやって暮らしているのか尋ねたところ、
やはり林業を営んでいる方が多いとのことでした
畑は見つけることができませんでしたが、管理人さんの話では、
少しはある、とのことでした

簡素な夕食をいただいて、
7時には蒲団に潜り込みました

消灯は9時で、真っ暗になると言われましたが、
消灯など知らず、ぐっすりと寝てしまい、
いっぱい寝たーと思って目が覚めて、時計を見ると、
まだ11時半でした(^^;

とにかく、身体がぎくしゃくです
どのくらい回復するのか、消炎剤を腰や足に塗り込んで、再び眠りにつきました















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