2017年3月17日金曜日

彩雲












最近、よく彩雲を見ます

大抵、運転中に見るため、
車を停める場所を探している
うちに、
刻々と変わってしまい、
一番きれいなタイミングで
撮れないのが残念ですが・・・

画像ではごくうっすらとしか
映っていませんが・・・

彩雲とは、太陽の近くを雲が通る時に、
赤や緑など、虹のように雲が彩どられる現象のことですが、
瑞雲とか慶雲などとも呼ばれているように、
何か良いことが起こる前触れと言われているそうな

これを見た人にも幸運が訪れるそうな(*´ω`*)

ひと月ほどの間に、すでに4回は見ているので、
よほどいいことが起こるのでしょうか?(*´ω`*)

確かに、地球のエネルギーがあるレベルでとても高くなっているのを感じます

彩雲からは、やっぱり素敵なエネルギーを感じます


こういった自然からのギフトを受け取ると素直にうれしいですね♪

ただ、最初に見た時に自分の中で気づいたことがありました

こういう「特別な」現象に遭遇することで、
自分の中に「特別感」が生まれるということでした

スピリチュアルな世界では、よく、
稀な自然現象に「特別な」意味づけをし、
それに遭遇することによって、
自分がいかに霊的に優位であるか、
まあ、もっと優しい言い方をすれば、
自分がいかに「愛されているか」、
霊的進化がいかに進んでいるか、
その指標にしたがる傾向が強くあります

そのため、
やれ「彩雲が」とか、やれ「オーブが写った」とか、
それをことさら強調したり、
「奇跡の自然現象ハンター」になったりします(*´ω`*)

ただ、美しいものを見て「美しい」で終わらずに、
内心、「それを見た私って」うふふ・・・と余計なおまけがつくのです(・∀・)

自分がいかに重要であるか、
それによって証明しようとするのです

それがまさにスピリチュアル・エゴですね♪

よくある落とし穴のひとつです

もし、奇跡の自然現象に遭遇した時に、
ただ「きれいだなあ」で終わったとしたら、
それこそが実は「奇跡」なのかもしれません

真にそういう人は、
ただあるものをあるがままに見るだけなのでしょう

こうやって、うれしそうに彩雲の写真を撮り、
うれしそうに画像をアップしている時点で、
私もまだまだだです(*´ω`*)

それに気づかせてくれた彩雲です

あっ!
すでにいいことあったってことですね♪

うふふのふ♪♪




2017年1月27日金曜日

「鋳型」の浄化方法 その8 瞑想が土台

さて、これまで「鋳型」の浄化方法について書いてきましたが、
最も重要なことは、
主体そのものに向かうための純粋な瞑想をし、
I Amにしっかりと根づいていなければならない、ということです

もし、
あなたがただのマインドならば、
そこに主体が存在していなければ、
真の浄化を起こせるだけの力が不足してしまうのです


最もコアな「鋳型」の浄化は、
覚醒して初めて起こせると言えます

その位深く根づいていないと、
「鋳型」のパワーが強すぎるため、
どうやってもそれにかき回され、
強力に糊付けされてしまうのです

カルマやトラウマ、エネルギーブロックのパワーをあなどってはなりません

大局から見れば、
そんなものは幻想に過ぎず、
存在しないと言えますが、
人間存在の立ち位置からすると、
「幻想」だからとあなどっていると、
足をすくわれるというか、
それに呪縛され続けることになります

覚醒の位置からは、
そんなこともすべてオッケーで、
どうでもいいことです

カルマですら、神の現れに過ぎません
そこに何の問題があるというのでしょう

そもそもが、
本当には何も起こってなどいないのです

でも、人間の位置からは、
それは大きな障壁です

人間として完結するためには、
人間としてもオッケーになる必要があります

その時、
初めて本当にひとつになります

そこを取り違えないでください

それらは、
単純なマインドでは理解しがたいことかもしれません

私たちが全次元的な存在であること

それを忘れないでください

そのためにも、
瞑想がやはり第一です(*´ω`*)

それを妨げるものを取り除くだけです




「鋳型」の浄化方法  その7 補足


補足1.

その3 「2.「なぜ、私はこう感じたのか?と自分の奥深くに問いかけていく」」の補足として



問いかけの答えは、
演繹法的に、次々に思考をつなげていった結果の思考的結論でも、
帰納法的に、自分の中に起きるあらゆる事象を検証して辿り着く結論でもなく、
何か、そこに常にジャンプがあります

もちろん、そういった思考法で答えに辿り着く場合も大いにありますが、
なぜか、
思考で辿り着くだけでは、
大きな浄化が起きないのです

つまり、
答えをただ知るだけでは、
なぜか、
本当の浄化にはならないのです

よく、「気づけばなくなる」と言いますが、
実際は、
気づいただけではなくなりません

もちろん、
それを知れば、それに気づけば、
次から気をつけたり、距離を持って見たりすることはできるようになります

でも、残念なことに、完全に消え去ってはくれない

「観察」すれば、
感情はなくなりますが、
その大元は消え去らないのです

また、同じボタンを押されれば、
噴出する

それは、
リーディングなどで、
他者から知らされる場合も同じです

それらは、
「情報」に過ぎないのです

真の答えは、
「情報」ではないのです

真の気づきは、
瞬時の「理解」という形でやってきます

それは、「あっ、そっかー」という頭の理解ではなく、
何か、本当に腹に落ちるものです

大仰にばーんと来なくても、
何か、ふっと深いところに浸透する感じがあれば、
消えてなくなります

そういうものは、
なぜか、
忘れてしまい、
後で思い出そうとしても、
「あれ?なんだっけ?」となることがよくあります

消えてなくなると、記憶からも消えてなくなるのでしょう

もちろん、
何かコアなことでとても大きな浄化が起き、
非常に稀な体験をすれば、
記憶に残りますが、
課題がなくなってしまえば、
思い出す必要もなくなってしまうのです

面白いものです(*´ω`*)

とはいえ、
ブログに書こうとか、本に書こうとか思っても、
思い出せなくて困ってしまうのですが(;´Д`)


なので、
もちろん、答えを知ろうと熟考することは非常に大切なプロセスであり、
そのプロセスなくして答えは当然来ませんが、
答えは、そのずっと先からやって来ることを、覚えておいてください

だからよく言うのですが、
リーディングとかもあまり受けない方が、
本当はいいのです

私も、必要以上に生徒さん達に言わないようにしています

不思議なことに、
人は他者から言われたことは単なる「情報」に過ぎないのに、
なぜか「絶対」になってしまうのですね

しかも、
心のどこかで期待している答えを無意識に取り上げがちです

それが、
かえって真実に直接触れることを妨げてしまうのです

それよりも、
自分自身の洞察と、
直観的な「理解」の方を信頼し、
自分自身と直接向かい合う方がいいのです

その、内なる「生(なま)」の体験こそが、
真の浄化を起こすのです

だから、
私たちは、答えがわかっていたとしても、
方法しか教えたくないのです

もちろん、
人生の中で、誰かから答えを言われたことで、
深く癒されることもあります

そんな時、その人を、もう神様♡って思っちゃいますよね(*´ω`*)

それはそれで素敵な体験です

宇宙のアレンジは様々です

恩寵もいろいろな姿で現れます

でも、
ひとたび自分自身の内なる「理解」を受け取り、
それがどれほど他を凌ぐ感動的な体験かを知り、
それがどれほど深く癒すかを知ると、
他の人もそれを体験できるようにと願うのです

自分自身と宇宙を信頼して、
ぜひ、その内側からやってくる真の答えを受け取ってください




補足2.

その4 「身体から働きかける」の補足として

ヨガも非常に有効であることを書き忘れていたので、付け加えておきます

むしろ、ヨガは身体を整え、
エネルギーが十分に通るようにして、
瞑想ができるための準備をするためのものでもあります

身体に非常に意識的になることで、
繊細な感性、センサーも発達させますし、
身体とのつながりも強めてくれます

身体の中でちゃんと生きることができる、とも言えます

現代生活を送っている人の多くが、
実は身体と遊離して生きています

その結果として、
何か不具合や異常が出てくると、
それが身体からのサインとも思わずに、
薬や西洋医学に頼って、
それが外側から来る悪いもののようにとらえ、
「悪いものは取り去れ!」とばかりに対応してしまいます

でも、身体の不具合や異常、すなわち病気は、
身体に合わない生活習慣や食べ物、環境、
魂に調和していない考え方や生き方を教えてくれているものなのです

私自身、
過去に、散々、薬や西洋医学によってボロボロにされた経験から、
そうではない生き方を学ぶことができましたが、
あまりにこっぴどくボロボロにされてしまったので、
いまだに取り返すのに非常に苦労をしています(;´Д`)

それくらい、
薬や西洋医学はかえって身体をボロボロにしてしまいかねません

さて、
そんな現代生活を送る中で、
いまやヨガも完全に浸透していますが、
霊的な「道」を歩む方は、
できればスポーツヨガや健康、美容のためのヨガではなく、
ちゃんと霊的指導もしてくれる指導者を選んだ方がいいと思います

そうであるかどうかで、
繊細なエネルギーが全く違うと思います

ヨガはアーサナという型があるものですが、
日本の伝統文化と同じように、
型の裏側にある精神性がわからなければ、
ただのヨガロボットになってしまいかねません

瞑想は、
非常に繊細なエネルギーを取り扱うものなので、
その認識のある指導者でないと、
ポイントもずれてくるでしょうし、
下手をすると繊細さを壊してしまわないとも限りません

また、気功や太極拳、西野式呼吸法なども、
同じような効果があるのだと思いますが、
これはほとんど体験がないので、
私には明確にわからない、というのが正直なところです

何か、自分に合ったいいものが見つかるといいですね

























「鋳型」の浄化方法 その6 身体に溜め込んだものを解放するその他の方法

6.「身体に溜め込んだものを解放する」
 
 ごく一般的な現代生活を送っている人々は、
 誰しも、身体の中にたくさんのネガティブなゴミを溜め込んでいます

 特に日本人は、
 言いたいことも腹に納め、
 他者を無駄に傷つけないように気を遣い、
 自分より他者を優先し、
 自分をあまり出さないことをよしとする民族ですから、
 それはそれはたくさんのものが溜め込まれています

 いい人であればあるほど、
 溜め込んでいるとも言えますが、
 だからといって、
 他者が傷つこうが何だろうが、
 言いたいことを言いまくっている人が何も溜めていないわけではなく、
 そういう人の中には処理しきれない不平不満が渦巻いている場合が多いですから、
 むしろゴミの巣窟と化しているのではないかと思います

 ゴミで窒息してしまっていて、
 他者を気遣う余地がないのですね

 自分自身はそこまでではなくても、
 他者の処理しきれないゴミまで受け取って溜め込んで、
 しんどい思いをしている人は多いのではないでしょうか

 そういった処理できずに溜め込まれたものは、
 まさにゴミ以外の何物でもなく、
 私たちの存在を濁らせてしまっています

 まずは、
 これらのゴミを掃き出して、
 身体の中をきれいにしていくことが必要になります

 そうでないと、
 それらのゴミに圧迫されるばかりで、
 「鋳型」どころか、
 自分の中を見ることさえままなりません

 そのために有効な方法をいくつか挙げておきます

 ①.OSHOの活動瞑想

    1900年代にアメリカ、インドで活躍した偉大な世界的神秘家であるOSHO(ラジニーシ)は、
    抑圧的で禁欲的な宗教の伝統のタブーを次々に破壊し、
    「生」を深く追求し、抑圧されたものを解放する必要性を強く説き、
    そのダイナミックな生命力を開放するための瞑想法を数多く作り上げました

    あまりにもたくさんのゴミで詰まっていると、
    人は静止することができず、
    坐って瞑想することができないのです

    瞑想しているつもりが、
    潜在意識から沸き起こる思考や感情に巻き込まれ、
    ただの思考のチェーンが繰り広げられる白昼夢の時間になってしまうのです

    それでもましな位で、
    ゴミでいっぱいで落ち着きがないマインドのために、
    じっと座っていることすらできない人が多いのです

    そのため、
    まずはそのゴミを吐き出し、掃き出す、
    瞑想の準備のためのパワフルな瞑想法が、
    OSHOによって作られました

    (下記の瞑想の説明は、OSHOではなく、実際に行った私個人の見解です)
    
    ・ダイナミック瞑想
       
       潜在意識の蓋を開け、強烈なカタルシスを起こし、
       下腹への刺激とジャンプでランナーズハイを起こすことによって、
       マインドを破壊していく、超パワフルな瞑想法です

       これを本当にトータルにできれば、これだけで覚醒できるほど、
       実によくできた瞑想法です
       
       1日の初め、早朝に行います

    ・クンダリーニ瞑想
       
       肉体にあるエネルギーブロックを、
       自然に起こるシェイク(野口整体で言う活元運動)によってほぐし、
       取り去っていくことと、
       その日に溜め込んだ不純物を一掃することで、
       クンダリーニのエネルギーが上昇できるようにする瞑想法です
       
       夕方の空腹時に行います
       
    ・ミスティックローズ
       
       3時間笑い続けるのを7日間、
       3時間泣き続けるのを7日間、
       3時間坐り続けるのを7日間、合計21日かけて行う瞑想法

       3時間ではなく、20分ずつやって1時間かけて行うミニ・ミスティックローズもあります

       これも半端なく強烈な浄化の起きる、超パワフルな瞑想法です
       
       21日3時間ずつ時間を作るのは大変ですが、
       一生のうち、1回はチャレンジするといいです

    ・チャクラ・ブリージング
       
       第1チャクラから第7チャクラまで、各チャクラに強烈に呼吸を入れていくことで、
       チャクラを整え、
       身体のエネルギーを上から下まで通し、
       深くグラウンディングさせてくれます

       身体のエネルギーが低下していたり、滞っている時に行うと、
       エネルギーが活性化されて高まり、非常にいい状態になれます

       肉体にしっかりと根付くことができます

       これも超パワフルな瞑想法です

       この瞑想中に、クンダリーニエネルギーが上昇した人もいました

       頭だけで考えがちな人や、肉体から遊離している人におすすめです

       

    ・ジベリッシュ 
       
       わけのわからない言葉や意味のないめちゃくちゃな言葉でわめきたてることによって、
       マインドを停止させ、溜め込まれたゴミを吐き出す瞑想法です

       終わった瞬間に訪れる静けさ、沈黙の深さがだいご味です

       日常生活から瞑想に入る時に行うといい瞑想法です


    などなど。。。

    これらの瞑想法は、非常にパワフルなので、
    私たちのリトリートでも取り入れています

    これらの瞑想、特にダイナミック瞑想は、
    霊的進化の道を歩む人には必須だと思います


    これらOSHOの活動瞑想は、
    西荻窪にある OSHO サクシン瞑想センター  http://www.sakshin.com/や、
    OSHO系のワークショップなどで体験できるので、
    ぜひ、やってみてください

 

 ②.邪気を吐く
    
    野口整体の方法で、みぞおちに溜まった邪気を吐く呼吸法です
    
    みぞおちには、たくさんのゴミが溜め込まれています

    これをよく行うと、「天心」と言って、頭がポカーンとなります
    つまり、ゴミが減って、潜在的な思考が湧きおこりにくくなります

    これはどこでも簡単に、ものの数分でできるので、
    毎日の日課におすすめです

 

 ③.スィーフィーダンス

    スーフィズム(イスラム神秘主義)における旋回瞑想(旋舞)

    ルーミーを開祖とするメヴレヴィー教団でセマーと呼んでいる、
    神と一体になるための聖なる宗教儀式です

    最初、腕を胸の前で組み、ゆっくりと回り始め、
    自分の中でいい感じ(オッケーな感じ)がしてきたら、
    腕を一旦、胸の下まで降ろし、
    そこから、頬を両手の指(手の甲側)で撫で上げます
    それを、Divine Touch といいます
    神聖なタッチ、という意味です
    そこから、右手を高く、手のひらを天に向け、
    左手を下に、手のひらを地に向けて広げ、
    回ります
    

    セマーでは、左回転(反時計回り)を基本としていますが、
    右回転も可能であり、
    それぞれに効果が違うのではないかと思います

    以前のブログでも触れてありますが、
    昨年からリトリートなどで始めたスーフィーダンスでは、
    右回転というインスピレーションを受け取ったので、
    右回転で行いました
    
    その結果はブログにも書きましたが、
    その理由はまだ私にはよくわかってはいないのですが、
    身体を調整し、軽くし、活発化させ、
    透明にしていくのに非常に大きな効果を感じられました

    直観的に感じるのは、
    右回転は物質的な側面、つまり肉体に働きかける方向性を持ち、
    ねじを右に回すと木材に入っていくように、
    大地へとしっかり結び付けていく働きがある、ということです

    下へのベクトルですね

    


同時に、右回転はエネルギーが中心に向かって集中していくように感じます

    そのため、パワーアップした状態になるのでしょうか

    チャクラも開いている正常な状態では、右回転しています

    受精卵は右回転で成長していくそうですから、
    肉体の持つ方向というのは右回転なのでしょう

    長岡式酵素玄米を作る時に、玄米を5分間右に回して混ぜるように、
    食べ物を作る際、例えば、コーヒーのミルクを混ぜる時も右回転で混ぜるようにすると、
    おいしくなることが言われているようです

    エネルギーが右回転している食べ物の方が、身体には合うようでもあります

    試しに、真水とコーヒーのエネルギーの向きを感じてみましたが、
    真水は右回転、コーヒーは左回転でした
    
    ホツマツタエでも、陽性は右回りで、陰性が左回り
    入れるのは右回りで、出す、外すのが左回りだとのことです

    そういう意味で、右回転は癒す力がある、とも言えるでしょう

    それゆえ、チベットの若返りの体操では、右回転をするのでしょう

    
    それに対して、
    左回転は霊的な側面に働きかける方向性を持ち、
    天に向かって明け渡していく働きがあるのではないか、ということです

    上へのベクトルですね


    セマーは、神とひとつになるためのものです
    
    自分を明け渡し、開放し、消え去り、
    天へと拡がり、融合していく

    神との融合によって、
    エクスタシーに酔いしれる

    ホツマツタエにあるように、
    左回転は陰性、受動的になり、
    出し、外していくエネルギー
   
    まさに、明け渡しですね

    地球も、北を上とすると、太陽に対して左回転しています(北半球)

    母なる太陽の周りを左に回る子どものように、
    地球は回っているのですね

    それゆえ、セマーは左回りという説もあります

    でも、南極から見たら、右回り(*´ω`*)
    
    どちらだけがいいとか、悪いとかではなく、
    それぞれの方向性があるということなのでしょう

    実は、
    昨夜、突然、それまで右回転でやっていたスーフィーダンスを次から左回転でやるよう、
    宇宙からサジェスチョンを受け取りました

    ちょうどリトリート中で、
    今回のヒーリングの山場も超えたところで、
    リトリートの後半は、まさにハートに向かうタイミングでもありました

    なので今日、左回転で行ってみましたが、
    確かに、ふわふわした感じで(慣れていないせいもあるのか)、
    右回転よりも速くエクスタシーを感じられました

    
    ただ、まだ断定するには早すぎるので、
    もうしばらく実際に行ってみて、様子を見ていきたいと思います
    
    
    個人的には、
    その時の状態、その時のプロセスによって、
    直観的に、もしくは身体に聞いて、
    どちらかを選びながら行っていくのがいいのではないか、と思います


    OSHOの活動瞑想にも、
    このスーフィーダンスを取り入れた「ワーリング瞑想」というのがあります


ゴミの浄化には、こういった様々な方法がありますので、
溜めたままにしておかずに、
ぜひ、行ってみてください

 
   

 

2017年1月25日水曜日

「鋳型」の浄化方法 その5 身体から働きかける

これまでの方法は、
自分の内側をよく洞察し、
ある意味、心理的側面から働きかける方法でしたが、
実は、もうひとつ、
身体から働きかける方法があります

5.「身体から働きかける」

 というのも、
 「鋳型」、もしくはカルマ、トラウマ、ブロックと称されるものは全て、
 肉体にエネルギーブロックとして刻み込まれているからです

 つまり、
 身体に現れているのです

 非常に強い緊張でこわばっていたり、
 野口整体では「硬結」という名前で呼ばれたりしていますが、
 豆粒のようなしこりのような状態になっていたり、
 身体や背骨の歪みであったり、
 そういう何かしらの形で存在しているのです

 試しに、
 自分の身体のあちこちをぐっと押したり、ぎゅっとつまんだりしてみてください

 ひどく痛いところがあると思います

 そういうところが皆、エネルギーブロックなのです

 ひどければひどいほど、
 触るだけでも痛かったりします

 普段はその痛みを感じていないのに、
 触ったり押したりすると痛い

 もっとひどくなると、感じなくなります

 ひどければひどいほど、
 小さな米粒状態になっていたり、
 かえって弛緩していたり、
 いずれも、自覚症状がなくなっていきます

 麻痺したような感じのところは、
 かなりの重症です

 特に、
 前世から持ち越しているものは、
 産まれた時からあるため、
 それが当たり前になっていて、
 自分ではその緊張に気づくことがありません

 ある程度ほどけてから初めて、
 痛みを感じ始める場合もよくあります

 心理的側面からワークしていくことは必須ですが、
 実は、
 この肉体に現れているエネルギーブロックをほどいていくという方法の方が、
 早い場合があります

 心理的に見て行くことは、
 実はかなり難しいのです

 見たくなくて蓋をしているものを見ていくわけですから、
 しかも、何十年、時として何世にも亘って持ち運んでいて、
 ある意味すっかり馴染んでいるものを変容させていくわけですから、
 心理的な抵抗がかなり大きく、
 時間もかかるので、
 洞察力としての知性、感性の成熟度だけではなく、
 感情的な成熟度や忍耐力も必要とするのです

 つまり、
 この課題に取り組んでいける人というのは、
 魂の進化がある程度進んでいる人と言わざるを得ません

 魂が若いと、なかなか難しい

 幼子にこれをやれと言ってもできないのが当たり前なのと同じです

 でも、
 ここまでこのブログを読み進めている方は、
 それができる古い魂だと思います

 そうでなければ、
 とっくに、もっとお手軽でお気楽なところに行っていると思います(*´ω`*)

 そのくらい、困難なことにトライできる魂であっても、
 一生に使える時間は限られています

 心理的アプローチと同時に、
 肉体からのアプローチをしていくことが、
 より速い結果をもたらします

 
 肉体からのアプローチとしては、
 痛いところを自分でほぐしていったり、
 ヒーリングや整体などを受ける方法があります

 自分でやるやり方は、
 文章で伝えるのは難しいので、
 聞きにいらしてくださると、お伝えできるのですが・・・

 ヒーリングも、
 エネルギー的な働きかけだけではなく、
 ちゃんと肉体にも働きかけてくれる方が、
 体験的に有効であると思います

 エネルギー的な働きかけで、
 エネルギー体にあるブロックを解消していく方法も有効ですが、
 これはヒーラーの度量に大きく関わってきます

 昨今流行っているような、
 エネルギーを降ろしてもらうだけでヒーラーになれるようなものは、
 私はあまり信用していません

 自分でやってみてわかりますが、
 ヒーラー自身の状態というのが、大きく影響を与えるからです

 私も、修行中に何度か、
 巷のヒーラーと称する人たちのヒーリングを受けたことがありましたが、
 ほとんどの場合、
 受けている私の方がヒーラーさんをヒーリングしてしまうという事態が起こりました

 その頃は、私自身まだ全くヒーリングを習ってもいない頃でしたが、
 そういう事が起こってしまうのです

 日々瞑想や自己洞察をしていくだけで、
 エネルギー状態が良くなっていくからなのです

 あまりにしんどくてどうしようもなかったり、
 知人に紹介されたりして何人かのヒーラーさんのヒーリングを受けましたが、
 その度に、
 いつも受けていたカタールのディープヒーリングとのあまりの違いに驚いたものです

 なので、
 瞑想や自己洞察、自己浄化をろくにしていない人のヒーリングを受けるのは、
 あまりお勧めしません 

 2000年代になって、
 星の数ほどのヒーラーやリーディングを行う人が誕生しましたが、
 その中の一体どれくらいの人が、
 日々瞑想をし、日々自己浄化に励んでいることでしょう

 もちろん、それでも中には本物のヒーラーさんも数多くいると思います

 その辺をよく見極めて、
 ヒーリングを受けられるといいと思います

 私がカタールからディープヒーリングを習おうと思ったのも、
 実は、瞑想を教えていこうと思ってからなのです

 それまでは、自分がヒーラーになることなど、
 全く思ってもいませんでした

 でも、自分自身の体験から、
 瞑想と自己洞察だけではなく、
 ヒーリングや野口整体を受けたことが、
 進化を速めてくれたことをかなり実感していたため、
 トータルに進化の手助けができれば、と思い、
 ディープヒーリングを習い始めたのです

 ディープヒーリングの良いところは、
 エネルギー的にも肉体的にも働きかけるところです

 エネルギー的にやって、なんとなくヒーリングした気になるのではなく、
 実際に肉体が変わり、
 エネルギーも変わっていくのをその場で実感できるのです

 もちろん、
 肉体の変化だけわかる、というのでも片手落ちです

 肉体の状態と、エネルギーの状態の両方がわかる方が、
 より有効です
 
 そして、
 ヒーラー自身がその状態をしっかりとわかっている、ということが重要です

 もちろん、
 何もわかっていなくても、ヒーリングは起こります

 そこに「愛」があれば、
 家族でも友人同士でも、
 ヒーリングは起こせます

 つまるところ、
 ヒーリングは「愛」だからです(*´ω`*)

 ということで、
 自己浄化の基本は、
 やっぱり「愛」ということで(*´ω`*)

 「愛」を持って、
 自分と向かい合っていきましょう♪

 

 
 

 
 
 

 

 

2017年1月24日火曜日

「鋳型」の浄化方法 その4 いよいよ具体的な方法

「鋳型」がどういうものか、
また、それを浄化していく必要性について、
今までのブログで書いてきました

ようやく、
その具体的な浄化方法について書いていきたいと思います(*´ω`*)

まず、
浄化していくタイミングですが、
これは、
実人生の中で何かが起こり、
その「感覚」が浮上してきた時がその時です

実際にその嫌な「感覚」が出てくると、
人は無意識にそれから逃れようとしてしまいます

でも、その時こそが、
まさに浄化のための最高のタイミングなのです!

それを逃さないようにしてください

それが浮上してきていない時は、する必要はありません

楽しい時は、ただ楽しんでください

普通の時は、ただ普通でいてください

『存在』が、
その人にとってベストのタイミングで、
たっぷりとスパイスを効かせて(*´ω`*)、
それを起こしてくれます

では、具体的な方法に入っていきましょう♪

1.「その「感覚」に焦点を合わせる」

 まず、実際に何が起こっているのか、
 できるだけ俯瞰的に見れるといいですね

 たとえば、誰かがあなたの「地雷を踏んだ」時や、
 誰かがあなたに怒ったり批判したり、何かネガティブなエネルギーを投げつけてきた時、
 誰かに拒絶されたと感じた時、
 ひとりぼっちの時、
 etc.etc....
 あなたにとっての「鋳型」と思える「感覚」を引き起こされた時、
 人はすぐに防御態勢か、防御のための攻撃態勢に入ってしまいます
 
 そして、いつもの無意識な「反応」を返してしまいます

 慣れない頃は、その「反応」を止めることはできないでしょう

 あなたは、相手に向かって言い返してる自分に気づいたり、
 怒って拗ねたり、
 泣き叫んだり、
 頭や心の中で、言い訳や相手への攻撃を繰り返したりしている自分に気づきます

 否応なく「反応」に巻き込まれてしまった時は、
 後で少し冷静になった時に、
 実際には何が起きたのか、クリアに見ていきましょう

 そして、何より重要なのは、
 自分自身が本当に感じていたのは何なのか、
 明確に知ることです

 その時、あなたは怒ったかもしれない
 でも、本当は悲しかったのかもしれません

 その時、あなたは一生懸命言い訳を述べ立てたかもしれない
 でも、本当は傷ついた自分を認められなかったのかもしれません

 その時、
 あなたの内奥の、柔らかな部分が、
 本当は何を感じていたのかを、
 よく調べてみてください

 それは、一時的な感情に覆い隠されているかもしれません

 でも、「鋳型」と言えるものは、感情というより、
 もっと長い間続く「感覚」であることが多いと思います

 それを見出したら、
 その時の状況や相手のことは脇において、
 その「感覚」に焦点を合わせてください

2.「なぜ、私はこう感じたのか?と自分の奥深くに問いかけていく」

 その「感覚」に焦点を合わせることができたら、
 次に取る方法は、
 大きく分けて2つあります

 まず、そのひとつは、
 「なぜ、私はこう感じたのか?」
 「なぜ、私はこう感じているのか?」
 「この感覚の大元は何なのか?」と、
 自分自身の中に深く問いかけていくことです

 これは、「感覚」に辿り着く前の、感情に対しても使うことができます
 
 「なぜ、私は怒ったのだろう?」
 「なぜ、私は痛かったのだろう?」
 
 そうやって問いかけていくことで、
 最終的なその「感覚」に辿り着くことができます

 それは、自分の中で明白にわかります

 「ああ、これだったんだ」と

 もし、わからない場合は、
 頭だけで問いかけている時です

 頭で考えるのではなく、
 ハートの奥に杭を打ち込むような感じで、
 「なぜ?」「なぜ?」と問いかけるのです

 全身の感覚を感じてみてください

 時に、身体の痛みとして感じている場合もあります

 意識が、その「感覚」を感じることを拒絶していると、
 直接にハートの中の「感覚」として感じられない場合もあるのです

 また、ハートが閉じてしまっていると、
 かなりわかりづらいと思います

 どうしてもわからない場合は、
 まず、ハートを開いていくことから始めていきましょう

 ハートに呼吸をいっぱい入れて、
 ハートに手を当て、そこを感じていきます
 そして、
 そこで感じていることを自分に許していきましょう
 
 ハートを開いていくことは時間がかかります
 時間をかけて、ゆっくりと少しずつ、
 自分のハートとのつながりを取り戻していきましょう



 もう一段深く、自分の心理の仕組みを知るために、
 もっと具体的に問いかけの方法を取ることもあります

 A:具体的な状況や相手の言葉など    B:それに対する自分の反応
 「なぜ、Aに対して、自分はBという反応を起こしたのか?」
 →「Aに対して、こう思った、こう感じたから」
 →「なぜ、Aに対して、こう思ったのか?こう感じたのか?」
 というように、
 どんどんと掘り下げていくのです

 Aに対してBの反応を取るのは、自分にとっては当たり前のことと感じますが、
 必ずしも、全員がそう反応するとは限らないのです

 そうやって掘り下げて行くことで、
 自分の潜在意識の構成を知っていくことができます

 いわばコンピューターのプログラムのように、
 Aというインプットに対しては、Bというアウトプットをする
 Cというインプットに対しては、Dというアウトプットをする
 というそのプログラミングについて、熟知していくのです

 それによって、「反応」との距離がなかった人も、
 そこに距離を持ち、「反応」に巻き込まれることが減っていきます

 ただし、これは「知」の人にとってはやりやすいでしょうが、
 感覚的なタイプの人や、「愛」の人にはやりにくいと思います

 それでも、やってみる必要はあります


 重要なことは、
 いずれにしても、その問いかけの答えは、1足す1は2、2足す1は3、というように、
 頭の中で考えて段階式に出てくるものではない、ということを覚えておいてください

 ある意味、唐突に「理解」がやってきます


 たとえば、私の場合、寝る前にその「感覚」に開いて、
 「なぜ?!」と深く強く、問いかけていきます
 ハートの奥底に、まさに「なぜ?」という杭を打ち込むようにです
 「何を学ばなければならないのか?」と問う場合もあります
 「大元は何?」と問う場合もあります
 すると、
 大抵は明け方にふっと目が覚めて、
 突然「理解」がやってくるのです

 何か、全く別の、日常の些細なことをやっている時に来る場合もあります

 このように、突然「理解」がやって来る場合、
 同時に大きな浄化が起こり、解放されます

 多くの場合、慟哭の涙が、やがて感謝の涙に変わります

 深く溜め込まれたものが浄化され、解放される時、
 涙となって溶けて出るのです

 これがまさに「恩寵」です

 人が本当に真摯に、全身全霊で自分に問いかける時、
 この「恩寵」は必ず介入してきます

 人が全身全霊で何かを成すということは、
 すでに魂とのつながりの中で成しているからです

 頭だけでやらないでください

 やっているつもりでも、
 自分の中に「逃げ」がある場合があります

 その「逃げ」を作る余裕もないほど、追い込まれないと、
 なかなか人は全身全霊にはなれません

 そこもよく、自分で見てください



3.「感じきる」

 もうひとつの方法は、
 その「感覚」を感じきる、という方法です

 トータルに感じる

 完全に、その「感覚」に開く

 その「感覚」の中に飛び込む

 100%、感じきるのです

 
 通常、その「感覚」は嫌なもの、不快なものですから、
 人は無意識にセーブしています

 身体をぐっと緊張させ、
 その「感覚」ができるだけ出てこないようにするのです

 実は、何かが起こった時に、
 相手や状況に意識が向くのも、
 この「感覚」から目を逸らせるためなのです

 なので、
 意識を他に向けず、
 「感覚」に集中して、それを完全に開くのです

 出し切るのです

 100%感じきれた瞬間、
 膨大な浄化が起こります

 それは完全に解放されるのです

 実は、
 これは神と出逢う手段でもあるのです

 本当に100%その「感覚」に開けた瞬間、
 神とともにいるのを体験するのです

 ずっと、神に見守られていたこと、
 ずっと、神に抱きかかえられていたこと、
 ずっと、神に愛されていたこと

 それを知ります

 その一瞬前まで、あなたは苦しみの中にいたはずなのに、
 その次の瞬間、あなたは歓びと感謝に身体を打ちふるわせているのです

 
 だから、実は、
 「鋳型」とは、神に至るひとつの通路でもあるのです

 あなたが苦しんでいる時、
 あなたが痛みに耐えかねている時、
 実は、あなたは限りなく神に近いところにいるのです

 その痛みを突き抜けた時、
 あなたは神とともにあります

 
 この、「感じきる」という方法は、
 ネガティブな感情にも使います

 たとえば怒りを感じた時、
 内側でその怒りを感じきってみてください

 外側に出してぶつけるのではなく、
 内側でぼわっと、そのエネルギーを完全に放出するのです

 気持ちいいですよ~♪

 怒りのエネルギーは本当に美しい

 まさに、不動明王の怒りですね

 100%怒りを感じきれたら、
 その瞬間、そのエネルギーは歓びのエネルギーに変わります

 怒りは、純粋なエネルギーなのです

 怒りも歓びも、表裏一体の純粋なエネルギーなのです

 でも、
 妬みやそねみ、恨みつらみは純粋なエネルギー状態とは言えません

 怒りや悲しみがねじくれて内向した状態です

 怒りはいけないもの、と抑圧することで内向し、
 澱み、ドロドロの粘ったエネルギーになります

 そういうエネルギーは、一旦、純粋なエネルギーに転換してから、
 感じきりましょう

 その場合も、
 「なぜ、私はねたんでいるの?」
 「このねたみの大元は?」
 「私が本当に感じているのは?」と問いかけることです

  
 内側を抑圧して内向したゴミでいっぱいにすると、
 病気にもなるし、
 無意識にそのゴミを周りにまき散らしてしまいます

 それを受けた人がまた別の人に・・・と、悪循環が起こります

 スピリチュアルを自称する人でも、
 そこに無意識な人が多すぎます

 抑圧するのはいけないからと、
 人に出しまくる人が多過ぎます

 それは、大いなる勘違いです

 感情そのものは、何も悪いものではなく、
 人生を豊かにするために人に贈られた贈り物でもあります

 内側でそれを感じきること

 その時、あなたのその感情の表現は、
 美しさを伴います


4:「身体から働きかける」

 次回に続きます

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 
 

 


2017年1月23日月曜日

なぜ「鋳型」を浄化しなければならないのか

「鋳型」とは、
カルマ、トラウマ、ブロックなどと言うこともありますが、
むしろ、
この二元の世界において、どういう体験を通して、
どういうカルマやトラウマ、ブロックを形成していくか、
その大元になっているようなものとも言えます

それは、
どういう外側の体験をするか、というより、
むしろ、
それらの体験を通して、
どういう「感覚」を常に体験し続けるか、というものです

つまり、
例えば、
人に否定されたり、怒られたり、愛されなかったり、
そういった様々な体験を通して、
いつもいつも体験する内側の「感覚」、
「悲しみ」だったり「孤独感」だったり「罪悪感」だったり「恐怖感」だったり、
その、何かいつもいつも繰り返し浮上してくる「感覚」

内側を非常に注意深く見ていけば、
表面に明確に現れていない時でも、
それは根底でずっと流れている、
もしくは、
全てがそれに色づけられていることがわかります

たとえ成功した体験でも、
何かうれしかった体験でも、
最終的にそれを突き付けられる

あるいは、その裏側に潜んでいる

人生を通して、
ずっと付き纏っている、ある「感覚」

全ての体験が、
それに象られていく

それゆえに、「鋳型」と呼んでいるのです

それは、
内側の観察を本当に繊細に深く見ていかなければわからないかもしれません

あるいは、
二元を超えて初めて、
その姿を捉えられるのかもしれません

それは、水槽の中の金魚が、
水の外に出て初めて、
水が何かを知るようなものです

でも、
きっと誰しもがなんとなく思い当たることがあるのではないでしょうか?

それは、
私たちをこの地上に、
この二元の次元に引っ張り続ける力です

どんなに瞑想で深い境地に達しても、
この「鋳型」を浄化していかなければ、
結局私たちはこの次元にフックされてしまい、
人間の社会に戻ったとたん、
それを突き付けられてしまうのです

私自身の体験、
また、周りの悟りの体験をした人達の体験から、
悟りが自動的にマジカルにこの「鋳型」を全てきれいに消滅させることはない、
ということがわかりました

悟れば何の問題もなくなる、というのは、
誇大化されたイメージに過ぎません

もしくは、悟りに誘うための「方便」ですね(*´ω`*)

もちろん、
ある程度の浄化は自然に起こりますが、
ほとんどの場合、
「鋳型」は「鋳型」として残ります

その「悟り」という誇大イメージに自ら縛られ、
「私は悟ったのだから完全にオッケー」と、見て見ぬふりをしたり、
「私はいない。全てはただ起こっているだけ」と信じ込み、
結局、それに振り回されていても気づかないふりをしたりしている人もいます

悟っても、
顔のシミが突然全部消えないように、
身長が突然変わらないように、
人間存在としての私たちはほぼほぼそのままで残っているのです

というのも、
実は、
「悟り」とは、人間存在としての次元とは全く違う次元を「知る」だけのことなのです

悟った人は、
悟った瞬間、
真の「私」とは、人間としての私とは何の関係もないところのものだと知ります

それは、
映画館で映画を観ている人が、
それまではスクリーンの上の主人公に自己同一化して、
主人公になりきっていたのが、
突然、
ハッと、自分は座席で観ている人だと、思い出したようなものです

座席で映画を観ている人は、
スクリーンに触れることはできても、
その上に映し出されている主人公の本当の姿に触れることはできません

それくらい、
かけ離れているのです

ただ、映画と違うところは、
私たちは同時に人間としても生きている、というところなのです

私たちは実際に、
その映画の主人公も演じているのです

突然、ハッと思い出した人が、
「おおう!こっちが本当の私だった!」とわかっても、
映画の主人公はそのままのキャラで演じ続けています

3枚目キャラが、突然イケメンキャラに変わっていることはないのです(*´ω`*)

そして、
そのスクリーンの中にまたまた放り込まれ、
相変わらずのキャラの主人公としての自分に気づくわけです

「おっとっと、こっちの私としても生きなくっちゃならなかった!」という訳なのです

「あれ?おっかしーなー?悟ったら、聖人君子とか傷つかないスーパーマンみたいになるんじゃね?」
とかぶつぶつ言いながら、
相変わらずの自分もそこにいる訳なのです

悟っても肉体の形が変わらないように、
マインドの癖や精神性、反応の仕方など、
その機能はそれほど変化せず残るのです

人間存在というのは本当に不思議な存在で、
人間の次元と、それを超えたる次元とを同時に生きている存在なのです

それは、人間として肉体を持って生きている限り、
逃れることはできません

ただ、
本当の自分を知った人は、
より、その人間としての人生を誠実に真摯に生きようとするでしょう

より、自分に向かい合い、
より、深く知ろうとするでしょう

でも、そこに、深刻さや執着はなくなるでしょう

本当の自分を体験するということは、
何か、宇宙の叡智、
もしくは「真・善・美」がインストールされるようなものなのです

人間であろうと、魂であろうと、
自分が自分であることに責任を持って生きるようになるのです

神と一体になった人は、
より自分の面倒を見、より自分の責任を持ちます

それは、
母親が自分の産んだ子どもの面倒を見、責任を持つのと同じです

自分に対しても、
愛着ではなく、愛を持つようになるのです

よく、
悟りを求めて来る人の中に、
「自分から逃れたい」という欲求があるのがわかります

自分の内側に苦しみがある
それから逃れたい

マインドから逃れたい、エゴから逃れたい、
つまるところ、
自分自身から逃れ出したいのです

それが悟りへのモチベーションになっていることがよくあります

それはそれで、入口として悪いことではありません

でも、
「あなたはあなたから逃れることはできない」
それが真実です

多くの場合、問題なのは「あなたがあなた」だからなのではなく、
「あなたが自分から逃れようとしている」ことなのです

その問題に立ち向かえるのは、
あなただけです

あなたの中に苦しみがあるなら、
それを取り除けるのはあなただけなのです

あなたが心底で望んでいることは、
あなた自身に見てもらうことなのです

あなたがあなたを受け取ることなのです


だからこそ、
私たちの中には「鋳型」があるのかもしれません

だって、よく見てください

「こんな人生もう嫌だ!」「こんな自分、嫌い・・・」とか本気で思いながらも、
誰だって、そういう自分の人生のストーリーにどれだけの愛着を持っているか

不幸な出来事も、いや、もしかすると不幸であればあるほど、
その人生を手放したくない

自殺は本当の意味での人生を手放すことであるとは思えません

本当に「自分の人生」を手放せたら、
「死ぬ」ことに何の意味もなくなります

自殺は、「幸せに生きる」ことへの絶望なのではないでしょうか
その裏には、激しく狂おしい「幸せに生きる」ことへの渇望、
もしくは期待があるのではないかと思うのです

絶望した時、
「死」に向かうか、
「悟り」に向かうか・・・

大きな分岐点ですね

私ももちろん、
「悟り」に向かった口です(*´ω`*)

話しは逸れましたが、
誰だって、自分の人生を手放したくはないんです

なぜでしょう?

執着?

いいえ、いいえ、
それを「生き切りたい」からです

もし今、誰か幸せで裕福な神様(名前を持った神々)が現れて、
「よし、それでは私の人生と取り替えてあげよう」と言ってきたらどうしますか?

心の深くは何と言いますか?

「ノー!結構です!」
そう、言いませんか?

「私の人生がいいです!」
そう、言いませんか?

そう、私たちは、人間としても「生き切りたい」のです

完結したいのです

完結して、人間を卒業したいのです

そのために、
「鋳型」があり、
その「鋳型」を自分の努力で浄化していくこと

この、「鋳型」を完全に浄化した時が、
最終的なエンライトと言えるのかもしれません

長かった映画も、ようやく「めでたし、めでたし」と、「完」結するのです

私たちは、「Oh! My life is so great!!」と、
充足の声を上げて、万歳をしたいのです

OSHOの言う、「生は祝祭」ですね♪

誰しもが、本当はそれを目指しているのではないでしょうか


違う角度から言えば、
「鋳型」とはこの地上に受肉するためのある種のアンカーのようなものでもあり、
人間として生きる以上、
なんらかの「鋳型」を必要とするとも言えます

なので、「鋳型」が完全に解消されれば、
もう肉体を持っている必要はなくなります

つまり、人間でいる必要がなくなるのです

もし、
来世再び人間として産まれて来たくないのであれば、
つまり、
本当に輪廻から脱したいのであれば、
人間を卒業したいのであれば、
「鋳型」を完全に解消する必要があります

そのためには、
単なるポジティブシンキングではダメです

それは、
道の初めは有効ですが、
叡智につながっていないポジティブシンキングでは、
かえって事の真相から目を逸らしてしまいかねません

繊細な感性と知性を磨き、成熟させ、
誠実に正直に真摯に自分と向き合い、
深くそれを探究し、洞察し、
愛と慈悲をもって、
「鋳型」を解放していかなければなりません

それは、本当に大変なワークではありますが、
でも、実は、あなたが一人でそれをやらなくてはならない、ということではないのです

あなたが真摯で誠実で、真剣である時、
必ず恩寵が助けとして働きます

もちろん、あなた自身の努力がベースですが、
たくさんの存在が、
たくさんの形で、
それを助けてくれるのです

そして、それを成す時、
もはやあなたはあなたの人生に振り回されているのではなく、
本当の意味であなたの人生の舵を取り始めているのです

そこに向けて、
共にがんばりましょう!