下記に、原稿を貼っておきますので、
ご参照ください
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悟りのための教え、覚醒のための教えである「トータル・パス」の教えの概要について、
「魂への聖なる道」と題して、
このyoutubeの場をお借りして、
少しずつお伝えしていっているシリーズです
今日は、第8章「5ステート」の第3話、「内側の世界」になります
パートナーさんの原稿を待っていたら、なんと半年以上過ぎてしまいました
大変お待たせして申し訳ありませんでした
その間に、3年間私たちを束縛していた社会的現象も変化を迎え、
新しい時代への価値観の転換もいろいろ身近に感じられるようになってきました
もう、目に見える形で変わってきたともいえますね
皆さんの多くも感じられていることと思いますが、
第2次世界大戦後の高度成長期時代から、バブルを経て、令和の時代に移行する間、世間一般的に重要視されてきた、物質的な豊かさやお金、権力を得ることが成功、勝ち組だという価値観、それを今ちょっと思い浮かべて感じてみてください
何か、ものすごく古―い感じがしませんか?
本当に前時代的ですよね
今の自分が感じている感覚からしたら、一体、何に今まで囚われていたんだろう、って、悪夢から目が覚めたような感じがしていませんか?
まあ、私たちの場合は、20年以上前に真剣に霊的進化の道に入った段階で、それらでは本当に幸せになることはできないということを体験的にすでに思い知らされていて、だからこそ、真の幸せを目指して霊的進化の道に入ったわけですけれども、社会全体での価値観はそれらに支配されていたと言えますよね
でも、それが完全に目に見えて変わってきたのを感じます
まだまだ、惰性で囚われ続けている人も多いとは思いますし、慣習的にそう思ってしまう事も多々あるとは思いますが、
エネルギー的にはもうすでに転換が完全に終わっていて、今年はこっち側にすでにかなり進んできているって感じます
この数年間は、まず、止まっていた車のエンジンをかけて、ギアをローに入れて、って感じで、いよいよアクセルを踏んで車が動き出した、って感じですね
ぐんぐん、加速されていますね
5月に梅雨入り、6月に台風が次々に押し寄せてきたり、豪雨が続いているのも、とても象徴的ですね
肉体も、それに向けてエネルギー調整されつつあり、
理由のない体調不良が続いていたり、大病をして大きなカルマ落としをされた方も多いのではないかと思います
台風の被害も心配ではありますが、雨や風は邪気を祓ってくれます
龍神の働きとも言えますね
災害に合われた方々の事は本当に心配ではありますが、
雨や風に、たくさんの古いものを祓ってもらいましょう
もし、台風や地震などの災害を怖いと感じられている方がいらしたら、
その恐れを、嫌だ嫌だ、怖い怖いと、嫌がる恐れではなくて、畏怖の畏の畏れに変容させてみてください
私たちの体が異常になると熱を出したり、身体にとって危険なものが入ってくれば吐いたり下痢になったりして排泄するように、生命体としての地球も、自浄力を持っています
私たち人間の利己的な欲望のエネルギーや、ネガティブなマインドのエネルギーが蓄積すれば、当然、それらを祓い清めようとするでしょう
それを防ぐためには、やはり私たちが地球や自然に対して、畏怖の心を忘れずに、それらとひとつになって、感謝を捧げることしかありません
実は、ちょっと前の話になりますが、GWのリトリート期間、ここ、伊豆地方は地震の危険が非常に高まっていました
公私含めていろいろな方面の方々が、口を揃えて5月3日に伊豆地方に大地震が起こるという警告を発していました
まさにその3日の朝に、リトリートのワークの一つとして、海にアーシングしに行ったのですが、驚いたことに、浜辺にウミガメの遺骸がうちあげられていました
伊豆でウミガメを見るのは初めてでしたが、これはまさに地震の前兆だろうと思い、アーシングをした時に、地鎮もしてきたんですね
地鎮って、地を鎮めると書きますが、鎮めるといっても、何か悪いものを封印したり、荒ぶるものを鎮めようとするといった意味合いのものでは全くありません
むしろ、地というのは、本来の姿はおのずと全てと調和しているものです
私が行った地鎮というのは、ただ、地とつながり、その偉大なエネルギーに包まれて、その聖なるハートのエネルギーに満たされて、その意図にただただ感謝を捧げる、といったものでした
それこそが祈りです
私は、これが一番だと思っています
人間のマインドで、汚れた大地を清めてあげようとか、歪んだエネルギーを元に戻してあげようとか思う事自体が傲慢であり、私たちはただただその偉大なエネルギーの中で生かされているちっぽけなものだということを知り、ただただ感謝する、という方が、本来のバランスを取り戻し、調和を生み出すと思っています
そんな事わからなくても、ただ、淡々と浜辺のゴミを拾ったり、神社とかでも落ちた葉っぱを掃き清めたりするだけの方が、変な光やエネルギーをおろしてみたり、浄化しようという傲慢なマインドで何か儀式したりするより、よっぽど本当にその場を清める力は強いと思います
そんな風にして、ただただ自然に、満ち溢れる感謝を捧げた結果、そのおかげかどうかはわかりませんし、因果関係があるのかどうかもわかりませんが、伊豆地方での地震は起こりませんでした
そのように地球とつながって感謝を捧げる事を、ぜひ皆さんにもやってみていただきたいと思います
それでも心配な方は、家や地域に意識の結界をはっておくといいですね
さて、この半年の間に、パートナーさんの教えも一段と進み、具体的な言語化も進んできたようです
楽しみですね
それでは、本題に入っていきましょう
前回は、外側の世界について、お話ししましたね
外側の世界は「諸行無常」で「一切皆苦」です
常に物事は移ろいます
この理により、この世界には「不変」が存在しません
不変が存在しないため、私たちは、絶対的正義、つまり、変わることのない正義を持つことができず、
そのため個人個人の正義が生まれてしまい、これによって、人は自分の正義を貫くため、自分のアイデンティティを守るため争うことになります
そして、問題なのは、人はみな自分が正しいと思っているということなのですね
自分の正義、これはその人にとって、曲げることのできないルールです
もし、これを曲げてしまったら、その人は自分の正義に反することを行うことになり、それは絶対的な自己の否定となり、存在する指針を失ってしまいます
だからこそ、人は、この自分の正義を貫こうとするのです
つまり、自分を立証するために、人は自分の正義を貫こうとするんですね
これが私たちが生きている世界です
そして、こんな世界の現状に気がついた、ほんの一部の人々、この世界というのが、生きることが苦しい場所なんだと気がついた人々が、ここから抜け出す方法を探し始め、模索し始めました
この行為を私たちは「探究」と呼びます
この探究は、大きく2つの方向にその意識が向けられました
一方がこの我々が住む世界です
この世界の有り様を客観的に感じ見ることが、この世界の何が苦しみを生み出しているのかの探究が始まります
その概要は前回お話したことが、その骨子となります
これと並行して、もうひとつの方向に私たちの意識は向きます
私たちの内側で何が起こっているのか?
何故私たちは苦しいと、悲しいと感じるのかを探究し始めます
この内側の世界のことを、私たちは「エネルギーの世界」と表現します
外側が物質の世界であるなら、内側は物質として顕現していない世界です
この物質として顕現していないものを「エネルギー」と呼ぶことにしたのです
私たちが言うエネルギーの世界、その中でも特に注目し、探究するのが私たち自身です
貴方には「思考」や「感情」、「記憶」や「判断」、2つ以上の物事を比較し何が良いか選ぶ事ができます
これらは物質でしょうか? 物として思考を手に持つ事ができるでしょうか?
貴方の記憶を物質として取り出し、お皿に乗せることはできるでしょうか?
感情や判断は? 貴方の意識は? 意思は?
神の愛の側面である「最愛なる者」が与えてくれる暖かな充足した感覚は?
この様な物を私たちはエネルギーと表現します
そして、肉体とは別にある、貴方のエネルギーの身体も、ですね
これを読んでいる現在のあなたは、おそらく内側の世界やエネルギーの身体をまだはっきり認識する事ができないでしょう
これが、覚醒に向かう上で一番厄介な問題となります
物質、例えばボールでも犬でも、あなたはそれを見たり触ったりすることで認識できます
「ほら、あそこにいる毛の生えた4本足でワンワン吠えているのが犬だよ」と示されて、「あ~あれが犬なんだ」と認識できます
では、エネルギーの世界はどうでしょう
実際あなたはエネルギーの身体を持っています
というか、あなたがエネルギーの身体なのですが、私たちは「犬」のようにそれを指差し、これがそうですと指し示すことが出きません
なぜなら、それは物質ではなく目に見えないエネルギーだからです
しかし、たしかにそこにはエネルギーの身体が存在します
例えば輪廻転生が本当にあるなら、肉体が滅しても、そこには肉体から離脱したあなたが存在しているはずで、その肉体から離脱したあなたが、受肉して新たな生を生きるのですから
この肉体から離脱したあなたのことを、正確にはそのより純粋なエネルギーですが、それを日本では「魂」と呼びます
あなたは、肉体とおなじようにエネルギーの身体を持っています
正確にはエネルギーの身体そのものとして、あなたは存在しています
ですが、これは確かなメソッドに基づいてワークしたとき、初めてそれを体験として認識できるものです
イメージや空想ではなく「体験」として、ですね
さて、ここでは、まずエネルギーの身体があることを理解しましょう
あなたの「喜び」は物質ですか? あなたの「苦しみ」は物質ですか?
私たちは以前「5つの状態」5ステートについて話しました
肉体、思考に無意識に巻き込まれている状態、感情に無意識に巻き込まれている状態、知性に無意識に巻き込まれている状態、純粋な状態
これらは、肉体以外はすべてエネルギーの状態についての話です
よって、覚醒のワークに入る最初は、この「エネルギーの身体として(私)」を認識、つまり「エネルギーの身体として(私)」を体験することからスタートし、エネルギーの身体を認識し体験することで初めて覚醒のワークが始まります
それでは、肉体以外のエネルギーやエネルギーの身体について、お話ししていきましょう
まず、肉体の内側の層として、エネルギーの身体があり、それは肉体をエネルギーの側面として感じた時に認識体験できるもので、それがあなたのエネルギーの身体です
肉体と同じように手、足、胴体、頭があります
では、あなたの苦しみはどこに存在しているのでしょう?
あなたの喜びはどこに存在しているのでしょう? あなたの思考は?
思考とは、何でしょう?
思考とはあなたが描き続ける動画と感情の混合物です
わかりやすく例えるなら、You Tubeのような動画とそれを見たときのあなたの感情です
動画と感情が流れ続けている状態を「思考」と言い、あなたは自分の頭の中で動画を流し、それに怒ったり、喜んだりして、さらに続きの動画を流し、またそれに怒ったり喜んだりします
ちなみにこの怒ったり、悲しんだりが「感情です」
また、あなたはこれらの映像を見ながら、比較や判断をしています
こっちに行ったほうが近道だとか、これをあげたらあとでお礼がもらえるとか、比較や判断をしています
あなたのエネルギーの身体の内側には、思考という映像の流れがあり、それに反応する喜怒哀楽の感情が存在し、喜怒哀楽を生み出す比較検討を行う知性が存在します
例えば、あなたは「箱に入ったイチゴ」が減っていく映像を見ているとしましょう
するとこのままではなくなってしまうという判断がはいり、1個も食べる前になくなるのは嫌だと言う感情が起こり、無くなる前にイチゴを食べたいという欲求が生じます
さて、これらの欲求は誰がしているのでしょうか?
エネルギー体の中には、もちろん、それら映像を見ている者であり、比較検討し判断している者であり、欲している者である「あなた」が存在します
この「あなた」が、この思考や感情や知性の動きと欲求体験している本体であり、あなた自身です
そこには、「イチゴが好き」なあなたが、必ず存在します
そして、もう一つ、エネルギー体の中には「記憶」が存在します
実際には、エネルギー体の中にはもっと色々なものが存在します
例えば「気」と言われるものや「オーラ」やなんやら、色々とありますが、我々が覚醒を目指す上で主に必要となるのは、エネルギーの身体、エネルギーのあなた自身、思考、感情、比較判断(知性)と欲求(欲望)です
そして『最愛なるもの』です
『最愛なるもの』も、もちろんエネルギーです
そして、最初の話に戻りますが、このエネルギーは、物質のように指し示して教えることができません
よって、覚醒のワークを進めるためには、今話したようなことの知識と「理解」が必要になります
あなたに「知識」と「理解」がなければ、あなたはそれに触れることも体験することもできないでしょう
正確にはあなたはそれを体験しているのですが、知識がないため、それに意識的になれず、気づくことすらできません
あなたが「知識」と「理解」を得たなら、自分自身の内側で、その知識や理解と同じものに気が付かなければなりません
そして、あなたがそれに「気がついた」時、あなたは初めてそれを「意識的に体験」することができるのです
「知識(理解)」「気づき」「体験」が揃って初めて、あなたは内側の何かを知り始めるのです
さて、以上がパートナーさんからの原稿となりますが、ここでひとつ補足をさせていただきますね
この第3話「内側の世界」の中では、エネルギー体と、その中で起こっている思考や感情、比較判断、理解や気づき、そして意識的な体験、それら全てを「内側」としていますが、それは、ひとつは霊的進化の道を歩み始めたばかりの人たちにわかりやすくお伝えするためで、それまで「外側の世界」にしか目が向いてこなかった人たちが、霊的に進化していくためには「内側の世界」に目を向けていくことが必要だということ、そしてもうひとつは、この5ステートの教えにおいては、エネルギー体の内容物である思考や感情、比較判断などに気づいていくことが必須であるために、これら一切含めて「内側」としてお伝えしています
ここでは言及しませんでしたが、ここでいう「内側」には、呼吸や肉体のエネルギー状態、
例えば、瞑想が深まっていく時のエネルギーの状態の変化、緊張やざわざわ落ち着きのない状態からゆったりと落ち着いた静かな状態への変化、そして、何も動かない完全な沈黙の状態への変化、今風に言えば、脳波がβ波からα波に変わり、θ波になり、Δ波になるなど、あるいはその振動数という言葉でもいいですね
あるいは、ハートの中の痛みが薄れ、至福のエネルギーで満たされていく、など、内側のエネルギー状態も含まれています
また、そわそわする感じや不快な感じ、ざらつく感じなど、身体の内側に起こる痛みや身体的な感覚なども含まれます
余談になりますが、これらを繊細に感じ取っていく感受性を磨いていくことも、ワークの重要なポイントになります
自分のエネルギー体で何が起こっているのか、それを微細に詳細に見て、気づいていく力ですね
何時間も何年も瞑想していても、この力が培われていなければ、どこに到達することもできません
で、話は戻りますが、これらは、いわば、広義の意味での「内側」ですね
違う言い方をすれば、「内側の外側」です
というのも、「トータル・パス」の教えに深く入るにつれ、真の「内側」とは、思考や感情、比較判断などの全ての主体である「私」のみを指し示しているのだ、という事がわかっていきます
思考や感情、比較判断などをしているのは誰か?それらに巻き込まれているのは誰か?それらを創り出しているのは誰か?ということにフォーカスしていきます
これは、いわば狭義の意味での「内側」ですね
違う言い方をすれば、「内側の内側」、もしくは「真の内側」ですね
例え肉体の内側で起こっていたとしても、思考や感情、比較判断、あるいは呼吸やエネルギー状態は、主体の次元からすれば、外側の世界で繰り広げられる事象と何の違いもない「外側」であり、それらを感じ体験している「主体」のみが「真の内側」だということです
教えのシーンにおいて、私たちはそのどちらもその場に応じて使います
特に、この5ステートの教えでは、エネルギー体とそのエネルギー体の中で起こっていることをしっかりと見ていくことが非常に重要なので、エネルギー体の内側という意味で、「内側」という言葉を使っています
だからこそ、初めの段階で、それらを知識として、共通理解として、知っておくことが大切であり、5ステートの詳細に入る前にここでお伝えした訳です
早く5ステートの教えの詳細を知りたいという方もいらっしゃると思いますが、後々混乱しないためにも、ここでお話したことをしっかりと共通意識として持っていただければと思います