2022年2月21日月曜日

「魂への聖なる道」Ⅶ「魂の3つの質」第1話~魂とは?~


悟りのための教え、覚醒のための教えである
「トータル・パス」の教えの概要について、
「魂への聖なる道」と題して、
youtubeの場をお借りして、
少しずつお伝えしていっているシリーズの第2部、第7章、
「魂の3つの質」第1話:魂とは?
です

7

魂の3つの質

1話 

魂とは

 

こんにちは、ともこです

 

悟りのための教え、覚醒のための教えである

「トータル・パス」の教えの概要について、

「魂への聖なる道」と題して、

このyoutubeの場をお借りして、

少しずつお伝えしていっているシリーズになります

 

さて、今日から、その第2部の第7章が始まります

テーマは、「魂の3つの質」についてお話ししていこうと思います

 

今日はその第1話、

まずね、「魂とは?」っていう事について、

また少しお話ししていきたいと思います

1部の第1章でも「魂って何だろう?」っていうタイトルで、

魂について少しだけお話ししてきましたけれども、

ここではもう少しだけ掘り下げていって、

かつ、もう少し実践的な角度からも

魂についてお話ししていきたいなと思っています

 

魂ってね、簡単に言えば私達存在の核であり、

その真の姿でもあります

私達も、本当の「私」という言い方をよくしていますけれども、

一般的な人が自分だと思っている、このパーソナリティというのは、

非常に表層的なものに過ぎません

それは、魂がこの次元に降りて、

そこで生きていくための乗り物のようなもので、

本当の「私」というのは、それを操縦している誰か、なんですね

 

とはいえ、まだ目覚めていない人の場合、その操縦者はずっと居眠り運転をしています

 

「いやいや、ちゃんと私が操縦しているよ?」ってね、

思うかも知れませんけれども、

まだ目覚める前の人が思っている私というのは、

いわゆるエゴマインドのセンターに過ぎず、

本当の「私」はまだその奥底で眠りについています

 

そのため、目覚めていない人は、

自分の思考や感情に完全に振り回されて、

ジェットコースターのように、人生に起こるひとつひとつの出来事によって、

気分が良くなったかと思うと次の瞬間には気分が悪くなったり、不安になったり、

幸せになったかと思うと、不幸のどん底に突き落とされ、っていう具合にね、

もう上下に激しく揺れ動いてしまいます

あるいは、いろいろなネガティブな思考に取り付かれて、

簡単に自分自身っていうのを見失ってしまいます

 

つまり、それは、操縦士のいない乗り物が、

もうね、好き勝手に動き回っている状態で、

だからこそ、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、エンストしてみたり、墜落してみたり、あるいはバーッと暴走してみたり、ってね、なかなかまともな動きをしてくれない状態なんですね

でもね、それはその乗り物が欠陥品な訳ではなくて、

操縦者が寝コケてしまっているってことが問題なんですね

なので、まずはこの操縦者をちゃんと目覚めさせること、

っていう事が大切になってくる訳です

 

そう、魂とは、

この地上で生きるための乗り物である肉体とパーソナリティを

うまく使いこなして、

本来の目的地へと辿り着こうとしている操縦者なんですね

それが魂のひとつの役割です

 

そして、その魂が、その乗り物を使って行こうとしている本来の目的地というのは、

言うまでもなく、私達の聖なる親である『神性』の腕の中ですね

あるいは、元々の故郷である、『神性』の領域です

 

そのために、その乗り物というのは用意されているのですね

私達は、そこに向かうために必要なものを、すでに全て与えられています

だから、私達は本来の操縦者である魂を目覚めさせて、この乗り物を乗りこなして、本来の目的地へと向かう事こそが、一番重要な事なんですね

 

乗り物にいつまでも支配されていては、なかなかその目的地には辿り着けません

 

そして、もうひとつ、魂の役割で重要なことっていうのは、

あらゆる体験の体験者である、という事です

 

あらゆる体験というのは、この地上での人間としての様々な外側の体験から、

その内側で体験する霊的な体験まで、全ての体験の事を言います

 

ここで念のため言っておきますけれども、

自分の中で起こる思考や感情っていうのも、

全て外側の体験になります

あるいは、霊魂とかエネルギー体の存在を見たり聞いたり、

予知したり相手のことをリーディングしたり、っていうね、

あるいは、こう、神秘体験でいろいろな光やいろいろな色っていうのを視たりするのも、体験したりするのも、全て外側の体験になります

 

つまり、純粋な自分自身の体験以外、全て、外側の体験なんですね

 

これは、非常に重要なポイントになります

 

内側の体験とは、唯一、真の内側である、真の自己の体験であって、

その真の自己が深まっていって、やがて『神性』へと到達する霊的な、そしてエネルギー的な体験の事のみを言います

 

このふたつの体験を混同しているために、悟りや覚醒について様々な誤解が生じたり、様々な落とし穴にハマってしまうんですね

 

そしてね、この微細な体験者がいるからこそ、あらゆる体験が起こる訳なんです

体験者がいなければ、そこには何の体験もありません

この体験者、あるいは、違う言葉で言えば、観照者ですね

 

全てを、ただ、観照している者

この観照者がいなければ、この創造もなく、世界もなく、ただ『神性』が不動のまま存在しているだけです

 

例えば、「絶対状態」っていうのは、とても特殊な状態なんですね

っていうのも、何も実存しない領域の中で、それを体験し、体験していることを知っている体験者がいるからなんです

わかりますか?

違う言葉で言えば、『神性』の中で、それを観照している観照者がいる、という事なんですね

 

その体験者、あるいはその観照者こそが、魂なのですね

 

これの意味しているところっていうのは、創造によって創られた魂、つまり創造の領域に存在するものが、創造以前の非創造の次元を体験できるという事なんです

 

違う言い方をすれば、顕現されたものが、その根源である非顕現へと戻り、溶け去っていくことができるという事ですね

 

それは、二元と非二元という言葉でも同様に言い表すことができます

自他のある領域と、自他のない領域ですね

 

そう、この『神性』である非顕現の次元は、二元を超えた非二元の領域、つまり、自他のない領域なのですね

ですけれども、この自他のない非二元を体験し、それを記録するためには、非常に微細な二元、つまり「他」が必要となります

 

それが魂です

 

魂の乗り物であるパーソナリティ、あるいはエゴマインドのように、その「他」があまりに粗ければ、非二元の非常に微細な領域を体験することはできませんし、その微細な体験者がいなければ、非二元は体験されることがない、ということなんです

 

つまり、『神性』だけが存在する時、『神性』は自らを体験することも知ることもできないんですね

 

なぜ、魂が創造されたのか

もしかすると、神は、自分を映し出す鏡が欲しかったのかもしれませんね

 

ちょっとね、難しかったかもしれないんですけれども、なんとなくおわかりいただけましたでしょうか?

 

魂っていうのは、非常に微細です

つまり、非常に振動数が高い、という事です

『神性』とほぼ同じであると言っても差し支えないんでしょうけれども、ただ、( )で閉じられた『神性』、もしくは、ある角度で切り取られた『神性』、もしくは、コップの中に入れられた大海の水、っていうね、同じように微細だけれど、そこには大きな違いがあります

 

だから、イエスは、「神の子」と表現したのですね

神、ではなくね

神に似せて創られた、という聖書の言葉は、まさにその事実を表しています

 

でも、そんな微妙な違いだからこそ、「私は神だ」「神は私だ」という覚者の言葉があるのも、やむを得ない事なんですね

というのも、その違いが微細すぎてわからない、という事もあるんですけれども、

まさに、その言葉自体が、私、と、神、という、非常に微細な二元を言い表している、

っていうのがおわかりいただけますでしょうか?

 

本当に至高の境地に至れば、そこに神という概念すら無く、ただ、「私は私」、

いや、潜在的に「他」の存在を内包している「私」という概念すら無く、

ただ、永遠にその至高の、そして絶対的な主体の感覚があるのみです

 

そして、神が人格を持たないように、魂も人格を持ちません

魂そのものは、永遠の『神性』の中で、永遠にただ安らいでいます

 

なので、おそらく昨今のスピリチュアルな世界で、

「魂」「魂」と言っている人たちって、たくさんいるんですけれども、

そういった人たちがイメージしているようなものとは、

全く違うものだと思います

実際に、本当に「魂」が目覚めた人の多くが、「イメージしてたのと全く違った」と言っています

 

だから、何のイメージも持たずに、ただ、真の自己へと深く入っていくこと

ただ、開いていること

ただ、受容的であること

そして、そこに現れている非常に微細な何かを感じ取れる感性を磨く事

 

それが、「魂」に出会うためには非常に重要な事になります

そうでなければ、すでにそこに現れている「魂」を、見逃してしまう事になりかねません

 

だからこそ、そういった要素を磨いていくための瞑想が必要なんですね

情報や概念だけでは、どこにも行けませんし、何も変容しません

残念ながらね

 

もちろん、瞑想と言っても、その目的に合った瞑想法が必要です

 

禅語でね、「煉瓦をいくら磨いても鏡にはならない」という言葉があります

ただやみくもに瞑想しても、正しい目的地には到達できないんですね

むしろ、いろんな、何て言うか、「魔」っていうのが生じて、その「魔」に取り憑かれてしまう、っていう危険性もあります

 

そして、本当に魂を目覚めさせたかったら、まず、イージーにスピーディーに、ショートカットで実現したいという、マインドの大きな特徴のひとつである怠け心や、ずるがしこさを捨ててください

 

だって、あなたにとって、最も大切なものですよね

最高に貴重なものを手に入れようとしている訳です

 

イージーに、スピーディーに、ショートカットで、

つまり、お手軽に手早く楽に手に入れたい

 

もし、あなたがそう思っているのであれば、

そう思う裏に何があるのか、よく見てください

 

早く魂に出会いたい、という気持ちは全然OKです

あー、もう早く故郷に帰りたい、早く神とひとつになりたい、

という、かきたてられるような思いはむしろOKです

というのも、それは、魂からの渇望だからです

 

だけれども、それと、お手軽手早く楽に、は、ちょっと違いますよね

流行の洋服だとか、この世で欲しいものを手に入れるのとは、

訳が違うんです

 

ね、神様を、お手軽にゲットしようと思いますか?

 

そう思っているのは、マインドです

マインドっていうのは本当に巧妙で、ずるがしこいです

そうやって、本当には到達できないように、どんどんどんどん仕向けていきます

なので、そういった声に耳を傾けないように、本当に気をつけて欲しいと思っています

 

だけれど、お金をべらぼうにかける必要は全くありません

毎日辛い思いして苦行する必要も全くありません

この日常を離れて、ずーっと山に籠って修行する必要も全くありません

普通に暮らしてて、全然大丈夫です

 

ただ、どこに向かえばいいのか、何をすればいいのか、っていう、

あなたのクリアな理解と、

そして、あなたの大いなる情熱をものすごく必要とします

あなたの献身、専心はものすごく必要です

 

あなたの全存在の、一体どれだけをかけられるか

あなたは、あなた自身の魂のために、あなた自身の命をかけられますか?

それとも、何かの片手間でやりたいと思っていますか?

 

あなたにとって、仕事やお金儲けとか、そういった事にかける時間や労力、

あるいはあなたの趣味や遊び、好きな事にかける時間や労力

それと、この、魂のためにかける時間や労力

どちらが優先ですか?

 

今ね、時代が変わって、人類皆が覚醒する時代だとさかんに言われています

だからね、あなたは何もせず、仕事や趣味や気晴らしと、ただ普通に暮らして、

ある時突然覚醒がやってくるのを待ちますか?

スピリチュアルな情報だけどんどんどんどん収集して、

ある日突然覚醒があなたの元を訪れると思っていますか?

もし、本当にそういう時代であるなら、逆に、あなたが全身全霊でやったことは、

すぐに結果が出るでしょう

 

ね、あなたは、本当のあなた自身のために、何ができるのでしょう?

何をどれだけできるのでしょう?

というより、何をしてあげたいと思いますか?

 

もうね、マインドに振り回されるのはこりごり、そう思いませんか?

マインドでいっぱいになっているあなたの中に、魂のためのスペース、

それを作りませんか?

魂が現れられる、エネルギーフィールドをあなた自身の中に作りませんか?

魂に、直接向かいませんか?

そして、魂を直接、体験しませんか?

そして、あなた自身を、その魂に完全に譲りませんか?

 

あなたのその奥底に眠る魂

あなたがその存在に気づき、目覚めるのを辛抱強く待っている魂

 

その魂に直接向かうために、必要な知識、情報は、

あなたの内側の何がその入り口かを知る事だけです

あなたの内側にすでにあるもの以外、何も必要ありません

 

魂って、本当に不思議な存在なんですね

日本語に、「妙なる」という美しい言葉があります

まさに魂は、「妙なる存在」、「霊妙な存在」です

それがどれほど貴重な存在なのか・・・

 

そのために、あなたはあなたの何を捧げられますか?

 

では、今日もこのまま、少し、瞑想に入っていきましょう

 

 

お鈴(1回目:合図

   2回目:合掌

   3回目:お辞儀)

 

瞑想はいつも、あなたの存在の基盤とつながる事から始めてください

 

そうしないと、あなたは、

簡単にイメージの世界へとトリップしてしまいます

 

絶えず、あなたの実存と、そのリアリティと繋がっている事

 

そのためには、下腹への呼吸がとても重要になります

 

あなた方は、自分で思うより、はるかに、いつも、

マインドの世界に生きています

 

もちろん、その背後には、

あなたのリアルなものが常に存在していますが、

あなたはそれに気づく事無く、ただマインドの声に耳を傾け、

その動きに、意識の全てを奪われ、

その眼はいつも外側にだけ向けられています

 

スピリチュアルな道を歩む上で、思考や感情を観察して、

あなた自身を、そのパーソナリティとしてのあなた自身を、

深く知り、許し、それを受け入れていく事

 

それは一方で、とても大切な事ではありますが、

それに終始しているだけでは、

あなたは、どこにも辿り着きません

 

あなたの潜在意識をどれだけ深く掘り下げても、

それは底なし沼のように果てしがなく、

あなたの真の核には到達することがありません

 

もし、あなたがあなたの本当の核に到達したければ、

あなたは、正しい入り口を見つけ、

そこに入っていかなければなりません

 

その入り口を正しく指し示せる誰かを、

そして、その入り口こそが、行くべきところであると、

明確にわかっている誰か

 

そういう人は、必ずあなたを、あなた自身へと返していく

 

もし、あなたがスピリチュアルなガイドとしてついている人が、

その人自身を見させたり、その人自身を信頼させたり、

その人自身を崇めさせたりするようであれば、

あなたは、間違った入り口へと導かれてしまいます

 

あなたが行くべきところは、

あなたが入っていくところは、

あなた自身の中にしかありません

 

あなたにとって意味があるのも、

あなたでしかありません

 

他のどんな偉大なマスターも、他のどんな偉大な覚者も、

あなたにとって本当には意味を成しません

 

それはただの一時のガイド

 

もし、あなたが、月を指さしている覚者の指を見てしまえば、

あなたは、月を見ることができません

 

だから、必ずその指が指し示している月を見てください

 

それは、あなた自身に他なりません

 

あなたの中の主体の感覚

 

それのみが、あなたの核への、正しい入り口です

 

その、誰しもが持っている感覚

 

あなたが物心つく頃から、ずっと変わらず、ずっとそこにあり続ける感覚

 

あなたは常にその入り口を携えながら、

なおかつ、それを見失い続けて来ました

 

なぜなら、あなたの興味は全て外側に注がれ、

ここでどう生きるか、ここでどう愛されるか、

ここで何を手に入れるか、

そればかりに向けられてきたからです

 

今、ここで共に座る中で、

あなたは初めて、

あなた自身の関心をあなたの真の内側に向けていきます

 

なぜか今までそれを恐れていた

 

人は、時として、自分と直面するのを恐れます

 

ある人は、もし、自分という宝箱を開けたら、空っぽなのではないかと、

恐れを抱いています

 

だから、あなた自身に直面するのを避けて、

あなたは、外側では満たされないと十分に知りながら、

そこに向かうのを避け続けて来たかもしれません

 

なぜなら、あなたが今あなただと思っているものを、

それが壊れてしまうかもしれないという

それが何も無くなってしまうのではないかという

それを恐れているからです

 

それこそが、マインドが自分を存続させるためのトリックです

 

でも、その恐れを自覚できることはとても良いことです

 

なぜなら、寝た子は起こせても、

寝たふりをしている人は起こせないからです

 

自分が恐れている事を、どこかで知りながら、

見まいとしている人は、

そんなものは自分にはないと思っている人は、

その恐れを直面することができません

 

直面できないがゆえに、その恐れにずっとコントロールされ続けます

 

その恐れに直面できたという事は、もう、

あなたがジャンプする地点に来ている、という事です

 

あなたはあなたの中にジャンプする

 

あなたという、深い海の中へ潜っていくために、

あなたはあなたの表層のパーソナリティから、

あなたのその海底へと、飛び込む

 

もし、あなたの中に「言い訳」が生じたら、

飛び込まないための何か「言い訳」が生じたら、

あなたの中に、恐れがあるという事

 

そして、あなたを妨げているのは、

あなたの魂が現れるのを妨げているのは、

その恐れに過ぎない事

 

その恐れを感じ切って

 

あなたがそれを感じ切った時、

あなたが恐れを感じていたところから、

何か違うエネルギーが沸き起こってきます

 

ただそれを許して

 

そして、あなたの中に、切望が蘇ります

 

あなたが本当は何を欲していたのか

何を求めているのか

あなたは初めて、その純粋な思いに、自ら触れていきます

 

それこそが、あなたをあなた自身へと導き、

連れていきます

 

その、魂からの切望を思い起こして

 

お鈴(1回目:合図

   2回目:合掌

   3回目:お辞儀)

 

ありがとうございました

今日もまた、この場を皆さんと共有できたことに感謝をして

 

では、次回は「魂の3つの質」のうちのひとつ、

魂の意識の質について、お話ししていきたいと思います

 

では、また


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「魂への聖なる道」Ⅵ『神性』の3つの質と父性と母性の2つの側面第4話~ビーイング~


「魂への聖なる道」シリーズ、
第2部第6章『神性』の3つの質と父性と母性の2つの側面
第4話:ビーイング


第4話

こんにちは、ともこです

悟りのための教え、覚醒のための教えである「トータル・パス」の教えの概要について、「魂への聖なる道」と題して、

このyoutubeの場をお借りして、

少しずつお伝えしていっているシリーズになります

 

今日は、その第6章「『神性』の3つの質と父性と母性の2つの側面」の第4話になります

今日は、『神性』の質のビーイングについてお話ししていきたいと思います

 

ビーイングというのは、英語でbeingって書くんですけれども、「ある」ということですね

「存在」という意味でもありますね

「ある」もしくは「私はある」、「ⅠAm」というね、

『神性』の存在の感覚であって、

存在するための基盤のようなものです

 

ビーイングは、源泉に向かって、その深みを降りていくことでもあります

源泉っていうのは、全ての源泉という事なんですけれども、

いわゆる顕現が起こる、その源のことなんですね

顕現っていうのは、ちょっと言葉としては難しいですけれども、

全てが現れ出る、っていう事ですね

それの、源、っていうことです

つまり、あらゆる創造の領域の土台のようなものです

源泉そのものは、まだ顕現が起こっていない、非顕現の次元です

それはまさに、『神性』の領域です

『神性』というエネルギーの「場」とも言えます

例えて言えば、それは『神性』という王の、国土、王国と言えるでしょう

私達はそれを、「源泉」という言葉でよく言っています

ビーイングの深みに深く深く入ることによって、私達はこの顕現の領域を超えて、最終地点である、その『神性』の領域に到達する事ができます

その状態、もしくは境地を、私達の言葉では「絶対状態」って言っています

いわゆる釈迦が「空」と表した次元です

 

それは顕現の起こる以前の、非顕現の領域であり、

創造が起こっていない次元ですね

 

それはね、無限の虚空であって、

何もなく、同時に全てを含んでいて、

時間も変化もない、永遠の次元です

それは、外側に広がる宇宙空間ではなく、私達の内側に広がる内的宇宙の虚空です

釈迦はそれを「無」とも表現しました

そこは、何も動かず、何も起こらない、何も変化しない、完全な静けさ、完全な沈黙

それは、完全な休息であり、完全な停止状態です

そこにこそ、真の平安があります

 

私達は、ここに到達して初めて、完全に安らぐことができるんですね

初めて、完全に安堵することができるんです

 

時空っていうね、変化し、動くものの中では、私達は完全に安堵することはできません

 

平安というのは、心理的な問題ではないんですね

実は、エネルギー的な問題なんです

心の穏やかさ、心の平安と言うのは、実は、この深遠な静けさ、深遠な停止状態に入ることによって、もたらされるものなんですね

 

私達って、本当にとても不思議な存在です

っていうのも、命は、動くものであり、変化するものです

私達自身が動くものであり変化するものであるにも関わらず、動かないもの、変化しないものを体験することができるんです

 

それは、生きながら死を体験するのと同じです

 

私達人間存在は、永遠でないにも関わらず、永遠なものを体験することができるんですね

その両方を携えて生きることができるんです

不思議ですよね

これこそが奇跡だって思いませんか?

そう考えると、人間でいることが、それだけで楽しくなりますよね

だって、本当に不思議な存在なんですから

 

そしてね、ハートでお話しした神聖さが真っ白に光り輝く虚空であるのに対して、この不変不動、完全な沈黙の虚空は、漆黒です

 

シンと静まり返った、さざ波ひとつない、澄み切った夜の湖のようなものです

 

ハートが情熱的でホットであるのに対して、源泉の虚空はニュートラルでクールです

 

ただ、それは、膨大なエネルギーで、私達の存在を引っ張る、もしくは吸引するようなものすごい重力を持っています

例えて言えば、無限のブラックホールのような感じでしょうか

 

そして、それは、生命を産み出す、神の子宮とも言えます

この無限の虚空から、創造が生じる訳です

色即是空、空即是色、と般若心経で言うように、この源泉という場で、創造が生じる

 

ですが、源泉そのものに性別はなくって、『HE』でも『SHE』でもない

同時に両方合わせ持ったものとも言えます

そしてね、無であると同時に、全てが内在しています

 

実は、この領域に達しないと、『神性』の意識にも本当に到達することはできません

理由はいたって簡単で、『神性』の意識は、この次元のものだからです

あるいは逆に、意識の領域の「私」が目覚めていないと、この次元を明確に意識的に体験することはできません

 

というのも、その深さについていけず、意識が吹っ飛んでしまうからです

熟睡と同じような感じで、完全に意識がない状態になってしまうからなんですね

 

なので、意識とビーイングの質というのは、深めていくためには、どちらも必要となってきます

もちろん、ハートも同じことです

 

今までの悟りの教えっていうのが、どこか曖昧で漠然としていたり、悟った人によってなんか言う事が違ったりするっていうのは、実はこの3つの質、側面っていうのを明確に理解していなくって、ごちゃませにされてきたことが、大きな原因だと思います

もちろんね、その人がどういうバックグラウンドを持っているか、つまり、どういう国に生まれ、どういう文化で育って、どういう思想や理想や概念っていうのを持っているか、あるいは、どういう意味をその言葉に貼り付けているのかによっても、同じ体験をどう表現するかはいろいろと違ってきます

けれども、この3つをよく理解していれば、悟った人が何について語っているのか、あるいは、その人が何に到達したのか、何が覚醒したのか、わかるようになります

曖昧だった悟りのワークも、非常に明確になってきます

 

悟り、覚醒と一言で言っても、『神性』のどの質に到達したのかによって、その体験は異なります

意識なのか、ハートなのか、ビーイングなのか、あるいは、どれかとどれかのコンビネーションなのか、あるいは、その全体にトータルに到達したのかによっても違ってきます

あるいは、何を強調するかは、それを体験した魂の質によっても異なってきます

 

例えば、イエスはハートの質を強調して、釈迦はビーイングを強調しているとも言えます

ニサルガダッタ・マハラジはアウェアネスを強調していますし、クリシュナムルティはアウェアネスとビーイングのコンビネーションを強調していると言えます

ですが、もちろん、彼らはその質だけではなく、完全にトータルに全体的な悟りに達しているのは言うまでもないでしょう

 

そして、逆に言えば、例えばハートが閉じていても、「絶対状態」に達することができたり、アウェアネスやビーイングの深みがさほどなくても、ハートを開くことはできます

 

ですが、やはり、3つの質がトータルに完全に到達されて初めて、『神性』は私達の眼前に十全に現れる事ができます

といっても、私達魂が、『神性』を完全にフルに体験することも認識する事もできません

というのも、『神性』は魂を完全に超えているからです

それでもなお、私達は、その『神性』に触れられ、その『神性』へと溶け去っていくことができます

そう、このね、コップに入れられた水が、元の大海に注がれて戻るように

 

ではありますが、その「体験」を認識している以上、そこにその「体験者」が非常に微細な形で存在している訳です

それが、魂という、本当に不思議な存在なのですね

 

もし、魂が『神性』と出逢い、すっぽりと包まれてひとつになるだけではなく、完全に『神性』の中へと消え去ったら、もはや、人間として存在していることは不可能になると言われています

 

それが、「ブラフマ知」と言われているもので、人間存在としての究極の悟りであり、この肉体を持ってそこに到達した場合、つまり、完全に『神性』への領域へとシフトしてしまった場合、もはや肉体を維持していることができなくなると言われています

 

それは、私自身もまだ肉体を維持している以上、まだそこには到達していない訳で、そうなったら本当にどうなるかはまだわからないのですが、伝統的な教えの中では、そこに到達した存在の記録が残されています

 

さて、これで、『神性』の3つの質についてお話ししてきました

それは、例えれば、聖なる父と母とその家、あるいは王と王女とその王国と表す事も出来るでしょう

私達は、その聖なる両親の子どもであり、あるいは、聖なる王家の王子、王女です

 

では、この創造の源泉、非顕現である『神性』の王国へと、深く入っていく瞑想をしていきましょう

 

お鈴(1回目:合図

   2回目:合掌

   3回目:お辞儀)

 

呼吸は、鼻から下腹への深い呼吸

 

下腹が膨らむくらい、たっぷりと呼吸を入れて

 

実際に下腹に入っていくのは、空気ではなく、

空気と共に入ってくるエネルギーです

 

最初の数呼吸は、たっぷりと吸う事に意識を向けて

 

背筋を伸ばして

 

頭が天からひもで引っ張られているような感じで

 

あるいは、骨盤の上に、背骨がひとつひとつ、

積み木のように乗っかっているのを感じて

 

それが真っ直ぐに、天に向かって伸びていく

 

そして、自分の身体のちょうど中心、

その中心のライン上に、何か、導管が通っているような感じ

 

そこを、呼吸と共にエネルギーが下腹へと、

すとーんと入っていく

 

気持ち、背中に寄りかかる位

 

頭が前傾になって来ると、思考が沸き起こりやすくなります

 

瞑想中、思考と戦う必要はありません

 

思考は、潜在意識から自然に沸き起こり、

自然に流れ去っていきます

 

ただそれを許す

 

沸き起こった思考に捕らわれて、次々と思考のチェーンを産み出したり、

あるいはその思考に巻き込まれて、白昼夢の状態に入っていってしまうのは、

思考にエネルギーを与える事であって、

そのエネルギーを与えることはしないように

 

思考が沸き起こった事に気づいたら、ただ、流していく

 

ただ、手放していく

 

思考を止めようとすれば、思考はますます沸き起こってきます

 

潜在意識から、時折思考が生じるのは、とても自然な事です

 

それに抵抗するのではなく、ただ、手放す

 

思考が沸き起こったら、ただ、手放す

 

下腹へと十分に呼吸が入るようになったら、

今度は、息を吐く時に、下腹から下に向かって、

息を吐き下ろしていきます

 

決して強くプッシュして、吐き下ろしてはいけません

 

優しく、穏やかに、非常にソフトに、

ゆっくりと地球の中心に向かって、吐き下ろしていきます

 

そうすると、息とともにエネルギーが下に落ちていくのを感じます

 

一息ごとに、静かに吐き下ろして

 

引力に引かれて、ただ地球の中心に向かって、落ちていく

 

このビーイングの瞑想は、下腹がセンターではありますが、

いわゆる、丹田を鍛える呼吸とは全く違います

 

実は、この瞑想は非常にフェミニンな瞑想です

 

というのも、私達は完全に受動態になる

 

呼吸も非常にソフトに、穏やかに、柔らかく、そして繊細に

 

この繊細さに欠けていると、

私達は、秘密の領域に入っていくことができません

 

この瞑想を続けていくと、次第に、

下に引っ張られていく感覚というのが、感じられるようになっていきます

 

決してプッシュはしない

 

自然にエネルギーが落ちていくように

 

ただ、姿勢を真っ直ぐに保ち、

その中空の導管をエネルギーが自然に落ちていけるように

 

ほんの少しだけ、呼吸の力を使って、

下へ下へと落ちていく

 

思考が沸き起こったら、ただ、手放して

 

重力に引かれて、自然に落ちていく

 

もし、あなたの中のエネルギー的な落ち着きのなさを感じたら、

それは、いい兆候です

 

あなたはこれまで、そのエネルギー的な落ち着きのなさを、

感じる事すらありませんでした

 

でも、あなたが不動を保ち、ただ落ちようとする時、

それを妨げているエネルギー的な落ち着きのなさに、

ようやく気づく事ができます

 

あなたは、いつも、それに追い立てられてきました

 

ただ、それを感じて

 

それに抵抗しない

 

少しずつ、毎日続けることによって、

あなたの中の落ち着きのなさが、少しずつ解放されていき、

本来の穏やかさが訪れるようになります

 

急がないこと

 

お鈴(1回目:合図

   2回目:合掌

   3回目:お辞儀)

 

ありがとうございました

今日もまた、この場を皆さんと共有できたことに感謝をして

 

では、次回から、第7章「魂の3つの質」について、お話ししていきたいと思います