2020年12月9日水曜日

ジャッジメントの昇華方法 冬至に向けての大浄化 ネガティブもポジティブも超えた聖なるものへ

 






2020年12月21日、冬至に向けてのこの時期、
個人から全人類に至る、
様々なレベルでの大きな浄化が起こっているようです

今年の冬至は、占星術的に、
稀に見る大きな変換の節目に当たるようです

そもそも冬至というのは太陽が最も低い位置に達する日で、
それを太陽の死とみなし、太陽が新しく生まれ変わる日とみなされていること、
また、
なにやらおおよそ20年周期と240年周期のグレートコンジャンクションや、
2400年周期の変換の時期とも重なり、
とにかく様々な変換の時期が重なった、
大きな節目となっているようです

それは、今の世界の状況を見てもわかりますよね

伊勢神宮でも、
毎年冬至の日には、
宇治橋の鳥居の真ん中に登る日の出が見られます

そのように設計されているのでしょうから、
神道にとっても、
冬至がいかに重要であるかわかります

年末は新年を迎える前に、
家の大掃除を行います

これも、冬至の前の大浄化、大掃除と無関係ではないのでしょう

特に、15日の新月に向けての期間は、
月の周期とも重なって、
最も浄化に適した時期と言えるでしょう

そんな、まさに浄化のための時期、
潜在意識の浄化を意識的に行っていくことで、
22日以降の大変革、新しい生まれ変わりをより鮮明にしていきたいものですね

ということで、
私自身もここのところ日増しに浮上してきていた「不満」の感覚を見て行こうと思いました

私が「人としてやるべき」と思っていることをやらない人に対して、
「なぜ、いつまでたってもやらないんだろう」と不満を感じてしまっていたのです

その不満の元には、
「やるべきこと」というジャッジメント、
「この人はそれをやらない」というジャッジメント、
「やるべきことをやらないのはダメ」というジャッジメントがある訳です

そして、その相手に対して、個人的な不満を感じてしまう、という訳です

いつもは、
それを深く視ていきながら、
より深い感覚を感じ切っていくのですが、
たまたまとあるyoutubeを見ていたら、
ちょうど「ジャッジを浄化する」という動画があったので、
それを見ながら、その誘導に従って、浄化を試みてみました

まず、ジャッジしている時の感覚を色で感じて、というので、
その色を感じてみました

すると、オレンジや赤を感じたのです

その方は黒でも青でも何色でもいいと言っていましたが、
そのニュアンスから、たいていは暗い色を感じるようでした
確かに、ネガティブな感覚ですから、
暗い色になりますよね

ところが、
明るい情熱的なオレンジや赤なのです

その色を感じているうちに、
どっしりとした太刀のイメージが出て来て、
それはとても力強く、聖剣のような威厳を放っているのです
まるで、霧島山の山頂に刺さっている天逆鉾のように、
すっくと立っている

その時に、
「ジャッジの大元には、何か本質的な思いがある」という理解が来ました

その本質的なものに触れていたため、
私にはオレンジや赤に感じられたのです

次の誘導で、
その色のボールを取り出して、天に投げるように、との事だったので、
その色と太刀を取り出して、
天に向かって投げました

その時に、
「その本質的な思いは個人的なものではなく、宇宙的普遍的である」という理解が来ました

そして、
その普遍的なるものを、天に返すだけではなく、
全世界に、全ての人に分かち与えなさい、というガイダンスが来たのです

それで、私はその太刀というか、その本質的で普遍的な思いを、
全世界に、全ての人に分かち与えました

すると、
それは完全に愛の行為であることがわかりました

非常にパワフルで、心が満ち溢れる行為でした

それによって、
「ジャッジというのは、
誰しもの心の奥深くにある、普遍的で本質的な思い、
まさにそれは神の意志でもあるのですが、
それを”個人的なもの”として受け取ることによって、
それを矮小化させ、
相手を測るものさしにし、ジャッジしてしまう」
ということがわかりました

それはコインの裏表のように、
表層ではネガティブな事でも、
底深くでは非常にポジティブな事、
いえ、
ネガティブもポジティブも超えた、
聖なるものなのです

なので、
実は自分自身ネガティブだと思っていることの奥底に、
本当はその人の本質的な思いが隠されているのです

だからこそ、
それが気になり、
そこを刺激され、
そこでジャッジが起こり、
それに不満を抱いてしまうのです

この、自分の中のネガティブなものから超ポジティブなものへと到達していくこと

それは、単なる浄化を超えた、「昇華」であると言えます

おそらく、
この誘導をされていた方は、
ネガティブなエネルギーを天に返す、という浄化のやり方を伝えたかったのだと思います

黒い色のエネルギーを、手放して、軽くなる

それも、とてもやりやすい、浄化のいい方法だと思います

でも、この奥底にある普遍的な聖なる思いまで到達することは、
より深い浄化をもたらしてくれると思います

それには、より深い瞑想の境地に達していることが必要だとは思いますが

とても良かったので、この方法を、
つい先日の1デイリトリートで2人の生徒さんに試してみたところ、
2人ともその深みまで到達し、
自分の内側の、その普遍的本質的な聖なる思いを知ることができました

深く入っていけば行くほど、
感じる色が変わっていくのも確かめられました

そして、
それを全世界に、全ての人に分かち与えた時、
2人とも満たされているのを感じられたようでした

本当は、
それを分かち与えにここに来ているんですよね

だから、
つい人をジャッジしてしまうこと、
どうしても他人のそれが気になること、
「自分だったらこうするのに」とよく思ってしまうこと、
それこそが、実は「やりに来ていること」への入り口なのです

自分自身がそれを聖なる思いの次元でフルに分かち合えた時、
ジャッジは落ちます

なので、
ついジャッジが起こってしまった時、
その聖なる思いの次元に立ち戻って行きましょう

個人的な受け取りの次元にいるのか、
聖なる思いの次元にいるのか、
自分の内側の満たされ度でわかりますが、
色を感じてみるのもわかりやすいと思います

ぜひ、チャレンジしてみてください♪

































2020年12月6日日曜日

人生を良くしたい人  人生を超え、解脱したい人

 自分がスピリチュアルだと自覚している人の中には、

ごくおおまかに言って、

2つの段階の人がいます


ひとつは、自分の人生をより良いものにする事に関心がある段階です

この場合の「自己実現」とは、

人間存在としての固有の自分を完成させる事を意味しています

これが、現在のスピリチュアルなシーンの大部分を占める人たちの段階です


もうひとつは、

人生を超え、この「人生」というストーリーそのものから解脱する事に関心がある段階です

この場合の「自己実現」とは、

人間存在としての固有の自分を超え、魂も超え、

神なるものとの一体に到達することによって、

霊的進化を完成させる事を意味しています

本当にこの段階に来ている人は、そう多くはありません


「本当の自分自身に出会う」という言葉を聞いて、

あなたはどういうイメージを抱きますか?


ひとつは、

「その人固有の花を咲かせる」

今、自分だと思っている一人の、

固有の名前と肉体と個性を持った存在が、

よりその固有さを表し、それを生かし、生き生きと個性的に、輝いて生きる

平凡な自分が、特別な自分に変わっていく

自分の人生の本当の意味を見出す


もうひとつは、

「何者でもなくなっていく」

「そこに自分はいなくなり、ただ神なる者だけが存在している」

本当の自分自身に近づけば近づくほど、

自分は透明になり、

そこには神の神聖さと愛と全体性がより現れて来る

人生とは映画のようなスクリーンに映し出される幻想であり、

本当の生はそれを超えたところにある


この2つの段階は、

どちらがいいとか悪いとかではなく、

どちらも正しく、どちらも重要で、

ただ、

その魂がどの段階にいるかを表しているだけです


ですが、

真の意味において、

人生を超えた時初めて、人生を生きることができます


どうしてでしょうか?


答えは簡単です

その意識の状態をよく考えてみればわかります


あなたが人生の意味を探究し、

それをより良いものにしていきたいと思う時、

あなたは固有のあなたとそのストーリーに固着し続けます


固着し続ける以上、

あなたはあなたの人生や固有のあなたそのものに支配され続け、

それを超えることはできません


もしかすると、

あなたは自分が一般的なスピリチュアルではない人とは違う、と思っているかもしれません


でも、意識の構造は同じままです


幸せになるための手段が、

物質的なことではなく、スピリチュアルなことに変わっただけです


無条件な幸福や喜び、愛と言いつつ、

ポジティブなことや光の側だけを良しとし、得ようとしている以上、

それは無条件では全くありません


固有のあなたやその人生との固着が外れ、

それを超えた時初めて、

あなたはそれに支配されずに、

ただ「あなた」として生きることができます


それは、

あなたの意識の構造が完全に変容するということです

意識の次元が完全に異なるという言い方もできます


それは、

固有のあなたが完全に滅することでも、

人生がなくなる訳でもありません


でも、

そこに意味を見出すことそのものが落ちます


なぜなら、

「あなた」は人生をはるかに超えたものだからです


それが、解脱です


本当の自分に出会うためには、

どこかの段階で、

自分を完全に手放し、明け渡すことが必要です


真の覚者がよく言うように、

自分が一度完全に死ななければならないのです


でも、そのためには、

今の自分を完成させ、完結するか、

絶望し切るか、

どちらかが必要になってくるでしょう


完結した時に、それでもなおまだ満たされ切らないものが残っている事に気づけた魂は、

それを超えようとします


絶望した時は、

もう、超えるしか道はないことがわかります


どちらを選ぶかは、

魂次第なのでしょう


でも、

絶望の方が、よりダイレクトに早く、超える道を進むことができるでしょう

他にもはや手段がないからです


固有のあなたや人生に固着し、それを探究し続けると、

「まだ、他に何とかなる方法があるんじゃないか?」と、

「もっと満たされる何かを引き寄せることができるんじゃないか?創造することができるんじゃないか?」と、

そこから出ようとせずに、

そこで彷徨い続ける可能性が大きくなります

それほどに、

そこの引力は強いからです


引き寄せたり、自分が得たり、

いずれも、自分の中に何か他の物を取り込もうとする意識自体が、

良いものだけ、波動の高いものだけを手に入れようとする意識自体が、

固有のあなたを強化し、肥大化させ、

あなたを地上に留めさせる重しになります


逆です

自分自身を手放すのです


なので、

もし、今絶望を体験している人がいれば、

それはむしろより深い段階にいるという事なのです

超えたいという魂の欲求が強くなっているという事なのです


本当の自分自身に出会う、

より深い段階に来ているという事なのです


それが本当の発心です


「トータル・パス」は、

その発心が起こった人のための教えです


それは、真の意味で人生をリアル(本物)にしていくものですが、

人生をより良くすることに関心のある人の心は惹きつけないかもしれません


なぜなら、

楽しい夢から覚めないとならないからです


まさに、

今、世界的な社会現象になっている「鬼滅の刃」の映画の中の、

「楽しい夢から覚めるために、夢の中で自分を殺す」

と重なりますね


実際は、殺すのはちょっと違いますが、

夢の中の自分が死なないとならない


そう考えると、

なぜあの映画がこの時期に世界的社会現象になっているのか、

理解できるような気がします


それは、

あるがままの現実の中で生きることも描き出しています


自分自身がその現実を創造しているというのは、

とても深い理解で、

そこから今のポジティブスピリチュアルムーブメントが発生していますし、

多くの人により幸せに生きて欲しいという愛がベースにあります


なので、

私はそれらを否定している訳ではなく、

むしろ、多くの人にとっては非常に重要で必要なものだと思っています


ただ、

真に「自分自身が創造している」という理解の次元に到達した時、

ネガティブなものもポジティブなものも実は自分が創っていたと本当にわかった時、

そしてつまりは、

自分自身がその創造されたものをはるかに超えたものだとわかった時、

あなたはまだポジティブなものだけを創造することに関心を持つでしょうか?


それを楽しむことはできるでしょう


でも、

創造の内容に固着すること、それと自己同一することはすっぽり落ちてしまうのです


誰しもが本当は、

ネガティブポジティブ、

つまり陰陽のこの次元、

この二元の世界をはるかに超えた存在なのです


それを知ることは、

思い通りの人生を創造することより、

はるかにパワフルで、

はるかに満ち溢れ、

はるかに大きな歓びなのです


それを知るものは、

そこへと誘いたいと思うのではないでしょうか


あなたの魂は、

どこを望んでいますか?





















2020年11月17日火曜日

奇跡のお米:イセヒカリ~ バケツ&プランター栽培~ 収穫しました♪


https://youtu.be/4zgJk4nojbs

撮影からだいぶ時間が経ってしまいましたが、
イセヒカリの収穫の様子です

お楽しみください♪


2020年10月9日金曜日

アクアリウム始めました!④30㎝キューブ水草水槽立上げ編





アクアリウムシリーズ第4弾!

アベニーパファー用30㎝キューブ水草水槽立上げ編です♪



コストを抑えるために、

ソイルや水草など、メルカリを多用しましたが、

土と太陽の栽培で元気に奔放に育っている水草は、

初心者にはかえって扱いが難しく、

また道具もアクアリウム用ではないため、

結構、作業が思うようにできず、大変でした(涙



初心者こそ、

いい道具、いい素材!

これはどの世界でも言えることですね



それでもまあ、

それなりのものができたので、まあ、良し♪ということで、

奥の深いアクアリウムの世界、

少しずつ実践を積み重ねて、

いい栽培者、いい飼育者に育っていけたらいいなと思っています



お楽しみください♪

2020年10月6日火曜日

アクアリウム始めました!③水草活着編





アクアリウム編、第3弾です♪

水草活着、初トライアルです

アフリカンシクリッド用60㎝水槽の立ち上げも行いました



初心者あるある、

わからない事だらけで、

間違いもいろいろありますが、

お楽しみください♪


2020年10月1日木曜日

アクアリウム始めました!②アーリー用60㎝水槽立上げ編 前編





水槽台作りに続き、

水槽立上げの前編です



低床にサンゴ砂、粗めとパウダーを敷き分け、

石とサンゴや貝殻を設置して、

ちょっとかわいくレイアウトしてみました



アクアリウムは全くの初心者なので、

わからないことがたくさん、

これでやってみようと、お試しの感じです



途中、大失敗あり、

初心者あるある満載ですが、

お楽しみください♪



次回、

水草の活着と設置、

水を入れて立上げ終了までお届けします

2020年9月30日水曜日

10月の1Day Retreatのお知らせ

 10月からの1dayですが、コロナの影響等もあり、当面 Online での開催を考えています


内容も、今までより、より long Retreat を意識した流れにし、しっかりと座り実り在るものにしたいと考えています

◆開催日◆ 
 10月4日(日)

スケジュール.png

フルで1dayに出ると、朝6:50~夜8:30頃までとなるため、入室(接続)開始時刻を3つ設け、これに合わせて費用も変えました

【入室タイミングと費用】
 ・ 6:50 スダルシャンの10分前 [費用:15,000円]
 ・ 9:50 Meditation の10分前  [費用:12,000円]
 ・13:50 Lay down Meditation の10分前  [費用:10,000円]

【注意事項 】
 Meditationが始まる前に必ず入室してください
 Meditationが始まると、私が眼を閉じてしまうので、入室許可を出せません

【途中退室 】
 何らかの事情で途中で退室(終わる)場合は、各自で退室してください
 ※1day受講中は、退室しないでください

【使用ソフト】
 ・zoom

【費用振込先】
 ・三菱UFJ銀行 深川支店 普通 1943333 ヤマグチミノル


共に座れるのを楽しみしています♪


アクアリウム始めました! ①水槽台手作り編





突然のアクアリウムブーム勃発!



きっかけは、

そろそろまたアベニーパファー(世界一最小の淡水フグ)でも飼いたいなと見に行った熱帯魚屋さんで、

青い魚、

スキアエノクロミス・フライエリィに出会ってしまったこと



Amazon | 【熱帯魚・アフリカンシクリッド】 アーリー □サイズ:7cm〜8cm (※オス) (3匹) | 増子水景 | 観賞魚・水中生物 通販



これこれ♪



青く光るかっこいい勇姿にひとめぼれ



ぜひとも我が家に迎え入れたく、

勢いで水槽を買い、

まずはそのための水槽台作りました♪



伊豆暮らしシリーズ アクアリウム編 一発目です(笑



その様子をお楽しみください♪

2020年9月27日日曜日

イセヒカリ栽培の様子(7月~9月 収穫前まで)





平成元年に、伊勢神宮の神田から生まれた奇跡のお米、イセヒカリ



そのイセヒカリ栽培の様子をお届けします



今年収穫したものは、神棚に捧げます

今年は、ちょっと食べる分も収穫できそうです♪

それとも、伊勢に奉納しに行こうかな

2020年9月25日金曜日

「EARTHING(アーシング)」の瞑想と「地球の平和への祈り」の瞑想





3日目の「EARTHING」と「地球の平和への祈り」のコラボレーション瞑想の様子を

アップいたしましたので、

ぜひ、ご視聴いただき、

ご一緒に瞑想していただけたらと思います



この地球レベルでの大変動の時期、

より多くの方に、

地球と再びつながり、

その意思を知り、

また、

地球の全てと私たちが同じものであるという実感を持って、

これからの生を生きていくことの素晴らしさ、

その重要性を知っていただけたらと思います

2020年9月23日水曜日

Earthing アーシング 「足の裏を開き、地球とつながる瞑想」その2

つづきです

2日目

①足の裏をほぐす

要領は、その1で記した通りです

さらに一段、深くほぐしていきます


②喉もほぐす

身体がひとつの導管になってエネルギーがスーッと流れるように、

喉も開いていきます


まず、頸椎1番の横を、人差し指中指薬指の3本の指で押さえて、

「あ、い」と口を大きく開けて、20回言います

すると、後頭骨のヘリ辺りが緩んできます


次に、あごの骨のペコっとへこんだところの下辺りに、

ちょっとグリグリっとなっている筋があるので、

そこを軽く押さえて、「あ、い」と20回位言います


それから、喉の下の方にかけて、苦しくない程度に、

両手の指で挟むか、皮膚をつまんで引っ張り、ちょっと左右に揺らしてほぐしていきます 


ずっと、喉から下に、胸骨もつまんで引っ張ってほぐしていくといいでしょう


首はデリケートなので、あまりぎゅうぎゅうはやらない方がいいでしょう


③喉を開いた状態で呼吸する

通常鼻で呼吸する時、舌が上あごについて口の中と喉の間をふさいでいます

口で呼吸する時は、舌は下あごにつき、喉への通り道ができます

喉を開く呼吸では、

鼻で呼吸しますが、舌は口呼吸の時のように下あごにつけ、口の中を開けるような感じにします

そうすると、喉も開いて、鼻からの呼吸でも口呼吸と同じ感じになります

喉を開くということは、

ハートも開くということです


やってみるとわかりますが、

私たちは通常、舌で出入り口をふさいで、

内側からのものを何であれ、出さないように、

外側からのものも、防御するような状態になっています

喉を開くということは、出すにしても入れるにしても、

無防備になったような感じになりますが、

その状態をより深く見ていくと、

センサーがより精妙になっていくように、

とても繊細な状態になっていくのがわかります


喉を開くことで、

より繊細に精妙に、

地球のエネルギーとつながり、それを感じていくことができるようになります


この呼吸を、10分程度行い、呼吸に慣れて行きます


③喉を開く呼吸と足の裏を開くことのコンビネーションの瞑想

喉を開く呼吸に慣れたら、その呼吸のままで、

一日目に行った「足の裏を開いて、地球とつながる瞑想(立禅)」を行います


喉を開いた状態で、足の裏から呼吸します


すると、より深く、より繊細に、そして全身で、

地球のエネルギーを感じ、つながり、満たされ、

溶け合い、ひとつになっていくことができます


母なるガイアの意識に触れることができます


そして、

母なるガイアと私たちが同じものであるということ

地球の全てのものと私たちが同じものでありということ

石も、木も、川も、風も、生き物も、大気も、全て、私たちと同じもの


私たちは母なるガイアの一部であり、

母なるガイアは私たちの一部であり、

私たちは地球上の全ての一部であり、

全ては私たちの一部であることがわかります


私たちは、そのことを知り、

日常生活の中でも、

それを常に実感して生きていくことが求められています


ぜひ、皆さんも、この瞑想を行ってみてください


日常生活の中でそれを実感していくためには、

何度もこの瞑想をする必要があるかもしれません


でも、このことを実感しているかいないかでは、

生きるということが全く違ってくると思います


この地球レベルでの大変動の時期、

より多くの方がこの実感を持って生きて行くことができたら、

人類の行く方向が相当に良い方向に変わっていくと思います


さて、3日目は、

この瞑想と地球の平和への祈りとのコンビネーションを行いました


これは、瞑想にだいぶ熟練した人向けに行われたもので、かなり高度なものです

まだ、瞑想に慣れていない方にはちょっと難しいかもしれませんが、

動画をアップしますので、

ぜひ、ご視聴ください






Earthing アーシング 「足の裏を開き、地球とつながる瞑想」 その1

 ここのところ、

「Earthing(アーシング)」という言葉がよく降りてきています

「Earthing」とは、

「Grounding(グラウンディング)」とよく似た意味ですが、

ちょっとニュアンスが違っていて、

「Grounding」は、

大地に根づく、地に足をしっかりとつける、生命エネルギーの源泉とつながる、

ビーイングに深く根差す、etc.

といった、主に下部のチャクラに関係する意味合いですが、

「Earthing」は、

その言葉の通り、「地球とつながる」「地球を感じる」「地球に根差す」、

といった意味合いです


今、地球上は、

自然災害が多く激しくなってきたり、

疫病や蝗害が広がったり、

国際的な緊張を迎えていたりと、

大きな変動期を迎えています


こんな時代だからこそ、

一人ひとりがしっかりと「Earthing」することが求められているのでしょう


私のところに来た言葉も、

地球からのメッセージなのかもしれません


「Earthing」は、

しっかりと「Grounding」していなければ、

単にマインドで思い描く概念やイメージとしての地球や、

ビーイングに根づいていないふわふわとしたハートで感じる、

まだ浅いレベルの地球のエネルギーだったりしてしまいます


そのため、

単なるイメージとして地球を思い描くのではなく、

「足の裏を開いて」、実際に直接地球とつながり、

そのエネルギーを感じ、

それとひとつになっていくことが求められるでしょう


先日の連休に行われた9月のリトリートで、

「足の裏を開き」、「Earthing」する瞑想を行いました


1日目

①足の裏を開く

まず、

物理的に足の裏を開きます

足の親指からかかとに向かって伸びている筋を、

指でよくほぐしていきます


ここが固く、ロックされていると、

地球のエネルギーからブロックされてしまいます


指である程度ほぐしたら、

足首を立てた状態で、足の指をぎゅっと握って、足の裏の筋を縮めて、

深呼吸を5回位して、さらに筋を緩めていきます


その後、足の指でグーパーを10回位します


人類が靴を履き、裸足で歩くことがなくなってから、

地球のエネルギーを足の裏から直接取り入れることができなくなってしまったように思われます

肉体は地球の一部であるのに、

地球のエネルギーからシャットアウトされ、

肉体が正しく機能できなくなり、

それが原因で病気になりやすくなっているのではないかと感じます


私自身も足の裏の筋が固く、

ずっと足が冷えて、夏でも靴下をはかないと寝られないし、

家の中でもスリッパを履かないと冷えてしょうがない状態でしたが、

「Earthing」という言葉を受けて、

足の裏をほぐして開いていくようにしてから、

スリッパが邪魔に感じ、

裸足で歩く心地よさを感じ始めました


ちょっと外は毛虫がいるので裸足で歩くのはまだ躊躇してしまいますが、

今度、砂浜に行って裸足で歩いたり、

地球とつながる瞑想をしたいと思っています


次に、

アキレス腱やふくらはぎも緩めます

足首を立てて、ふくらはぎを伸ばした状態で、

かかとの上あたりからアキレス腱をつまんで深呼吸を5回位します

指一本分程度上にずらしていきながら同じ要領で、

ずっとふくらはぎを緩めていきます


最後に、

立って足首を片足ずつよく振っておきます


②立って、足の裏を開いて瞑想する(立禅)

足を肩幅位に開き、膝も少し緩めて、リラックスして立つ

上半身もリラックス

「足の裏を開く」と意識しながら、

足の裏から息を吸い、

足の裏から息を吐く

(実際に呼吸するのは鼻からですが、「足の裏から呼吸する」と意識することで、

地球のエネルギーが足の裏から出入りするようになります)


ビーイングに入っていきやすい、ゆったりと心地よい音楽をかけるといいです


20分から30分程度、

地球のエネルギーを感じ、

それと溶け合い、

それとひとつになるよう、

立ったまま瞑想します


地球の意識、地球の意思を感じられると思います


可能でしたら、

砂浜や、芝生や土の上で行ってみると、

より効果的だと思います


今度、機会があったら、

白浜でこの「足の裏を開き、地球とつながる瞑想」を行いたいと思っています


2日目以降は、

またつづきで書いていきますね






2020年9月15日火曜日

ハートの瞑想~2020年6月7日 Online 1 Day Retreatより~





お久しぶりです

7月後半から、東京の家の引っ越しでバタバタしていて、
動画作成もアップも何もできず、
ひたすら東京と伊豆、2軒の家の片づけに追われていましたが、
ようやくだいぶ落ち着いてきました

1軒の家を空っぽにする、というのは、
本当に大変なことですね

どうしても捨てられないものを持ってくるだけで、
2tロング車・・・

それを小さな伊豆の家に押し込むために、
伊豆の家も断捨離して整理し、棚をいろいろ作り、
どうにかして、
ようやく収まってきたところです

今回の経験で、
自分の身体の動くうちに、
この家の物も整理していかないと、
後に残された人が本当に大変な思いをするなあ、と思いました

でも、シンプルで何もない空間より、
この地球の森や海といった自然のように、
たくさんの命やものがごちゃごちゃひしめいていながら調和している感じが心地よく、
それらを見ているだけで幸せで、
ついつい、
植物や生き物や小物が増えていってしまいます

きっとこれは生涯変わることもなく、
パートナーさんや子ども達は後で苦労することになるでしょう(;´Д`)

でも、ある日突然、
ばーんと手放す時が来そうな気もします

さて、
だいぶ落ち着いてきたところで、
久しぶりに動画をアップいたしました

撮影したのは6月と、かなり時間が経ってしまいましたが、
Online 1 Day Retreatでの、
最後のハートの瞑想になります

瞑想中の映像を流すのはちょっと抵抗があったのですが、
今回はかなりの時間、
ユニバーサル・ガイダンスによるエネルギーワークが行われていたため、
そのエネルギーをよりお伝えできるようにするために、
音声だけではなく、
映像も流すことにいたしました

最近、スピリチュアルな世界では、
この9月から二極化が激しくなるというメッセージが多く伝えられています

本当に聖書のヨハネの預言のように世界が展開していくのが、
目に見えて明らかになってきたこの頃、
より多くの方に瞑想の力を知っていただけたらと思っています






2020年8月5日水曜日

今夏、初海!浄化に来ました♪





まだまだコロナ自粛が続いていますが、
なかなか県外に出られない方々にも、
伊豆の自然のエネルギーをお届けしたくて、
近くの海岸に浄化に来た様子をレポートしました

海は毎日のように目にはしていますが、
やはり、その中に頭までどっぷり漬かれるのは、
夏になってからなので、
梅雨が明けるのを心待ちにしていました

今年の梅雨は大雨の被害も多く、
国道135号でも、近くで4回、土砂崩れで通行止めになりました

湿度も異常で、
家の中のあらゆる木製製品がカビてしまったほど

そんな時期は、心もなんとなくカビてしまいますね

8月過ぎて、ようやく梅雨が明けたので、
早速、海に浄化に来ました♪

海に頭までどっぷり漬かるのは、
最高の浄化、デトックスです♪

塩水ということも大きいですが、
やはり海という大自然、
全ての生命の根源であるその母胎のエネルギーが、
心身ともに深く癒し、
さっぱりと洗い流してくれます

30分ほど、海に漬かって、
何度か頭まで潜って、
たったそれだけで、
疲れてよどんでいた身体も頭もすっきりとし、
軽くなって、
元気になりました♪

赤沢海岸の紹介もしていますので、
ぜひ、ご覧いただき、
海のエネルギーを感じてみてください♪


2020年7月29日水曜日

ホワイトセージ③蒸留水(ハイドロゾル)作り編アップしました






ホワイトセージの蒸留水を作りました



東京の家のホワイトセージは今回が最後の収穫になるので、

ビンが割れずにうまくできるかどうか、

ビンが新品ではなかったのでハラハラしましたが、

最高のものができあがりました♪



皆様におわけできるほどの量ではありませんが、

ディープ・ヒーリングの際の浄化に使いたいと思います

2020年7月21日火曜日

ホワイトセージ②挿し穂(挿し木)編





浄化に必須のホワイトセージ



ネイティブアメリカンがスマッジングで使うホワイトセージは、

人にも石にも場にも何にでも使えて、

ネガティブなエネルギーを浄化してくれます



葉を乾燥させて炊き、その煙で浄化したり、

ハイドロゾル(蒸留水)やエッセンシャルオイルのスプレーを作って浄化したり、

ハーブティーにして内側から浄化したり、

様々な使い方ができます



瞑想やヒーリングの後には、

たくさんのネガティブなエネルギーが浮上してくるので、

お風呂で一日の汚れを落すように、

ホワイトセージで浮上したネガティブエネルギーを取り去るようにすると、

とても楽に軽くなります



とにかく、香りが本当に素晴らしいので、

香りをかぐだけでも活力が出てきたり、

癒されたりします♪



ホワイトセージは、

カリフォルニアの山に自生していますが、

スピリチュアルブームでたくさん刈り取られたために、

かなり枯れてしまったと聞きます



ホワイトセージはとても繊細な植物で、

人間の欲の強いエネルギーにさらされると、

全山枯れてしまうようです



日本でも、

日当たりが良ければ栽培はそれほど難しくはありません

鉢植えでも栽培できます♪



ただ、湿度には弱く、

伊豆の自宅は山の中で湿気が強いため、

あまり旺盛には育ちません(涙



今は苗も売っているので、

ぜひ皆さまもホワイトセージの栽培に挑戦して、

毎日の心やエネルギーの垢落としに使ってみてください♪



自家栽培ならではの、

フレッシュリーフのハーブティ、

超お薦めです!!




2020年7月18日土曜日

ホワイトセージ~①刈り取りと収穫編~





自宅で栽培している、

ホワイトセージの収穫と、

挿し穂の刈り取りの様子です



ディープ・ヒーリングや、

日々の浄化のために欠かせないホワイトセージ



乾燥させた葉でスマッジングしたり、

蒸留水にしてシュッシュッと吹きかけたり、

ソープにして毎日の入浴でネガティブなエネルギーを洗い流したり、

そのままハーブティーにして身体の中から浄化したり・・・



ホワイトセージは、

パワーストーンだけではなく、

人や場など、

何にでも効果的に使う事ができます



もう、その香りが素晴らしくて、

一度知ったらやみつきになります♪

2020年7月7日火曜日

ビーイングの瞑想~2020年6月7日1Day Online Retreatより~





6月7日1Day Online Retreatにおける、

2回目の瞑想、

ビーイングの瞑想です



通常、1Dayに参加している方々の瞑想は、

もっと総合的な瞑想の段階ですが、

今回は、復習もかねて、

より目覚めとつながりを強固にしていくために、

3つのエリアにフォーカスして瞑想を行いました

2020年7月2日木曜日

天然記念物モリアオガエルの産卵とオタマジャクシ♪





今年も我が家にモリアオガエルが産卵しました♪

またまた位置がずれていたので、

タライで受けて、水場に離してあげました

その様子をぜひご覧ください

最後には、モリアオガエルも登場します♪

2020年6月30日火曜日

パーソナリティとは「トータルパス」霊的進化と人間性の成熟の「道」第一章 目覚めの地図 「3つの柱」と「5つの身体」パーソナリティとは

目覚めの地図
「3つの柱」と「5つの身体」



パーソナリティとは

人間サイド
・多次元的存在である人間の一番表層の次元
  私たち人間存在とは、多次元にわたる存在です。それは、『神性』とひとつである次元から、最も表層の部分であるパーソナリティの次元にわたる存在です。その、一番表層の次元である、一般的な人が自分だと思っているものを総称して、パーソナリティと呼んでいます。そして、私たちはそれを真の自己である「魂」や『神性』の次元に対して、「人間サイド」という言葉を使うこともあります。つまり、人間は多次元の存在ではありますが、私たちが「人間サイド」と言う時、それは最も粗い次元であるパーソナリティの次元を指しているという事です。
 
 パーソナリティには、様々な要素、側面が含まれています。肉体、容姿や五感(六感)を始め、その人のユニークな魂の味わい、色合いから、それに伴う精神性や指向性などの生来的で純粋な性質に加え、これまでの輪廻転生において蓄積してきた様々なカルマやテーマなどから創られてくる性質や反応のあり方、また、産まれた環境や育つ環境によって条件づけられてきた性質や性格、反応のあり方など、それらが非常に複雑に相絡まって、1人の存在のパーソナリティというものが形成されていきます。

・変化する一時的なもの
 そのパーソナリティは必ずしも固定的なものではなく、その人の年齢や時期、人生経験などによって、あるいは、その人生においてその時期どのテーマに取り組もうとしているのかによって、多少の変化、人によっては大きな変化を辿っていきます。時間軸に沿って変化していくだけではなく、例えば、一瞬前と一瞬後で大きな変化が現れることもあったり、一日のうちでコロコロと移り変わったり戻ったりすることもあります。
 つまり、パーソナリティとは絶対的で不変なものではなく、移り変わっていく一時的なものであると言えます。

・人生のストーリーとの固着
 そのパーソナリティは、ほとんどの場合、その人が歩む人生のストーリー、人生のドラマと強く結びつけられています。言い換えれば、「これこれこういう人生を歩んできた」「これこれこういう経験をしてきた」という事と、切り離して存在しているパーソナリティは無いと言うこともできます。恐らく、100%に近い人たちの認識において、その人自身の人生のストーリーと切り離してその存在を認識できるようなパーソナリティは存在していないでしょう。それは、ただ単に人がそれを認識できていないという意味ではなく、人生のストーリーと切り離されて存在しているパーソナリティなど、そもそも無い、という事です。
 つまり、それはあらゆる外側の事象と切り離されて実在している何か実体のあるものではなく、非常に観念的な、例えて言うならば、非常にバーチャル的なものである、という事です。それゆえ、過去の聖人や覚者たちが口を揃えて、それは「幻想」だと言ったのでしょう。
 だからこそ、パーソナリティを超えるためには、人生のストーリー、ドラマへの固着から引き剥がされなければなりません。固着とは、糊付けされているように、強く結びつけられているという事であり、それと自己同一しているということでもあります。よく、執着しないようにと言われますが、執着と固着は違います。執着は固着の上にさらにしがみつくという事です。だから、執着を手放すだけでは固着から引き剥がされることはありません。執着は気づきやすいですが、固着はごく自然に、あまりにも当たり前の感覚として最初から為されているため、それに気づくためには、かなりのワークと繊細な感性が必要とされます。

・パーソナリティの幻想性
 そして、そのパーソナリティは、その人自身のフィルターを通して、その人自身の解釈を通して、体験され、認識されていきます。パーソナリティとしてのその人のあらゆる事の認識には、全て、そもそもその創り上げられてきたパーソナリティというフィルター、違う言葉で言えば色眼鏡がかけられています。平たく言えば、同じ事象を見ても、人によって受け取りや解釈が違うという事です。
 例えばAさんは、自分の事を「こういうパーソナリティだ」と思っています。それを「自己イメージ」と、私たちは呼んでいます。それは言うまでもなく、肉体、容姿に関することから、性質、性格、思想、行動力学、能力、所有、社会における立ち位置、地位、他者からの評価など、多岐にわたっています。
 私たちは各々「自己イメージ」を持っていて、他の人からもそう見えると思っていたり、そう見られるよう、いろいろ操作したり演技したり、そう見られないことで不満を抱いたり、あるいは、それを隠そうと画策したり、「自己イメージ」にまつわるあらゆる事で、日々を忙しなく、苦労して過ごしています。私たちは、自分で勝手に作り上げた「自己イメージ」にコントロールされ、振り回されています。そういった事に関しては、また、「パーソナリティの浄化」に関するページで詳しく書いていこうと思います。ここでは、簡単に、その人自身にとってのその人のパーソナリティというのは、その「自己イメージ」に基づいているということだけ、押さえておいてください。
 ところが、実際に起こっていることは、Bさんから見たAさんのパーソナリティは、Aさんの持っている「自己イメージ」とは違うパーソナリティであるという事です。Cさんから見たら、また違うパーソナリティに見えることでしょう。Aさん、Bさん、CさんそれぞれのAさんのパーソナリティに対する認識にある程度の共通性はあると思いますが、それが完全に一致することはないのが現実でしょう。
 そして、それは誰のが正しくて誰のが間違っているという問題ではありません。それぞれ全て、それぞれのフィルターを通して見た結果なのです。

 それは一体何を意味しているのでしょう?それは、パーソナリティがパーソナリティを通して認識し、体験しているものは全て、"事実ではない”、という事を意味しています。
 私たちは通常、自分の周りで起きていること、自分自身の内側に起こる反応など、それら全てを"事実”だと受け止めて生きています。でも、実際は、そこには普遍的な"事実”など何もないのです。これは、何も霊的な体験がなくても、よく観察し、理論的に考えれば誰にでもわかることです。"事実”だと思っている事も全て、パーソナリティというフィルターのかかった映写機を通して歪めて映し出された虚像に過ぎないのです。
 ちょっと違う角度から言えば、パーソナリティに限らず、この現象世界というものは、パーソナリティが創り出している妄想のようなもの、とも言えます。人がパーソナリティの次元のみに生きる時、それはまさに「幻想」の中で生きていると言うことができます。
 この「幻想」から脱するためには、パーソナリティの次元を超えた真の自己である「魂」を目覚めさせ、その「実在性」の中から、この現象世界を見なければなりません。

・『神性』に還るためのツール
 とはいえ、パーソナリティそのものは、別に悪いものではありません。それは、私たち多次元的な存在が、この現象世界で生き、二元の世界で「体験」するために与えられた、「魂」の拡張機能のようなものです。それは「魂」ではありませんが、最初に書いた通り、なにがしかの「魂」の投射を表しています。それは、「魂」が地上で「魂」に還り、『神性』という本来の家に還るために与えられた、貴重で尊いツールでもあるのです。そのツールがなければ、私たちはこの現象世界で「魂」、『神性』に還ることができなくなってしまいます。

 それゆえ、パーソナリティそのものを否定したり、根絶させようとすることは、無意味であるどころか、逆に、『神性』に還るという霊的進化の道を妨げることになりかねないのです。
 問題は、パーソナリティそのものにあるのではなく、パーソナリティが自分だと思い、パーソナリティの次元だけに生き、それだけが"事実”でありリアリティであると思い込み、それに支配権を完全に与えてしまっている事にあるのです。パーソナリティが暴走して描き出している妄想の世界を、妄想の世界と知らずにさらにそれを肥大化させ続けている事にあるのです。

・パーソナリティに取るべき態度
 私たちがパーソナリティに対して取るべき態度は、真の自己を目覚めさせることで、パーソナリティに与えている支配権を取り戻し、パーソナリティを本来の位置に戻し、機能としてのパーソナリティを正しく使いこなす事なのです。「魂」を何らかの形で映し出しているパーソナリティを浄化し、肥大化したそれをシンプルに戻し、それを温かく包み込み、愛し、それを生き切ることなのです。

 パーソナリティを通してこの次元で生きることは、あなたの「魂」、『神性』をそのパーソナリティを通してこの次元にもたらすことに他なりません。
 パーソナリティとは、「魂」、『神性』をこの次元にもたらすための通路であり、それらが行き来するための橋なのです。

・「魂」に同調させる
 あなたのパーソナリティは、「魂」に同調しているでしょうか?それとも、あなたがあなたのパーソナリティに同調していますか?
 「魂」に同調することは、パーソナリティにとって楽であるとは限りません。それは時として忍耐を要求し、痛みを伴う成長を強います。あなたは、子どもを育てるように、忍耐強く、愛を込めてパーソナリティを育てていかなければなりません。
 それは、「自己イメージ」に合わせて自分を操作したり背伸びさせたり、演技させたり無理強いさせることとは全く違います。それでは、あなたがあなたのパーソナリティに同調していることになります。
 よく、スピリチュアルな世界で、あなたの心が「わくわくする」ことや「楽しい」ことをすることが「魂」に同調することだというメッセージが伝えられています。それを「楽ちんな方」と間違えて解釈してしまうと、あなたはあなたのパーソナリティに同調することになってしまいます。
 多くの場合、「魂」はそのパーソナリティにとって厳しい方、大変な方を選択させようとしています。
 
 そういう意味では、「魂」がある「自己イメージ」をパーソナリティに与える場合もあります。
 例えば、あなたが「私は人のために尽くす人だ」という「自己イメージ」を持っているとしましょう。そういう類の「自己イメージ」には、その人の本質が隠されている場合があります。
 その「自己イメージ」を「自分劇場」のショーとして見せようとする人(つまり、「こんな私、素敵でしょ?」と演技して見せつける人)の場合は違うかもしれませんが、その「自己イメージ」に合わせるために、あなたは一生懸命、人のために動いて尽力しようとします。でも、一生懸命やっているのに、その相手からそれほど感謝されなかったり、評価されなかったり、裏目に出たりします。いつも、それで傷ついたり苦労ばかりしているとします。
 すると、あなたは、そんな「自己イメージ」は捨てて、もっと自分を大切にして、楽に生きようと思います。その方が苦労して報われないより、自分が輝くだろうと思うのです。
 でも、そうやって生きたとしても、楽しいけれど、どこかにむなしさが残ります。あるいは、どこかに不完全燃焼感が残ります。あるいは、自分自身に負けたという感覚が残ります。
 そういう場合、「魂」があなたにあなたの本質を表す「自己イメージ」を与えていた事がわかります。その場合、あなたは忍耐強く、温かく、あなたのパーソナリティがその「自己イメージ」に合うように育てていかなければなりません。そうして初めて、あなたはあなたの本質である偉大な愛を、本当にこの次元にもたらすことができるからに他なりません。

 スピリチュアルな世界には、本当に多くの落とし穴が存在しています。あなたの耳やパーソナリティに心地よい言葉の多くは、背後に落とし穴が隠されているかもしれません。

 あなたにふさわしい評価を与えてくれるのは、あなたのパーソナリティでも他の人のパーソナリティでもありません。あなた自身の「魂」です。
 心の最奥の「自分自身」を偽ったり騙したりごまかしたりすることのないよう、そのパーソナリティを、あなたの「人間サイド」を精一杯生きてください。

2020年6月25日木曜日

圧力鍋でハイドロゾル(蒸留水)作り♪"ハッピーハーブ”セントジョーンズワート編





セントジョーンズワートのハイドロゾル(蒸留水)を作ったところ、

期待以上の素晴らしいハイドロができあがりました♪



ハートに入っていき、

ハートを広げて開いてくれる感じです



"ハッピーハーブ”と呼ばれているだけあって、

本当にハッピーになります



大量に収穫できたので、除菌水ができればという程度で作り始めたのですが、

予想をはるかに超える結果となりました



日常の中で、

またヒーリングに、

どのように使えるか、

いろいろ試していきたいと思います



これから、不安も広がるであろう世界情勢の中で、

精神をUPしていくためにも、

このハイドロが果たしてくれる役割は大きいのではないかと思います



セントジョーンズワート、すごモノです!

2020年6月19日金曜日

畑にミニミニ田んぼ作り~神様から日本人にもたらされたお米





かねてからの念願だった、
畑でのイセヒカリの栽培

実験的にミニミニ田んぼ作りに着手しました

昨今、健康のために、糖質制限が言われていて、
日本人のお米離れも進んでいるようですが、
「日月神示」だったか何かのご神託でも示されていたと思いますが、
お米は神様から日本人のためにもたらされた食べ物です

日本人本来の粘り強さ、穏やかさ、剛健質実な性質、
そのパワーは、
お米を栽培し、主食として食べることから育まれて来たものだと感じます

昔の飛脚は、握り飯だけで走り続けられましたが、
他の食べ物だとすぐに力尽きてダメだったそうです

もちろん、品種改良され、精米されたお米は本来のパワーに欠け、
糖質を過剰に摂取することになる可能性もあるので、
できるだけ玄米で食べるのが良いと思います
(でも、白米はおいしいですよね♪)

特に、イセヒカリは、
平成元年に伊勢を大型台風が2度も襲った時に、
伊勢神宮のご神田で、
なぎ倒されたコシヒカリの稲の中で、
2本だけすっくと立っていた稲があり、
それがイセヒカリと命名され、
平成8年に全国の11の神社に下賜され、
全国の篤農家の方々によって栽培されてきたもので、
まさに神様からの贈り物と言えるお米です

強いだけではなく、
農薬もいらず、肥料もほとんど必要とせず、
それでいて食味もコシヒカリより高いという、
平成元年に現れた、奇跡のお米です

それを考えると、
令和元年にも台風15号、19号とスーパー台風が2回襲いましたが、
もしかすると、
また伊勢のご神田で新たな令和のお米が現れていたかもしれませんね

今年、国連専門機関の国連食糧農業機関(FAO)と
世界保健機関(WHO)、
関連機関の世界貿易機関(WTO)の3機関が、
世界的な食糧難を警告しています

日本でも、
早い段階で全国の田んぼを復活させ、
食料自給率を上げていく方向に転換する必要があると思います

畑でお米が栽培できれば、
個人でもお米を栽培できる可能性が高まると思います

陸稲もありますが、
やはり個人的にイセヒカリの栽培ができるとうれしい

イセヒカリは畑栽培もできると言われていますが、
過去3年間、試みて来た結果、
非常に貧弱にしか育たず、色も黄色がかり、
稲穂ができることはできますが、
1本の稲穂にわずか数粒で、それも薄っぺたい実がつくだけだったので、
やはり稲が成長する時期はある程度の水が必要なのかと思い、
ミニミニ田んぼを実験的に作ってみた訳です

時期は遅くなってしまいましたが、
梅雨の合間の晴れ間に苗の植え付けをして、
今年様子を見たいと楽しみにしています

また、その様子もyoutubeでお届けしていく予定ですので、
ぜひ、ご覧ください




2020年6月15日月曜日

神性とは 「トータルパス」霊的進化と人間性の成熟の「道」第一章 目覚めの地図 「3つの柱」と「5つの身体」神性(DEVINE)とは

目覚めの地図
「3つの柱」と「5つの身体」



『神性(DEVINE)』とは

全ての根源
 『神性』とは、この現象世界における私たちという存在を始め、宇宙に存在するもの全て、あるいは宇宙そのものの、原初の原因であり、根源であるもののことを言います。全ての源、という言い方もできます。

『神性』の持つ質

 その全てを知ることができないほどの、「在る」という膨大なエネルギー
 それは無限であり、途方もないエネルギーであり、この現象世界をはるかに超え、全てを包含するものですが、私たち人間の意識では、その全容を把握することはできません。
よく、「無」と表現されますが、その意味は顕現、平たく言えば姿形、もしくは物質界をはるかに超えているということで、何も無いということではありません。むしろ、全ての可能性を携えた、膨大で無限のエネルギーである、という事です。私が無限というのは、私たちがその限界を知ることができない、もしくはその範囲や大きさを測ることができないという意味です。
 『神性』が本当に無限であるのか、あるいは有限であり、さらにそれを超えた何かが存在するのかは、今の私にはまだわかっていません。つまり、『神性』が11次元以上であることはわかりますが、11次元のみが『神性』なのか、それ以上の次元も全て『神性』なのか、おそらく、今の段階では後者とみなしているのだと思いますが、今の私ではまだそれを実証できていません。
 あのエネルギー状態を、「無」と表現するのは、正直なところ、よくわかりません。なぜなら、確かにそこに何かの物質、物体はありませんが、それはまさに「在る」という膨大なエネルギーだからです。それは、物質が「有る」という事とは全く違う事ですが、「神」もしくは「仏」、もしくは「名なきもの」という言葉を作った人たちもまた、その「在る」というエネルギーを感じたからこそ、それになにかしらの存在としての言葉を当てはめたのでしょう。おそらく、「無」と表現した人は、『神性』の一側面である「絶対状態」を体験したのではないでしょうか。
 『神性』の次元では、何も起こっていません。それを「無」と表現したのかもしれません。
 いずれにしても、『神性』との直接の出会いの体験は、非常に圧倒的なものであり、感動すらも超えた、畏怖ともいうべき体験です。そこに至って初めて、私たちは私たちの「魂」の全体を知ることができます。
 
 「魂」は、それとひとつであり、それを体験することはできますが、「神性」の全てを体験し、知ることはできません。なぜなら、それは「魂」の領域をはるかにはるかに超えているからです。それは、私たちが一度の生の体験で得た知識や感性を総動員しても、表しうるものではありません。大いなるもの、偉大なるもの、という言葉ですら、それそのものと比べたら、ひどく矮小な言葉に感じてしまいます。
 多くの詩人や覚醒者がそれを表現しようと試みて来ましたが、おそらく、どの人もどの人も、それを表現しうるものがないことを痛感したことでしょう。そして、その体験に比べたら、地上でのどんな素晴らしい体験も、色あせて見えたことでしょう。それは、体験を超えた体験です。

 「魂」の故郷ー「魂」の完全なる休息、安堵
 それでもなお、「魂」はそれが自分の本当の故郷であり、自分の本当の家であり、自分の真の親であり、自分が存在することの原因だということを知ることができます。そこに還った時、「魂」は真の充足と安堵を感じることができます。生まれたての赤子が、母親に抱かれてすやすやと安心して眠るように、私たちは真の休息の中で、初めて完全にやすらぐことができます。心底、丸ごと、絶対的にやすらぐのです。その時初めて、真の「安堵」とはこういうものだったのかとわかります。それは、絶対的に不変で動きのない『神性』の次元でのみ、体験できる真の安堵です。

 不変、不動ー静けさ、沈黙ー「今」
 その絶対的に不変で不動の質は、完全なる静けさ、沈黙を表します。それはまた、時間がない事と、永遠性を表します。永遠であるということは、始まりもなく、終わりもないということです。
 この静けさの次元が、私たち人間存在の基盤でもあります。それは、大地のような、木が根を大きく張って幹や枝を支えるための土台のようなものです。私たち人間存在も、この沈黙の大地に、その存在の根を張っています。その大地なくして、私たちは存在することはできません。私たちという存在の根は、この大地同様、永遠であり、不動で不変なのです。
 この静けさと沈黙の質こそが、「今」の本質です。「今」にいる、ということは、過去と未来の中間の現在にいるという意味では全くなく、この時間のない、不変、不動の次元にいるということです。そのため、いくら時間軸の中で、現在の瞬間瞬間にいようとしても、それだけでは、真の「今」の深みに到達することはできません。現在の瞬間は、「今」への入り口に過ぎません。その入り口から、垂直にこの次元へと深く入っていく必要があります。

 神聖さ
 『神性』の膨大なエネルギーそのものが、究極の神聖さを備えています。
 それは、大地を洗い流す雨や、常に新鮮な空気を運ぶ風のように、全てを洗い流し、新鮮さをもたらし、清らかさを与えてくれるものです。「魂」の体験もそうですが、『神性』の体験もまた、それらが不動で不変であるにもかかわらず、常に新鮮であるのも、それが時間のない、「今」の体験であることと、この神聖さから来るものであると言えます。
 またそれは、全ての存在に王の威厳や偉大さをもたらしてくれます。この神聖さによって、私たち人間存在という木はすっくと真っ直ぐに伸び、高貴さを備えた堂々たる姿を表すことができます。もちろん、誰しもが、生まれながらにこの質を備えています。

 愛
 『神性』と出会い、それに触れ、それに触れられる時、私たちは今まで一度として、それから離れたことも、それから別れたこともないことを知ります。私たちは、いついかなる時でも、それとともにありました。「神に愛されていない」と嘆いて涙した日々も、実は神の愛にすっぽりと包まれていた事を知ります。「私はずっと神に愛されていたのだ」「何も心配することなどなかったのだ」と、心底わかるのです。そして、その時、愛されている歓びに涙するのです。
 この、「愛」という『神性』の側面を、私たちはよく『最愛なるもの』と表現します。
それは、『神性』の女性性、あるいは母性の側面を表しています。

 『神性』の愛には、何の制限もなく、何の条件もありません。「あなたがこうであれば、私はあなたを愛する」とは決して言いません。『神性』の都合の良い時だけ愛するわけでもありません。ただ、あなたを愛するのです。あなたという存在を愛するのです。それが途絶えたり、特定の間だけだったり、尽きてしまったりすることは決してありません。
 あなたが今存在しているということが、あなたが『神性』に愛されているという確たる証拠です。こういう表現をすると、『神性』が何か行為を行う個人性を持つ存在のように聞こえてしまうかもしれませんが、『神性』に個人性は全くありません。完全に個を超えたるものです。でありながら、非常に親密な、最高に親密な『神性』とのつながりを私たちは体験します。あなたが完全に透明になった時、『神性』との間の隔たりは完全になくなり、あなたはそれと溶け合うからです。

 歓び

『神性』とひとつになる

 でも、私たちがマインドだけの中で生きる時、そのつながりを、その自分が包まれている愛を、感じることができなくなってしまいます。なぜなのでしょう?次元が違うからという理由もありますが、マインドというのは、なぜか、ネガティブな方向により働くような習性を持っています。それは、どんなに知識を集積したとしても、むしろすればするほど、よりネガティブに、より否定的な方向に向かう事が多いようです。

 とはいえ、マインドもよく見ていくと、ふたつのマインドがあるのがわかります。よく、内なる対話と表現されるように、自分の内側で、二人の自分がいて、違う見解や違う意見、異なる思いを抱くことがあります。例えば、「もっとこうでなければ」というあなたと、「いや、それは大変だし」と答えるあなた。「こっちの方が得じゃない?」「いや、損でもこっちじゃないといけないような・・・」。あなたは、いつもどちらの声に従っているでしょう?これについては、また「マインドとは」というページで、詳しく述べて行きたいと思います。

 ここでは、実は、私たちの心の奥では、「すでにわかっている」ということだけ、お伝えしておきます。奥深くで、『神性』の愛を知っているからこそ、その愛を見失っている状態がつらくて苦しいのです。奥深くで、『神性』とつながっているからこそ、本来のあなたとしての声がマインドの中に沸き起こるのです。

 表層的で主力的なマインドの中だけで生きる時、私たちは見捨てられて一人孤独な惨めな自我として生きることになります。その生を多く占めるのは、不安や心配、恐怖や猜疑であり、あたかも、愛や安堵、信頼から対極にかけ離れているように感じます。でも、その苦しみがあるからこそ、私たちは反対の対極に行こうとし、『神性』の愛を再び見出し、『神性』と再びひとつになろうとします。

 私たちが真に求めているものは何でしょう?
 人によっては、「幸せ」だったり、「承認」だったり、「愛」だったり、もしかすると「お金」だったり、「栄光」だったりするかもしれません。霊的進化の道に入る前、例え、自分ではスピリチュアルな道を歩んでいると思っていたとしても、多くの場合、人は自分の外側に求めているものを探し、得ようとしています。自分の求めているものは『神性』と出会う事だと言う人でさえ、ほとんどの場合は、自分の外側にそれを見つけようとします。それゆえ、誰か特定のマスターにそれを投影し、そのマスターの信者になります。
 でも、その探し求めているものは、外側にはありません。それは散々言われて来たことなので、知識として知らない探究者はほとんどいないでしょう。でも、本当に、求めるものは内側にあるということが理解できていて、初めから内側に向かえる人はごく稀です。私も、言葉としてそれは知っていながら、師に人生のことを相談しては、「あなたの問題は、あなたがまだいないことだ」と言われ続け、本当の意味で内側に向かうことができるまでに、数か月も要してしまいました。
 私たちが真に求めているものは、『神性』と再びひとつになることです。本来の家に還ることです。それは、まさにあなたのあなたを通して起こります。あなたの最も内側で起こります。
 だからこそ、私たちは「魂」を目覚めさせることを急務とし、それを通して、それを明け渡すことで『神性』へと至り、ひとつに溶け去っていくのです。


『神性』と「神々」の違い

 さて、ここで、少し『神性』と「神々」の違いについて書いておきます。『神性』とは、絶対で不変なる至高のものを指しますが、旧約聖書における「契約の神」であるヤハウェや、日本の神々である天照大御神や素戔嗚尊など、固有の名前を持つ神は、『神性』ではなく、私たち人間より霊的に進化した「魂」の存在であると、私たちはみなしています。
 『神性』は、何の契約も私たちに強要しません。固有の名前も持ちません。『神性』は、人格(神格?)を持つような存在ではないので、感情もなければ、私たちに何かを期待したり、要求することもありません。ただ、『神性』にはたったひとつの意図、もしくは意志があるように思われます。それは、「在れ」という意図です。「在れ」と『神性』がその波動を発した時、意識が生じ、「魂」が生まれたのではないかと思います。「在れ」という意図そのものが意識なのかもしれません。その意識が、「在れ」とこの現象世界を創造し、顕現させました。その創造という現象については、また別の項で書きますが、『神性』は、この現象世界に関心がある訳でもそれに携わっている訳でもありません。

2020年6月3日水曜日

小豆の植え付けと焚火で焼きそら豆♪





「空と海と大地と」

土っこかあさんの伊豆暮らし、

畑シリーズの第3弾をアップしました



今回は、

私の生にとってかかせない「火」「焚火」もちょこっとですが、

その様子をお届けしています



ぜひ、お楽しみください

2020年5月31日日曜日

2020年5月30日土曜日

わが家の畑へようこそ♪





うちの畑や収穫の様子を、ちょこっとレシピや豆知識を添えてアップしました



ちょっと手振れのひどい場面もありますが、

自然や無農薬の野菜たちのエネルギーをお楽しみください♪

2020年5月25日月曜日

イセヒカリの苗植え ~プランター栽培編~





自粛でお疲れの皆様に、
少しでも自然のエネルギーをお届けしたくて、
イセヒカリの苗植えの様子を動画におさめました

イセヒカリを神棚にお供えするために、
久しぶりに栽培を再開いたしました

うまく、収穫までたどりつけるといいですが、
今年の天候、自然災害、いろいろ危惧もありますので、
どうなるかわかりませんが、
国土や国民の安全も祈願して、
栽培していきたいと思います

これから、
「空と海と大地と」をテーマに、
畑や庭作り、自然の恵みの食、DIYなど、
自然豊かな伊豆での暮らしを通して、
伊豆のヒーリングエネルギーをお届けしていきたいと思っています

自粛のおかげで、
こういうことをする時間が持てるようになりました

ちょっとまだ撮影には慣れず、
見づらい動画ではありますが、
ぜひ、お楽しみいただければと思います




2020年5月20日水曜日

2020 5 6平和への祈り youtubeにアップしました





GW Online Retreatの中で行った、

「平和への祈り」の瞑想をYouTubeにアップしました



ここで行われた「平和への祈り」の瞑想は、

私の師であるフーマンから伝えられた「世界平和への祈り」の瞑想の、

ガイダンスによってアレンジされた形でのものです



今回は、さらに行っていく中で、

非常に深いレベルにまで進化していきました



真の祈りとは、

神や何かに願うことではなく、

最奥にある聖なる、

真の自分自身の姿を顕すことです



日本では随分沈静化してきて、

世界でも収束の方向に向かってはいるようですが、

今年の冬からの第二波、第三波も言われています



感染症だけではなく、

今年懸念されている様々な自然災害や国際状況の緊張など、

この大きな変動の時期に、

一人でも多くの方が、

真の自分自身を顕し、

その愛を世界にもたらすことこそが、

何よりも大切だと思います



ぜひ、

皆さんも、

この動画を視聴しながら、

一緒に瞑想していただければと思います


2020年5月8日金曜日

プレイヤー瞑想 ~地球への祈り~ 2020.5.5

GWのOnline Retreatで、
「地球への祈り」のプレイヤー瞑想を行いました

今、地球上は世界的なパンデミックで混乱しています
これから先も、パンデミックだけではなく、
自然災害や国際間の緊張なども含め、
大きな変動の時代になっていくと思います

昨年、2019年辺りから、
この大変動の第一章に入った感がありましたが、
今年、2020年は徐々に第一章のクライマックスに近づいていき、
さらなる混乱に人々が巻き込まれていく可能性が高いため、
地上に愛と平安のエネルギーを注ぐために、
「地球への祈り」のプレイヤー瞑想を行いました

その録音を、YouTubeにアップいたしましたので、
URLを貼りつけておきます

https://youtu.be/9pGSYXSec94

ちょっと長いですが、
ぜひご覧いただき、
一緒に祈っていただければと思います




2020年4月30日木曜日

GW Online Retreat のお知らせ

直前のお知らせになりましたが、
5月3日より、スカイプでのOnline Retreatを開くことにいたしました

下記、詳細です

皆さまのご参加をお待ちしております

***

2020年4月26日日曜日

「トータルパス」霊的進化と人間性の成熟の「道」第一章 目覚めの地図 「3つの柱」と「5つの身体」魂(Me)とは

目覚めの地図
「3つの柱」と「5つの身体」

「魂(Me)」とは

 「魂」とは、「真の自己」という意味ですが、この言葉は、スピリチュアルの世界で使い古され、様々なイメージが貼りつけられてしまっています。多くの場合、"自分らしくある”というレベルの、まだパーソナリティの範囲内での深化、もしくは純化の状態を表しています。
 真にこの次元を超えてはいず、超えていたとしてもせいぜい5次元止まりの場合がほとんどです。そういった人達が言う事、関心がある事は、"いかにこの人生が良くなるか”"この人生の中でいかに幸せになるか”であり、大抵、"あなたはそのままでオッケー”とか、"あなたは光の存在だよ”とか、"ワクワクする事をしよう”、"自分を愛する”、"アセンション”、"愛と調和の世界がやって来る”、"ハートに従おう”、などなど、とても耳に心地よい事をさかんに主張しています。
 また、人生のあらゆる出来事の「意味」を求め続け、自分の人生の「意味づけ」に価値を見出し、熱心にそれを追い続けます。
 ホワイト・ブラザーフッドやプレアデスなどの、固有の名前を持ち、肉体を持たない存在達とのチャネリングやメッセージを伝える人達も同じレベルの進化を表しています。
 彼らも、魂という言葉をよく用い、それを実現することを最大の目的としていますが、自分の人生のストーリーを追求するという範囲から出る訳ではなく、そのストーリーそのものからの解脱にはほとんど触れません。「魂になってごらん!そうしたら、人生が今と違って素晴らしいものになるよ!」と言う訳です。つまり、自分はスクリーンに映し出されている映画の主人公であり、その主人公がいかにブラッシュアップし、愛と幸せを実現し、神秘的な体験をしていくかについて、多くを語っているのです。自分は映画の登場人物ではなく、本当はその映画を観ている鑑賞者だ、という事にはあまり触れません。
 そして、そういった人たちがよく言う事に、「善」と「悪」の存在がいる、ということがあります。神とサターンですね。そして、自分は「善」、もしくは「光」の側で、「悪」、もしくは「闇」の勢力と戦っている、と言います。つまり、そういう人たちは、まだそういう世界に住んでいる、ということです。そして、「光」を選択するように、「ポジティブ」な側だけを選択するようにと言います。
 世間で見受けられるスピリチュアルな世界では、そういった類のメッセージがあふれています。

 それが無意味だとかレベルが低いとか否定している訳では決してなく、 それでも人にとっては大きな進化であり、貴重なメッセージであることに変わりはありません。そういう教えを必要としている人たちがより多く存在している、という事です。

 人には、それぞれの段階があります。例えば、産まれたての赤ん坊がいれば、幼稚園生、小学生、中学生、高校生、大学生、社会人、青年、中年、老人と、いろいろな歳の人がいるように、霊的進化の段階も、若い人もいれば、高齢の人もいる、ということです。幼稚園生が大学生と比べて、悪いわけでも低い訳でもないことは、明瞭ですね。ただ、若いだけです。

 ですから、私たちはそういった教えを否定するつもりは一切ありません。自分にふさわしい段階の教えに惹かれるのは、当然の事ですし、それが必要な事です。

 ただ、気をつけなければいけない事は、そういった多くの教え、特に耳障りのいい事をさかんに言っている教えの中には、人類より低い性質の存在からのものが結構たくさんある、という事です。彼らは、真の教えと見間違うほど、内容的には同じようなことを言いますが、心地よい言葉で人を惹きつけ、支配しようとします。こういう場合は、教えている人そのものに依存させようとしたり、崇めさせようとしたりする事が多いので、そこをよく見極めるようにしてください。

 そして、重要なことは、そこで言われている「魂」が、完全な「魂」の実現を表している訳ではない、ということを、知っておく必要があるということです。
 私たちの教えの中で言う「魂」は、もっと広大で透明なものであり、さらに精妙で高次のものです。

 「真の自己」もいくつかの層があるのですが、それについては、次の部以降で詳細に書いていきます。

 完全な「魂」を知るためには、「魂」の次元を超えて、「神性」の次元へと到達する必要があります。おそらく、それを直接知った人は、世間にあふれるスピリチュアリティによって植え付けられた「魂」というイメージとは全く違うことに驚くでしょう。
 私たちは、「魂」という言葉を便宜上使いますが、それを定義したり、そのイメージを語ることはあまりしません。というのも、その植え付けられたイメージによって、人がそれそのものを見逃してしまうからです。「魂」を知るためには、何のイメージもなく、そこにあるものを純粋に知ることができなければなりません。完全に無垢で純粋な認識が必要とされるのです。

 そのためには、単に「ワクワクすること」をしたり、「ポジティブ」でいたり、あるいは、呼吸に集中したりマントラを唱える瞑想などをやるだけでは、全くもって十分ではありません。
 もっとダイレクトで有効な瞑想を行い、また、繊細な感受性と透明で高い知性を磨いていく必要があります。そして、シンプルなマインドと赤子のような無垢さを備える必要もあります。人生を通して自分の中に積み上げて来たものを、全て捨て去ることができなければなりません。完全に開くことと、明け渡すことが絶対的に必要となります。

 それゆえ、自分の人生のストーリーにまだ大きな関心があり手放せず、それをいかに素晴らしいものにしていくか、そのために瞑想しようと思っている段階の人では、無理が生じます。本当には何も手放せず、明け渡せないからです。いかに自分が人生のストーリー、もしくは、○○○子、×××男という今の名前の自分、つまりパーソナリティに固着しているか、気づくことができないからです。何が問題なのかすら、本当には見えないのです。

 ですから、この教えは、今の人生の問題がまだたくさん残っていたとしても、マインドでは「この人生、もっとましにならないかな」と思っていたとしても、「もう、人間としての人生はやりつくした」「もう、十分」というある種の感覚を、深いところで持っている人に向けてのものなのです。つまり、もう延々と長い道のりを歩いて来た老人のためのものなのです。(まあ、今の実際の老人で本当にそういう意味で老成している人は少ないですが。)それは、この人生での年齢は関係ありません。

 「魂」に還りたい。「本当の家に還りたい」そういう内側からの強い思いが生じて来ているかどうか。
 人によっては、最初、ただ「真理」を知りたい、という、純粋な思いとして感じる場合もあるでしょう。
 真の変容という段階に達した時、何らかの内側からの激しい思いが生じます。それこそがまさに、「魂」からのアラームです。

 そういった人たちには、前述したような世間にあふれるスピリチュアリティになんとなく違和感を感じたり、物足りなさを感じる場合が多いと思います。また、形骸化している既存の宗教にも物足りなさを感じることでしょう。

 私たちの教えである霊的進化の「道」の最終地点の一つは、完全な「魂」もしくは「私(Me)」を実現するということです。
 簡単に「私はいない」と結論づける教えは、その「私はいない」状態を体験しているのは誰なのか?それを認識しているのは誰なのか?という、その体験者そのものを見逃しています。
 この全ての体験者こそが、最も神秘的な存在であり、最も私たちにとって意味のあるものです。なぜなら、この体験者がいなければ、体験も宇宙も何も存在し得ないからです。何も起こりえないからです。

 もう一つは、その「魂」を通して、原初の原因である無限で全てなる「神性」へと拡大し、ひとつとなり、溶け去っていくことです。それが真の「ワンネス」であり、「ホールネス」です。「魂」はそこで、完全に休息し、消え去りますが、ごく微細な体験の認識だけは残ります。でなければ、その状態であることを知ることすらできないからです。
 この「神性」への拡大には、聖なる母に包まれた安堵や愛の体験など、いくつかの段階がありますが、私たちが知る最終地点は、「不可知」の領域へと拡大することです。それは、体験を超えた体験です。
 「不可知」とは、「知ることができない」ということです。あまりにもとてつもなく、膨大で広大で把握することができない、ということです。何か、途方もないものを体験していることだけはわかりますが、体験しているものが何なのか、途方もなさ過ぎて、把握できないのです。まさに、「畏怖」を体験します。
 その領域に、人はずっととどまることはできないでしょう。その領域に留まると、肉体をずっと維持していることができないからです。なので、真にその最終地点へと完全にシフトした時、そう長くないうちに、肉体は死を迎えると言われています。そして、人は永遠に、「神性」とひとつになり、その中でさらに拡大し続けていくのでしょう。

 これらの体験こそが、真に人を満たします。特に、「魂」との出逢いは、最も打ち震える体験です。
 でも、これらの体験は切り離すことはできません。先も書いたように、「神性」を体験している「魂」という体験者に気づかずにいることはできますが、そこに「魂」がいなければ、「神性」そのものがそこに現れることも、それを知ることもできません。

 ですから、この2つの側面が、両方とも必要なのです。
 「魂」によって、どこまで到達するかの違いはあります。「ブループリント」という言葉で表すように、「魂」が決めている到達点があります。そこに達すると、「完結感」を感じます。でも、そこから先に行けないということではありません。
 そして、霊的進化には終わりがありません。なぜなら、「神性」は無限だからです。そこへの拡大に、終わりはありません。ただ、肉体を持った人間としての最終地点はあります。でも、「魂」としての進化に終わりはありません。
 

山菜の力

伊豆の家は山の中にあるので、
近くでいろいろな山菜が採れます♪

この時期は、
筍(たけのこ)、蕗(ふき)、蕨(わらび)、芹(せり)、蓬(よもぎ)、こごみ
などが採れます
庭には、明日葉が自生しています
近くには、クレソンが自生しています

昨日の昼食は、芹蕎麦

夕食は、

明日葉、蓬、こごみ、ネギ坊主の天ぷら


蕗の煮物


筍ご飯と筍のお吸い物でした♪

採りたての山菜をたっぷりいただいたら、
身体が軽い!

エネルギーが軽いんです!

緊急事態宣言で、このところずっと世間のエネルギーを受けて妙に重苦しく、
だるかったのですが、
それがすっきりとしたのです♪

やっぱり、Wildのエネルギーはいいですね♪
軽い!

何か、
当たり前だけど本来の正しい方向に、
気もちも考えも身体も、
すっと自然になっていくような感じです

なんだか、
悩みがなくなる、って感じで、
すごくシンプルになる

大地にグラウンディングするからでしょうか

グラウンディングと言っても、
ずっしりという感じではなく、
風にそよぐ草の葉のように、
軽やかで明るい

普段から、無農薬無化学肥料の自家栽培野菜を食べているのですが、
野生の植物にはかないません

食べ物の影響って、
本当に大きいですね

普段どんなものを口にしているかで、
エネルギー的に規定されてしまっているのかもしれません


今回のウィルス騒動も、
地球の意思もあるのかな、などと思ってしまいます

ウィルスとも、地球の野生の植物、生き物とも、
共存できる範囲のシンプルな生き方を提示されているように思えてなりません

ウィルス騒動のおかげで、
2月半ばから伊豆にこもりっきりになったため、
ゆっくりと腰を落ち着かせて、
庭や畑や家の手入れに日々が過ぎ、
収入はないものの、
ようやくずっと念願だった暮らし方が実現しています♪

毎朝、花たちひとつひとつに目を配りながら水をやり、
苗作りに、種を蒔いた野菜や花たちの芽が出るのを毎日楽しみにし、
大工道具を振り回しながら、少しずつイメージが形になっていくのを楽しむ日々は、
本当に豊かで、
今、世界の多くの人がつらい思いをしているのに、
こんなに贅沢な暮らしをしていていいのだろうかと思うほどです

豊かさとは何か

今回のことで、
多くの人が自分にとっての本当の豊かさは何なのかを見出すのではないか、
と思います