2020年12月9日水曜日

ジャッジメントの昇華方法 冬至に向けての大浄化 ネガティブもポジティブも超えた聖なるものへ

 






2020年12月21日、冬至に向けてのこの時期、
個人から全人類に至る、
様々なレベルでの大きな浄化が起こっているようです

今年の冬至は、占星術的に、
稀に見る大きな変換の節目に当たるようです

そもそも冬至というのは太陽が最も低い位置に達する日で、
それを太陽の死とみなし、太陽が新しく生まれ変わる日とみなされていること、
また、
なにやらおおよそ20年周期と240年周期のグレートコンジャンクションや、
2400年周期の変換の時期とも重なり、
とにかく様々な変換の時期が重なった、
大きな節目となっているようです

それは、今の世界の状況を見てもわかりますよね

伊勢神宮でも、
毎年冬至の日には、
宇治橋の鳥居の真ん中に登る日の出が見られます

そのように設計されているのでしょうから、
神道にとっても、
冬至がいかに重要であるかわかります

年末は新年を迎える前に、
家の大掃除を行います

これも、冬至の前の大浄化、大掃除と無関係ではないのでしょう

特に、15日の新月に向けての期間は、
月の周期とも重なって、
最も浄化に適した時期と言えるでしょう

そんな、まさに浄化のための時期、
潜在意識の浄化を意識的に行っていくことで、
22日以降の大変革、新しい生まれ変わりをより鮮明にしていきたいものですね

ということで、
私自身もここのところ日増しに浮上してきていた「不満」の感覚を見て行こうと思いました

私が「人としてやるべき」と思っていることをやらない人に対して、
「なぜ、いつまでたってもやらないんだろう」と不満を感じてしまっていたのです

その不満の元には、
「やるべきこと」というジャッジメント、
「この人はそれをやらない」というジャッジメント、
「やるべきことをやらないのはダメ」というジャッジメントがある訳です

そして、その相手に対して、個人的な不満を感じてしまう、という訳です

いつもは、
それを深く視ていきながら、
より深い感覚を感じ切っていくのですが、
たまたまとあるyoutubeを見ていたら、
ちょうど「ジャッジを浄化する」という動画があったので、
それを見ながら、その誘導に従って、浄化を試みてみました

まず、ジャッジしている時の感覚を色で感じて、というので、
その色を感じてみました

すると、オレンジや赤を感じたのです

その方は黒でも青でも何色でもいいと言っていましたが、
そのニュアンスから、たいていは暗い色を感じるようでした
確かに、ネガティブな感覚ですから、
暗い色になりますよね

ところが、
明るい情熱的なオレンジや赤なのです

その色を感じているうちに、
どっしりとした太刀のイメージが出て来て、
それはとても力強く、聖剣のような威厳を放っているのです
まるで、霧島山の山頂に刺さっている天逆鉾のように、
すっくと立っている

その時に、
「ジャッジの大元には、何か本質的な思いがある」という理解が来ました

その本質的なものに触れていたため、
私にはオレンジや赤に感じられたのです

次の誘導で、
その色のボールを取り出して、天に投げるように、との事だったので、
その色と太刀を取り出して、
天に向かって投げました

その時に、
「その本質的な思いは個人的なものではなく、宇宙的普遍的である」という理解が来ました

そして、
その普遍的なるものを、天に返すだけではなく、
全世界に、全ての人に分かち与えなさい、というガイダンスが来たのです

それで、私はその太刀というか、その本質的で普遍的な思いを、
全世界に、全ての人に分かち与えました

すると、
それは完全に愛の行為であることがわかりました

非常にパワフルで、心が満ち溢れる行為でした

それによって、
「ジャッジというのは、
誰しもの心の奥深くにある、普遍的で本質的な思い、
まさにそれは神の意志でもあるのですが、
それを”個人的なもの”として受け取ることによって、
それを矮小化させ、
相手を測るものさしにし、ジャッジしてしまう」
ということがわかりました

それはコインの裏表のように、
表層ではネガティブな事でも、
底深くでは非常にポジティブな事、
いえ、
ネガティブもポジティブも超えた、
聖なるものなのです

なので、
実は自分自身ネガティブだと思っていることの奥底に、
本当はその人の本質的な思いが隠されているのです

だからこそ、
それが気になり、
そこを刺激され、
そこでジャッジが起こり、
それに不満を抱いてしまうのです

この、自分の中のネガティブなものから超ポジティブなものへと到達していくこと

それは、単なる浄化を超えた、「昇華」であると言えます

おそらく、
この誘導をされていた方は、
ネガティブなエネルギーを天に返す、という浄化のやり方を伝えたかったのだと思います

黒い色のエネルギーを、手放して、軽くなる

それも、とてもやりやすい、浄化のいい方法だと思います

でも、この奥底にある普遍的な聖なる思いまで到達することは、
より深い浄化をもたらしてくれると思います

それには、より深い瞑想の境地に達していることが必要だとは思いますが

とても良かったので、この方法を、
つい先日の1デイリトリートで2人の生徒さんに試してみたところ、
2人ともその深みまで到達し、
自分の内側の、その普遍的本質的な聖なる思いを知ることができました

深く入っていけば行くほど、
感じる色が変わっていくのも確かめられました

そして、
それを全世界に、全ての人に分かち与えた時、
2人とも満たされているのを感じられたようでした

本当は、
それを分かち与えにここに来ているんですよね

だから、
つい人をジャッジしてしまうこと、
どうしても他人のそれが気になること、
「自分だったらこうするのに」とよく思ってしまうこと、
それこそが、実は「やりに来ていること」への入り口なのです

自分自身がそれを聖なる思いの次元でフルに分かち合えた時、
ジャッジは落ちます

なので、
ついジャッジが起こってしまった時、
その聖なる思いの次元に立ち戻って行きましょう

個人的な受け取りの次元にいるのか、
聖なる思いの次元にいるのか、
自分の内側の満たされ度でわかりますが、
色を感じてみるのもわかりやすいと思います

ぜひ、チャレンジしてみてください♪

































2020年12月6日日曜日

人生を良くしたい人  人生を超え、解脱したい人

 自分がスピリチュアルだと自覚している人の中には、

ごくおおまかに言って、

2つの段階の人がいます


ひとつは、自分の人生をより良いものにする事に関心がある段階です

この場合の「自己実現」とは、

人間存在としての固有の自分を完成させる事を意味しています

これが、現在のスピリチュアルなシーンの大部分を占める人たちの段階です


もうひとつは、

人生を超え、この「人生」というストーリーそのものから解脱する事に関心がある段階です

この場合の「自己実現」とは、

人間存在としての固有の自分を超え、魂も超え、

神なるものとの一体に到達することによって、

霊的進化を完成させる事を意味しています

本当にこの段階に来ている人は、そう多くはありません


「本当の自分自身に出会う」という言葉を聞いて、

あなたはどういうイメージを抱きますか?


ひとつは、

「その人固有の花を咲かせる」

今、自分だと思っている一人の、

固有の名前と肉体と個性を持った存在が、

よりその固有さを表し、それを生かし、生き生きと個性的に、輝いて生きる

平凡な自分が、特別な自分に変わっていく

自分の人生の本当の意味を見出す


もうひとつは、

「何者でもなくなっていく」

「そこに自分はいなくなり、ただ神なる者だけが存在している」

本当の自分自身に近づけば近づくほど、

自分は透明になり、

そこには神の神聖さと愛と全体性がより現れて来る

人生とは映画のようなスクリーンに映し出される幻想であり、

本当の生はそれを超えたところにある


この2つの段階は、

どちらがいいとか悪いとかではなく、

どちらも正しく、どちらも重要で、

ただ、

その魂がどの段階にいるかを表しているだけです


ですが、

真の意味において、

人生を超えた時初めて、人生を生きることができます


どうしてでしょうか?


答えは簡単です

その意識の状態をよく考えてみればわかります


あなたが人生の意味を探究し、

それをより良いものにしていきたいと思う時、

あなたは固有のあなたとそのストーリーに固着し続けます


固着し続ける以上、

あなたはあなたの人生や固有のあなたそのものに支配され続け、

それを超えることはできません


もしかすると、

あなたは自分が一般的なスピリチュアルではない人とは違う、と思っているかもしれません


でも、意識の構造は同じままです


幸せになるための手段が、

物質的なことではなく、スピリチュアルなことに変わっただけです


無条件な幸福や喜び、愛と言いつつ、

ポジティブなことや光の側だけを良しとし、得ようとしている以上、

それは無条件では全くありません


固有のあなたやその人生との固着が外れ、

それを超えた時初めて、

あなたはそれに支配されずに、

ただ「あなた」として生きることができます


それは、

あなたの意識の構造が完全に変容するということです

意識の次元が完全に異なるという言い方もできます


それは、

固有のあなたが完全に滅することでも、

人生がなくなる訳でもありません


でも、

そこに意味を見出すことそのものが落ちます


なぜなら、

「あなた」は人生をはるかに超えたものだからです


それが、解脱です


本当の自分に出会うためには、

どこかの段階で、

自分を完全に手放し、明け渡すことが必要です


真の覚者がよく言うように、

自分が一度完全に死ななければならないのです


でも、そのためには、

今の自分を完成させ、完結するか、

絶望し切るか、

どちらかが必要になってくるでしょう


完結した時に、それでもなおまだ満たされ切らないものが残っている事に気づけた魂は、

それを超えようとします


絶望した時は、

もう、超えるしか道はないことがわかります


どちらを選ぶかは、

魂次第なのでしょう


でも、

絶望の方が、よりダイレクトに早く、超える道を進むことができるでしょう

他にもはや手段がないからです


固有のあなたや人生に固着し、それを探究し続けると、

「まだ、他に何とかなる方法があるんじゃないか?」と、

「もっと満たされる何かを引き寄せることができるんじゃないか?創造することができるんじゃないか?」と、

そこから出ようとせずに、

そこで彷徨い続ける可能性が大きくなります

それほどに、

そこの引力は強いからです


引き寄せたり、自分が得たり、

いずれも、自分の中に何か他の物を取り込もうとする意識自体が、

良いものだけ、波動の高いものだけを手に入れようとする意識自体が、

固有のあなたを強化し、肥大化させ、

あなたを地上に留めさせる重しになります


逆です

自分自身を手放すのです


なので、

もし、今絶望を体験している人がいれば、

それはむしろより深い段階にいるという事なのです

超えたいという魂の欲求が強くなっているという事なのです


本当の自分自身に出会う、

より深い段階に来ているという事なのです


それが本当の発心です


「トータル・パス」は、

その発心が起こった人のための教えです


それは、真の意味で人生をリアル(本物)にしていくものですが、

人生をより良くすることに関心のある人の心は惹きつけないかもしれません


なぜなら、

楽しい夢から覚めないとならないからです


まさに、

今、世界的な社会現象になっている「鬼滅の刃」の映画の中の、

「楽しい夢から覚めるために、夢の中で自分を殺す」

と重なりますね


実際は、殺すのはちょっと違いますが、

夢の中の自分が死なないとならない


そう考えると、

なぜあの映画がこの時期に世界的社会現象になっているのか、

理解できるような気がします


それは、

あるがままの現実の中で生きることも描き出しています


自分自身がその現実を創造しているというのは、

とても深い理解で、

そこから今のポジティブスピリチュアルムーブメントが発生していますし、

多くの人により幸せに生きて欲しいという愛がベースにあります


なので、

私はそれらを否定している訳ではなく、

むしろ、多くの人にとっては非常に重要で必要なものだと思っています


ただ、

真に「自分自身が創造している」という理解の次元に到達した時、

ネガティブなものもポジティブなものも実は自分が創っていたと本当にわかった時、

そしてつまりは、

自分自身がその創造されたものをはるかに超えたものだとわかった時、

あなたはまだポジティブなものだけを創造することに関心を持つでしょうか?


それを楽しむことはできるでしょう


でも、

創造の内容に固着すること、それと自己同一することはすっぽり落ちてしまうのです


誰しもが本当は、

ネガティブポジティブ、

つまり陰陽のこの次元、

この二元の世界をはるかに超えた存在なのです


それを知ることは、

思い通りの人生を創造することより、

はるかにパワフルで、

はるかに満ち溢れ、

はるかに大きな歓びなのです


それを知るものは、

そこへと誘いたいと思うのではないでしょうか


あなたの魂は、

どこを望んでいますか?