2016年2月15日月曜日

とあるリトリートでの、夜の瞑想におけるガイダンス ~ビーイングの瞑想~

(録音したものを、youtubeにアップしてみました
 マイクが遠かった為、非常に音質が悪いのが残念です
 ノイズを取ったら、変な音が入ってしまいました( ;∀;))
https://youtu.be/7ZQIaskRUf4





息を吸う時に、
アウェアネスへエネルギーをもたらし、
吐く息で、
手放していきます

非常にリラックスした状態で、
アウェアネスをキープします

ビーイングに深く・・・落ちて

その深みへと、
落ちれば落ちるほどあなたは、
静けさの中へと入っていきます

一度、深ーいため息をついてください

あなたの肩の力が抜け、
あなたは重荷をため息とともに吐き出します

瞑想は、
あなたが抱えている重荷を、
その荷物を、全て降ろす時

あなた自身が動くことを手放し、
あれこれと動き回ることを手放し、
あなたは休息の海へと、
深く、
潜っていきます

あなたのエネルギーは重力とともに、
地球の中心に向かって、自然に落ちていきます

あなたはあなたという枠を超え、
何かもっと広大なものへと拡大していきます

あなたがビーイングへと落ちて行く時、
あなたは次元を、
より深い次元へと移動していきます

それは、本当に安心のできる、
故郷の我が家に・・帰っていくこと

そこで初めてあなたは、
何の条件もない、
外側の状況に全く左右されない安堵を得ます

それこそが、この次元に対する信頼であり、
その基盤です

それなくしてあなたは、
「ここ」で平安でいることは不可能です

マインドを超えていくのは、
このビーイングの深みへと入っていくこと

アウェアネスにとどまっているだけでは、
本当の意味でマインドを本当に超えているとは言えません

それはすでにマインドを超えた次元に属してはいますが、
完全に抜けきっている訳ではありません

アウェアネスだけでは、
あなたはたやすくマインドにかき乱されます

夜は、岩になる時

あなたは岩のように、
沈黙する・・・

動かず・・・

あなたは、ただ・・・ある

あなたが正しくビーイングの深みへと落ちている時、
あなたの身体の中にはエネルギーが充満し、
内側に、ある集中の質を創り出しています

それは、
睡眠とは明らかに違うものです

「絶対状態」は、意識が覚めた状態で、
熟睡状態に入っているのと同じようなものですが、
そこにはただ意識があるかないかの差だけではなく、
あなたの中に、
エネルギーの集中があるか、ないか

あなたが落ちれば落ちる程、
そのエネルギーの密度は濃く、
集中度は高まっていきます

それゆえ、
ある程度のビーイングの深みに入った時、
あなたは、
肉体の痛みがあろうと、
外側が騒がしかろうと、
それを感じなくなりさえします

あなたは、
肉体を超えた次元に完全にくつろいでいます

平安とは、
ただエネルギーが穏やかになるだけのことではありません

その穏やかさは、
非常に高密度のエネルギー

* * *

あなたはもはや、
何もする必要がありません

今、この次元で、
サバイバルのために、
何かをあくせくする必要もないのです

あなたがただある時、
ただ、座っている時、
あなたは重力によって自然に下へと落ちていきます

自分自身を、
非常にリラックスした状態で、保っているかどうか・・・

あなたが、自分自身を保ち、
ビーイングの深みでくつろぐ時、
そこで現れているエネルギーフィールドが、
I Amです

それが、「これ」

それはまだ、ハートが含まれていない、
ミニマムのI A

* * *

* * *

自分自身を保って

注意が散漫にならないように

あなたが帰ってくるのは、
いつも、
この・・・・安らぎの質

あなたがどこにいようと、
人生でどんな状況にあろうと、
あなたがいつも帰っていくのは、
これ・・・

こここそが、
あなたの帰る家・・・

* * *

* * *

* * *


2016年2月11日木曜日

とあるリトリートでの、とある瞑想 ~ビーイングの瞑想でのガイダンス I Amのスペース~




あなたはリラックスしたままで、自分自身に留まる

あなた方は、今やったワークの中で、
むしろ自分自身に留まった方がやりやすいことを、
そして、自分自身に留まっている時、
マインドがとても静かであること

あなたは、外側の喧騒ではなく、
内側の静けさへと、引き込まれていきます

あなたがこの、スペースを知る時、
今までの自分がどうであったか、思い起こした時、
その大きな違いに気が付くことと思います

あなたの中で、何かが目覚める

あなたが、目覚める

今までの自分が、
どれだけ眠っていたか

くつろいで、自分自身に留まりながら、
より下腹とのつながりを強め、
より、くつろぎの中へと入っていきます

* * *

手放して

ただ、
あなたがぶらさがっているのは、
あなた自身

他のものにしがみついているその手を離す

* * *

あなたがビーイングのスペースにとどまる時、
あなたはより容易にステート・オブ・プレゼンスをキープすることができます

もし、あなたの中にビーイングの深みがなければ、
あなたはただ断片的で落ち着きのない騒がしい、
いつでも次から次へと変わっていくマインドに、
その力に対抗するすべを持ちません

あなたはすそれにすぐに巻き込まれ、
それに押し流されてしまいます

それに対抗するためには、
あなたはビーイングの深みをより深めていく必要があります

あなたがビーイングの安らぎの中で、
吸収されていけば行くほど、
あなたは容易に、自分自身をキープすることができるようになります

そのためには、
深い呼吸をすること

日常生活の中でも、呼吸が浅くなっていないか、
ちゃんと深い呼吸をしているかどうか、
忙しい場面、緊張する場面でこそ、
深い呼吸とつながる

するとあなたは自分自身を取り戻しやすく、
そのbusyな作業をやりきっていくことができるようになる

今、あなた方が体験している、
アウェアネスとビーイングのコンビネーション

あなたはそれを、身体の中を通る筒のように感じるかもしれないし、
身体を包んでいる繭のように感じるかもしれません

それがI Am

* * *

深いくつろぎの中のアウェアネス

* * *

この味わいをよく覚えておくこと

即座にそれを取り戻せるようにすること

ずっと行為のバックグラウンドに、
この感覚を保ち続けること

このスペースから、
あなたは全てのことをしていきます

その時あなたの行為は、
このスペースの持っている質を持ち運びます

あなたのしていることは、
一見すると同じでも、
何かがそこに加わって、
何かが違っている

あなたがI Amにとどまっているということは、
あなたはそれを保っているだけでなく、
それを外側にもたらす

あなたの言葉を通して、
あなたの行為を通して、
あなたの存在そのものを通して、
それを外側にもたらしていきます

瞑想が終わっても、
この状態をキープしていること

* * *

* * *

2016年2月9日火曜日

1枚の写真

昨年末に、ある方からメールをいただきました
とても衝撃的で、心に強く残る写真を送ってくださいました

北朝鮮のミサイル発射、ISの行動、阿部内閣の取ってきた政策など、
世界は今、あるひとつの方向へと進んでいるかのようです

言葉を尽くして、戦争反対、世界平和と言うよりも、
その送ってくれた1枚の写真の方が、はるかに多くのことを私たちに伝えてくれます

私もこれを周りの方々にシェアしたいと思い、
ブログへの転載の許可をお願いしたところ、
快諾してくださいましたので、
遅くはなりましたが、ここに転載させていただこうと思います

以下、その方のメールからの転載です

* * *

この写真は、Joe O'Donnell(ジョー・オドンネル)というアメリカ海兵隊の従軍
カメラマンだった人物が、1945年(昭和20年)9月に日本で撮影したもの
です。場所は原爆被爆直後の長崎でした。

O'Donnell という名前からして、彼はおそらくアイルランド系のアメリカ人だっ
たと思われますが、2007年8月にテネシー州ナッシュビルで亡くなりました。
享年85歳で、死因は脳出血だったとのことです。

氏が亡くなった後、夫人がこの写真を長崎市に寄贈し、長崎市ではそれを原爆資
料館に展示することに決定したということが当時少し話題になりました。

写真では、裸足で粗末な服装をした少年が直立不動の姿勢で幼児をおぶってい
す。かつての日本の町や村では、こうして弟や妹を背負った子供達の存在という
のは、ごくありふれた風景でした。

少年が背負っている幼児は、ぐっすりと眠り込んでいるかのように見えなくもあ
りませんが、実はそうではないのです。少年は、原爆症なのか、他の病気、ある
いは栄養失調なのか、ともかく亡くなってしまった弟(たぶん)を背負って、焼
き場に来て、多くの遺体を焼却している現場で、じっと自分の番を待っていると
ころなのです。

以下は、オドンネル氏がこの写真をアメリカ空爆調査団のカメラマンとして撮影
したときの回想インタビューからの引用です。

<引用開始>

佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。すると白
いマスクをかけた男達が目に入りました。男達は60センチ程の深さにえぐった
穴のそばで作業をしていました。荷車に山積みにした死体を石灰の燃える穴の中
に次々と入れていたのです。

10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもを、たすき
にかけて、幼子を背中に背負っています。弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊
んでいる子供の姿は当時の日本ではよく目にする光景でした。

しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼
き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも裸足です。少年は焼
き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。背中の赤
ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。

少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクの男
達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。この時私は、
背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気付いたのです。男達は幼子の手と足を
持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆい程の炎
がさっと舞い立ちました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあ
どけない頬を赤く照らしました。

その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気が
付いたのは。少年があまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、
ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。

何度見ても涙が出てくる写真と回想です。

これを撮影した氏は、1946年にアメリカに帰国後、1968年まではホワイ
トハウス付のカメラマンとしてトルーマン大統領を始め、歴代の大統領に仕えま
した。そして、この写真を含めて軍や政府の意図にそぐわない写真の多くを、
ネガのままで自宅のカバンにしまい込んで封印していたのだそうです。

この1枚をはじめ、戦争の悲惨さを伝える写真の多くの封印を解いたのは、氏が
1989年に米国内の反核運動に触発されてかばんを開けた時でした。1990
年、アメリカで原爆写真展を開催しましたが、ワシントンのスミソニアン博物館
での展示は、アメリカ在郷軍人会の圧力に遭って中止になったと聞きます。いか
にもありそうなことです。

その後、1995年に、封印を解いた写真を使った写真集「トランクの中の日本」
(小学館)を日本で出版しました。でもその時は、アメリカではまだ出版はでき
ませんでした。

写真の中の、足に浮腫がみられ、自身の健康状態も決してよいようには見えない
兄の少年は、その後どんな人生を歩んだのか、氏は手を尽くして再会を望んだの
ですが、ついに果たせなかったと聞きます。

私の世代は、こうした悲惨を伝聞ではありますが、自分達の直前の世代が体験せ
ざるを得なかったこととして捉えることが、かろうじてできた世代です。それだ
けに、こうしたこととまったく縁遠い、後に続く世代の人々に、そのことを如何
に伝えるかという大きな責任を負っています。私もその責任を持つ世代として、
残された人生の中で、微力ながらできることをしたいと思っております。

「戦争反対」などと言うことは、「火事反対」と言っているように愚かで意味の
ないことだと、私のような考えを持っている者を非難する言説をどこかで見まし
たが、私の理解はまったく異なります。あえてその人の表現スタイルを使うなら、
私が「戦争反対」と言う時、それは「火事反対」ではなくて、「放火反対」と言
っているのです。戦争は決して自然発生的な災害ではありません。それは特定の
人々によって、意図的に引き起こされる「放火」なのです。そこには起こそうと
躍起になって活動する勢力が必ず存在します。

1930年代の日本を思い返しますと理解しやすいと思いますが、戦争が拡大し
ようとする時にも「慎重論」や「拡大すべきでない」という不戦論を持つ少数の
国民や言論人、政治家、外交官が確かに存在していました。しかし「放火」勢力
は大衆を煽って、批判者を徹底的に押さえ込み、異論を排除するばかりか、文化
や風俗、そして趣味さえも統制下に置く恐怖の統治構造を作っていったのです。
皇国史観という反知性主義イデオロギーが国民全体を戦争協力一色に追い込んで
いきました。そして結果はあの悲劇でした。

つらく重いことばかりを申し上げて本当に申し訳ありませんでした。こんなこと
だけを書きたくはなかったのですが、まだ現役を引退することができない一市民
として生きている現在、最も気になることを書かせていただきました。同時に、
まだまだ元気で生きなければという思いを強くしております。




2016年2月4日木曜日

産土神社(うぶすなじんじゃ)

昨日、私の産土神社へお参りに行ってきました



産土神社とは、自分が産まれた土地を守る神社であり、
当然、深い縁を持ち、一生自分を見守り、導き続けてくれる神様をお祀りしている神社になります

産まれた家から一番近い神社とは限らず、数キロ離れている場合もあるそうです

今日は節分
新しい年が始まる前日に、穢れを祓う日です

明日は立春
新しい年の始まりの日です

この、節分という季節の分かれ目は、
穢れを祓い、新しく生まれ変わって、新しい年を迎えるのにふさわしい時です

皆さんも、時間があれば、この時期にご自分の産土神社か、鎮守神社にお参りに行かれるといいでしょう
鎮守神社とは、現在住んでいる土地を守る神社です

さて、
私の産土神社は、東京世田谷の千歳船橋にある神明神社です

隣は小学校、周りは住宅地という、まあ、街中にある小さな神社です


実は、私がそれを知ったのは、今年に入ってからで、
産土神社鑑定なるものをしていただいた結果、わかったものです

家からは数キロ離れている神社なので、お参りしたのは昨日が初めてでした

神明神社のご祭神は、天照皇大神
総本社は、伊勢神宮内宮



やっぱり、予想通り、アマテラス様でした(*´ω`*)

総本社がお伊勢さまというのには、ちょっと驚き、うれしく思いましたが、
まあ、今までの流れを考えれば、当たり前と言えば当たり前で、
やはり縁が深いことが明らかになりました(*´ω`*)

伊勢神宮の社殿は、神明造(しんめいづくり)というのですが、
まさに、その名前のままの神社ということになります

この神明神社の社殿は、残念なことに、1990年に過激派の時限発火装置によって放火、焼失し、
1992年に鉄筋コンクリートの社殿に再建されました
(なので、ちょっと神聖さが足りず、残念ではありました)
でも、ちゃんと千木や鰹木があるので、うれしかったです

ご挨拶をすると、ほんわりと、
温かいエネルギーに包まれました

面白かったのは、そこの摂社に、
スサノオ神と市杵島姫(宗像三女神の三女)、三峰神社も祀られていることでした


ここ数年、アマテラス神より、スサノオ神に呼ばれているというか、深く感応して、
強い縁を感じていましたし、
宗像三女神もなにやらよく登場してくるので、気になっているところです
三峰神社は、まだご挨拶に行っていないのですが、
ずっと、是非とも機会を作って行きたいと願っているところです

縁のあるものとは、こうやってつながっていくものですね



この、世田谷の神明神社は、隣が小学校になっているので、
ずっと子どもの声が賑やかに聞こえていて、
ちょっと静けさを味わうには無理がありましたが、
それでも、その声の賑やかさとは別の世界がそこにちゃんとあって、
明るく澄んだエネルギーで、気持ちが良かったです

ただ、お庭とかはきれいに手入れがされているにもかかわらず、
本殿の下の空間に、使わなくなった一輪車や廃材などのゴミが入れ込まれていて、
そんな神聖さを保つべき空間にゴミを置くなんて、ありえない・・・と、残念でした(;_;)

そこの管理をされている方が、もうかなりのお歳のようで、
身体もあまり自由に動かない様子でしたので、
それも仕方のないことなのでしょうが・・・

いつか、時間を作って、片付けのお手伝いにでも行けたらと思いました

懐かしの井戸もありました



ご挨拶を済ませて、神社を出ると、
小学校と反対の隣がお寺になっていました

見ると、「真言宗智山派 宝性寺」とあります

びっくり!

うーむ、縁と言うのはすごいですね

以前、密教を学び、戒を授かり、結縁灌頂を受けたのも、
真言宗智山派でした

つながってますね~♪



なかなか、風情のあるお寺でした♪






時間がなかったので、ぱーっと見て帰りましたが、
今度、ゆっくりお参りしたいです

梅の花の香りが、庭一面に満ちていました


そうそう、
ちなみに、私の鎮守神社は、
東京は熊野神社、伊豆は三島神社です

熊野本宮大社とは、強烈な感応が起き、強いつながりを持っているので、
東京の鎮守神社が熊野神社、というのはうれしい限りです♪

なぜって、熊野神社の本社は、もちろん、熊野三山
私が強烈に感応した熊野本宮大社の主祭神は、スサノオ!

そして、三島神社のご祭神は、
大山祇神(おおやまつみのかみ)と、積羽八重事代主神(通称、恵比寿さま)

大山祇神は、山森農産の神ということですが、なんと、スサノオの異名同体との説も!

なにやら、やっぱりスサノオつながりの香りが・・・♪

この辺、少し探求してみたいです♪