2022年4月22日金曜日

「魂への聖なる道」Ⅶ「魂の3つの質」第3話~ハート~


悟りのための教え、覚醒のための教えである「トータル・パス」の教えの概要について、
「魂への聖なる道」と題して、
youtubeの場をお借りして、
少しずつお伝えしていっているシリーズの、
第7章「魂の3つの質」の第3話、ハートの質についてお話ししています


第3話 ハート

 

今日は、魂のハートの質についてお話ししていきたいと思います

 

ハートとは何か、という事を理解するのはとても重要ですが、私達がハートと言う時、ひとつには、その質である愛やそれら周辺の事を言う時もありますし、ひとつにはそのスペースのようなものについて言う事もあります

ハートのスペースですね

 

アウェアネスはどちらかというとピンポイントなんですが、ハートはものすごく広いスペースなんですね

もちろん、そのセンターはありますが、ハートという言葉には、そのセンターから広がる広大なスペースという意味も含まれています

 

また、ハートには、たくさんの層があります

一番表層には感情の層がありますが、その感情の層にもいくつもの層があるんですね

で、一番最奥の魂の層にも、真我、あるいはハイヤーセルフなどと呼んでいるまだ我、もしくは自己、あるいは個の残る表層の層と、個を超えるもっと深い層があり、最も深い層では、永遠に神性とひとつである状態なんですね

 

魂というのは、人間の知性ではとらえきることのできない不思議な存在ですが、ハートというのもまた、一言や二言ではとても言い表せない、不思議なエリアなんですね

 

意識の質はあくまでも透明でクリアですが、ハートはあらゆる色彩や香り、味わいに溢れています

 

それらを知っておくことで、ハートとは何か、より深く理解できるんじゃないかと思います

 

ハートの質について、ここでは2つの重要な柱についてお話ししていこうと思います

 

1つの柱は、ハートを開いていくための感情のワークと呼べるものですね

 

ハートは、感じる事のセンターであり、感情をつかさどるところでもあります

愛や思いやり、温かさ、優しさ、慈しみなどが、ハートの持つ質です

そして、ハートから、真善美が生じます

ハートには、真であり、善であり、美しい花が咲き誇っています

 

また、ハートは受容性でもあり、ハートが開けば開くほど、人は受容的になり、様々な事を受け入れていく事ができるようになります

 

頭はものごとを判断し、批判的、否定的に見る傾向が強いですが、ハートは肯定的に見る傾向が強く、あるがまま受け入れていく事ができます

 

また、エゴマインドは常に勝とうとしたり、マウントを取ろうとしますが、ハートは勝つより負けることを好みます

負けるが勝ち、負けた方がハートの勝ちですね

譲ることもいとわずにできます

といっても、それは自分をないがしろにするという意味では全くありません

他者が幸せになることが、自分自身の喜びとなるし、

他者を押しのけてまで自分が勝つことに意味を感じないし、相手への思いやりや調和が優先だからなんですね

 

でも、そこに真善美が見いだせない時、ハートは思わぬ強さを持って、それをそこにもたらそうともします

 

そのように、ハートは戦う女神のような、真の強さも持ち合わせています

 

なので、誰か他人と対立した時、自分がエゴマインドから動いているのか、ハートの真善美から動いているのか、よく見極めていくことが大切です

 

よく、自分を証明するため、

自分の正しさを証明するためにやっているのか、

本当にシンプルにそこにをそこに正しさをもたらそうとしているのか、

それって、一見同じように見えて、全く違う事なんですね

 

その反面、ハートが開けば開くほど、繊細になり、傷つきやすくもなるんですね

ハートはとても純粋で繊細で、傷つきやすいんです

ハートがとても豊かで、感受性が強ければ強い人ほど、傷つきやすい

 

なので、この粗いエネルギーの世界で生きてきた私達は、その繊細なハートを守るために、幾重もの鎧でハートを覆ってきました

ハートは凍りつき、固く閉ざされている事がほとんどです

でも、そのままでは、傷つく事から多少は逃れられても、本来のその豊かさや愛を表すことができません

 

なので、私達は、ハートを開いていくために、凍りついたハートを少しずつ溶かし、鎧を11枚剥ぎ、その柔らかな裸のハートを少しずつ現わしていかなければなりません

そのためには、深い傷を癒し、感情体のエネルギーブロックを解放し、様々な条件付けという鎖に気づき、それから自らを解き放たなくてはならないんですね

そのプロセスには、とても長い時間がかかります

というのも、私達は前世を含め、あまりにも深く傷つき、あまりにも何度も傷つき、あまりにも分厚い鎧を身に着けて来てしまったからなんですね

それに、もう見たくない、感じたくないものだからこそ、ハートの奥底に抑圧してきたものなので、ワークをしても、なかなかそれに直面することができない、という難しさもあります

それに直面していくためには、瞑想を深めていく事と、感情に飲み込まれないために意識のエリアの自分自身を目覚めさせておくことが必須になります

だからこそ、私達の教えでは、意識のセンターを目覚めさせることを第一歩としているんですね

 

ハートを開き、ハートに深く入っていくために、私達は様々な手法を使い、様々なワークをしながら、そのプロセスを辿っていかなくてはなりません

それは、人によって様々な道のりになるため、ここではその詳細についてはお話しできませんが、それが、「霊的進化の2つの車輪」でお話しした、パーソナリティの浄化でもあり、霊的進化には必須のものなんですね

それが、ハートに入っていくための一つの重要な柱になります

 

もう一つの柱が、ハートのコア、ハートに宿る主体そのもの、つまり、私達の魂に直接出逢っていくためのワークになります

 

そう、ハートは、「魂の座」です

魂の住まう処ですね

 

私達は、意識のエリアの「私」を知ることができるのと同じように、

ハートのエリアの「私」を感じることができます

それは、私達にとって、最も親密なものです

私達自身の最奥の中心、コアと言えます

 

そのハートのセンターは、胸に位置しています

心臓は左ですが、エネルギー的なハートのセンターは、胸の真ん中です

 

そして、そのハートの「私」は、非常に繊細でシャイです

なので、人によっては、最初、感じることが難しい場合もあります

女性や直観的なタイプの人は簡単にすっと感じることが多いですが、

特に男性や、あるいは論理的な人、左脳派の人は、最初感じる事が難しい場合が多いです

 

でも、私達と共にワークをしていく中で、自然に感じられるようになっていきます

 

普段の会話の中でも、こう、胸に手を置いて、「私はね」とか「私のね」とか言ってる人はハートタイプなので、ハートの「私」を感じやすく、こう、頭とか鼻を指さして「僕」「僕がね」って言う人はアウェアネスタイプで、論理的な人が多いですね

 

いずれにしても、「私」という感覚は、魂にその源があります

もちろん、通常、人がなんとなく感じている「私」は、非常にあいまいで潜在的で、

眠った状態の「私」ですから、エネルギー的にそれを起こさなければなりません

だから、目覚め、覚醒、というんですね

 

何度も言っているように、

通常、人が感じている「私」と、魂としての「私」は、

全く違う感覚のものですが、それでもなお、そこに同じエッセンスがあります

 

通常感じている「私」は、今の肉体に属している、誰それと言う名前を持ったパーソナリティと糊付けされていて、その思考や感情や性格など、自らが持っている自己イメージの事を指していますが、

魂としての「私」は、何の色もなく、誰でもない、何者でもない、純粋で透明な、ただの「私」という主体の感覚なんですね

だからこそ、魂に近づけば近づくほど、誰でもなくなっていく

皆、最初は、自分が特別であることを期待して、魂を目覚めさせようとする人が多いと思いますが、実は、目覚めに近づくにつれて、どんどん、普通になっていきます

どんどん、平凡っていうか、当たり前、自然になっていく

魂が目覚めるという事は、誰でもない者、何者でもない者になるという事なんですね

 

そして、魂が目覚めるにつれて、「私」とパーソナリティとの間にだんだんと乖離が生じてきます

そして、パーソナリティ側にいると、なんとなく居心地が悪いような、安定感を失ったような、あるいは狭苦しいような感じがします

 

それらは全く違う感覚のものですが、それでもなお、奥底には同じエッセンスを携えています

つまり、人は、常に無意識に、無自覚にというか、クリアに知覚することができないまま、「私」を体験してはいるんですね

だからこそ、混同されやすいし、魂を浅く捉えてしまう教えが生じたりするんですね

 

でも、この道を歩んで行くと、魂としての「私」にいるのか、パーソナリティとしての「私」にいるのか、だんだん、感覚的にその違いがわかってきます

味わいが違うのですね

 

位置の違いで感じられる人もいます

魂だと、自分自身のまさに中心にいて、そこからパーソナリティ側に入ると、ちょっと前に出た感じがします

でも、それはとても微妙な違いです

 

だから、目覚めてしばらくは、本当に意識的でいないと、気がつけばすっかりパーソナリティ側に戻っていて、魂をまたもや見失ってしまう、ということもよくある事です

 

これは、意識の「私」でも同じ事が言えます

 

さて、人が深く傷ついている時や、悲しみに打ちひしがれている時、あるいは、ひどく苦しんでいる時、実は背後にこの魂としての「私」が立ち現れています

というか、その痛みや苦しみのすぐ裏側に、本当にコインの裏表のように、そのすぐ裏に、魂としての「私」が立ち現れているんですね

あなたが苦しんでいる時、いつもそのあなたの「私」は、一番そばであなたを見守っているんです

どんな時も、いつでもあなたと共にいて、寄り添っているんです

 

だからこそ、傷ついている時、苦しんでいる時こそ、この魂としての「私」にダイブする一番いいチャンスなんです

魂に出会う、最も大きなチャンスなんですね

魂に出会った時、あなたは、それが物心つく時から、1ミリも動かず、全く何も変わらず、そこにあり続けたことがわかります

あなたが、どこか深いところで、ずーっと知っていたもの

でも、あなたは外側ばかりに気を取られて、その内側にあるそれに、目を向けることさえありませんでした

あなたが、痛い時、悲しい時、苦しい時、

あなたはその痛みや苦しみや悲しみにだけ、フォーカスしていましたね

だから、それに気づくことがなかったんですね

 

魂に出会う時、ようやくあなたは、あなたであるものとひとつになる

それは、想像を超えた、非常に感動的な体験です

 

そして、この、ハートの「私」にさらに深く入っていくと、母なる『神性』に出会います

ハートは、女性性です

だから、通常、女性の方がより簡単にハートを感じられるのですね

もちろん、男性でも、女性性豊かな人は簡単に感じられるでしょう

 

あなたがハートの「私」に深く入り、その『聖なる母」に出会い、

その腕に抱かれて心から安らぐ時、あなたは、今まで一瞬たりと「聖なる母」に愛されていなかった時などなかったことを知ります

どれほどあなたが愛されて来たか、これからもずっとどれほど愛されていくか、

あなたは心底知ります

それはあなたに、完全な充足と安心を与えるでしょう

 

私達がずっと求め続けていたのは、実はこの『聖なる母』の愛だったのですね

この地上において、あなたが親に求める愛、恋人に求める愛、友人に求める愛、

あなたは他者から認められ、愛されることをずっと求めてきましたが、

それは全て、この「聖なる母」の愛を求めていた、その投影だったのですね

 

その「聖なる母」の愛に包まれているのを全身で実感できた時、

私達は完全に癒されて、完全に満たされます

 

私達は、私達自身のハートを通して、『神性』のハート、すなわちこの「聖なる母」に出会います

 

そのために、私達は完全にハートを開かなくてはなりません

 

このハートについて、もう少しお話ししていきましょう

 

初めにお話ししたように、ハートは受容性であり、全てを受け止めていきます

 

それはまた、感受性や感性のセンターであり、

「感じる」ということを担っています

 

そのため、感情のセンターでもあるのですが、

この感情と、ハートを混同してしまうことがよくあります

でも、感情とハートは違うものなんですね

 

よく、「ハートの声を聞く」と言いますよね

でも、このハートの声って、ささやきのようなものであることが多いんです

感情は明らかにわかりますね

もちろん、ワークが進む程、それはクリアに大きくなっても行きますが、

結構、ハートの声なのか、マインドの声なのか、聴き分けることはかなり難しいんですね

 

それに、今はスピリチュアルな世界では、わくわくすることっていうのがよく言われていますよね

で、それって真実なんですけれども、一方で、ワクワク=楽、っていう風に思ってしまうと、ハートの声を聞く時に、楽な方を選んでしまいますよね

でも、実はハートの声って、自分にとっては厳しかったり、難しかったり、大変だったりすることが多いんです

 

で、多くの人が陥ってしまうのが、感情の声をハートの声だと思ってしまう、って事なんです

 

なので、これの簡単な聞き分け方は、

感情は変わるけど、ハートは変わらない、っていう事なんです

 

ハートは、驚くほど変わらない

ものすごい、一貫性があるんです

 

そして、結構理想っていうか、求めるものが高いです

 

といって、感情そのものが悪いわけでは決してありません

シンプルで純粋な感情は、人間としてごく自然な事です

ただ、様々な条件付けで歪められていたり、

1話でお話ししたように、満たされていない欲求があると、

それに色濃く引きずられてしまう訳です

そうなると、純粋ではなくなって、オバケのように巨大化してしまうんですね

だから、感情体を浄化していく、っていうことが必須になります

 

人間関係の中で起こるトラブルや、強くてしつこいネガティブな感情というのは、

そういった浄化されるのを待っているエネルギーブロックを教えてくれるものなんですね

そういった事が起きた時、それを二重否定するのではなくて、チャンスと思って、

癒して浄化させてあげるといいですね

 

通常、私達はよく、ネガティブな感情が起こると、「あっ!またネガティブなもの感じちゃった」「思っちゃった」みたいな感じで、ネガティブなものを否定してしまうっていうね、二重否定をよく行ってしまうんですね

ではなくて、それをありのままに受け止めて、癒して、浄化させていく、っていう事が、非常に大切なワークになっていきます

ハートを開いていくワークというのは、非常に多岐に渡ります

意識のセンターの目覚めとは違って、それぞれの人で、通る道筋も違います

 

ですが、ハートを開いていくためのキーワードは、「明け渡し」です

「明け渡し」については、また別の章で詳しくお話ししますね

 

ハートが開けば開くほど、『神性』に近づいて、その光や至福や喜びや愛をより感じていけるようになります

 

あなたがハート深くにいる時、全てがあるがままでオッケーになります

どんな問題が起きても、もう、問題そのものがそのままでOKなんですね

やがて、あなたは、あなたの魂が、愛そのものであることを知るでしょう

魂が完全に目覚める時、それは、愛の爆発です

 

あなたがいて、そのあなたが愛するのではなく、あなたが愛そのものなのです

太陽が輝き、その光を全方向に放つように、あなたのハートは、強烈な愛の光を全方向に放っています

 

でも、一方で、ハートを開いていくことは、より繊細になっていくことでもありますし、生のハートをさらけだしていくことにもなるので、プロセスのある段階までは、それまで以上に傷つきやすくなったり、感情の揺れ幅が大きくなったりもします

だからこそ、私達はこの地上で生きていく中で、ハートを守るために、幾重にも分厚い鎧を着て来たわけですね

 

でも、そういった浄化を重ねる度、それまでとは違う質の強さや、健全さが現れて来るので、感情の大きな波にも押し流されずに、自分に留まれるようになっていきます

 

そして、そのためにも、意識のセンターが目覚めていることが、非常に重要になってくるのですね

 

意識のセンターが目覚めていないと、この感情の大波に簡単に飲み込まれて、もみくちゃにされてしまいます

 

なので、この「トータル・パス」の教えでは、まず、意識のセンターを目覚めさせるワークが、道を歩む第一歩になります

そして、意識のセンターが目覚めたら、徐々にハートのワークを深めていくことになります

 

このハートこそが、全てに豊かさと彩、味わいをもたらします

ハートは花です

今ね、ちょっと忙しくて、このシリーズも、ちょっと間が空いてしまった間に、季節はすっかり春になってしまいました

もう、うちのベランダも庭も、花でいっぱいです

ぜひね、あなたも、あなたという花を咲かせてください

 

では、今日も少しだけ、ハートの瞑想をしていきましょう


 

お鈴(1回目:合図

   2回目:合掌

   3回目:お辞儀)

  

初めの数分間は、下腹への深い呼吸

瞑想はいつでも、下腹への深い呼吸から始め、

あなたの実存へとつながっていきます

 

あなたの中に、静けさと穏やかさが訪れたら、

ゆっくりと、両手を胸の上に置いていきます

 

そして、呼吸は、

喉を開いて鼻から直接ハートへと入れていく呼吸ができる人は、その呼吸で

 

それが難しい人は、口を開けて、口からの呼吸をしていきます

 

口からの呼吸は、ダイレクトにハートへと入っていきます

 

ハートへといっぱい息を入れて

胸をいっぱいに膨らませて

 

ハートをエネルギー的に目覚めさせていきます

 

息を吐く時も口から、ため息をつくように吐いていきます

 

あなたの中の古くて、もう不必要になったもの

重たくて、あなたをこの地上にフックするもの

それらが全て、吐く息とともに洗い流されていくように

 

もう、あなたにとっていらなくなったものは全て、

『神性』へと返していく

 

あなたの肩の重荷も、全て『聖なる母』に預けていく

 

あなたは『聖なる母』のただの、

愛に包まれて安らかに眠る赤子

 

もう、何も心配する必要がなく、

ただ、母の腕の中にゆだねて安らぎ

 

くつろいで

 

息を吸う時、その『聖なる母』の愛を、

その光を、

ただあなたのハートにいっぱいに吸い込んで

 

『聖なる母』の甘い乳を飲むように

その甘いネクターを、

ただあなたのハートに吸う息とともに降り注いでいく

 

その呼吸を続けていくと、

あなたのハートの中で、やがて、何かが目覚め始め、

何かが少しずつ現れ始めます

 

それを無理やり探し出そうとせずに、

また、それをつかまえようとせずに、

ただ、それがゆっくりと現れてくるのを許すように

 

あなたはハートのスペースを、

ただあなたの胸にもたらしていく

 

あなたのハートの中に、何か純粋な味わいのするもの

産まれたての赤子のように、何か、まっさらに無垢な味わいのするもの

 

もしかすると、あなたはそれに触れるのを恐れるかもしれません

 

なぜなら、あなたがこの地上で生きるために、

あえて、閉ざしてきたものだからです

 

人はよく、あなたという宝箱を開けた時、

何か、とんでもないものが出て来るのではないかと、

恐れを抱いています

 

ハートを開く時、

あなたの中の押さえつけていた凶暴性、

何か大きな痛み、

あるいは、何かの狂気、

そういった何か、怪獣のような何かが出て来るのではないかと、

恐れている人がよくいます

 

でも、それは、マインドのひとつの抵抗です

 

マインドのトリック

 

恐れずに、

あなたの中の純粋性を信じて

 

あなたの中の光を信じて

 

あなたの中の愛を信じて

 

あなた自身のハートを溶かしていく

 

あなた自身がやがて、

その純粋な光り輝くあなた自身に出会っていくことを信じて

 

ありがとうございました

 

今日もまた、この場を皆さんと共有できたことに感謝をして

 

では、次回は、魂のビーイングの質についてお話ししていきたいと思います

では、また