2022年5月16日月曜日

「魂への聖なる道」Ⅶ「魂の3つの質」第4話~ビーイング~


悟りのための教え、覚醒のための教えである「トータル・パス」の教えの概要について、
「魂への聖なる道」と題して、
youtubeの場をお借りして、
少しずつお伝えしていっているシリーズの、
第7章「魂の3つの質」の第4話、ビーイングについて話しています

第4話 ビーイング


ビーイングっていうのは、「在る」という質、つまり、私達が「存在する」という側面であって、私達存在の「場」でもあります

 

ビーイングについて簡単に例えれば、それはピラミッド型の高層ビルのエレベーターのようなものだとも言えるでしょう

高層ビルの最上階がマインドの次元だと思ってください

最も浅い次元ですね

そして、そのビルが建っている大地が、その建っている大地ですね、

それが『神性』の領域で、最も深い次元です

それが、全ての『源泉』です

その高層ビルを、エレベーターで下に降りれば降りるほど、広がっていきます

 

つまり、ビーイングとは、『源泉』に向かって、『源泉』の引力に引っ張られて、下へ下へと落ちていく、という事なんですね

 

そのビーイングの質っていうのは、静けさ、穏やかさ、あるいは沈黙であり、その究極である『源泉』は、時間の無い、永遠の不変不動の領域です

何も動かず、何も変わらない、完全な沈黙の領域です

だからこそ、静かであり、穏やかなんですね

 

その究極の静けさ、その絶対的な静寂の中で、私達は、初めて完全に安らぎ、安堵することができます

 

少しでも変化するということは、完全な安堵にはなりえません

 

私達は、その究極の状態、『神性』のビーイングの次元、つまり『源泉』に入った状態の事を、「絶対状態」と呼んでいます

いわゆる、釈迦が「空」と表した次元、その状態ですね

 

その「絶対状態」の中で、初めて人は、完全な安堵とはどういうことかを知ります

完全な休息とはどういうことか、初めて知ることができるんですね

 

その中で初めて人は、完全に平安であることができます

 

「世界に平和を!」とね、いくら唱えても、平和は実は訪れません

というのも、私達の内側に、この完全な平安が訪れない限り、この世界でそれを実現することは、実はできないんですね

 

なので、本当に世界の平安を願うんでしたら、まず、自分自身の内側に、この絶対的な平安を招き入れなくてはなりません

 

この、絶対的な平安の状態に入っていくためには、瞑想以外に方法は無いと思います

なぜなら、この状態に到達するためには、後で詳しくお話ししますけれども、私達存在の外側も内側も、動きを止めないとならないからなんですね

もちろん、内臓や呼吸の動きは最低限ありますけれども、身体やマインドの動きを一切、止めていく必要があります

肉体がこう動いていたり、肉体は静止していても、マインドが活発に動いていれば、私達は否応なく、その動きにフックされてしまって、マインドの次元を超えて行くことができないからなんです

なので、瞑想によって、肉体も不動にして、マインドの動きも極力静止させて、ビーイングそのものの重力によって、最も深い次元へと落ちていく事が必要なんですね

 

また、よく「今」という言葉がスピリチュアル界では使われています

この「今」っていうのは、過去と未来の間の現在の事ではありません

本当の「今」の意味っていうのは、時間のないところ、という意味なのですね

時間を超えたところです

つまり、この『神性』のビーイングの領域である『源泉』そのものにいる事を指しています

『源泉』の中にいるという事は、永遠の「今」の中にいる、という事です

永遠に「今」なんです

「今」しかない

 

なので、よく皆さん間違えているのですけれども、「今」にいる、というのは、この時間軸の中で、「今のこの瞬間!」「この瞬間!」とやっているのとは、全く違うことなんですね

「この瞬間」と思った瞬間、それはもう過去のものになってしまうんです

 

そうではなくて、この時間の次元をはるかに超えて、『神性』の領域である『源泉』の時間のない次元にとどまる、ということなのですね

 

つまり、「今」にいるというのは、「絶対状態」にいる、という事なんです

「絶対状態」に到達し、それをスタビライズさせること、安定化させること、なのですね

一時的に、アクシデンタルに「絶対状態」に入ることは比較的容易に起こる事ですけれども、それを安定化させるためには、やはりかなりの瞑想の修練がいります

 

この何の動きもない『神性』の領域に入るためには、無意識的な肉体の働き、つまり、心臓ですとか、臓器の働き、あるいは呼吸、その他、私達が普段、自分の意志ではなくて、肉体そのものの叡智によって、あるいは何らかの働きによって、命を存続させるために稼働している肉体の働き以外は、全ての動きを止める必要があります

 

ちょっと自分自身を観察してみてください

いかに普段、自分が忙しく何かをやり続けているか、わかると思います

身体を動かしていなくても、別にぼーっと座っていても、頭の中であれこれあれこれ考え続けていたり、心であれこれあれこれ感じていたり、あるいは、常に「何かやろう」「何かやろう」としています

それを、私達の言葉で、「doingといいますけれども、人は何かをずーっとやり続けているのですね

 

あるいは、「何かになろう、なろう」とし続けています

becoming」ですね

この、「doing」でも「becoming」でもなく、ただの「Being」でなければならないんです

 

ただ、ある、ただ存在している、その状態ですね

絶対的な静寂の中で、ただ存在している

 

それで、ビーイングと言います

 

いかなる「doing」にも、いかなる「becoming」にも、そこには、ある種の落ち着きの無さ、せわしさや騒がしさの質があります

 

この、「ただある」状態になるためには、姿勢を不動に保ち、あらゆる内側の動きを手放していくことが必要です

ですが、意識はクリアにある必要があります

「絶対状態」っていうのは、夢も見ていない熟睡と非常に近い状態なのですけれども、明白な違いは、そこに意識があるかないかの違いなんですね

つまり、肉体は完全に熟睡状態にあるんですけれども、意識はクリアにある、という状態なんです

よって、肉体の感覚は無くなって、五感の感覚も消え去ります

よく、その状態を心身脱落、と言いますよね

マインドも肉体の感覚も全て落ちてしまう、ということです

だから、もう、寒さや暑さも感じなくなるし、何も聞こえないし、何もこう、なんていうのかな、感じなくなります

そして、呼吸も非常に深いゆったりとした呼吸になります

なので、もし、そこに意識がクリアになければ、私達はただ、ぐっすりと眠りこけてしまうだけなんですね

 

この、完全に肉体とマインドを超えた、静かで安定したビーイングのエネルギーの中に留まることを知らないうちは、人は常に騒がしいマインドと重い振動数の肉体に引きずりまわされ続けます

人はその状態で一生懸命、穏やかであろうと努力するんですけれども、エネルギー的に粗く重く騒がしい状態から抜け出せていないために、その努力はあまり実を結ばないでしょう

それは、あなたが心理的に穏やかでいられないのではなくって、ただ単に、エネルギー的に穏やかではないからなんですね

 

もし、あなたがいつも穏やかでいられないとしたら、それは、何か人生に問題があるからでもなくって、環境や周りの人に問題があるからでもなく、あなたの心に問題があるからでもなく、ただ単に、ビーイングのエネルギーが深まっていないという理由に過ぎないんです

 

ビーイングが深まれば、人生に何か問題が起こって、マインドがもう大騒ぎしたとしても、あなたは自分の内側に常に静かで穏やかなエネルギーがあるのがわかるようになります

 

そして、その静かで穏やかで平安なエネルギーは、周りの人にも知らず知らずのうちに影響を与えています

そんなあなたと一緒にいるだけで、人はなんとなく落ち着いて、なんとなく穏やかになっていくんですね

 

また、『源泉』と繋がるという事は、生命エネルギーと繋がる、という事でもあるんですね

こんこんと絶えることなく湧き出る生命エネルギーの泉の中で、私達はすっかり癒され、すっかり洗い流されていきます

『源泉』に触れる度に、私達は、もう本当に新しく生まれ変わるんですね

生命が創造される以前に戻ることで、新たに創造されていく

いわば、ある種のリセットとも言ってもいいと思います

『源泉』の中にいるという事は、永遠の「今」にいるという事だと先ほども言いましたけれども、つまり、『源泉』の中にいる間、人は歳を取らないのではないかと思います

 

それが、浦島太郎の実は本質なのかなとも、ちょっと思っています

ま、ちょっと話逸れちゃいますけれどもね

 

古今東西、本当にあらゆる権力者達が不老長寿の薬を求めてきたんですけれども、この『源泉』こそがそれだと言ってもいいかもしれませんね

 

ただし、完全に『源泉』の中に溶け込んでいる時、肉体を動かすことは不可能です

だから、人間として生きるためには、ある程度戻ってこないとならないんですね

でも、完全にそれとの繋がりが切れる訳ではなくて、深いところで繋がり続けますけれども、人間として生き、活動するためには、肉体の次元に戻って来ないとなりません

 

でも、『源泉』と完全に切り離されて、肉体の次元のみで生きる時と、『源泉』とつながったまま、肉体の次元でも生きる時は、全く違った生き方になります

それこそ、根が張る、という事なんですね

グラウンディング、っていうことでもあります

 

本当に人間として大木に成長するためには、この『源泉』にしっかりと根を張らないとならないんです

でないと、根が張らないまま大木になろうとすれば、自ずと倒れてしまいますよね

 

石庭の岩も、地上部に出ているのは、全体のほんの一部に過ぎないんですね

大地の中に、ほとんどがどっしりと埋まっているからこそ、その岩全体のパワーが、そのちょっとした部分に全部あふれ、パワーが現れ出られるんですね

地表に出ているのと同じ大きさの岩を置いても、そのパワーっていうのは出て来ないんです

 

人も、『源泉』に根づけば、自ずとその『源泉』のパワーを現わしていきます

こうなると、あえてパワースポットに行く必要も実はなくなっちゃうんですよね

というか、その人自体が歩くパワースポットになっていきます

その人がいるだけで、周りのものが浄化されて、パワーを得ていきます

 

以前ね、ちょっとひょっとした事から、波動測定器みたいなもので私の波動を測定してもらった事があるんですね

で、その機械で計った数値で一番いいとされている数値っていうのが50だったんですね

で、それより多くても少なくてもダメで、その50というのは、産まれたての赤ちゃんと一緒の数値だそうで、その数値の人や物に触れるだけで、人は癒されて、その同じ数値になるという数値だそうです

で、実際に測ってもらったら、ほぼ50だったんですね

で、こう何か指で計るんですけれども、7か所で測るんですが、一か所だけ49で、後は全部50だったんです

ちょっと自分でもびっくりしました

というのも、その日は本当にボロボロに疲れていてよれよれ状態だったので、まさかそんないい数値が出るとは全く思ってもいなかったんですね

なので、もう、そんな状態でもほぼ50だったので、おそらく、体調の良い元気な日でしたら、全部50になっていたかもしれませんね

つまりね、ということは、私が触れるだけで、人は癒されていく、っていうね、本当にその人自身が50っていう、いい状態になる、という事になりますよね

自分のエネルギー状態を初めて科学的に計測して、実際にとてもいい状態であるっていうことが立証された、っていうね、私にとってもとても面白い体験でしたね

だから、『源泉』に根づくという事は、別に何もしなくても、生きているだけ、ただ存在しているだけで、周りの人のお役に立てるんですね

まあ、これは、ビーイングだけではなくて、ハートの質っていうのもかなり大きく関係があるとは思いますけれども、ね

 

さて、では、このビーイングの質を深めていくには、何をしたらいいのか

マインドだけにいる、ある種ヒステリックな状態から脱して、ビーイングを深め、本当に生命力あふれる穏やかなエネルギーの中にいるためには、瞑想が最も適した手段だと思います

 

例外的に、登山家の方など、特に孤高のね、本当に高い山々によく登っている方などは、非常に瞑想的な、深く静かなビーイングのエネルギーを携えていることがよくあります

彼らにとっては、おそらくね、山に登ることが瞑想なんでしょうね

山そのものが、まさに、ビーイングのエネルギーですし、酸素が薄くなるとノーマインド状態にもなりますからね

 

で、エベレストに何度も登頂したことのある、ある登山家の方が、他のジャーナリストの方から、「そういう山に神様っているんですか?」と質問された時に、お答えしていたのが、「そういう山では、自分が神様、って感じです」と答えていらっしゃったんですね

まさに、登山によって、その境地に達していた、という事ですね

8000メートルを超えると、もう、全く別の次元だともおっしゃっていました

 

あるいは、農家さんなど、常に土に接している方の中でも、そういう方が時々いらっしゃいます

自然農されていた、ごめんなさい、ちょっとお名前失念してしまいました

とても自然農で有名な方(川口義一さんです)とかも、本当にそういうエネルギーの方でしたね

やっぱりね、大地に常に触れている、というのも、ビーイングのエネルギーを、

大地のエネルギーは本当にビーイングのエネルギーそのものですから、ビーイングのエネルギーを深めていけるいい方法なんだと思います

もしかすると、海といつも対峙している漁師さんなどにも、そういう方がいらっしゃるかもしれませんね

ちょっと知り合いで漁師さんって方がいらっしゃらないのでわからないんですけれどもね

 

なので、命を懸けて山に登るとか、畑などをやられることもすごくいいと思いますけれども、それよりもね、日常の中で誰にでももっと簡単にできる確実な方法として、瞑想の方がよりお薦めできます

 

瞑想というのは、実は非常に科学的な手法なんですね

エネルギーという眼に見えないものを扱っているので、オカルト的に受け取られがちですけれども、実は、人間の心身の機能を知り尽くした上で開発されてきた手法なんですね

瞑想そのものについては、また別の機会で詳しくお話ししていきますね

 

私達は不動の姿勢で坐る瞑想、もしくは、立った状態や横たわった状態でする瞑想をツールにして、ビーイングを深めていきます

というのも、背骨は真っ直ぐにしている事が重要だからなんですね

エネルギーが、天頂と下腹のセンターを真っ直ぐに通るようにしておいた方が、入りやすいからです

ただ、横たわると、どうしても習慣的に人は寝てしまう、っていう癖がついているので、特に最初の頃は、主に、坐る瞑想の方がお薦めになります

 

ビーイングは下に引っ張られていく、あるいは、下に落ちていくエネルギーです

下というのは、重力と同じ方向です

もしくは下に吸収されていくエネルギーです

 

動きを手放すということは、ある意味、この次元にしがみついている手を離す、ということでもあるんですね

 

で、この、しがみついている手を離すと、自然に源泉の次元へと、その重力によって、引っ張られて落ちていく

 

リンゴをつかんでいる手を離すと、リンゴは自然に下に落ちていくのと同じなんです

 

動きを止めると、エネルギーは自然に下に落ちて行きます

 

ただ、最初は動きを止めること自体が非常に難しいので、呼吸法を使って入っていくのがやりやすいと思います

呼吸というのは、ある意味、創造と非創造を絶え間なく繰り返しているんですね

吐く息とともに、手放していく

そうすると、自然に落ちていきます

落ちよう、落ちよう、としてはダメです

かえって、ビーイングに深く入っていく事ができません

なぜなら、それは、「doing」だからです

doing」している限り、ビーイングには深く入れません

 

といって、「落ちる」という意図が全くないと、ただの曖昧としたぼんやり瞑想になってしまいます

 

この、微妙なバランスが実は難しいんですけれども、「手放す」ということを覚えれば、自然にバランスは取れて行きます

 

でも、「手放す」のも「doing」じゃないの?という質問が来そうなんですけれども、「手放す」とちょっと心で思ってやってみてください

手放す

そうすると、身体の重心が後ろに傾くの、わかりますか?

次に、何か考えてみてください、あるいは何かやろうとしてください

すると、身体の重心が前に傾きますよね

その違いなんです

身体の重心が後ろに傾いた状態というのは、明け渡している状態なんですね

委ねている

委ねれば、自然に源泉に向かって落ちて行きます

 

それを、次に実践的に少しだけやってみたいと思いますけれども、

その前にちょっともうひとつだけ

 

「絶対状態」っていうのは、とても特殊な状態です

というのも、何も実存しない領域の中で、それは非創造の領域ですけれどもね、何も実存しない領域の中で、それを体験し、その、体験している、っていうことを知っている体験者がいるからなんです

 

その体験者こそが、魂なのですね

 

創造によって創られた魂、つまり創造の領域に存在するものが、創造以前の非創造の次元を体験できる訳なんです

 

違う言い方をすれば、顕現されたものが、その根源である非顕現へと戻り、溶け去っていくことができるのですね

 

それは、二元と非二元という言葉でも同様に表すことができます

自他のある領域と、自他のない領域ですね

 

そう、この『神性』である非二元の次元は、二元を超えた非二元の領域、つまり、自他のない領域なのですけれども、この自他のない非二元を体験し、それを記録するためには、非常に微細な二元が必要となります

 

それが魂です

 

その「他」っていうのがあまりに粗ければ、非二元の領域を体験することはできませんし、その微細な体験者がいなければ、非二元は体験されることがない、ということなんですね

 

ちょっと難しいかもしれませんけれども、なんとなくおわかりいただけますでしょうか?

これについては、またどこかで詳しくお話ししていきたいと思います

 

魂っていうのは、非常に微細で、本当に不思議な存在なんですね

 

なぜ、魂が創造されたのか

神は、自分を映し出す鏡が欲しかったのかもしれませんね

 

では、これで、魂の3つの質についてお話ししてきました

魂が完全に現れるためには、その3つ全てにおいて完全に覚醒する必要があるんですけれども、その魂の特性によって、必ずしも全て完全に覚醒しなければならない、という事もありません

 

前にも少し触れましたけれども、それぞれの魂によって、ハートタイプやアウェアネスタイプやビーイングタイプっていうのがあるんですね

どの魂も、その3つの質っていうのは持っているんですが、その魂によって、優勢な質が違ってくる、という事なんですね

ハートタイプはハートが優勢ですし、アウェアネスタイプは意識の質が優勢という事です

魂によっては、2つの質が優勢だったり、ってね、いろいろです

 

悟りについて、とにかく「愛」を強調する、何でもとにかく「愛だ」「愛だ」って言ってるようなマスターっていうのはハートタイプですし、マインドを超える事、ノーマインドっていうのを強調するのはアウェアネスタイプですね

で、「今」とかね、「私」が消えて無くなることっていうのを強調するのは、ビーイングタイプって言うことができると思います

 

ですが、どの質も深める事が必要なのは、もう言うまでもなくって、どの質も他の質を補完し、相互に干渉しあってもいますので、その魂のマックスまでどの質も深めていく事が必要になると思います

 

あなたは、どのタイプでしょうね

 

では、そろそろ、実践、行ってみましょう

 

お鈴(1回目:合図

   2回目:合掌

   3回目:お辞儀)

 

背筋を伸ばして

そして、身体が前に傾かないように

ほんの少し、後ろに寄りかかるような感じで

 

あなたの実存そのものに、背をもたらせかけていくように

 

そして、呼吸は鼻からの深い呼吸

下腹へと、たっぷりと入れていきます

 

眼をリラックスさせて

 

頭もリラックスさせて

 

眼や頭が緊張していると、思考が沸き起こりやすく、

また、その思考から離れることができなくなります

 

意識をできるだけ下腹にもたらして

 

ビーイングのセンターは、下腹に位置していますが、

それはむしろセンターというよりは、秘密の扉

 

ビーイングの領域に深く入っていく通路の扉

 

そして、吐く息とともに、その通路を通って、

下へ下へと、エレベーターを降りていくかのように、

息を細く、長く、ゆっくりと、穏やかに、優しく、ソフトに、

下に吐き降ろしていきます

 

この呼吸を、丹田を鍛えるかのように、

強く、男性的に呼吸をしてはいけません

 

非常に繊細に、ソフトに、

とてもフェミニンなやり方で、

息を吐き降ろしていきます

 

ほんの少しだけ、下に落ちていくという意図を持って

 

そして、吐く息と共に、

あなたの重荷や、肩に背負っているものを、

手放していきます

 

いつもいつも何かをやろうとしている事、

いつもいつも、立派な何かになろうとしている事

あなたをいつもいつも追い込んでいるそれらを、

全て手放していきます

 

そして、ただ存在しているという状態へと入っていきます

 

もし、思考が現れたら、

そして、それに気がついたら、

ただ、手放す

 

無理に思考を止めようとする必要はありません

 

止めようとすればするほど、それは思考にエネルギーを与えていきます

 

流れては去る雲のように、

ただ、思考は潜在意識から自然に沸き起こりますが、

それにエネルギーを与える事なく、

ただ、流れ去らせる

 

あなたの、「ただ、ある」という感覚に戻って

 

瞑想をし慣れていない人は、

何か身体がムズムズしたり、痒くなったり、

エネルギー的に落ち着きの無さを感じ始めるかもしれません

 

それらの声に耳を傾けずに

 

少し、辛抱強く、吐き降ろしていく

 

手放していく

 

そうすると、やがて、

自然にすーっと下に吸収されていきます

 

あなたの日常の心配事や悩みも全て、

委ねていく

 

心配事や悩みでいっぱいになって疲れ果てているマインドに、

休息をもたらしていく

 

あなたがビーイングに深く入っていけば行くほど、

あなたは安心していきます

 

何の理由もない、何の条件もない、安心です

 

ただ存在しているだけで、

あなたは安心している

 

あなた自身が、どっしりとした山になっていく

 

深―い海の底に沈んでいくように、

あなたは、存在の源へと、ゆっくりと沈んでいきます

 

 

お鈴(1回目:合図

   2回目:合掌

   3回目:お辞儀)

 

ありがとうございました

 

今日もまた皆さんとこの場を共有できたことに感謝をして

 

では、次回から第8章に入っていきます

では、また