2014年2月26日水曜日

新しい「プレイヤー瞑想」用のブログを作りました

プレイヤー瞑想でのガイダンスを記しておくために、新しくブログを作ってみました

リンクです

プレイヤー瞑想


このリンク表示を、アーカイブなんたらの下につけたいのですが、
やりかたがわかりません・・・(涙

どなたか知っていたら、今度教えてくださいましまし

2014年2月12日水曜日

リトリートのお食事編

ただいま、伊豆の自宅でのリトリートが終わったところです
今回、ちょっとリトリートでのお食事がどんな感じか、
アップしてみようと思い、写真を撮っておきました

リトリートでの食事は、基本的に、
伊豆大川の畑で私たちが作った無農薬野菜と、
有機農法でおいしく元気になる野菜を作っている、
長野県佐久野の『岩岡農場』の
愛情いっぱい、やる気いっぱいの元気な野菜を
中心とした、玄米菜食のメニューです

べジーです♪

自然農に挑戦している生徒さんの時は、
持参の野菜たちがメインになります

朝食のパンは、東京世田谷の知的障害者の働く福祉作業所
『わくわく祖師谷』の、まじ、おいしいパンです
天然酵母のパンもあり、いつもとっても好評です

かつて、マクロビオティック療法を試した経験も生かし、
「なんちゃってマクロ」のメニューだったりもします

どうして「なんちゃって」なのかというと、
乳製品やかつおだし、みりん、イーストを使ったパンなども、
使ってしまっているからです

チーズとかバターとか生クリームとか大好きなので、
どうしてもはずせなくて・・・

お菓子も、同じく世田谷の福祉作業所『喜多見福祉作業所』の、
パウンドやクッキーが登場します
皆がすごく楽しんで作っているので、食べると幸せになるお菓子たちです

調理は私が主に担当します
30年の(うわっ!)主婦歴にものいわせてますが、
一応、食品衛生責任者なる資格なんかも持っています

リトリートでの食事は、とても大切な要素だと思っています

禅の修行や、仏教的な質素な要素ではなく、
むしろ、食の豊かさ、生の豊かさを大事にしたいと思っています
恵みいっぱい、幸せになって欲しい・・・かな、って

ハートのワークも中心要素になっているため、
食事も感受性を高めるのに役立ちます

繊細になっている時は、食事がとっても重要です

って、いろいろ理由はありますが、要するに、
人を見ると「おいしいものをたくさん食べさせたい!」って、
主婦カルマ、お母さんカルマが発動してしまうわけです

もっと簡単で大丈夫ですよ、と言ってくれる参加者の方も多いのですが、
私自身が「食べさせたい」わけです

とはいえ、瞑想やヒーリング・セッションの合間に作るので、
そんな「ご馳走」というわけにもいきませんが・・・

今回は、前日からの大雪、吹雪で、
畑に行けず、『岩岡農場』も1~4月はお休みなので、
生協の野菜たちになってしまいました

取り立てルッコラとか小松菜とか菜の花とかカブとか、
おいしい♪のを食べてもらいたかったのですが、残念でした(涙;

畑の野菜たちだと、もっと季節感豊かになります

では、今回のメニュー、こんな感じでした

初日朝食:ミネストローネ、3種のレタスとスプラウトのサラダ、
       くるみカマンベールパン、苺
       フレッシュ野菜ジュース
      (画像なし:とり忘れてました~(汗;)

初日昼食:菜の花とオリーブのぺペロンチーニ、大根と人参のマリネ
       (画像なし:ざんねーん、これも撮り忘れ~(涙;)


初日夕飯:豆腐丼うこっけいの卵黄のせ、根野菜の煮物、さしみ湯葉、
       ちぢみほうれん草のおひたし、大根のお味噌汁、
       赤カブの漬物(岩岡農場)、きゃらぶき


2日目朝食:かぼちゃのポタージュ、3種のレタスとスプラウトのサラダ、
        アボガドとトマトとカッテージチーズのサラダ、ベーグル、苺、
        フレッシュ野菜ジュース


2日目昼食:きのこととろろのお蕎麦、杏のタルト(ゆうじやさんのタルトです)



2日目夕食:なすとエリンギと人参とたまねぎのタイカレー、
        ターメリックとクミンシードのライス、
        さつまいものサラダ、ナン、
        マンゴーラッシー

     超辛いタイカレー、リトリート初参加者は、皆さん、この洗礼を受けます♪
       デトックス効果もあるタイカレー、お試しあれ♪



3日目朝食:白菜と人参と長ネギとしょうがのスープ、
        アボガトとトマトとモッツアレラチーズ、
        3種のレタスとスプラウトのサラダ、苺、
        天然酵母のバケットとレザンノア
        フレッシュ野菜ジュース


3日目昼食:ローズマリーとフレッシュトマトのパスタ、レンコンサラダ


3日目夕食:豆腐ときのこの豆乳鍋、ふろふき大根、にらと長ネギの卵焼き、
        れんこんのキンピラ、春菊の中華風ごまあえ、黒米入り玄米ご飯


4日目朝食:さつまいものポタージュ、
        バジルソースとトマトとたまねぎとオリーブのピザトースト、
        3種のレタスとスプラウトのサラダ、大川のポンカン
        フレッシュ野菜ジュース


4日目昼食:大根と人参と大根おろしと自家製梅干と油揚げのうどん


おまけの4日目夕食:大根とこんにゃくとがんもどきと昆布だけのおでん、
             かぼちゃの煮物、長いも、なます、白菜の塩こうじあえ、
             たくわん、大根葉とにらと卵のチャーハン、
             豆腐と油揚げと長ネギのお味噌汁


と、大体、こんな感じで、朝はパン、昼は麺類、夜は玄米とおかず、
和とイタリアンを中心にした食事です

朝は、お粥シリーズもいいなあ・・・と思っています
でも、『わくわく祖師谷』のパンも、皆さんに食べてもらいたいので、
はずせない・・・むむむ・・・

リクエスト、大歓迎です♪


2014年2月11日火曜日

内なる自由



プレイヤー瞑想 2013年4月28日



ゆったりと、ハートへの呼吸を

空を飛ぶ鳥のように、腕を大きく広げて、虚空へと飛び立つように

あなた自身を、自由へと飛び立たせていくように

あなたの中がすっかり透明になり、
あなたは、重力から自由になり、
空高く飛び立っていけるように

私達の魂は、自由を求めています

ハートが解き放たれ、この地上で、自由に生きていく

それは、ライフスタイルの問題ではなく、
あなた自身が、あなたというパーソナリティ、
あなたであるということから、自由であるということ

人間である以上、その肉体、そのマインド、
それには、制限があり、限界があります
それ特有のユニークさとともに、
その人特有のフィルターがあり、
コンピューターのシステムのように、
その人特有のアウトプットがあります

その中で、なおあなたは自由で、
そのあなた特有の様々なことを、味わい、楽しみ、
生き尽くすことができます

目覚めるということは、
聖人君子になることではありません

自由になるということは、
この現象の世界から逃れることでもありません

この現象世界の中で生きながら、
あなたという特定のパーソナリティを生きながら、
それでもなお、あなたの魂はそれらと一切関係なく、
無制限で、無限のスペースの中で、自由です

人生における、どんな困難さにも、直面した時、
あなたは内側の自由なスペースから、
それらに応答していきます

覚醒すれば、全ての問題が消え去るわけではありません

ただ、その問題に向かい合う、あなた自身が、
全く違うところから、それに応答していきます

この内なる自由

無碍なること

様々な、今まで自分にとって、
いろいろなことが障害と感じていたことが、
もはや障害ではなく、同じ問題を前にして、
あなたがそれに妨げられ、障りがあるということが、
感じられなくなります

ただ、シンプルに、その問題を解決していくために、
応答していきます

     **

あなたのハートには、湧き出る泉のように、
こんこんと、内側から、
あなた自身を満たす愛のエネルギーに・・・満たされて

この悦びの味わいに、いつも内なる至福を感じ、
あなたは、本来の家に帰る、その心底の安堵と安らぎの中で、
無限に、生き続けます

あなたの魂が待ち望んでいること
それは、ただ、思い起こすこと

ハートを開き、内側深くへ、入っていくこと

それが、あなたがあなた自身の魂のためにできる、協力です

     **

ここは、本当に、光にあふれています
全てが喜びの波動ででき、
お互いに称賛しあい、たたえあい・・・
それがあなたにどれほどの悦びをもたらすか

     **

あなた自身のハートを、優しく、包み込む
優しく、開いていきます

     **

あなたのハートの中の、最も親密に感じるところ
私という感覚
ハートの中の、私・・・

何も内容物のない、ただの、私・・・

それを探して

ハートの奥深く、それを探して

それに出会っていく

     **

大地にエネルギーを注ぐとき、あなたは空っぽになっていきます

何も、知らない・・・まだ、何にも中身の入っていない、
透明な器となって

純粋で、この上なく、清浄で・・・

立ち上がる時、あなたはただ、あなたの本質として、
立ち上がります

     **

腕の力を抜いて

神の腕の中に飛び込むように、身を投げ出す

     **

あなたは、すでに、はるか古からずっと、
ずっと、愛され続けています

神なるものが、どれほど、あなた方を愛しているか・・・

     **

あなたは、その愛とひとつになる・・・

     **

あなた方は、愛されたいだけでは、ないのです
本当は、
あなたそのものである、その、愛を・・・表したいのです

いつか、あなた自身が気づく時がきます
どれほど自分が愛したかったか

魂そのものが、愛のエネルギーなのです

     **

本当は、その無限で、膨大な愛のエネルギー
この人間という肉体の、小さな小さな器に閉じ込められ、
その光を遮断され、
どれほどその魂は、窮屈で・・・
どれほど・・・また、元の姿に戻りたいと思っていることでしょう

そのあなた自身の魂の思いを、あなた自身が聞き届けるように

エゴは、たくさんの恐怖や、不安や、
集団無意識による制限をあなた自身にかけ、
あなたを混乱させようとします

でも、混乱するということは、エゴが完全に君臨しているときより、
何か、もれだしている
エゴが何か、脅威を感じ出している

何かが新しく、生まれ出ようとしている証です

このワークのプロセスの中で、
自分でもわからない、訳のわからない混乱さや、
混沌とした何がなんだかわからない、
そんな感覚を持つ時期があります

ハートを開くということは、沈殿している水を、
その浄化のために、かき回すようなものです
奥底に溜まっていた沈殿物が、
浄化の過程で、全て表面に浮き上がってきます
あなたは混乱し、自分に何が起きているのかわからず、
自分が間違っているのではないかという思いにとらわれるかもしれません
けれど、それは確かなプロセスであり、誰もが通過する地点です

そういう状況の時は、起こるがままに、混乱さの中に身をゆだね、
ただ、その中で、自分自身というアンカーにとどまる
全てが、流れさっていくのを、許していくだけ・・・

     **

     **

     **


2014年2月10日月曜日

2013年6月アップの「アジズとフーマンに関する質問に答えて」のつけたし



昨年、私の師であるアジズとフーマンに関する質問に答えてのブログをアップしました。

その時から、ちょっと2点付け足したいと思っていながら、
時間がなかなかなく、今に至っていたものを、書きます。


ひとつは、K氏に関することです。
念のため、誤解のないように付け足しておきますが、
K氏のことは個人的にとても信頼していますし、その人柄も大好きです。

また、K氏は私にとって、魂の恩人と言っても差し支えのない人です。
というのも、K氏がアジズやフーマンを日本に召喚し、
リトリートをオーガナイズしてくれたからこそ、
私は私にとっての素晴らしい師を得ることができ、
魂への道を確実に歩むことができたからです。

また、K氏は、その道を歩む上でも、いろいろなアドヴァイスをくれました。
その中で、とても印象に残っているものが2つあります。

一つは、ワークを始めて1年くらい経った頃でしょうか。
始めてからしばらくは、ステート・オブ・プレゼンスの確立や、ビーイングの深まり、
ハートを開いていくことなど、進歩が目に見えて感じられたのですが、
ある時点で、進歩が止まってしまったように感じて、
「私はちゃんと進歩しているのだろうか?」と不安や疑心が生じてきたのです。

それをK氏に話したところ、こう言ってくれたのです。

「そういう時は、後ろを振り返ってみてごらん。
広大な原っぱで、草刈をしていたとするよね。
草を刈っても刈っても、草は一向に減らず、
目の前には依然として広大な草原が広がっている。
全然自分が草を刈れたようには思えない。
でも、その時に後ろを振り返って見てみるんだよ。
あなたの後ろには刈られた草が、山になっていて、
広々とした大地が顔を出している。
ああ、自分はこれだけ刈ってきたんだな、
進んできたんだな、ってわかるよ。」

この言葉に、私は本当に救われたものです。

ああ、確かに私は大きく進歩してきた。
以前の私とは、全く変わってしまった。
確かな変容がそこには起きてきていた、と、わかることができたのです。

この話は、私が教えていく上でも、よく使わせてもらっています。

もう一つは、
私が、一緒にワークをし、道を共有できる人を好きになってしまった時のことです。

私には、道をシェアしあえて、ともに歩み、成長していけるパートナーが欲しいという欲求が、
非常に強くありました。
それは、どんなに打ち消そうとしても、打ち消せない、私の深いところからの欲求でした。
でも、前夫は、全く精神世界に興味のない人で、
私は自分にとって一番重要なことを何も話せず、
価値観も生きるところも全く違う人とパートナーであり続けることに、
大きな寂しさとむなしさを感じていました。
生き方や、子どもの育て方でも、いろいろと全く違い、
それを話し合うこともできず、ただ、否定的に見られることに、
限界も感じていました。

そんな私の前に、本当にいろいろとシェアしあえる人が現れたのです。
好きになってしまうことは、私にとっては、当然の成り行きでした。
とはいえ、結婚している身で、まして、そういうことに理解のある夫ではありません。

夫に知られないように画策しようとした私に、
K氏が「真実を探究するなら、あなたが真実に生きなければいけない」と、
言ってくれたのです。

私は、はっと目が覚めたようでした。
夫に正直に話し、私は隠し事をしながら生きていく必要がなくなりました。
偽りの人生を歩む必要がなくなったのです。

真実に生きた結果、夫を傷つけ、離婚という形になりましたが、
仮面夫婦でずっといるより、
私にとってははるかに自分自身を、誠実に正直に生きられる結果でした。

でも、前夫にとっては、どちらが良かったのかわかりません。
前夫側からしたら、他の人を好きになったことも、
それを正直に話したことも、単に私の身勝手さに過ぎないことです。
いまだに、私を許すことのできない前夫にとっては、
言わなかった方が良かったのかもしれません。
それでもやはり、潜在意識では全てわかってしまうこと、
たとえ傷ついたとしても、本当のことを知った方が良かったのだろうと思います。

そういった、非常に重要なアドヴァイスをくれたK氏に、
今でも深い恩と感謝を感じています。



付け足したかったもうひとつのことは、
アジズとのアウェアネスのワークで苦しんでいた完全なハート・タイプの仲間のことです。
「私には合わない!」と魂からの悲鳴をあげていた彼女は、
本当に泣き叫び、苦しみにのたうちまわりながら、
それでもなお、真剣に取り組み、
ステート・オブ・プレゼンスの安定化をついに成し遂げました。
フーマンにも、「あなたには合わない」と言われていたにもかかわらず、です。

そして、後に、
「本当に苦しかったけど、やって本当に良かった。
ステート・オブ・プレゼンスがなければ、私は進化できなかった」という意味のことを、
私の友人に打ち明けたそうです。

その魂の誠実さには、心からの尊敬を感じずにはいられませんでした。

本当は、ハート・タイプこそ、アウェアネスが必要なのです。
それがあるかないかで、ハートの質が全く違ってくることを、
ひしひしと実感しています。

だからこそ、
すぐに結論を出さないで、どんな探求者にも、
アウェアネスを目覚めさせるワークをしてほしいと願っています。

それは、それほど貴重なものなのです。

それを、本当に誠実な探求者に知って欲しいと願っています。








内なる探求



プレイヤー瞑想 2013年4月27日


口で、大きく、ゆっくりと、ゆったりとした呼吸をハートの中へと、入れていきます

そして、腕を、手のひらを、全身をセンサーにして、とても意識的に、とても繊細に、
その腕に降り注ぐ白い光のエネルギーを感じていきます

それは、内なる目で見える光
内側で、その光を感じることができます

それは実際にまばゆく輝き、私達へと、さんさんと降り注いでいます

外に輝く太陽のように、それはいつも、さんさんと降り注いでいます
それは、内側も外側もなく、常に、あらゆるところで、降り注いでいます
それは非常に、高い振動数を持って、きらめいています
そのエネルギーを、ハートへと、呼吸とともに、たっぷりと吸い込んでいきましょう

そして、吐く時に一段と、そのエネルギーを感じて

吸う時に、ハートを開き、吐く時に、さらに開いて、手放していきます

あまり強く、自分をプッシュするようにはしません

バラの花びらが、一枚一枚、ゆっくりと開いていくように、
ハートという花びらが、少しずつ、開いていきます

ハートの底に住む、魂は、とてもシャイです
それは、とても繊細なエネルギー
身体全体の細胞を研ぎ澄まして、透明になり、
その繊細なエネルギーを感じていきます

最初、私達は、外側にある光のエネルギーを感じていきます
そして、それを十分に感じ取ることができた時、
あなたは、内側の自らのハートのエネルギーを感じていきます

私達のハートは、産まれた時から、今までの間に、
この社会の中で、開くことより、鎧を着込み、
その、とても繊細なものを、硬い鎧や仮面、マスクで、
守ることを覚えてきました
そうしなければ、ハートの繊細さはめちゃくちゃに壊され、
私達は精神の正常さを保つことができませんでした

でも、その鎧が、私達自身の魂に出会うことを、妨げてしまう結果になりました
今、その鎧をひとつずつはがし、硬く、凍ったハートを、溶かしていきます
その、繊細なハートを、裸のままで、あらわにしていくという作業を、
私達はしていくことになります

その着込んできた鎧をはずすことは、一方で、とても恐怖を感じることです
なぜなら、裸の魂をさらけ出すということは、
また、最初の傷つきやすさを取り戻すということでもあるからです
なぜか、私達は、裸のまま生まれ、たくさんの衣服や鎧を着込み、
そして、また裸に戻っていくというプロセスを経ることを、選んできました
それぞれの、ブループリントによって、その困難さ、その鎧の種類、鎧の厚さ、
そういったものを、それぞれが、魂の到達しようとすることに合わせて、
身につけてきました

それをはずし、裸に戻るというプロセスを通して、私達はたくさんのことを学び、
そして、もともと裸であった時よりも、より一層深く、堅固なものとして、
元の裸の姿を取り戻すことができるのです

この人生におけるドラマは全て、そのための、ひとつのプロセスに過ぎません

困難が多ければ多いほど、あなたの魂は、より強い光を放つことを望んでいます

私達は元々、その調和の取れた、この穏やかで、温かい、喜びに満ちたエネルギーを、
深いところで知っています
それがゆえに、この次元の荒々しいエネルギーに、
生まれた時から、違和感を感じています

それでも、私達は、私達自身を社会に合わせようと、必死になって、自分を偽り、
自分を変えようとし、自分がいけないのだと、周りと違っている自分が問題なのだと、
そのことでさらに自分自身を傷つけ、
深いところで、その痛みを抱えて、生きてきました

今、周りに合わせることを、自分自身を社会に調和させようとすることを、
手放していい時だということを、知ってください

それは何も、社会にあらがったり、抵抗したり、
そこから離れて、一人山の中で暮らすことを意味しているのではありません
ただ、あなたは内側で知る
あなたがいけなかったのではない
そして、社会に合わせる必要もなく、
あなたは、本当のあなた自身を目覚めさせることを、
それに専念していいことを、ただ、それだけが必要であることだということを、
知るということです

実際の時間軸の中で、ひと時、社会から距離を感じ、
一人、内側に入り、内側を探究していくことが必要になります

あなたは、世間の人たちとともに時間を過ごしながら、
自分の中で、ある距離を保ち続けます

あなたはより内面の方にエネルギーを注ぎ、
他者との関わりにあまりエネルギーを注がなくなります

あなたは、内側という避難場所に、多く、とどまる時間が、今はまだ必要です

けれど、あなたがあなた自身を目覚めさせた時、本当の自分が目覚めた時、
あなたは、全く違う質の調和を持って、また社会の中へ還っていくことができます

その時、あなたは一人あることにとどまりながら、
内側の自分自身にしっかりと根づき、とどまりながら、
その自分自身として、パーソナリティという、橋を通して、
社会と親密に、深く、関わっていくことができるようになります

でもまだ今は、距離を保っているべきときです
でなければ、あなたはあまりに周りの人たちに振り回され、
社会の重責を背負い込み、その中で、自分自身を見失い、
また暗闇の中でさまよってしまうからです

今はまだ、内面にとどまることを、
内側という避難場所にとどまって、
さらに自分自身の内奥を探究していくことに、時間を注ぐべき時です

そのことを、マインドにしっかりと理解をさせること
外側を変える必要はありません
ただ、外側にずっと、100%注いできたエネルギーを、
より多く、内側へと注ぐという、エネルギーの配分の問題です

そのためには、あまりにあなたを、もし、あなたをあまりに妨げる、
あなたのその内側に向けるエネルギーを奪ってしまう状況や人とは、
そのバランスを取る必要があります

バランスを取るということは、それに意識的になるということです
無意識に相手に奪われ、振り回されるのではなく、
もし、振り回されるのであれば、関わるのであれば、
意識的にそれに関わっていくということ
そして、自分の中に起こること、自分の中のエネルギーの関係、
そういったこと全てに、気づいていくということです

あなたが無意識でなければ、必要以上にエネルギーを奪われることはありません
あなたは、ハートから接し、
それを、ハートのワークの良い機会に変えることができます

それは、ただ、相手を受け入れるということではありません
相手に対し、ノーならノーと言うこと
自分にとっては何が必要かをきちんと見定め、それを相手に伝えること
そういったことも、含まれています
けれど、全てをあるがままに受け止めていくこと
許していくこと
それがあなたの、ハートのワークの、一番大きな力となります

もし、あなたが、誰かとの関わりの中で、被害者意識を感じるようなことがあれば、
なぜ、自分が被害者意識になるのか、そこを洞察していくこと
自ら被害者となっているのか、
あるいは、被害と受け止めている時、あなたは、自分自身に責任を全く持っていません

それらのことを、自分をジャッジすることなく

私達のマインドは、とても速く、何らかの思考や感情が起こった、
それを、私達が認識するより速く、その自分自身の意識や思考や感情に対して、
ジャッジを行っています
そして、無意識にそれらを抑圧しています
それらを、それらの抑圧やジャッジをほどき、
あなた自身のありのままを受容していくということ

それは、大変なエネルギーを使う作業です

あなたは、一時、外側のことにかまけている時間が持てないほど、
内側のことでいっぱいになります
そういう時は、そういう時間を、自分に保障してあげてください

そして自らを、縛っている自らの鎖をほどいていってください

世間があなたを縛っているのではありません

あなたは、世間に合った鎖を自分自身で作り上げ、それで自分自身を縛っています

それらから、自由になること
そのために、あなたは本当のあなた自身を確立しなければなりません
そうでなければ、一体、誰がその鎖をほどくのでしょうか?
マインドは、パーソナリティは、その鎖そのものです
鎖は、自らをほどくことはできません

あなたの中の、自分
私、Meという感覚

それが、全てのことの、アンカーとなります
全てのことの、柱となります
あなたはそれにしがみつき、そこにとどまり、
そうした時初めて、あなた自身を縛っている全てを解放していくという作業を、
成し遂げていくことができます

***

それは、何年も何年もかかる

なぜならそれは、今生だけではなく、前世から、何生も何生も、
今まで人間として生きてきた、その間に、積み上げてきた、溜め込んできた、
たくさんのカルマがあるからです

カルマがなければ、私達はここにこうして、肉体を持って存在することは不可能です

覚醒した後も、そのカルマを解放していくという作業は続きます

それは、個人的なカルマにとどまらないからです
私達一人ひとりの存在は、人類の集合的なカルマを持っています
家系的なカルマもあります
文明として、女性として、男性として、あらゆる人間として生きてきた、
人間だけではなく、全ての存在の集合的なものを土台にしています

あなたがハートの人であるならば、
あなたは個人的なカルマを解消するだけでは終わらないでしょう
それで、完成したという、自らが本当に充足したという、
完全にやり終えたという感覚を、その魂が持たないからです

     **



けれど、ひとつだけ、覚えておいてください
そういったカルマも全て、神の腕の中で起こっているということ

私達一人ひとりのブループリントは、今のパーソナリティ、この人生のドラマの全て、
神に責任があるのだということを、覚えておいてください

それはあなたが、あなた自身に責任を取らなくていいということではありません
あなたは、あなたの魂を目覚めさせるという、大きな責任を持っています
それが、究極の意味での、唯一の責任です

けれど、その他のことは全て、私達が魂を忘れてしまったということですら、
神の責任であると言うことを覚えておいてください

あなたは一人で、今あなたが抱えているものを解放するわけではありません
神がその責任を負い、全てのことをやってくれます
そのために、あらゆるサポートが、肉体を持たない存在も、肉体を持った存在も、
あらゆるものが、サポートしてくれます

あなた方は、一人ではありません

けれど、一人で立つということが、自分の足で立つということ、
自分に対して、責任を持てるということ
その時初めて、あなた方は、そういった、宇宙からのサポートを手にすることができます

だから、一人で苦しい時、もう自分ではどうしようもない時、
あなたはただ、叫べばいいのです
神に向かって、「助けてください!」

そして、その状況を、受け入れ許し、
それとともにあることができるように、私をしてください、と、祈ることです

あなたが神を信じている必要はありません
もし、何かを信じるということが、もし、それが心理的なものであるならば、
あなたが信じていようと、信じていまいと、それが起こる時には起こり、
起こらないときには起こりません

信頼は、信じるということは、むしろ、エネルギー的なことです
それは、ビーイングにくつろぐということ
内なる平安に安らぎ、安堵に、全身をゆだねられるということです
それは、心理的な事柄ではありません

もちろん、それは、心理的なことに影響を与えます
ですが、あなたは、神を信じようと努力はしない
信じないものは救われないという脅しに、振り回される必要はありません

あなたが神を信じようと信じまいと、あなたがここに存在していることが
あなたを造ったものがあることを証明しています

あなたは、今のあなたの容姿、性格、感情、考え方、両親、家族、国、
そういったこと全てを、生まれてから、
私はこれがいい、私はこれにする、と決めたのでしょうか?
生まれる前に、決めたのでしょうか?

そもそも、ここに存在するということ自体、決めたのでしょうか?

     **

あなたの持っている重荷は全て、神に返せばいいのです
あなたが抱えている必要はありません

ただ、それは、あなたが再び、神を思い出し、
それにつながる道に入るためのプロセスであったこと

あなたがそれを知った時、あなたは感謝の念で、身を打ち振るわせることでしょう
この道に入るということ自体が、
そこに、足を踏み入れることができたということ自体が、
どれほどの恩寵であるか、あなたは知るでしょう


***


2014年2月9日日曜日

何もしないこと エゴの声とハートの声



プレイヤー瞑想 2013年4月26日

少し顔を上に上げるような感じで、ゆっくりと口で呼吸をしていきます

甘い、蜜を吸うように、
その甘いエネルギーを、ハートいっぱいに入れていきます

そしてゆっくりと、あなたのハートが翼を広げていくように
腕を広げると同時に、ハートも開いていきます

大いなるものの前に、全てを投げ出し、
その、救いの手が、あなたのその上げた腕を取るように

あなたはただ、もろ手を上げて、明け渡していきます

そして、いつも、ここに、満ちている、そのネクターのような、
ジューシーで甘く、穏やかな、その愛に満ちたエネルギーを、
あなたの身体中に満たしていきます

呼吸とともに、吸う息と共に、そのエネルギーがあなたのハートを満たし、
吐く息とともに、さらにあなたの中は空洞となり、そのエネルギーで満たされていきます

吸う息と共に、開き、吐く息と共に、手放す

あなたは無限に、神なる次元へと拡がっていきます

あなたのハートがそのエネルギーで満たされてくると、
あなたはハートの中に至福を感じ始めます
あるいは、愛のエネルギーを

そして、明け渡すとき、大地にひざまづき、古いもの全てを、地球の中心へと向かって、
全て、それが洗い流されるように、手放していきます

あなたの中のもう必要でなくなった、今まで、ずっと持ち運んできた、
この次元で生きるために背負ってきた重荷
条件付けによって、しこまれてきた様々なプログラミング
それは今まで、あなたにとって、ここで生きていくために、必要であったもの、
でも、これから、神の次元に生きるあなたにとって、それらはもう、古い足かせに過ぎなくなります
それらが全て、この白い光によって、大地へと洗い流されるよう、
あなたはそれらを全て、手放していきます

あなたが受け取ったエネルギーが身体を通り、それらの不純物を洗い流してくれます

そして、まっさらな、白紙に戻って、ただの空っぽな竹筒のように、
あなたはただの空っぽな導管となって、
次に立ち上がります

生まれたての赤ん坊のように、あなたは何も知らない
ここの次元に初めて生まれ出たときのように、
あなたは初めて、今、ここに生まれてきます

今まで、知ってきたと思ってきたこと全て
身に着けてきたこと全て
その未知なるものを知るためには、不要なものです
もし、あなたが何かを知っていると思っているなら、
あなたは新しい、その、未知なるものを、受け取ることができません
この社会のなかで、積み重ねてきた情報
それらの多くは、むしろ妨げにこそなり、
あなたが未知なるものへと開いていくことの障害になりかねません
スピリチュアルな情報ですら、同じことです

ただ無垢な、何も知らないまっさらな状態になって、
ただ、今ここにあるものを、受け取って感じていくこと

あなたが本当に無垢になった時、あなたは、いつもの空間が全く違う空間であることに気づき、驚きます
平凡な風景が、本当に美しい風景となります
その空間が愛で満ちていることに気がつきます

あなたのすべきことは、全てを手放し、ただ明け渡していくこと
もし、あなたが何かのイメージを追い、それを得ようとしたならば、
あなたは今ここにあるものを逃してしまうでしょう

ただ受動的になって、感じていくこと

明け渡すということは、降参するということです
あなた方は今まで、自分で積み上げてきた何かで、どうにかしようと、もがいてきました
その積み上げてきた何かで、何かを得ようと、
手探りで、何かを掴もうと、手を伸ばしてきました

降参するということは、もう自分には何もできることがないと、知るということです

ただゆだねて
あなたのその、自分でどうにかしようとする、そのエゴを、手放していくのです
それが降参するということ
エゴにできることは、もう何もないのだということを、知るということ

あなたが、降参して、明け渡せば明け渡すほど、あなたは神の次元の入り口へと近づいていきます
あなたが完全に明け渡した時、あなたは、自分がその扉の内側に入っていることに気がつきます
神の次元は、どこか遠いところにあるのではなく、
今ここに、常に、あります

そこへ行く通路は、ハートです

それは、ビーイングと、ハートのコンビネーション

ビーイングの深みがなければ、本当にハートが開き切ることはありません

ビーイングの深みなくして、ハートの本当の深みへと、入っていくことは不可能です
もし、ビーイングのエネルギーなく、あなたがハートを感じているとしたら、
それはハートのほんの表層に過ぎません

そして、アウェアネスという光がなければ、本当の意味で、ビーイングの深みへと入っていくこともまた、不可能です

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ビーイングとは、深い安らぎ
その深い、くつろぎ、安堵の中で、
あなたは安心して、明け渡すことができます

もし、あなたのどこかが緊張したままであるなら、どうやってあなたは開いていくことができるのでしょうか?

この次元で生きていくということは、常に、どこかで緊張を持ち続けているということです
そうでなければ、あなたはたやすく他者に侵入され、利用され、攻撃され、
あなたは、めちゃくちゃになってしまいます

この次元で生きていくということは、ある種の緊張を常に要求します

ですから、緊張があるということは、決して悪いことではありませんが、
スピリチュアルなワークの中で、その緊張に無意識であり続ける、それを持ったままなら、
あなたは、浅い層でフックされたまま、深くへと入っていくことができなくなります
この安全な空間で、あなたはその緊張を解くことを許し、
その時、あなたの呼吸は一段と深くなる

大地へと、大地とのつながりを、再び思い出すことができます

人生の全てをやり終え、もう何もやり残したことがない
その充足感と、ハートの中でくつろぐ
あなたはもう、この次元でのやるべきことはやり終え、
さらに、深い次元へ、旅立つときを迎えています

自分の中の、その緊張
身体のどこかに必ず抱えてきた、その緊張を見つけ、感じ、それを、緩めていきます
みぞおち、下腹、そして、ハートを押さえつけてきた肩、背中
どこにあなたの一番のテンションがあるか、意識的になっていく

ここではあなたはもはや、社会の中で、あくせくして、努力して、一生懸命何かをする必要はありません
生まれたての赤ん坊のように、母親の腕の中で、身体の全ての力を抜き、
その腕に抱かれ、ただくつろいで眠る赤子のようになっていいことを、
自分に真に許します

自分がどれだけ今までがんばってきたか、
自分自身を十分に認め、ほめてあげてください
でも、もう、ここではもはや、その必要はありません

何もしなくていい

身体は動き、食べ、歩き、瞑想し、散歩し、お風呂に入り、
身体は何かの行為を続けますが、あなた自身はもう何もしなくていいのです

何かをし続けなければならない、何かを成しえなければならない
何かを達成しなければならない
そうやって、常に何かをしてきた、
その内側の行為自体を、手放します

あなたがここで、することは、何もしないこと

その何もしないところから、本当にあなたの必要なことが起こってきます
瞑想は、座っている身体の形ではなく、ロータスポジションを取って座ることではなく、
目を閉じ、ただ黙ってじっとしていることでもなく、
その内側のあくせくしたものを手放し、ただ何もしないでいる
この状態に常にいるということ
そこから全ての行為が自然に発生し、
あなたは、何もしないで、全ての行為を行う

瞑想とは、ここで座っている間だけ、瞑想が起こるわけではありません
あなたの中で本当に瞑想が起こった時、それは全ての時間を貫いていきます

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その何もしないところから、
あなたの腕は徐々に開き、天に向かい・・・
神と出会っていきます

あなたは何もしないのに、あなたの内側は喜びであふれ
あなたは何もしないのに、その悦びに涙が出、打ち震え、
あなたは何かに触れられている
あなたはハートの中で、何か、とてつもなく優しいものに触れられている

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この優しいタッチは、無条件で、無限で、
あなたの外側の状況とは一切関係なく、
あなたが開けば、常に、そこにあるもの

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優しく、穏やかに、自分自身に接すること

繊細に、内側を感じていきます

開いていくときに、もし、ある地点で抵抗が起きた時、
その抵抗と戦わないこと
ただ、その抵抗に気づき、それとともにいること
あなたが、優しくその抵抗を包み込むと、すると、その抵抗はゆっくりと溶けていきます

口で大きく、そこに呼吸を入れて
時間をかけて、ゆっくりと

抵抗が出てくるということは、あなたがそこまで開いたという証でもあります
今まで、開いてきた以上に、開いたという証でもあります

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あなた方は、あなた方の本当の姿を知っているでしょうか?
それは、あなた方が想像するよりはるかに偉大なものです

それが、この小さな肉体に、一人の人格として存在しているということ自体、不思議です

エゴは今まで、自分自身が主人だと思って、君臨し続けてきました

エゴは、その座を、本当のあなた自身に明け渡すことを、許しません
必ず、抵抗が起こります
あなたは時間をかけ、そのエゴをあきらめさせなければなりません
それは、エゴを否定するのではなく、包み込むということ
優しく
エゴもまた、私達が与えてもらった、ひとつの表現です
それ自体、悪いことは何ひとつありません
唯一の問題は、本当のあなた自身がまだいないということ
まだ、目覚めていない、眠った状態であるということ

そのことを真に理解すること

そして、エゴの声と、魂の声を、ハートの声を、聞き分ける力を、磨いていくこと

エゴの声は、いつもどこかに、居心地の悪さがあります
本当は知っているからです
それが、魂の声ではないからです
本当は、どこか深くで、知っているからです
その洞察を、自分でしていくこと

それは、エゴを批判するためでも、ジャッジするためではありません
ただ、優しく、包み込んであげること

自分に優しいということは、自分に甘いということではありません
その違いを、はっきりと知ってください
自分に優しいということは、エゴが何者か知り、優しく包み込むことです
自分に甘いということは、エゴの声と知りつつ、自分自身をもあざむき、そのエゴの声に従うことです

スピリチュアルな道を行くということは、私達がどれだけ、誠実で、正直であるか、問われることです
どれだけ、誠実に瞑想していくかも、もちろん、あります

もし、あなたが、エゴとしてのあなたであり続けたいと思っているのでしたら、それもまたオッケーです
でも、もし、あなたが、エゴよりはるかに偉大な本当のあなた自身でいたいと思うのでしたら、そこに妥協は許されません

それが、私達が唯一支払うべき、代償です

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エゴの声に従うとき、そこには必ず、正当化の理由が生じます
それを、よく見極めるように
もし、自分の中で、何か自分を正当化しようとしているものがあるなら、
それはエゴの声です
ハートからの声は、理由など全くありません
正当化する必要さえ、あなたは感じません
ただ、そうであるもの

それは、とても、シンプルです

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