2014年2月10日月曜日

内なる探求



プレイヤー瞑想 2013年4月27日


口で、大きく、ゆっくりと、ゆったりとした呼吸をハートの中へと、入れていきます

そして、腕を、手のひらを、全身をセンサーにして、とても意識的に、とても繊細に、
その腕に降り注ぐ白い光のエネルギーを感じていきます

それは、内なる目で見える光
内側で、その光を感じることができます

それは実際にまばゆく輝き、私達へと、さんさんと降り注いでいます

外に輝く太陽のように、それはいつも、さんさんと降り注いでいます
それは、内側も外側もなく、常に、あらゆるところで、降り注いでいます
それは非常に、高い振動数を持って、きらめいています
そのエネルギーを、ハートへと、呼吸とともに、たっぷりと吸い込んでいきましょう

そして、吐く時に一段と、そのエネルギーを感じて

吸う時に、ハートを開き、吐く時に、さらに開いて、手放していきます

あまり強く、自分をプッシュするようにはしません

バラの花びらが、一枚一枚、ゆっくりと開いていくように、
ハートという花びらが、少しずつ、開いていきます

ハートの底に住む、魂は、とてもシャイです
それは、とても繊細なエネルギー
身体全体の細胞を研ぎ澄まして、透明になり、
その繊細なエネルギーを感じていきます

最初、私達は、外側にある光のエネルギーを感じていきます
そして、それを十分に感じ取ることができた時、
あなたは、内側の自らのハートのエネルギーを感じていきます

私達のハートは、産まれた時から、今までの間に、
この社会の中で、開くことより、鎧を着込み、
その、とても繊細なものを、硬い鎧や仮面、マスクで、
守ることを覚えてきました
そうしなければ、ハートの繊細さはめちゃくちゃに壊され、
私達は精神の正常さを保つことができませんでした

でも、その鎧が、私達自身の魂に出会うことを、妨げてしまう結果になりました
今、その鎧をひとつずつはがし、硬く、凍ったハートを、溶かしていきます
その、繊細なハートを、裸のままで、あらわにしていくという作業を、
私達はしていくことになります

その着込んできた鎧をはずすことは、一方で、とても恐怖を感じることです
なぜなら、裸の魂をさらけ出すということは、
また、最初の傷つきやすさを取り戻すということでもあるからです
なぜか、私達は、裸のまま生まれ、たくさんの衣服や鎧を着込み、
そして、また裸に戻っていくというプロセスを経ることを、選んできました
それぞれの、ブループリントによって、その困難さ、その鎧の種類、鎧の厚さ、
そういったものを、それぞれが、魂の到達しようとすることに合わせて、
身につけてきました

それをはずし、裸に戻るというプロセスを通して、私達はたくさんのことを学び、
そして、もともと裸であった時よりも、より一層深く、堅固なものとして、
元の裸の姿を取り戻すことができるのです

この人生におけるドラマは全て、そのための、ひとつのプロセスに過ぎません

困難が多ければ多いほど、あなたの魂は、より強い光を放つことを望んでいます

私達は元々、その調和の取れた、この穏やかで、温かい、喜びに満ちたエネルギーを、
深いところで知っています
それがゆえに、この次元の荒々しいエネルギーに、
生まれた時から、違和感を感じています

それでも、私達は、私達自身を社会に合わせようと、必死になって、自分を偽り、
自分を変えようとし、自分がいけないのだと、周りと違っている自分が問題なのだと、
そのことでさらに自分自身を傷つけ、
深いところで、その痛みを抱えて、生きてきました

今、周りに合わせることを、自分自身を社会に調和させようとすることを、
手放していい時だということを、知ってください

それは何も、社会にあらがったり、抵抗したり、
そこから離れて、一人山の中で暮らすことを意味しているのではありません
ただ、あなたは内側で知る
あなたがいけなかったのではない
そして、社会に合わせる必要もなく、
あなたは、本当のあなた自身を目覚めさせることを、
それに専念していいことを、ただ、それだけが必要であることだということを、
知るということです

実際の時間軸の中で、ひと時、社会から距離を感じ、
一人、内側に入り、内側を探究していくことが必要になります

あなたは、世間の人たちとともに時間を過ごしながら、
自分の中で、ある距離を保ち続けます

あなたはより内面の方にエネルギーを注ぎ、
他者との関わりにあまりエネルギーを注がなくなります

あなたは、内側という避難場所に、多く、とどまる時間が、今はまだ必要です

けれど、あなたがあなた自身を目覚めさせた時、本当の自分が目覚めた時、
あなたは、全く違う質の調和を持って、また社会の中へ還っていくことができます

その時、あなたは一人あることにとどまりながら、
内側の自分自身にしっかりと根づき、とどまりながら、
その自分自身として、パーソナリティという、橋を通して、
社会と親密に、深く、関わっていくことができるようになります

でもまだ今は、距離を保っているべきときです
でなければ、あなたはあまりに周りの人たちに振り回され、
社会の重責を背負い込み、その中で、自分自身を見失い、
また暗闇の中でさまよってしまうからです

今はまだ、内面にとどまることを、
内側という避難場所にとどまって、
さらに自分自身の内奥を探究していくことに、時間を注ぐべき時です

そのことを、マインドにしっかりと理解をさせること
外側を変える必要はありません
ただ、外側にずっと、100%注いできたエネルギーを、
より多く、内側へと注ぐという、エネルギーの配分の問題です

そのためには、あまりにあなたを、もし、あなたをあまりに妨げる、
あなたのその内側に向けるエネルギーを奪ってしまう状況や人とは、
そのバランスを取る必要があります

バランスを取るということは、それに意識的になるということです
無意識に相手に奪われ、振り回されるのではなく、
もし、振り回されるのであれば、関わるのであれば、
意識的にそれに関わっていくということ
そして、自分の中に起こること、自分の中のエネルギーの関係、
そういったこと全てに、気づいていくということです

あなたが無意識でなければ、必要以上にエネルギーを奪われることはありません
あなたは、ハートから接し、
それを、ハートのワークの良い機会に変えることができます

それは、ただ、相手を受け入れるということではありません
相手に対し、ノーならノーと言うこと
自分にとっては何が必要かをきちんと見定め、それを相手に伝えること
そういったことも、含まれています
けれど、全てをあるがままに受け止めていくこと
許していくこと
それがあなたの、ハートのワークの、一番大きな力となります

もし、あなたが、誰かとの関わりの中で、被害者意識を感じるようなことがあれば、
なぜ、自分が被害者意識になるのか、そこを洞察していくこと
自ら被害者となっているのか、
あるいは、被害と受け止めている時、あなたは、自分自身に責任を全く持っていません

それらのことを、自分をジャッジすることなく

私達のマインドは、とても速く、何らかの思考や感情が起こった、
それを、私達が認識するより速く、その自分自身の意識や思考や感情に対して、
ジャッジを行っています
そして、無意識にそれらを抑圧しています
それらを、それらの抑圧やジャッジをほどき、
あなた自身のありのままを受容していくということ

それは、大変なエネルギーを使う作業です

あなたは、一時、外側のことにかまけている時間が持てないほど、
内側のことでいっぱいになります
そういう時は、そういう時間を、自分に保障してあげてください

そして自らを、縛っている自らの鎖をほどいていってください

世間があなたを縛っているのではありません

あなたは、世間に合った鎖を自分自身で作り上げ、それで自分自身を縛っています

それらから、自由になること
そのために、あなたは本当のあなた自身を確立しなければなりません
そうでなければ、一体、誰がその鎖をほどくのでしょうか?
マインドは、パーソナリティは、その鎖そのものです
鎖は、自らをほどくことはできません

あなたの中の、自分
私、Meという感覚

それが、全てのことの、アンカーとなります
全てのことの、柱となります
あなたはそれにしがみつき、そこにとどまり、
そうした時初めて、あなた自身を縛っている全てを解放していくという作業を、
成し遂げていくことができます

***

それは、何年も何年もかかる

なぜならそれは、今生だけではなく、前世から、何生も何生も、
今まで人間として生きてきた、その間に、積み上げてきた、溜め込んできた、
たくさんのカルマがあるからです

カルマがなければ、私達はここにこうして、肉体を持って存在することは不可能です

覚醒した後も、そのカルマを解放していくという作業は続きます

それは、個人的なカルマにとどまらないからです
私達一人ひとりの存在は、人類の集合的なカルマを持っています
家系的なカルマもあります
文明として、女性として、男性として、あらゆる人間として生きてきた、
人間だけではなく、全ての存在の集合的なものを土台にしています

あなたがハートの人であるならば、
あなたは個人的なカルマを解消するだけでは終わらないでしょう
それで、完成したという、自らが本当に充足したという、
完全にやり終えたという感覚を、その魂が持たないからです

     **



けれど、ひとつだけ、覚えておいてください
そういったカルマも全て、神の腕の中で起こっているということ

私達一人ひとりのブループリントは、今のパーソナリティ、この人生のドラマの全て、
神に責任があるのだということを、覚えておいてください

それはあなたが、あなた自身に責任を取らなくていいということではありません
あなたは、あなたの魂を目覚めさせるという、大きな責任を持っています
それが、究極の意味での、唯一の責任です

けれど、その他のことは全て、私達が魂を忘れてしまったということですら、
神の責任であると言うことを覚えておいてください

あなたは一人で、今あなたが抱えているものを解放するわけではありません
神がその責任を負い、全てのことをやってくれます
そのために、あらゆるサポートが、肉体を持たない存在も、肉体を持った存在も、
あらゆるものが、サポートしてくれます

あなた方は、一人ではありません

けれど、一人で立つということが、自分の足で立つということ、
自分に対して、責任を持てるということ
その時初めて、あなた方は、そういった、宇宙からのサポートを手にすることができます

だから、一人で苦しい時、もう自分ではどうしようもない時、
あなたはただ、叫べばいいのです
神に向かって、「助けてください!」

そして、その状況を、受け入れ許し、
それとともにあることができるように、私をしてください、と、祈ることです

あなたが神を信じている必要はありません
もし、何かを信じるということが、もし、それが心理的なものであるならば、
あなたが信じていようと、信じていまいと、それが起こる時には起こり、
起こらないときには起こりません

信頼は、信じるということは、むしろ、エネルギー的なことです
それは、ビーイングにくつろぐということ
内なる平安に安らぎ、安堵に、全身をゆだねられるということです
それは、心理的な事柄ではありません

もちろん、それは、心理的なことに影響を与えます
ですが、あなたは、神を信じようと努力はしない
信じないものは救われないという脅しに、振り回される必要はありません

あなたが神を信じようと信じまいと、あなたがここに存在していることが
あなたを造ったものがあることを証明しています

あなたは、今のあなたの容姿、性格、感情、考え方、両親、家族、国、
そういったこと全てを、生まれてから、
私はこれがいい、私はこれにする、と決めたのでしょうか?
生まれる前に、決めたのでしょうか?

そもそも、ここに存在するということ自体、決めたのでしょうか?

     **

あなたの持っている重荷は全て、神に返せばいいのです
あなたが抱えている必要はありません

ただ、それは、あなたが再び、神を思い出し、
それにつながる道に入るためのプロセスであったこと

あなたがそれを知った時、あなたは感謝の念で、身を打ち振るわせることでしょう
この道に入るということ自体が、
そこに、足を踏み入れることができたということ自体が、
どれほどの恩寵であるか、あなたは知るでしょう


***


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