2014年2月9日日曜日

何もしないこと エゴの声とハートの声



プレイヤー瞑想 2013年4月26日

少し顔を上に上げるような感じで、ゆっくりと口で呼吸をしていきます

甘い、蜜を吸うように、
その甘いエネルギーを、ハートいっぱいに入れていきます

そしてゆっくりと、あなたのハートが翼を広げていくように
腕を広げると同時に、ハートも開いていきます

大いなるものの前に、全てを投げ出し、
その、救いの手が、あなたのその上げた腕を取るように

あなたはただ、もろ手を上げて、明け渡していきます

そして、いつも、ここに、満ちている、そのネクターのような、
ジューシーで甘く、穏やかな、その愛に満ちたエネルギーを、
あなたの身体中に満たしていきます

呼吸とともに、吸う息と共に、そのエネルギーがあなたのハートを満たし、
吐く息とともに、さらにあなたの中は空洞となり、そのエネルギーで満たされていきます

吸う息と共に、開き、吐く息と共に、手放す

あなたは無限に、神なる次元へと拡がっていきます

あなたのハートがそのエネルギーで満たされてくると、
あなたはハートの中に至福を感じ始めます
あるいは、愛のエネルギーを

そして、明け渡すとき、大地にひざまづき、古いもの全てを、地球の中心へと向かって、
全て、それが洗い流されるように、手放していきます

あなたの中のもう必要でなくなった、今まで、ずっと持ち運んできた、
この次元で生きるために背負ってきた重荷
条件付けによって、しこまれてきた様々なプログラミング
それは今まで、あなたにとって、ここで生きていくために、必要であったもの、
でも、これから、神の次元に生きるあなたにとって、それらはもう、古い足かせに過ぎなくなります
それらが全て、この白い光によって、大地へと洗い流されるよう、
あなたはそれらを全て、手放していきます

あなたが受け取ったエネルギーが身体を通り、それらの不純物を洗い流してくれます

そして、まっさらな、白紙に戻って、ただの空っぽな竹筒のように、
あなたはただの空っぽな導管となって、
次に立ち上がります

生まれたての赤ん坊のように、あなたは何も知らない
ここの次元に初めて生まれ出たときのように、
あなたは初めて、今、ここに生まれてきます

今まで、知ってきたと思ってきたこと全て
身に着けてきたこと全て
その未知なるものを知るためには、不要なものです
もし、あなたが何かを知っていると思っているなら、
あなたは新しい、その、未知なるものを、受け取ることができません
この社会のなかで、積み重ねてきた情報
それらの多くは、むしろ妨げにこそなり、
あなたが未知なるものへと開いていくことの障害になりかねません
スピリチュアルな情報ですら、同じことです

ただ無垢な、何も知らないまっさらな状態になって、
ただ、今ここにあるものを、受け取って感じていくこと

あなたが本当に無垢になった時、あなたは、いつもの空間が全く違う空間であることに気づき、驚きます
平凡な風景が、本当に美しい風景となります
その空間が愛で満ちていることに気がつきます

あなたのすべきことは、全てを手放し、ただ明け渡していくこと
もし、あなたが何かのイメージを追い、それを得ようとしたならば、
あなたは今ここにあるものを逃してしまうでしょう

ただ受動的になって、感じていくこと

明け渡すということは、降参するということです
あなた方は今まで、自分で積み上げてきた何かで、どうにかしようと、もがいてきました
その積み上げてきた何かで、何かを得ようと、
手探りで、何かを掴もうと、手を伸ばしてきました

降参するということは、もう自分には何もできることがないと、知るということです

ただゆだねて
あなたのその、自分でどうにかしようとする、そのエゴを、手放していくのです
それが降参するということ
エゴにできることは、もう何もないのだということを、知るということ

あなたが、降参して、明け渡せば明け渡すほど、あなたは神の次元の入り口へと近づいていきます
あなたが完全に明け渡した時、あなたは、自分がその扉の内側に入っていることに気がつきます
神の次元は、どこか遠いところにあるのではなく、
今ここに、常に、あります

そこへ行く通路は、ハートです

それは、ビーイングと、ハートのコンビネーション

ビーイングの深みがなければ、本当にハートが開き切ることはありません

ビーイングの深みなくして、ハートの本当の深みへと、入っていくことは不可能です
もし、ビーイングのエネルギーなく、あなたがハートを感じているとしたら、
それはハートのほんの表層に過ぎません

そして、アウェアネスという光がなければ、本当の意味で、ビーイングの深みへと入っていくこともまた、不可能です

     **

ビーイングとは、深い安らぎ
その深い、くつろぎ、安堵の中で、
あなたは安心して、明け渡すことができます

もし、あなたのどこかが緊張したままであるなら、どうやってあなたは開いていくことができるのでしょうか?

この次元で生きていくということは、常に、どこかで緊張を持ち続けているということです
そうでなければ、あなたはたやすく他者に侵入され、利用され、攻撃され、
あなたは、めちゃくちゃになってしまいます

この次元で生きていくということは、ある種の緊張を常に要求します

ですから、緊張があるということは、決して悪いことではありませんが、
スピリチュアルなワークの中で、その緊張に無意識であり続ける、それを持ったままなら、
あなたは、浅い層でフックされたまま、深くへと入っていくことができなくなります
この安全な空間で、あなたはその緊張を解くことを許し、
その時、あなたの呼吸は一段と深くなる

大地へと、大地とのつながりを、再び思い出すことができます

人生の全てをやり終え、もう何もやり残したことがない
その充足感と、ハートの中でくつろぐ
あなたはもう、この次元でのやるべきことはやり終え、
さらに、深い次元へ、旅立つときを迎えています

自分の中の、その緊張
身体のどこかに必ず抱えてきた、その緊張を見つけ、感じ、それを、緩めていきます
みぞおち、下腹、そして、ハートを押さえつけてきた肩、背中
どこにあなたの一番のテンションがあるか、意識的になっていく

ここではあなたはもはや、社会の中で、あくせくして、努力して、一生懸命何かをする必要はありません
生まれたての赤ん坊のように、母親の腕の中で、身体の全ての力を抜き、
その腕に抱かれ、ただくつろいで眠る赤子のようになっていいことを、
自分に真に許します

自分がどれだけ今までがんばってきたか、
自分自身を十分に認め、ほめてあげてください
でも、もう、ここではもはや、その必要はありません

何もしなくていい

身体は動き、食べ、歩き、瞑想し、散歩し、お風呂に入り、
身体は何かの行為を続けますが、あなた自身はもう何もしなくていいのです

何かをし続けなければならない、何かを成しえなければならない
何かを達成しなければならない
そうやって、常に何かをしてきた、
その内側の行為自体を、手放します

あなたがここで、することは、何もしないこと

その何もしないところから、本当にあなたの必要なことが起こってきます
瞑想は、座っている身体の形ではなく、ロータスポジションを取って座ることではなく、
目を閉じ、ただ黙ってじっとしていることでもなく、
その内側のあくせくしたものを手放し、ただ何もしないでいる
この状態に常にいるということ
そこから全ての行為が自然に発生し、
あなたは、何もしないで、全ての行為を行う

瞑想とは、ここで座っている間だけ、瞑想が起こるわけではありません
あなたの中で本当に瞑想が起こった時、それは全ての時間を貫いていきます

     **

その何もしないところから、
あなたの腕は徐々に開き、天に向かい・・・
神と出会っていきます

あなたは何もしないのに、あなたの内側は喜びであふれ
あなたは何もしないのに、その悦びに涙が出、打ち震え、
あなたは何かに触れられている
あなたはハートの中で、何か、とてつもなく優しいものに触れられている

     **

この優しいタッチは、無条件で、無限で、
あなたの外側の状況とは一切関係なく、
あなたが開けば、常に、そこにあるもの

     **

優しく、穏やかに、自分自身に接すること

繊細に、内側を感じていきます

開いていくときに、もし、ある地点で抵抗が起きた時、
その抵抗と戦わないこと
ただ、その抵抗に気づき、それとともにいること
あなたが、優しくその抵抗を包み込むと、すると、その抵抗はゆっくりと溶けていきます

口で大きく、そこに呼吸を入れて
時間をかけて、ゆっくりと

抵抗が出てくるということは、あなたがそこまで開いたという証でもあります
今まで、開いてきた以上に、開いたという証でもあります

     **

あなた方は、あなた方の本当の姿を知っているでしょうか?
それは、あなた方が想像するよりはるかに偉大なものです

それが、この小さな肉体に、一人の人格として存在しているということ自体、不思議です

エゴは今まで、自分自身が主人だと思って、君臨し続けてきました

エゴは、その座を、本当のあなた自身に明け渡すことを、許しません
必ず、抵抗が起こります
あなたは時間をかけ、そのエゴをあきらめさせなければなりません
それは、エゴを否定するのではなく、包み込むということ
優しく
エゴもまた、私達が与えてもらった、ひとつの表現です
それ自体、悪いことは何ひとつありません
唯一の問題は、本当のあなた自身がまだいないということ
まだ、目覚めていない、眠った状態であるということ

そのことを真に理解すること

そして、エゴの声と、魂の声を、ハートの声を、聞き分ける力を、磨いていくこと

エゴの声は、いつもどこかに、居心地の悪さがあります
本当は知っているからです
それが、魂の声ではないからです
本当は、どこか深くで、知っているからです
その洞察を、自分でしていくこと

それは、エゴを批判するためでも、ジャッジするためではありません
ただ、優しく、包み込んであげること

自分に優しいということは、自分に甘いということではありません
その違いを、はっきりと知ってください
自分に優しいということは、エゴが何者か知り、優しく包み込むことです
自分に甘いということは、エゴの声と知りつつ、自分自身をもあざむき、そのエゴの声に従うことです

スピリチュアルな道を行くということは、私達がどれだけ、誠実で、正直であるか、問われることです
どれだけ、誠実に瞑想していくかも、もちろん、あります

もし、あなたが、エゴとしてのあなたであり続けたいと思っているのでしたら、それもまたオッケーです
でも、もし、あなたが、エゴよりはるかに偉大な本当のあなた自身でいたいと思うのでしたら、そこに妥協は許されません

それが、私達が唯一支払うべき、代償です

     **

エゴの声に従うとき、そこには必ず、正当化の理由が生じます
それを、よく見極めるように
もし、自分の中で、何か自分を正当化しようとしているものがあるなら、
それはエゴの声です
ハートからの声は、理由など全くありません
正当化する必要さえ、あなたは感じません
ただ、そうであるもの

それは、とても、シンプルです

     **





0 件のコメント:

コメントを投稿