2016年2月3日水曜日

仏の化身

これが起こったのは、
もう半月ほど前のことですが、
母との関係性を通してのワークが一段落した後、
ホッとする間もなく、
次のワークがやってきました

もう10年以上、福祉作業所の支援員の仕事をしているのですが、
そこで、所長から理不尽に怒られるということが起こったのです

まあ、所長の誤解が原因で怒られた訳なのですが、
誤解ゆえに、こちらとしては何故怒られなければならないのかわからず、
理不尽に感じたのです

怒ると言っても、表面上は穏やかな方なので、
言葉としては怒っているものではありませんでしたが、
その裏側に、明らかに非難のエネルギーがありました

表面上言っていることと、
その裏で非難していることが全く違うことなので(言葉にしなくても何を言いたいかはわかるので)、
どちらに対応すべきか迷いましたが、
非難されていることに関して何かを言うのは、余計に痛みを感じることなので、
その場では、所長が言ってくることに対して応答していきました

でも、本当に所長が言いたかったこと、つまり本音は、
違うことでの私に対する非難だった訳ですから、
言ってくることにいくら明確に答えても、
お互いにすっきり解消するということには至らず、
その非難のエネルギーはずっと私の中に留まり、
私を痛めつけていきました

当然、私は所長に対してネガティブな感情を持ってしまいます

「ああ、休む間もなく、次はこれか~」と、ちょっと憂鬱になって家に帰りました

どうも、私は平均的な人から見ると、「自由人」のようで、
それゆえに、社会の中では「一人だけ好き勝手なことをしている」と思われがちです

仕事も、マニュアル通りにやるより、
もっと自由な発想で、より良くしていくにはどうしたらいいかと考え、
発展的にやっていく方が性に合っているのです

同じく自由な人が多いスピリチュアルな世界や、
クリエイティブな人が多いアーティストの世界では、
同類の人が多いので私も楽なのですが、
学校とか会社とかの社会の中では、よほど気をつけないと、
こういう類の非難を受けてしまうことがよくあります

特に、管理的な人が多い場だと、
マニュアル通りにやらない私は、「勝手」と受け取られてしまうことがよくあるのです

所長も、私がしようとしていた通常とはちょっと違う仕事に関して、
「私が自分のために好き勝手にやろうとしている」と思い、非難的になったというわけだったのです

でも、その仕事をする理由はちゃんと作業所の利益や都合を考えてのことであって、
担当関係の職員みんなには事前にちゃんと相談もし、了解も得ていたことだったのです

所長の誤解を解くべきか、ほっておくか、どうしようか・・・
マインドの中には、言い訳や、
どうやったら攻撃し返せるか、どう言えば自分が優位になるか、という思考が湧いたり、
所長に対するネガティブな感情が訪れたり・・・
そんなマインドの動きと、胸の真ん中の痛みとに、
「あーあ、全くもってめんどくさいなー」と憂鬱になりながら、
翌朝、また作業所に向かいました

実は、この「自分勝手」と言われることでの傷は結構深く、
私の中の罪悪感に抵触するものでした

「ああ、これにワークしていく時なんだな」と、
その苦々しいエネルギーを解放していきながら、
電車に乗っていると、
突然、ある「理解」が降りてきたのです

それは、
「所長も仏の化身で、私が学ぶために、今の姿になって私の前に現れている」というものでした

全ての人が、仏の化身

それが、どんっと、私の中に入ってきたのです

今まで、もちろんそれはわかっていたことですし、
あるレベルで何度も体験的に理解してきたことではあります

でも、それらとはもっと違うレベルで、
私の中に、どんっと入ってきたのです

それは喜びに満ち溢れる、非常に感動的な体験でした


「相手は鏡」、これはスピリチュアルな道を歩む上での鉄則です

でも、全ての人が、仏の化身 というのは、
はるかにもっとポジティブなものなのです

そう、ものすごくポジティブなのです
ものすごい、喜びなのです


通勤の電車の中でこの体験が起きた私が、その後どうしたかというと、
私も仏になって全てを受け入れたのではなく、
むしろ、
ちゃんと「誤解を解く」という行動を取ることができたのです

今までは、
そういったことが起きて痛みを負っても、
何も言えずに、全てを呑み込んできたのです

なぜなら、言えば自分の傷をさらにえぐってしまうからです

だから、何も言い返せない

けれど、このワークを通過した後、
私は「言う」ことができたのです

それは、相手に攻撃し返すためではありません
ただ、シンプルに「誤解を解く」ために、言うことができたのです

それは、相手との距離が一歩縮まった感じでもありました

それまで、私は自分の中に「壁」を作っているのを感じていました

傷つけられるのが嫌で、
防御するために「壁」を作って距離を置いていたのです

それは、厚い壁ではありませんが、
薄く、微細な、でもある意味強固な壁でした

その「壁」を取り去ることが、
今回のワークのようでした

それは、相手への真の信頼を持つ、ということに他なりません

真の信頼が、「壁」を溶かすのです

仏の化身、それ以上の信頼を持てるものが他にあるでしょうか?
相手は、仏なのです
これ以上の安心はありません

私のマインドが、その理解に完全に同化していくのには時間がかかるでしょうが、
でも、今までとは全く違う視点を持つことができたことは確かです
全く違うスペースが、私の中に生まれています


全て、人生に起こることに対して、
「ワークしていく」という意図を持つと、
こうして宇宙は、期待しているよりはるかに大きな答えをいつもくれます

もちろん、そのためにはマインドの声、マインドの誘惑に引きずられない意志と、
真摯に取り組んでいく姿勢が必要とされますが


それにしても、面白かったのが、「仏」だったことです
「仏」なのですね
「仏の化身」

私の中に来た言葉は、「神の化身」ではなかったのです

おそらく、私の仏教カルマだと思いますが、
ずっと「神」「神」言っていたのに、
ここに限っては「仏」でした(^v^)

何が違うのかと聞かれても、
言葉では説明しようがないのですが・・・
なんか、違うんですよね
「仏」の方がふわっと温かい感じ?なのかな?

そう、まさに「菩薩」なのかも
より、人に近い感じ?

「慈悲」ということに関係するのでしょうか?

また、より深い理解が来たら、
アップしますね























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