2022年2月4日金曜日

「魂への聖なる道」Ⅵ『神性』の3つの質と父性と母性の2つの側面第4話~ビーイング~


「魂への聖なる道」シリーズ、
第2部第6章『神性』の3つの質と父性と母性の2つの側面
第4話:ビーイング


第4話

こんにちは、ともこです

悟りのための教え、覚醒のための教えである「トータル・パス」の教えの概要について、「魂への聖なる道」と題して、

このyoutubeの場をお借りして、

少しずつお伝えしていっているシリーズになります

 

今日は、その第6章「『神性』の3つの質と父性と母性の2つの側面」の第4話になります

今日は、『神性』の質のビーイングについてお話ししていきたいと思います

 

ビーイングというのは、英語でbeingって書くんですけれども、「ある」ということですね

「存在」という意味でもありますね

「ある」もしくは「私はある」、「ⅠAm」というね、

『神性』の存在の感覚であって、

存在するための基盤のようなものです

 

ビーイングは、源泉に向かって、その深みを降りていくことでもあります

源泉っていうのは、全ての源泉という事なんですけれども、

いわゆる顕現が起こる、その源のことなんですね

顕現っていうのは、ちょっと言葉としては難しいですけれども、

全てが現れ出る、っていう事ですね

それの、源、っていうことです

つまり、あらゆる創造の領域の土台のようなものです

源泉そのものは、まだ顕現が起こっていない、非顕現の次元です

それはまさに、『神性』の領域です

『神性』というエネルギーの「場」とも言えます

例えて言えば、それは『神性』という王の、国土、王国と言えるでしょう

私達はそれを、「源泉」という言葉でよく言っています

ビーイングの深みに深く深く入ることによって、私達はこの顕現の領域を超えて、最終地点である、その『神性』の領域に到達する事ができます

その状態、もしくは境地を、私達の言葉では「絶対状態」って言っています

いわゆる釈迦が「空」と表した次元です

 

それは顕現の起こる以前の、非顕現の領域であり、

創造が起こっていない次元ですね

 

それはね、無限の虚空であって、

何もなく、同時に全てを含んでいて、

時間も変化もない、永遠の次元です

それは、外側に広がる宇宙空間ではなく、私達の内側に広がる内的宇宙の虚空です

釈迦はそれを「無」とも表現しました

そこは、何も動かず、何も起こらない、何も変化しない、完全な静けさ、完全な沈黙

それは、完全な休息であり、完全な停止状態です

そこにこそ、真の平安があります

 

私達は、ここに到達して初めて、完全に安らぐことができるんですね

初めて、完全に安堵することができるんです

 

時空っていうね、変化し、動くものの中では、私達は完全に安堵することはできません

 

平安というのは、心理的な問題ではないんですね

実は、エネルギー的な問題なんです

心の穏やかさ、心の平安と言うのは、実は、この深遠な静けさ、深遠な停止状態に入ることによって、もたらされるものなんですね

 

私達って、本当にとても不思議な存在です

っていうのも、命は、動くものであり、変化するものです

私達自身が動くものであり変化するものであるにも関わらず、動かないもの、変化しないものを体験することができるんです

 

それは、生きながら死を体験するのと同じです

 

私達人間存在は、永遠でないにも関わらず、永遠なものを体験することができるんですね

その両方を携えて生きることができるんです

不思議ですよね

これこそが奇跡だって思いませんか?

そう考えると、人間でいることが、それだけで楽しくなりますよね

だって、本当に不思議な存在なんですから

 

そしてね、ハートでお話しした神聖さが真っ白に光り輝く虚空であるのに対して、この不変不動、完全な沈黙の虚空は、漆黒です

 

シンと静まり返った、さざ波ひとつない、澄み切った夜の湖のようなものです

 

ハートが情熱的でホットであるのに対して、源泉の虚空はニュートラルでクールです

 

ただ、それは、膨大なエネルギーで、私達の存在を引っ張る、もしくは吸引するようなものすごい重力を持っています

例えて言えば、無限のブラックホールのような感じでしょうか

 

そして、それは、生命を産み出す、神の子宮とも言えます

この無限の虚空から、創造が生じる訳です

色即是空、空即是色、と般若心経で言うように、この源泉という場で、創造が生じる

 

ですが、源泉そのものに性別はなくって、『HE』でも『SHE』でもない

同時に両方合わせ持ったものとも言えます

そしてね、無であると同時に、全てが内在しています

 

実は、この領域に達しないと、『神性』の意識にも本当に到達することはできません

理由はいたって簡単で、『神性』の意識は、この次元のものだからです

あるいは逆に、意識の領域の「私」が目覚めていないと、この次元を明確に意識的に体験することはできません

 

というのも、その深さについていけず、意識が吹っ飛んでしまうからです

熟睡と同じような感じで、完全に意識がない状態になってしまうからなんですね

 

なので、意識とビーイングの質というのは、深めていくためには、どちらも必要となってきます

もちろん、ハートも同じことです

 

今までの悟りの教えっていうのが、どこか曖昧で漠然としていたり、悟った人によってなんか言う事が違ったりするっていうのは、実はこの3つの質、側面っていうのを明確に理解していなくって、ごちゃませにされてきたことが、大きな原因だと思います

もちろんね、その人がどういうバックグラウンドを持っているか、つまり、どういう国に生まれ、どういう文化で育って、どういう思想や理想や概念っていうのを持っているか、あるいは、どういう意味をその言葉に貼り付けているのかによっても、同じ体験をどう表現するかはいろいろと違ってきます

けれども、この3つをよく理解していれば、悟った人が何について語っているのか、あるいは、その人が何に到達したのか、何が覚醒したのか、わかるようになります

曖昧だった悟りのワークも、非常に明確になってきます

 

悟り、覚醒と一言で言っても、『神性』のどの質に到達したのかによって、その体験は異なります

意識なのか、ハートなのか、ビーイングなのか、あるいは、どれかとどれかのコンビネーションなのか、あるいは、その全体にトータルに到達したのかによっても違ってきます

あるいは、何を強調するかは、それを体験した魂の質によっても異なってきます

 

例えば、イエスはハートの質を強調して、釈迦はビーイングを強調しているとも言えます

ニサルガダッタ・マハラジはアウェアネスを強調していますし、クリシュナムルティはアウェアネスとビーイングのコンビネーションを強調していると言えます

ですが、もちろん、彼らはその質だけではなく、完全にトータルに全体的な悟りに達しているのは言うまでもないでしょう

 

そして、逆に言えば、例えばハートが閉じていても、「絶対状態」に達することができたり、アウェアネスやビーイングの深みがさほどなくても、ハートを開くことはできます

 

ですが、やはり、3つの質がトータルに完全に到達されて初めて、『神性』は私達の眼前に十全に現れる事ができます

といっても、私達魂が、『神性』を完全にフルに体験することも認識する事もできません

というのも、『神性』は魂を完全に超えているからです

それでもなお、私達は、その『神性』に触れられ、その『神性』へと溶け去っていくことができます

そう、このね、コップに入れられた水が、元の大海に注がれて戻るように

 

ではありますが、その「体験」を認識している以上、そこにその「体験者」が非常に微細な形で存在している訳です

それが、魂という、本当に不思議な存在なのですね

 

もし、魂が『神性』と出逢い、すっぽりと包まれてひとつになるだけではなく、完全に『神性』の中へと消え去ったら、もはや、人間として存在していることは不可能になると言われています

 

それが、「ブラフマ知」と言われているもので、人間存在としての究極の悟りであり、この肉体を持ってそこに到達した場合、つまり、完全に『神性』への領域へとシフトしてしまった場合、もはや肉体を維持していることができなくなると言われています

 

それは、私自身もまだ肉体を維持している以上、まだそこには到達していない訳で、そうなったら本当にどうなるかはまだわからないのですが、伝統的な教えの中では、そこに到達した存在の記録が残されています

 

さて、これで、『神性』の3つの質についてお話ししてきました

それは、例えれば、聖なる父と母とその家、あるいは王と王女とその王国と表す事も出来るでしょう

私達は、その聖なる両親の子どもであり、あるいは、聖なる王家の王子、王女です

 

では、この創造の源泉、非顕現である『神性』の王国へと、深く入っていく瞑想をしていきましょう

 

お鈴(1回目:合図

   2回目:合掌

   3回目:お辞儀)

 

呼吸は、鼻から下腹への深い呼吸

 

下腹が膨らむくらい、たっぷりと呼吸を入れて

 

実際に下腹に入っていくのは、空気ではなく、

空気と共に入ってくるエネルギーです

 

最初の数呼吸は、たっぷりと吸う事に意識を向けて

 

背筋を伸ばして

 

頭が天からひもで引っ張られているような感じで

 

あるいは、骨盤の上に、背骨がひとつひとつ、

積み木のように乗っかっているのを感じて

 

それが真っ直ぐに、天に向かって伸びていく

 

そして、自分の身体のちょうど中心、

その中心のライン上に、何か、導管が通っているような感じ

 

そこを、呼吸と共にエネルギーが下腹へと、

すとーんと入っていく

 

気持ち、背中に寄りかかる位

 

頭が前傾になって来ると、思考が沸き起こりやすくなります

 

瞑想中、思考と戦う必要はありません

 

思考は、潜在意識から自然に沸き起こり、

自然に流れ去っていきます

 

ただそれを許す

 

沸き起こった思考に捕らわれて、次々と思考のチェーンを産み出したり、

あるいはその思考に巻き込まれて、白昼夢の状態に入っていってしまうのは、

思考にエネルギーを与える事であって、

そのエネルギーを与えることはしないように

 

思考が沸き起こった事に気づいたら、ただ、流していく

 

ただ、手放していく

 

思考を止めようとすれば、思考はますます沸き起こってきます

 

潜在意識から、時折思考が生じるのは、とても自然な事です

 

それに抵抗するのではなく、ただ、手放す

 

思考が沸き起こったら、ただ、手放す

 

下腹へと十分に呼吸が入るようになったら、

今度は、息を吐く時に、下腹から下に向かって、

息を吐き下ろしていきます

 

決して強くプッシュして、吐き下ろしてはいけません

 

優しく、穏やかに、非常にソフトに、

ゆっくりと地球の中心に向かって、吐き下ろしていきます

 

そうすると、息とともにエネルギーが下に落ちていくのを感じます

 

一息ごとに、静かに吐き下ろして

 

引力に引かれて、ただ地球の中心に向かって、落ちていく

 

このビーイングの瞑想は、下腹がセンターではありますが、

いわゆる、丹田を鍛える呼吸とは全く違います

 

実は、この瞑想は非常にフェミニンな瞑想です

 

というのも、私達は完全に受動態になる

 

呼吸も非常にソフトに、穏やかに、柔らかく、そして繊細に

 

この繊細さに欠けていると、

私達は、秘密の領域に入っていくことができません

 

この瞑想を続けていくと、次第に、

下に引っ張られていく感覚というのが、感じられるようになっていきます

 

決してプッシュはしない

 

自然にエネルギーが落ちていくように

 

ただ、姿勢を真っ直ぐに保ち、

その中空の導管をエネルギーが自然に落ちていけるように

 

ほんの少しだけ、呼吸の力を使って、

下へ下へと落ちていく

 

思考が沸き起こったら、ただ、手放して

 

重力に引かれて、自然に落ちていく

 

もし、あなたの中のエネルギー的な落ち着きのなさを感じたら、

それは、いい兆候です

 

あなたはこれまで、そのエネルギー的な落ち着きのなさを、

感じる事すらありませんでした

 

でも、あなたが不動を保ち、ただ落ちようとする時、

それを妨げているエネルギー的な落ち着きのなさに、

ようやく気づく事ができます

 

あなたは、いつも、それに追い立てられてきました

 

ただ、それを感じて

 

それに抵抗しない

 

少しずつ、毎日続けることによって、

あなたの中の落ち着きのなさが、少しずつ解放されていき、

本来の穏やかさが訪れるようになります

 

急がないこと

 

お鈴(1回目:合図

   2回目:合掌

   3回目:お辞儀)

 

ありがとうございました

今日もまた、この場を皆さんと共有できたことに感謝をして

 

では、次回から、第7章「魂の3つの質」について、お話ししていきたいと思います


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