2022年2月21日月曜日

「魂への聖なる道」Ⅶ「魂の3つの質」第1話~魂とは?~


悟りのための教え、覚醒のための教えである
「トータル・パス」の教えの概要について、
「魂への聖なる道」と題して、
youtubeの場をお借りして、
少しずつお伝えしていっているシリーズの第2部、第7章、
「魂の3つの質」第1話:魂とは?
です

7

魂の3つの質

1話 

魂とは

 

こんにちは、ともこです

 

悟りのための教え、覚醒のための教えである

「トータル・パス」の教えの概要について、

「魂への聖なる道」と題して、

このyoutubeの場をお借りして、

少しずつお伝えしていっているシリーズになります

 

さて、今日から、その第2部の第7章が始まります

テーマは、「魂の3つの質」についてお話ししていこうと思います

 

今日はその第1話、

まずね、「魂とは?」っていう事について、

また少しお話ししていきたいと思います

1部の第1章でも「魂って何だろう?」っていうタイトルで、

魂について少しだけお話ししてきましたけれども、

ここではもう少しだけ掘り下げていって、

かつ、もう少し実践的な角度からも

魂についてお話ししていきたいなと思っています

 

魂ってね、簡単に言えば私達存在の核であり、

その真の姿でもあります

私達も、本当の「私」という言い方をよくしていますけれども、

一般的な人が自分だと思っている、このパーソナリティというのは、

非常に表層的なものに過ぎません

それは、魂がこの次元に降りて、

そこで生きていくための乗り物のようなもので、

本当の「私」というのは、それを操縦している誰か、なんですね

 

とはいえ、まだ目覚めていない人の場合、その操縦者はずっと居眠り運転をしています

 

「いやいや、ちゃんと私が操縦しているよ?」ってね、

思うかも知れませんけれども、

まだ目覚める前の人が思っている私というのは、

いわゆるエゴマインドのセンターに過ぎず、

本当の「私」はまだその奥底で眠りについています

 

そのため、目覚めていない人は、

自分の思考や感情に完全に振り回されて、

ジェットコースターのように、人生に起こるひとつひとつの出来事によって、

気分が良くなったかと思うと次の瞬間には気分が悪くなったり、不安になったり、

幸せになったかと思うと、不幸のどん底に突き落とされ、っていう具合にね、

もう上下に激しく揺れ動いてしまいます

あるいは、いろいろなネガティブな思考に取り付かれて、

簡単に自分自身っていうのを見失ってしまいます

 

つまり、それは、操縦士のいない乗り物が、

もうね、好き勝手に動き回っている状態で、

だからこそ、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、エンストしてみたり、墜落してみたり、あるいはバーッと暴走してみたり、ってね、なかなかまともな動きをしてくれない状態なんですね

でもね、それはその乗り物が欠陥品な訳ではなくて、

操縦者が寝コケてしまっているってことが問題なんですね

なので、まずはこの操縦者をちゃんと目覚めさせること、

っていう事が大切になってくる訳です

 

そう、魂とは、

この地上で生きるための乗り物である肉体とパーソナリティを

うまく使いこなして、

本来の目的地へと辿り着こうとしている操縦者なんですね

それが魂のひとつの役割です

 

そして、その魂が、その乗り物を使って行こうとしている本来の目的地というのは、

言うまでもなく、私達の聖なる親である『神性』の腕の中ですね

あるいは、元々の故郷である、『神性』の領域です

 

そのために、その乗り物というのは用意されているのですね

私達は、そこに向かうために必要なものを、すでに全て与えられています

だから、私達は本来の操縦者である魂を目覚めさせて、この乗り物を乗りこなして、本来の目的地へと向かう事こそが、一番重要な事なんですね

 

乗り物にいつまでも支配されていては、なかなかその目的地には辿り着けません

 

そして、もうひとつ、魂の役割で重要なことっていうのは、

あらゆる体験の体験者である、という事です

 

あらゆる体験というのは、この地上での人間としての様々な外側の体験から、

その内側で体験する霊的な体験まで、全ての体験の事を言います

 

ここで念のため言っておきますけれども、

自分の中で起こる思考や感情っていうのも、

全て外側の体験になります

あるいは、霊魂とかエネルギー体の存在を見たり聞いたり、

予知したり相手のことをリーディングしたり、っていうね、

あるいは、こう、神秘体験でいろいろな光やいろいろな色っていうのを視たりするのも、体験したりするのも、全て外側の体験になります

 

つまり、純粋な自分自身の体験以外、全て、外側の体験なんですね

 

これは、非常に重要なポイントになります

 

内側の体験とは、唯一、真の内側である、真の自己の体験であって、

その真の自己が深まっていって、やがて『神性』へと到達する霊的な、そしてエネルギー的な体験の事のみを言います

 

このふたつの体験を混同しているために、悟りや覚醒について様々な誤解が生じたり、様々な落とし穴にハマってしまうんですね

 

そしてね、この微細な体験者がいるからこそ、あらゆる体験が起こる訳なんです

体験者がいなければ、そこには何の体験もありません

この体験者、あるいは、違う言葉で言えば、観照者ですね

 

全てを、ただ、観照している者

この観照者がいなければ、この創造もなく、世界もなく、ただ『神性』が不動のまま存在しているだけです

 

例えば、「絶対状態」っていうのは、とても特殊な状態なんですね

っていうのも、何も実存しない領域の中で、それを体験し、体験していることを知っている体験者がいるからなんです

わかりますか?

違う言葉で言えば、『神性』の中で、それを観照している観照者がいる、という事なんですね

 

その体験者、あるいはその観照者こそが、魂なのですね

 

これの意味しているところっていうのは、創造によって創られた魂、つまり創造の領域に存在するものが、創造以前の非創造の次元を体験できるという事なんです

 

違う言い方をすれば、顕現されたものが、その根源である非顕現へと戻り、溶け去っていくことができるという事ですね

 

それは、二元と非二元という言葉でも同様に言い表すことができます

自他のある領域と、自他のない領域ですね

 

そう、この『神性』である非顕現の次元は、二元を超えた非二元の領域、つまり、自他のない領域なのですね

ですけれども、この自他のない非二元を体験し、それを記録するためには、非常に微細な二元、つまり「他」が必要となります

 

それが魂です

 

魂の乗り物であるパーソナリティ、あるいはエゴマインドのように、その「他」があまりに粗ければ、非二元の非常に微細な領域を体験することはできませんし、その微細な体験者がいなければ、非二元は体験されることがない、ということなんです

 

つまり、『神性』だけが存在する時、『神性』は自らを体験することも知ることもできないんですね

 

なぜ、魂が創造されたのか

もしかすると、神は、自分を映し出す鏡が欲しかったのかもしれませんね

 

ちょっとね、難しかったかもしれないんですけれども、なんとなくおわかりいただけましたでしょうか?

 

魂っていうのは、非常に微細です

つまり、非常に振動数が高い、という事です

『神性』とほぼ同じであると言っても差し支えないんでしょうけれども、ただ、( )で閉じられた『神性』、もしくは、ある角度で切り取られた『神性』、もしくは、コップの中に入れられた大海の水、っていうね、同じように微細だけれど、そこには大きな違いがあります

 

だから、イエスは、「神の子」と表現したのですね

神、ではなくね

神に似せて創られた、という聖書の言葉は、まさにその事実を表しています

 

でも、そんな微妙な違いだからこそ、「私は神だ」「神は私だ」という覚者の言葉があるのも、やむを得ない事なんですね

というのも、その違いが微細すぎてわからない、という事もあるんですけれども、

まさに、その言葉自体が、私、と、神、という、非常に微細な二元を言い表している、

っていうのがおわかりいただけますでしょうか?

 

本当に至高の境地に至れば、そこに神という概念すら無く、ただ、「私は私」、

いや、潜在的に「他」の存在を内包している「私」という概念すら無く、

ただ、永遠にその至高の、そして絶対的な主体の感覚があるのみです

 

そして、神が人格を持たないように、魂も人格を持ちません

魂そのものは、永遠の『神性』の中で、永遠にただ安らいでいます

 

なので、おそらく昨今のスピリチュアルな世界で、

「魂」「魂」と言っている人たちって、たくさんいるんですけれども、

そういった人たちがイメージしているようなものとは、

全く違うものだと思います

実際に、本当に「魂」が目覚めた人の多くが、「イメージしてたのと全く違った」と言っています

 

だから、何のイメージも持たずに、ただ、真の自己へと深く入っていくこと

ただ、開いていること

ただ、受容的であること

そして、そこに現れている非常に微細な何かを感じ取れる感性を磨く事

 

それが、「魂」に出会うためには非常に重要な事になります

そうでなければ、すでにそこに現れている「魂」を、見逃してしまう事になりかねません

 

だからこそ、そういった要素を磨いていくための瞑想が必要なんですね

情報や概念だけでは、どこにも行けませんし、何も変容しません

残念ながらね

 

もちろん、瞑想と言っても、その目的に合った瞑想法が必要です

 

禅語でね、「煉瓦をいくら磨いても鏡にはならない」という言葉があります

ただやみくもに瞑想しても、正しい目的地には到達できないんですね

むしろ、いろんな、何て言うか、「魔」っていうのが生じて、その「魔」に取り憑かれてしまう、っていう危険性もあります

 

そして、本当に魂を目覚めさせたかったら、まず、イージーにスピーディーに、ショートカットで実現したいという、マインドの大きな特徴のひとつである怠け心や、ずるがしこさを捨ててください

 

だって、あなたにとって、最も大切なものですよね

最高に貴重なものを手に入れようとしている訳です

 

イージーに、スピーディーに、ショートカットで、

つまり、お手軽に手早く楽に手に入れたい

 

もし、あなたがそう思っているのであれば、

そう思う裏に何があるのか、よく見てください

 

早く魂に出会いたい、という気持ちは全然OKです

あー、もう早く故郷に帰りたい、早く神とひとつになりたい、

という、かきたてられるような思いはむしろOKです

というのも、それは、魂からの渇望だからです

 

だけれども、それと、お手軽手早く楽に、は、ちょっと違いますよね

流行の洋服だとか、この世で欲しいものを手に入れるのとは、

訳が違うんです

 

ね、神様を、お手軽にゲットしようと思いますか?

 

そう思っているのは、マインドです

マインドっていうのは本当に巧妙で、ずるがしこいです

そうやって、本当には到達できないように、どんどんどんどん仕向けていきます

なので、そういった声に耳を傾けないように、本当に気をつけて欲しいと思っています

 

だけれど、お金をべらぼうにかける必要は全くありません

毎日辛い思いして苦行する必要も全くありません

この日常を離れて、ずーっと山に籠って修行する必要も全くありません

普通に暮らしてて、全然大丈夫です

 

ただ、どこに向かえばいいのか、何をすればいいのか、っていう、

あなたのクリアな理解と、

そして、あなたの大いなる情熱をものすごく必要とします

あなたの献身、専心はものすごく必要です

 

あなたの全存在の、一体どれだけをかけられるか

あなたは、あなた自身の魂のために、あなた自身の命をかけられますか?

それとも、何かの片手間でやりたいと思っていますか?

 

あなたにとって、仕事やお金儲けとか、そういった事にかける時間や労力、

あるいはあなたの趣味や遊び、好きな事にかける時間や労力

それと、この、魂のためにかける時間や労力

どちらが優先ですか?

 

今ね、時代が変わって、人類皆が覚醒する時代だとさかんに言われています

だからね、あなたは何もせず、仕事や趣味や気晴らしと、ただ普通に暮らして、

ある時突然覚醒がやってくるのを待ちますか?

スピリチュアルな情報だけどんどんどんどん収集して、

ある日突然覚醒があなたの元を訪れると思っていますか?

もし、本当にそういう時代であるなら、逆に、あなたが全身全霊でやったことは、

すぐに結果が出るでしょう

 

ね、あなたは、本当のあなた自身のために、何ができるのでしょう?

何をどれだけできるのでしょう?

というより、何をしてあげたいと思いますか?

 

もうね、マインドに振り回されるのはこりごり、そう思いませんか?

マインドでいっぱいになっているあなたの中に、魂のためのスペース、

それを作りませんか?

魂が現れられる、エネルギーフィールドをあなた自身の中に作りませんか?

魂に、直接向かいませんか?

そして、魂を直接、体験しませんか?

そして、あなた自身を、その魂に完全に譲りませんか?

 

あなたのその奥底に眠る魂

あなたがその存在に気づき、目覚めるのを辛抱強く待っている魂

 

その魂に直接向かうために、必要な知識、情報は、

あなたの内側の何がその入り口かを知る事だけです

あなたの内側にすでにあるもの以外、何も必要ありません

 

魂って、本当に不思議な存在なんですね

日本語に、「妙なる」という美しい言葉があります

まさに魂は、「妙なる存在」、「霊妙な存在」です

それがどれほど貴重な存在なのか・・・

 

そのために、あなたはあなたの何を捧げられますか?

 

では、今日もこのまま、少し、瞑想に入っていきましょう

 

 

お鈴(1回目:合図

   2回目:合掌

   3回目:お辞儀)

 

瞑想はいつも、あなたの存在の基盤とつながる事から始めてください

 

そうしないと、あなたは、

簡単にイメージの世界へとトリップしてしまいます

 

絶えず、あなたの実存と、そのリアリティと繋がっている事

 

そのためには、下腹への呼吸がとても重要になります

 

あなた方は、自分で思うより、はるかに、いつも、

マインドの世界に生きています

 

もちろん、その背後には、

あなたのリアルなものが常に存在していますが、

あなたはそれに気づく事無く、ただマインドの声に耳を傾け、

その動きに、意識の全てを奪われ、

その眼はいつも外側にだけ向けられています

 

スピリチュアルな道を歩む上で、思考や感情を観察して、

あなた自身を、そのパーソナリティとしてのあなた自身を、

深く知り、許し、それを受け入れていく事

 

それは一方で、とても大切な事ではありますが、

それに終始しているだけでは、

あなたは、どこにも辿り着きません

 

あなたの潜在意識をどれだけ深く掘り下げても、

それは底なし沼のように果てしがなく、

あなたの真の核には到達することがありません

 

もし、あなたがあなたの本当の核に到達したければ、

あなたは、正しい入り口を見つけ、

そこに入っていかなければなりません

 

その入り口を正しく指し示せる誰かを、

そして、その入り口こそが、行くべきところであると、

明確にわかっている誰か

 

そういう人は、必ずあなたを、あなた自身へと返していく

 

もし、あなたがスピリチュアルなガイドとしてついている人が、

その人自身を見させたり、その人自身を信頼させたり、

その人自身を崇めさせたりするようであれば、

あなたは、間違った入り口へと導かれてしまいます

 

あなたが行くべきところは、

あなたが入っていくところは、

あなた自身の中にしかありません

 

あなたにとって意味があるのも、

あなたでしかありません

 

他のどんな偉大なマスターも、他のどんな偉大な覚者も、

あなたにとって本当には意味を成しません

 

それはただの一時のガイド

 

もし、あなたが、月を指さしている覚者の指を見てしまえば、

あなたは、月を見ることができません

 

だから、必ずその指が指し示している月を見てください

 

それは、あなた自身に他なりません

 

あなたの中の主体の感覚

 

それのみが、あなたの核への、正しい入り口です

 

その、誰しもが持っている感覚

 

あなたが物心つく頃から、ずっと変わらず、ずっとそこにあり続ける感覚

 

あなたは常にその入り口を携えながら、

なおかつ、それを見失い続けて来ました

 

なぜなら、あなたの興味は全て外側に注がれ、

ここでどう生きるか、ここでどう愛されるか、

ここで何を手に入れるか、

そればかりに向けられてきたからです

 

今、ここで共に座る中で、

あなたは初めて、

あなた自身の関心をあなたの真の内側に向けていきます

 

なぜか今までそれを恐れていた

 

人は、時として、自分と直面するのを恐れます

 

ある人は、もし、自分という宝箱を開けたら、空っぽなのではないかと、

恐れを抱いています

 

だから、あなた自身に直面するのを避けて、

あなたは、外側では満たされないと十分に知りながら、

そこに向かうのを避け続けて来たかもしれません

 

なぜなら、あなたが今あなただと思っているものを、

それが壊れてしまうかもしれないという

それが何も無くなってしまうのではないかという

それを恐れているからです

 

それこそが、マインドが自分を存続させるためのトリックです

 

でも、その恐れを自覚できることはとても良いことです

 

なぜなら、寝た子は起こせても、

寝たふりをしている人は起こせないからです

 

自分が恐れている事を、どこかで知りながら、

見まいとしている人は、

そんなものは自分にはないと思っている人は、

その恐れを直面することができません

 

直面できないがゆえに、その恐れにずっとコントロールされ続けます

 

その恐れに直面できたという事は、もう、

あなたがジャンプする地点に来ている、という事です

 

あなたはあなたの中にジャンプする

 

あなたという、深い海の中へ潜っていくために、

あなたはあなたの表層のパーソナリティから、

あなたのその海底へと、飛び込む

 

もし、あなたの中に「言い訳」が生じたら、

飛び込まないための何か「言い訳」が生じたら、

あなたの中に、恐れがあるという事

 

そして、あなたを妨げているのは、

あなたの魂が現れるのを妨げているのは、

その恐れに過ぎない事

 

その恐れを感じ切って

 

あなたがそれを感じ切った時、

あなたが恐れを感じていたところから、

何か違うエネルギーが沸き起こってきます

 

ただそれを許して

 

そして、あなたの中に、切望が蘇ります

 

あなたが本当は何を欲していたのか

何を求めているのか

あなたは初めて、その純粋な思いに、自ら触れていきます

 

それこそが、あなたをあなた自身へと導き、

連れていきます

 

その、魂からの切望を思い起こして

 

お鈴(1回目:合図

   2回目:合掌

   3回目:お辞儀)

 

ありがとうございました

今日もまた、この場を皆さんと共有できたことに感謝をして

 

では、次回は「魂の3つの質」のうちのひとつ、

魂の意識の質について、お話ししていきたいと思います

 

では、また


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