昨年より、世田谷にある寺子屋という学習塾の「大人の寺子屋」で、瞑想クラスを担当しているのですが、
毎月、クラスのある前に、生徒さん達に応援メールを送っています
その時その時に、思いついたことや、自分の中で課題になっていることを書いています
先日の応援メールを、ここに転載しようと思います
「今日は、パーソナリティの浄化について少し
皆さんの人生の中で、繰り返し起こるパターンはありませんか?
相手が変わっても、同じような展開になり、
私達が無意識である時は、何度も何度も同じパターンを繰り返していても、
「なんで私はいつもこうなるんだろう?」と思い悩むことはあっても、
私達が内的ワークを始め、自分の内側を見つめ、
でも、それはまだ「ひとつのパターン」という認識に過ぎません
つまり、部分的なものとして捉えています
それが、真の自分自身にとどまることができるようになり、
別の言い方をすると、自分特有の色の「フィルター」
どんな体験も、その色に染まっているのです
部分的なものではないのです
「鋳型」という言い方もできます
起こることそのものには、ポジティブもネガティブもなく、特有の色もないのですが、
それを体験する自分にとっては、いつも奥底にその色合いがあり、
起こること全て、その「鋳型」にはめられてしまうのです
それがわかった時初めて、人はその色、そのフィルター、その鋳型そのものから抜け出そうとします
マインドを完全に超えるということを目指します
マインドが死ぬ覚悟ができます
そして、超えた時、人は、あるがままに見、あるがままに体験するようになります
その時初めて、人は何かを本当に見、本当に体験します
それが、真のパーソナリティの浄化です
それまでは、見て体験しているのは、自分のフィルターの色であり、鋳型でしかないのです
超えた後も、そのフィルターは残りますが、
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