2016年7月27日水曜日

障碍者施設での事件によせて

今朝、神奈川の障碍者施設で、前代未聞の悲しい事件が起こりました

犠牲になられた存在の魂が安らぎを得られること、
ご家族、ならびに関係者の方々の悲しみが少しでも癒されるよう、
祈りを捧げたいと思います

この事件は、犯人である元職員の男性の個人的問題に終わらず、
人間というものの深層を見て行く上で大きなきっかけになると思うので、
ここで取り上げることにしました

人間の霊的進化の上で、
この事件は自分自身の内側を見て行くための大きな示唆を与え得るものです

普段、知的障碍者の施設で働いている者としても、
本当に彼らが彼らでいられる社会になってほしいという思いとともに、
私自身も、自分の内側に深く問うてみたいと思います

そもそもがあり得るはずもない命を否定し奪うという手段を取ったことは言うまでもなく、
体力ある26歳の青年といえど、
包丁やナイフで45人もの人を刺し続けていける体力と気力とモチベーションの持続は、
尋常ではなく、
何らかの精神の異常状態や、あるいは何らかの憑依などがあったかもしれませんが、
ここで取り上げるのはそういった面ではなく、
彼が投げかけた問いそのものです

「産まれてから死ぬまで回りを不幸にする重複障碍者は果たして人間なのでしょうか?」

そう、彼は問いました

彼の結論は、「人間ではない」というものでした

また、彼の結論は、「回りを不幸にする存在である」というものでした

それに対して、憤りを感じたり、
「私はもちろん人間だと思うわ!」と簡単に答える人は多いでしょう

もちろん、その答えは明らかです

でも、自分の生活がそのケアのために犠牲にならざるを得なくなった時、
自分がまさにその関係者になった時、
心の底の底から、
自分と全く同じ人間なのだと、
一人の尊厳ある人間存在なのだと、
一点の疑いも、ごまかしもなく、
彼らと、その尊厳を本当に尊重して接し続けることができるでしょうか?

偽善ではなく、
意志の疎通の全く取れない、
排泄も自分でできず、
こちらの思うようには決して動いてくれない相手に対した時、
きれいごとではすまない、
自分の弱さを突き付けられるのです

「人間ではない」と結論づけた彼は、
そのまま彼自身の弱さを表出しています

「そういう人たちだからね」と片づけるのもまた、
問題から目を反らすための逃げにしか過ぎません

あるがままの彼らの姿を、その有り様を、
本当に認め、受け入れ、尊重しているのでしょうか?

本当に、そういう彼らを、
彼らのその姿そのままに愛しているのでしょうか?

本当に、彼らとともにいて、
幸せでいられるでしょうか?

皆さんは、何をもって、
自分自身が人間であるということのよりどころにしているのでしょうか?

人間であるということは、
どういうことなのでしょうか?


私の友人に、知的障碍のある娘さんを持っている人がいます

その人の言葉で、私が生涯忘れ得ない言葉があります

「自分より先に子どもが逝くと、ホッとするんだよ」
「最後まで、自分で見守れて良かったね、って、障碍者の親同士は話しているんだよ」

その言葉は、ものすごい衝撃でした

私にとっては、子どもが先に逝くことだけは絶対に起こらないで欲しい、というのが、
親の当たり前の気持ち、
唯一の絶対的な願いだと思っていたからです

「自分より先に死んで欲しい」というのが、障碍者の親の本音であり、
それが彼らの愛なんです

自分の死後、子ども達がちゃんと生きていけるのか、
不幸な目に合わないか、
困ったり、苦しい思いをしないか・・・・・
そう、心配しているのです

もちろん、それだけではない

その言葉を聞いた時、
その裏にあるたくさんのたくさんの複雑な思いを受け取りました

それだけ、この社会では、
障碍者の親であるということは、
それだけで大きな重荷を背負ってしまっているのです

ホッとするのは、
その重荷を降ろせるからなのです

もちろん、そうでない親御さんもたくさんいらっしゃるでしょう

障碍を持つ存在たちから、
たくさんの愛とたくさんのギフトを受け取ったという方もたくさんいるし、
私も、その一人です

一緒にいて、「幸せ」を感じられるのです
パワーを、元気をもらえる

彼らは、決して、「回りを不幸にするだけの存在」などではないのです

彼らという存在の本当に素晴らしい側面を見て行ける人もたくさんいます

現場で働いている職員の多くは、
だからこそ、働き続けているのだと思います

「えーっ、人間じゃないよ、天使だよ!」と、言い切ってしまえる人もいるかと思います

これからはますます、そういう人が増えていくと思います

それでもなお、
本当に「同じ人間」として心底見ているのか・・・・
そのハードルは案外、高い

その疑問は、私自身にも言えることです

私は、「絶対的にケアすべき相手」として見ている
「絶対的に保護すべき相手」として見ている

もちろん、彼ら一人ひとりの意志や思い、願いを尊重し、
それを少しでも汲み取り、その実現の手助けをしたいと思う、
「手助けすべき相手」として見ているのです

それは愛と言えますが、
でも、同時に、同等の、対等な相手として見ているのかというと、
そうではない、ということです

本当に、一人の対等な人間として、
相手を尊敬していけるのか・・・

このハードルは結構高いのです

そういう、一人ひとりの本音が、
社会を形づくっていくのだと思います


ただ、「ひどい事件だ」と片づけるのではなく、
ただ心を痛めるのではなく、
まして他人事と見るのではなく、
ぜひ、この機会に、
自分自身の本音と語り合ってみてください

正しい答えはなくていい
お決まりの答えもいらない

ただ、自分自身の本音と触れ合う

そこからこそ、
本当の変化が生まれてくると思います








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