2013年5月29日水曜日

肉体とのつながり


今日のプレイヤー瞑想のガイダンスです(3月22日)。

これは録音したものを書きおこしているのではなく、後で思い起こしながら書いているので、主旨は変わってはいませんが、実際とは微妙に違っています。また、その場のエネルギー伝達も、とても同じようにはいかないことを、ご了承ください。

 なお、文中の***の時に、沈黙の中でのエネルギーワークが起こっています。





今朝の外の空気の清々しさと、太陽の光の荘厳さにチューニングして

今、ここにあるエネルギーは、いつでもあなたの周りにあります

太陽の光は、自ら輝き、あらゆる方向へと放射し、あらゆるものを照らし出しています

それにチューニングして

マインドの粗い波動から、自然のエネルギーの波動にチャンネルを切り替えるように

いつでもそれを感じているように

あなたは、太陽の光に全身を包まれています



太陽は、あなたの内側の光の象徴です

やがて、あなたはその光が内側からなのか、外側からなのかわからなくなる

あなたの内側の光が目覚めた時、その光は全てを照らし出し、包み込む

その壮大さがわかるでしょうか?



***



そのエネルギーにチューニングするためには、直観的な力を磨く必要があります

直観的な力は、マインドを介しません

それは直接あなたに入ってきます

肉体の感覚を繊細に感じていく力も必要となります

肉体は、あなたのマインド以上に、たくさんの情報をあなたに与えています

それらの力がないと、たとえあなたがエネルギー的にいい状態にあっても、

自分に何が起きているのかわからないままです

わからなければ、それに何の意味があるのでしょう?



***





あなたは、肉体ともっと仲良くなる必要があります

肉体とのつながりを取り戻す必要があります

あなたの肉体のどれひとつ、

心臓も、肝臓も、目も、手も、足も・・・何かひとつでもあなたのマインドが作り出したものがあるでしょうか?

たったひとつの細胞が、心臓となり、肝臓となり、目となり、手となり・・・数え切れないほどの細胞が、完全な調和の下に、それぞれの役目を果たして働いています

どれほどのことがこの肉体の中で起こっているのか

あなたのマインドの及ばないところで、何かの力によって、それらが全て働いています

それら全てを、マインドが把握することは不可能です

その壮大さがわかるでしょうか?

私たちが今ここに存在しているということそのものが、祝福なのです

身体は、私たちが考えている以上の何かなのです

もちろん、マインドもその一部であり、肉体とマインドはお互いに影響を及ぼしあっています

同じように、あなたという存在は他の全てに影響を及ぼし、他の全てはあなたに影響を及ぼしています

私たちという存在は、考えている以上に、ダイナミックで壮大な働きの只中にいるのです



この皮膚で覆われた肉体は、ちっぽけです

でも、この肉体は地球の一部であり、宇宙の一部です



***



あなたは、肉体との間に遊離があります

長い輪廻の間に、仏教的な修行によって、肉体を否定してきたのでしょう

そのために、かえってあなたはマインドの中でしか生きてきませんでした

それは、姿形はあっても、実体のない幽霊のようなものです

もちろん、肉体は「私」そのものでは、その主体そのものではありません

肉体は、自然に属します



自然には、「今」の瞬間しかありません

花が、過去を悔やみ、未来を心配しているでしょうか?

花は、「今」に根づき、「今」の中で芽を吹き、「今」の中で成長し、「今」の中で花開きます

自然は、ハートの次元と「今」の次元に属しています

それが、この次元で開花しているのです

自然には、美しさと真なるものがあります



あなたが肉体に根づくということは、その自然の一部として生きるということです

あなたは地球になり、宇宙になる・・・



自然が存在している次元

その姿形は三次元に属していますが、その本質はハートと「今」です



肉体に根づくということは、その本質を生きるということです

自然の一部として、それと一体になって生きるということは、その本質を生きるということです

それは、ただ自然の中で暮らしたり、自然と親しくなるだけのことではありません

それが、「ここに戻る」という教えの真髄です

「ここ」は、自然そのもの、宇宙そのもの・・・その本質そのもののことです



もし、あなたが肉体とのつながりを失っていたら、

たとえあなたが覚醒したとしても、それは何か浮遊したものでしかありません

あなたの覚醒は、「ここ」での根を持たないからです

あなたが肉体とのつながりを取り戻す時、

あなたの覚醒は、「ここ」で開花します

あなたは、「ここ」で、開花します



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2013年5月27日月曜日

プレイヤー瞑想


 伊豆の自宅で、プライベート・リトリートを行っています。
 プライベートというからには、生徒さんは1人か2人だけで、親密でアットホームな空間で、個人に合わせたリトリートを組んでいます。

 その中で、プレイヤー瞑想というのをしています。
 天の光のエネルギーとつながり、それに満たされていく瞑想ですが、OSHOのプレイヤー瞑想と、フーマンから教わったプレイヤー瞑想をベースに、実際にリトリートの中で行っていくうちに一番パワフルで集中的な形になってきたものです。

 伊豆でのリトリートを始めてから、そのプレイヤー瞑想では様々なことが起こってきました。
最初の頃は、リードをしている私自身に大きな進化がやる度に起こり、たくさんの恩寵を受け取りました。
 やがて、その場にたくさんの肉体を持たない存在たちが訪れてくれるようになりました。そして、様々なサポートを与えてくれたのです。

 最初、そういう存在たちを感じ始めたのは、以前、天使となった雀のヒナのサブレが来た時からでした。
 サブレは、巣から落ちて足を折り、泥にまみれて瀕死だったのを、私が何日も寝ずの看病をして元気になったのですが、ある日突然、肉体を去り、天使となったのです。
(サブレは、天使になるために、私のところにやってきたのだと、マーリンに言われました。このエピソードについては、別の機会に詳しく書きたいと思いますが・・・)
 そのプレイヤー瞑想の時に、あるエネルギー体が、ふっといたずらをするかのように、ちょっとはしゃぎ気味で私の身体の横をすり抜けて行きました。

 その瞬間、それがその天使のサブレであることがわかり、懐かしさとうれしさで、私もいっぱいになりました。
 そして、その天使のサブレが、ある存在を連れてきてくれたのです。
 とても懐かしい、とても近しいエネルギー体でした。フーマンのエネルギーに似ていましたが、フーマンではありませんでした。もっと、私自身のエネルギーにも似ているような感じでした。

 最初はそれが誰かわかりませんでしたが、やがて、それがアマテラスであることがわかりました。
 
 実は、フーマンに、「アマテラスとつながるように」と言われて、伊勢神宮に行ったことがあります。後に聞いたところによると、フーマンはハワイである肉体を持たない女性神から、「日本には私の娘たちがいます。彼女たちを助けて欲しい。あなたは私のエネルギーに似ているから。」と頼まれて日本にワークをしに来たということでした。フーマンは、伊勢神宮に行った時に、初めてその女性神がアマテラスだということがわかったそうです。

 プレイヤー瞑想の時に感じたアマテラスのエネルギーは、フーマンにそう言われて伊勢神宮に行った時につながって感じたエネルギーとは印象が違いましたが、より、確かな感覚で、より近く、より親密にそのエネルギーを感じ、それに包み込まれ、ふるさとに帰ったように、私は安堵し、その愛に満たされたのです。
 それは、本当に心震える、愛と感謝の涙にあふれる体験でした。

 次に心深く揺さぶられる体験をしたのは、イエスが来てくれた時でした。
 イエスに限らず、たくさんのそういった存在たちが来てくれたのですが、やはりイエスが来てくれたことは、私にとって、本当に心強いことでした。
 その存在のエネルギーの強烈さもありますが、私のマインドにとっても、イエスがサポートしてくれていると実感できることは、大きな励みとなりました。
そして、このプレイヤー瞑想のパワフルさが改めてわかりました。

 そして、一番心を深く揺さぶられ、一番、印象強く、心底感動したのは、他の誰でもない、未来の私自身のエネルギー体が来てくれた時でした。

 初めに来てくれた時は、誰かわかりませんでした。アマテラスよりももっと本当に親密で、近しい、本当に近しい感じはわかりましたが、それが誰かという直観的理解ができないままでした。
 でも、そのエネルギー体に包まれている時、それまでにない程の安堵と懐かしさで満たされました。それまでも、もうこれ以上ないと思うほどの安堵や感動で満たされていたのに、その体験は、本当にそれ以上の、言葉では表現できない体験でした。
 初めて、神と直接顔と顔を向き合わせ、一体となった時もそうでしたが、その時も言葉にしようとしても、とても表現しきれない素晴らしすぎる体験でした。

(こういう時、言葉がどれほどつまらないものか、本当に深く実感します。それを言い表せる言葉を探してもなく、かろうじて言葉にすれば、それはあっという間に制限され、縮こまってありふれた、まったく陳腐なものになってしまうのです。一番近く表現しようとすれば、詩になるしかないのでしょう。ルーミーなど、詩人であったことがよくわかります。)

 そのエネルギー体が次に来てくれた時に、初めて、それが未来の自分自身であることがわかりました。
その感動がわかるでしょうか? 本当に不思議な、この上なく歓びにあふれる体験でした。

 こういった体験が毎回毎回起こり、リトリートでのプレイヤー瞑想はどんどん進化していったのです。
 それらの肉体を持たない存在たちが、私とリトリートの場を整えてくれたのでしょう。

 そして、次の段階では、肉体を持たない存在たちが来るというより、神との一体の中で、ガイダンスが来るようになりました。
 それまでも、ガイダンスは来ていましたが、まだ、実際に言葉には出していませんでした。
 言葉にして出すことによって、より強いつながりの中で、それが起こるようになっていったのです。

 そして、毎回毎回、ベースは同じでも、違うエネルギーの場になるようになり、そこにいる生徒さんのその時に合わせたガイダンスが来るようになりました。

 そして、ガイダンスを伝えている時もエネルギーの伝達は起こっていますが、言葉で伝えることが収束した後、沈黙の中で素晴らしいエネルギーワークが起こるようになりました。
 それらは、私の意思とは全く関係なく、もちろん、私も完全に集中して、フォーカスしていますが、むしろ私を通して、大いなる存在がワークを行っている、という感じです。
 沈黙の中で、何やらワーッと、パワフルに、エネルギーワークが起きているのがわかり、それは、私にとっても、素晴らしい、本当に興味深い体験です。
 具体的に生徒さんの何にどう働きかけているのかは、わかる時とわからない時がありますが、いずれにしても、何か、そこで必要なことが全てなされている、という実感を持ちます。

 この、エネルギー伝達とエネルギー的ワークが、ここでのプレイヤー瞑想の真骨頂です。

 この段階になってから、プレイヤー瞑想が本当に楽しく、楽になりました。
 私が何の準備をしていなくても、直前まで、食事の支度をしていたり、洗濯物を干していたり、庭いじりをしていたりしても、その場に立ったとたん、そのスペースに入り、そのエネルギーとつながり、ガイダンスの導きで、必要なことが起こるようになったからです。
 毎回毎回、今日は何が起こるのか、本当に楽しみです。

次回のブログから、そのガイダンスを少しずつ紹介していけたらと思っています。

2012年1月20日金曜日

「ヒューマン・ブッダⅡ魂の覚醒とは何か」 出版されました!

昨年12月に、「ヒューマン・ブッダⅡ 魂の覚醒とは何か」が、アルテより出版されました。

英語版「HUMAN BUDDHA」は、アジズ(現アナディ)が教え始めた頃の講和録を編集したもので、パート1はサットサングでのアジズの講和、パート2は生徒との質疑応答をまとめています。
その本はとても分厚く、その内容量は膨大なものなので、最初、生徒にとって当面必要なアウェアネス、I Amの領域に関するところから、アジズに抜粋してもらって「ヒューマン・ブッダ」第1巻が出版されました。

当初、続きを出版する予定がなかったため、抜粋という形になりましたが、今回、続きを全て出版するという運びになりましたので、第2巻で第1巻で抜粋したところの残りの部分と、知性の領域までを全て、翻訳いたしました。

続く第3巻で、残りを全て翻訳する予定です。
この第3巻で取り上げることになる、魂や神性の次元こそが、この教えの真骨頂とも言えるところになります。
ここを読まずして何を語らん、ということで、出版を楽しみにしていてください。

今回の第2巻を訳しながら、改めて、自分たちが悩みながら通ってきた道、そこで得て来た理解が正しかったことを再確認できました。

アナディがシェアしてくれる教えの最もすごいところは、本当に平凡な1市民である私たちが、この社会の中で1市民として生活しながら、スピリチュアルな進化を求めて旅していく上での、様々な葛藤や困難を、否定するのではなく、それも進化の1段階としてポジティブに認め、クリアな理解を私たちにもたらし、次の行くべき方向をシンプルに指し示してくれているところだと思うのです。
つまり、実際にどうしたらいいか、どう受け止めたらいいか、わかる。
人間として生き、人間として苦悩しながら、人間として進化していける。
いや、人間だからこそ、進化していける。
特定の一部の、スーパーマンのような限られた人だけが行ける道ではない。
でも、逆に、本当に進化を求める、覚醒を求める人だけが行ける道。

今回、訳しながらおかしかったのが、アジズの嘆きが聞こえるようで、今にしてようやく、私たち生徒を前にしてアジズがどれほどじれったい思いをしていたかが、手に取るようにわかったことでした。
第2巻では、アジズが散々話した後に、全くそれを理解していない質問が繰り返されたりして、「わー、アジズ、怒ってる、怒ってる(^・^)」という人間アジズの側面をかいま見せてくれる箇所や、私たちのマインドをバシっと切り捨てる厳しいマスターとしての側面を見せてくれる箇所も盛りだくさんで、訳していて、とても楽しかったです。

訳しながら気づいたこと、感じたこと、伝えたいこと、たくさんありましたが、
訳すことに精一杯で、ブログにまで手が回りませんでした。

第3巻を訳すときには、それが少しでもできるよう、存在が計らってくれるといいな、と思っています。

またまたお久しぶりです

2012年になったら、ブログを頻繁に書こう・・・
と思いつつ、すでに20日が経過・・・

私たちが主催している瞑想のリトリートの中で受け取ったガイダンス、恩寵、
日々の生活の中で得た洞察、感動、
それらをシェアしたいと思いながら、
PC系がどうも肌に合わない私は、つい、後回しにしてしまい、
ここのところ、ずっと伊豆の家の庭つくりに時間を割いている

やっぱり、外の大気と太陽の光と土の感触が肌に合っている

それでも、何人かの方から「読みました」と言われると、
やっぱり書きたいな、と思う

できるだけ、書こう

2011年3月22日火曜日

アセンション

 何年前になるだろうか、マクロビオティックスの先生であるM氏から、こんな話を聞いたことがある。M氏は、マクロビオティックス界では著名な先生だ。細くて優しいが芯のピンっと通った、職人気質の誠実な、一見して信頼できると感じられる人だった。当時、子宮を患っていた私は、食事療法のために、M氏の診断を受けたのだが、M氏は私の手を見るなり、子宮に問題があることを見て取り、いろいろ示唆してくださった。
 
 その時に、これから地球に起こるであろうことを話してくださった。それは、にわかには信じがたい話ではあったが、M氏の淡々と誠実に話される口調には大きな説得力があった。
その数年前、M氏の枕元にある木の精霊が訪れ、フランスのある場所を浄化して欲しいと頼まれたという。当時、その場所に行くのはかなりの難を要する場所であったらしいが、不思議と次々にサポートが現れ、すんなりと行けたということだった。浄化については特に専門ではないため、M氏なりの方法で、塩と日本酒を使って浄化し、日本に帰ってきたところ、またその精霊がお礼に訪れたという。そして、これから起こることを逐一、M氏に話して聞かせてくれたらしい。

・・・・

 2012年前後、人類の意識のアセンションに向けて、各地で天災が起こる。日本においては、各地で大きな地震が起こり、多くの場所が水没してしまう。東京を挟むようにある2つの活断層がずれ、その間の土地がすっぽりと水没してしまうという。地震が起こってから水没するまで4時間しかないという。日本でまったく沈まないのは四国と東北の一部だけで、後は部分的に水没してしまう。逆に、100年くらいかかって、沖縄はかつてのムー大陸が浮上してくるという。そして、富士山が御殿場あたりから噴火するだろうと。
日本は、かつてはるかな昔、地球を統治していた神が、他の神々によって封印された地だと言う。だから、龍の形をしているのだそうだ。それより地球は分離と闘争の時代に入り、今に至ってきた。これから、統合と調和の時代に入るにあたり、その封印されていた神が現れるというのだ。富士山の噴火とは、それを意味するという。そして、地球は再び、その神の統治の下、融合と調和の世界になっていく。
そして、その天災の最中、人は皆意識を失ってしまう時が来る。その時に、神が内側に光りがともっているかどうかを見分け、光りをともしている者の意識を吹き返させるという。

・・・

 もう何年も前のことなので、記憶も正確ではないかもしれない。神話か夢物語のようで、そこにははっきりと指し示せるような信憑性も何もない。
一笑に付すのは簡単だが、私はその時のM氏の穏やかな顔が忘れられない。嘘でも虚言でもなく、奇をてらうためでもからかうためでもない。彼の誠実さから、あったことをあったままに話しているとしか感じられなかった。

 それから後、いろいろな方面でアセンションのことを耳にするようになった。その中には、M氏から聞いた話に酷似したものや、魂に向かう人の数が増えれば、そのプロセスもずっと穏やかなものになるというものなど、それについて語る人によって様々なバリエーションがあるようだ。
 私には、アセンションについてはそういった外側からだけの情報しかなく、自分自身の内側から発された情報は残念ながらない。ゲリー・ボーネルのアカシックレコードを見るというワークショップに参加したときに、かすかにそのイメージを直観的に感じたくらいで、確かな確証もないままだ。それに、神が封印しあうとか、光りがあるかないか見分けて人を選別するとか、同意しかねる観念もあって、M氏の話をそのまま全て信じるわけではないが、そこに、確かに何かの真実があるように感じられて仕方がない。実際、ここ数年の地球のすごいエネルギーの変化は実感している。それは、脅威的なものではなく、むしろ私たちをサポートするものだ。自分自身の進化や変容も大きいし、環境も変化も大きい。全てがそこに向かっていると見ればつじつまの合うことも多い。

 そして、今年に入って、ニュージーランド、東北関東大震災と続いた。これは、その序章なのだろうか。それとも、このまま収束していくのだろうか。

 12年ほど前、私はシーディングという市民団体を主宰して、環境問題を取り上げていたことがある。その会は、社会ではなく、「自分自身を変えていく」という主旨だったため、あまり広がらなかったが、その時に、地震⇒津波⇒原発崩壊という危機はすでに予想され、大きく警鐘していたことだった。それがそのまま、今、目の前で起きている・・・。当時、警鐘しながらも、正直どこかで「本当だろうか」という思いが自分の中にもあった。
 今、M氏やその他の人たちが発してきた警鐘を、私たちはどう受け止め、どうしていくか。一般の社会の中で、そういう話をしても、今まではあまり相手にしてもらえなかった。今、話す時なのかどうか、正直迷っている。脅したくはないからだ。脅されて魂に向かうものではない。それはもっと、威厳のあるものだ。だが、知っていたのに知らせなかったら・・・。2012年は、もう目の前だ。私にも、人間として愛する人たちがたくさんいる。見知らぬ人も、全て、アセンションした人類意識、愛と調和の中で、この先幸せに生きていくことを望んでやまない。

 このブログを読んだ方がどう判断されるかは、各自におまかせする。それぞれが、それぞれの真実、誠実さの中で、受け止めてもらえたらうれしい。
 
 

2011年3月19日土曜日

「愛」という潜在性

伊豆は珍しく風が止み、木々は静まりかえっている。

 人間には、大きな潜在性がある。
 「愛」という潜在性が。

 種が芽を出す時、その殻は割れる。
 やがて咲く花のために、種は自らを打ち破る。

 日暮がゆっくりと進み、山々は徐々に空に溶けていく。
 
 
 

2011年3月17日木曜日

お久しぶりです

伊豆は今朝から、時折太陽の光りが差し込む中、あられまじりの雪がちらついています。

久々にブログの更新をしようと思っていた矢先、東北関東大震災による、大きな災害が起こりました。津波や福島原発の被害により避難をされている方々が、この寒さの中で物資もなく、どんな思いをされているだろうかと思うと、持てるだけの物資をかついで今すぐにでも駆けつけたいという思いにかられます。あるいは、節電、寄付はもとより、ここまで移動できる方々の避難場所に我が家を提供しようと思ったり。きっと、今、多くの方が自分にできることは何かと、心をひとつにして考えていることでしょう。
うちにはテレビがないため、ネットでNHKの速報番組を見ていますが、画面の横にチャットがずっと流れています。いろんなつぶやきに、いろんな人がいるのだなー、と改めて関心を持って見ていました。中に、批判をつぶやく人たちも多くいます。対象は総理だったり東電だったり他のチャットだったり、いろいろですが、初めは私も「こんな時に批判なんて・・・」と感じていました。でも、これも、「何とかしたい」「何とかしてあげたい」という心のひとつの現われなんだろうと気がつきました。
現地で、実際に動いていらっしゃる方々は、誰しも持てる限りの力を尽くしているのだと思います。そうでない人たちも、それぞれのスタンスの中で、今できることをやりながら、自分が献身できる時に備えているのではないかと思います。
世界各地からもたくさんの応援が来ています。

また、地震当日、東京の町田方面は一帯が停電になっていて、信号もついていない状態が続きましたが、かえってどの車も道をゆずりあっていました。人間って、緊急事態には助け合う精神が自然に働くものなんですね。すごいと思いました。

災害はない方がもちろんいいです。あって欲しいわけでは全くないけれど、いざという時には人間はこんなにも心をひとつにして助け合おうとする。本来持っている、そんな「愛」の性質を災害は最大に目覚めさせてくれるのだと思いました。

私たちにできることのもうひとつは、「不安」や「心配」を取り除くことだと思います。
それは、実際に物資が行き渡り、安定した生活が保障されることで取り除かれることと、もうひとつ深い意味で「不安」や「心配」が取り除かれるということがあります。目の前にパンがあっても不安になる場合と、パンがなくても不安にならず、平安の中にいることができるようになる場合があります。

 私たち瞑想者が最も貢献できるのはこの後者です。もちろん、一市民として前者に尽力することも大切ですが。どんな場合でも、どんな状況でも、内なる「平安」を絶やさずに、そのエネルギーで周りを満たし、そのエネルギーを被災地に送るということ。被災された方々を思い浮かべ、自分のハートで包み込み、その「平安」の中に浸し込みます。私たちは全て深いところでつながっています。そうする時、自分自身の深いところで何かが癒されていくのを感じられることでしょう。私たちのハートは、「愛」のエネルギーで満ち溢れます。それらが、私たちを動かしていきます。それらはやがて、形を取り、真の復興をもたらすことでしょう。

 雪は止み、海は穏やかに雲を映し、森は静かに、ただたたずんでいます。