2014年9月20日土曜日

畑のイセヒカリの様子

巡礼の記録はまだまだ続きますが、ちょっと合間に一休み・・・

畑のイセヒカリの様子です
(写真を撮ってから、すでに10日位経ってしまいましたが・・・)



水田の稲穂に比べると、はるかに小さくて、苗の分結も少ないですが、
それでもがんばって稲穂をつけています

実は、たった3畝の稲作にもかかわらず、
夏の間の草取りのあまりの大変さに、
(2枚目の写真の、稲の後方を見ていただけるとわかると思いますが、
草取りできてないところは稲より高い丈の草ぼうぼうです)
何度かにわたる、炎天下、3~5時間あまりの草取り、
熱中症にはなるし、ゆるやかなぎっくり腰にはなるし、
応援を頼みにしていた有志の方々の手助けも、
結局全く借りれず仕舞いで、
なんだか一人相撲で空回りしているように感じ、
すっかり心が折れてしまっていたのですが、
それでも稲は育ちたいと思ってるだろうから、と、
重い心を抱えて畑におもむくと、
走り穂(最初の花穂)が出ているではありませんか!

かわいい花穂に、
固くなっていた心と疲れた身体が、ふわあっとゆるみました

こんな稲にとっては厳しい環境の中でもけなげに花穂をつけてくれたイセヒカリに、
思いがけずに癒されたのです

(だから、植物って大好き!)

私のイセヒカリ栽培の師匠が、よく言います
「植物も人間も同じ」
「子どもを育てるのと同じ」

忙しさの中、十分に手をかけたとは全く言えないけれど、
それでも、
有志の皆のためにと、
私としては倒れながらもがんばってきたので、
あたかも、子どもの方がそんな私を見て、
「やれやれ、しょうのない親だなあ」と、
私のために成長してくれたようです

その時は畑にスマホを持っていかなかったので、
写真を撮れなかったのがとても残念・・・
本当に、かわいかったですよお~♪

子どもに労わってもらって、すっかり癒された私は、
よし!がんばるぞ、と、またまた草取りに専念し、
出穂を楽しみにしていました

それから、2週間・・・
巡礼の旅と東京での仕事を終え、伊豆に戻り、畑に行ってみたのが、
上の写真です

まばらではあるけれど、結構稲穂が出ています

ダメダメ親だったのに、本当にありがたいです

その姿を見て、「また来年も、今年の経験をもとにがんばろう」
「来年、畑一面のイセヒカリ栽培に挑戦しよう(無謀?)」と、
新たに決意しました


この写真のは、苗を作って植えた方で、
直播したものは、雑草に負けてしまったのか、全て消えてしまいました・・・(涙

お米作りは「苗八分」というそうで、
いかにしっかりした苗を作れるかどうかで決まってくるそうです

畑作でも、やはり苗を作った方がいいということがわかりました

今年は、プランターミニ水田で苗を作りましたが、
ネットで見ていたら、新聞紙やシートを使って畑で苗を作っている方もいたので、
来年はそれにも挑戦してみようと思います

イセヒカリは肥料がいらないと聞いていたので、
ほとんど無施肥でやってみたのですが、
やっぱり、ある程度の有機物がないとだめみたいです

プランターミニ水田は、全く肥料分のない土で栽培したので、
ほとんど実がつかずに枯れてしまいました

後は、とにかく、畑に毎日は行けないので、
成長期に地面が乾かずに、水分を保てる工夫を何かしないとならないようです

さてさて、刈り入れをいつにするか、
それが問題です・・・(^o^;

2014年9月11日木曜日

弥山登山の編  ~ 近畿五芒星レイライン巡礼の旅 3日目 ~

さて、いよいよ弥山登山に向かいます

書き忘れていましたが、
天河に向かう途中で、洞川温泉の名水、ごろごろ水を採取に行きました

普通、名水と言えば、自然に滝や湧き水の泉のようになっていたり、
龍口や竹の筒からちょろちょろと出ていて風情のあるものですが、
ごろごろ水の採取場は、
長ーい水道管が広い駐車場の両脇にどーんと設置されていて、
各駐車スペース毎に蛇口がつけられています

その駐車場に入るのに500円かかります

蛇口から詰める名水は、なんだかありがたいようなありがたみがないような(^^;

でも、軽トラでタンクをたくさん持って来て詰めている人が何人もいて、
お店とかで使うのでしょう

お水は、確かにおいしかったです

500ミリのペットボトル2本にごろごろ水を詰めて(1本250円!)、
登山バックに入れます

最初、弥山登山のルートとして、
行きは天川の川合というところに村役場の無料駐車場があるので、そこに車を停めて、
タクシーで「行者還トンネル西口」という登山道入口まで行き、
そこからの3~3.5時間コースの登山道を登り、
帰りは川合までの6時間コースをゆるゆると下りて来る予定でしたが、
途中で熊野本宮大社の奥宮である玉置神社に寄ってから
8時には熊野の那智勝浦に到着して友人を一人迎えに行かなければならなかったため、
時間を計算したところ、
6時間コースで下りて来ると間に合わないということがわかり、
急遽、
「行者還トンネル西口」まで車で行き、そのコースで往復することにしました

川合にある天川村ふれあい直売場 小路の駅「てん」で、
素朴なおいしさの「じゃがぽた」を食べ、
お昼用に「かどや食堂」で巻き寿司をゲットして、いよいよ出発です

「じゃがぽた」は、お米の取れない天川村で、子ども達がひもじい思いをしないようにとの
思いから作られてきた、昔ながらのおやつで、
ジャガイモから作られたおもちのような食感の、やさしい食べ物でした

天川村を見ていて驚いたのは、畑がないことでした
当然、田んぼもありません

普通、どんな小さな村に行っても、庭やちょっとした空地を使って畑にしているのを見かけます

でも、天川村で畑は見ることができませんでした
じゃがいもですら、とても貴重なのでは?と思うほどです
どうやって天川の人たちは暮らしているのだろう、という疑問が生まれました
これは、後で、弥山の山小屋の管理人さんから話が聞くことができました

さて、天川の河合から、「行者還トンネル西口」まで、
タクシーで5000円かかる距離です
「5000円節約したね♪」、などと喜んでいたらとんでもない!
みたらい渓谷沿いのうねうねと曲がる細い道を延々と行きます

渓谷は素晴らしかったですが、見る余裕なんてなし・・
片側は川への崖、
反対の崖は岩が道の上に張り出していて、本当に車が通れるのかと思うほどの、
車もすれ違えない幅の道をうねうねと小一時間も行くので、
前から車が来ないか絶えず緊張し、
来る度にどちらかがバックしないとならなかったりで、
登山前にもうクタクタ・・・という感じでした

タクシー5000円は、高くない!

でも、みたらい渓谷は、またゆっくり来た時に、ぜひ歩いてみたいところです

そんなこんなで、ようやく1時前に「行者還トンネル西口」に到着しました


駐車場の奥に滝がありました

有料トイレを借りて、いよいよ登山開始です
パートナーにとっては、初登山です
登山届記入ボックスなるものがあり、「本格的?」とちょっと緊張します



まだ、使用前の顔です('ω')

最初は、ゆるやかな道が続き、「あれ?本当にこの道でいいのかな?」と思いながら進むと、
つり橋が見えてきました

この行者還コースは、吉野と熊野を結ぶ大峰山を縦走する修験道の行場であり、
世界遺産にもなっている「大峰奥駈道(おくがけみち)」を通るコースです

最初の1時間が険しく、その後の1時間がゆるやかで、最後の1時間が「胸突き八丁」と呼ばれている最後の正念場、急坂だとのことでした

入口を入ってすぐのところに、一般と行者とのルートの分かれ道がありましたが、
行者のルートは道なき道、崖をよじ登るようなルートでした

登山しろうとの私たちは、もちろん、一般の道です

そのつり橋を渡ったとたん、急な坂道に変わりました
いよいよです

前日、宿のお風呂で、私より年配の女性3人組と会い、
登山のいでたちをされていたので、
「山に登られたのですか?」と声をかけると、
私たちの目的地である弥山と、その先の近畿最高峰の八経ヶ岳まで日帰りで行って帰ってきたとのこと

山に経験のある方々といえど、
70代の方でも日帰りで行けるコースなのか・・・と、ちょっと安心してしまったのが間違いの元・・・

ものの10分も経たないうちに、足腰より先に心臓がバクバクして破裂しそうになり、
休憩に次ぐ休憩・・・

日頃どれだけ運動不足なのか、思い知りました
畑の過酷な労働で鍛えていたつもりでも、
水平運動はいざ知らず、垂直運動には激しく弱い私たちでした

木の根を伝い登るような箇所や、
砂利というか、岩の破片のような小石だらけで、
じゃりじゃりと滑ってとにかく歩きにくい

喘息を持っているパートナーも、息が入らず、苦しそうです
薬と、ティーツリーのエッセンシャルオイルの力を借りて、
ようやく呼吸ができるようになり、身体に酸素が回るほうになりました

30分位登ったあたりから、すこしずつ身体は慣れて来ましたが、
ぎっくり腰になった右側を庇って、左足で登ったため、左の膝と腿がこわばってきました

登山用ストックを持っていたにも拘わらず、家に忘れてきてしまったので、
それも痛手でした

でも、以前登山家の戸田さんから教わった歩き方、
お相撲さんのようなナンバ歩きで、手と足の同じ方を出して歩く歩き方、
要するに足で歩くのではなく、腰で足を出す感覚で登る歩き方で行きました
「ソアスで歩くのね!」と思いながら歩きましたが、
とにかく右の腰とお尻が痛い・・・

それと、大きく一歩を出すのではなく、小さな歩幅でちょこちょこと歩くと良いと、
漫画の「岳」に描いてあったので、それも取り入れて歩きました
確かに、ちょこちょこ歩きの方が、疲れずに続きます

坂も、まっすぐに登っていかず、いろは坂、もしくはスキーの斜滑降のように、
斜めに登って行きます

よちよち歩きで、ゆっくりと登ること1時間半・・・

ようやく、標識のあるところに辿り着きました



呼吸の入るようになったパートナーは、余裕ですが、
私はもうへろへろ・・・

弥山まで、2時間とあります
ということは、ここまでふつうは1時間で来るということ
すでに、30分オーバーしています
というか、1.5倍かかっている、ということ

疲れすぎて食べる気にもなりませんが、次の行程のため、
少しお腹に入れました

ここでしばし休憩して、次に進みます
ここから先は緩やかなコースということで、ちょっとほっとしたのですが・・・

確かに緩やかでしたが、それでも延々と続くように思え、
さすがに足腰がだいぶよれてきました
でも、道が緩くなると、膝は格段に楽になります

途中途中、苔が美しく、ひめしゃらの幹が美しい、
素敵な景色がたくさんあったのですが、もはや写真を撮る余裕など
皆無です
「帰りに撮ろう」と決めて、歩くことに専念

途中で、警察の一行に出会いました
その時はパトロールかな、と思っていましたが、
後で山小屋の管理人さんから聞いたところによると、
遭難者を探索していたとのこと

その方々は、遭難してから5日後のその日に見つかったとのことでしたが、
ガスって道がわからなくなり、迷ってしまったらしいです
夏だったので大丈夫だったのでしょうが、よくぞ5日間も無事でいたものです

やっぱり、遭難者が出るほどの山だということです

聖宝ノ宿跡というところに出、そこには醍醐寺を創建した聖宝理源大師の像がありました
真言密教と修験という縁のある大師です

大師像に手を合わせて、無事登山をお願いしました

延々と続くように思えたなだらかな道も終わり、いよいよ胸突き八丁にかかりました

時すでに3時です
ということは、ここまでもまたもや1.5倍の1時間半かかっています
すでに身体もボロボロです
暗くなる前に着けるか、怪しくなってきました

登山は、やはり午前中に登りはじめないとだめですね
下って来る人には数名会いましたが、
登ってくる人は他にいません

地図とコンパスも持って来るのを忘れ、
スマホもほとんど圏外です
GPSも使えませんし、そもそも地図を読み込めません

とにかく、ひたすら登るより他にありません

途中、視界が開けました


ガスっていましたが、時々それが晴れて遠くの山々まで見渡せます
その景色に励まされ、涼しい風に疲れも少し取れて、
よいしょっと、歩き続けます
一歩一歩、痛む膝と腰をなんとか騙しだまし、登ります

途中でパートナーが杖に良さそうな枝を見つけてくれて、それを頼りに登りました
やっぱり、杖があるとないとでは、全く違います

昨今は、ストックを2本持っている人が多いですね
それ、本当に正解です

登山家の戸田さんから教わった歩き方に、ストックを腰の後ろに回して水平にして、
両腕でストックを抱えるようにして、そのストックで腰を右、左と押しながら歩くと楽、
というのがあり、杖の枝でそれをやろうと思うのですが、
道幅が狭く、杖が両脇の木々や岩にひっかかってしまって、思うようにできません

胸突き八丁は、途中から木の階段が続きました
この「階段」、階段の方が楽なのかどうかわからないほど、
きつい!!
太もも、ばんばんです
膝、キンキンです(/_;)

でも、この材木を運んだり、階段を作ったり、
どれだけの時間がかかったのだろう、
すごいことだなあと、感心、感謝しながら登りました

この階段、どれだけ続くのだろうと思うほど延々と続き、
限界を超えてもう嫌気がさしてきたころ、
辺りがほんのり夕暮れ色に染まりだす中で、ようやく弥山山小屋が見えてきました
後少しです!



やったー!!!!
やっと、どうにか、弥山山頂の弥山神社に到着しました!

弁財天が最初に降り立ったという弥山山頂です
(後で調べたところ、弁財天が最初に降り立ったのは、熊野寄りの山上が嶽

ガスっていて、下の景色はほとんど見えず、ぽつぽつと雨も降りだして来ました

でも、雨は水の神のウエルカムです

霧の中に、八経ヶ岳の山頂がかすんで見えます
とても神秘的です



神殿にご挨拶して、祈りを捧げました

感動というよりかは、とにかく無事に辿り着けた安堵の中、
立っているのが精一杯でした

時はすでに5時半でした
なんと、4時間半もかかってしまいました
(もしかすると、かなりの最長記録じゃない?)



手前に、護摩焚きの跡がありました

ネットで検索したところ、5月に護摩焚きの行があったとのことでした

神社で護摩?と意外でしたが、修験道や密教との繋がりが深いところ、
今の感覚でいう神社というよりは、むしろ、それが元々の姿なのでしょう

実は、天河と熊野には、私の中では5月頃に行くという感覚があったのですが、
一緒に熊野に行く友人の都合で、8月になったものでした

本来は、この護摩焚き行に行くべきだったのかもしれません
次に行く機会があれば、5月に行きたいと思いました

また、呼んでくれるかな・・・でも、それまでにトレーニングしておかないとね

弥山神社の神殿の隣に、小さなお堂が並んでいたので、
行ってみると、
役行者と円空さんを祀っているお堂でした

行くまで知らなかったのですが、
この弥山が修験道の始まりであり、吉野と熊野、高野に広がる聖地の中心であるとのことでした

行ってみて初めて、行った意味がわかりました

ここが、全ての始まりだったのです
ここが全ての中心だったのです

それを胸深くに噛みしめて、もう一度祈りを捧げました



去年の投げ入れ堂&大山&出雲参拝から、どうも修験の旅が続きます
そろそろ老体になってきた身体には厳しいのですが・・・

前世で散々修験をやってきたのだろうなあ、と思いつつ
ようやく完結の生を迎えられたのだなあと・・・

最後のお礼参りというか・・・
そのための、旅でもあったのでしょう

それにしては、よれよれの情けない状態でのお参りでしたが(^^;

今回の生では、今までに縁のあった方々との残されたカルマを解消するための関係が
数多くありました
それは痛みを伴う関係でしたが、本当に解消されるとさっぱりと、感謝へと変わります
今はまだ痛みを伴う関係がいくつか残されていますが、
全ての関係が感謝へと変わるのも、そう遠くないのかもしれません

その時に、また来るのかもしれません

密教で始まった私の魂の旅が、アジズとフーマンを経て、アマテラスを経て、
こうしてまた密教の始原に戻ってくることになるとは、
やはり、そこに縁の強さを感じざるを得ません

何か、完結して、次のステージに向かうのでしょう

一見、味わいの全く違うそれらが一体となり、何か大きな世界を創り出している
そのベールを少しずつめくり、それを知っていくこと
まだ、その全容は見えませんが、そう思うとこれからが楽しみです


さて、
クリスタルを埋めていいかどうか、お堂に向かって尋ねると、
いいという返事が返ってきたので、
どこに埋めていいか聞いたところ、ある場所を示してくれたので、
そこに埋めてきました

ここには、五ぼう星レイラインの各聖地とは違うクリスタルの方がいい感じがしたので、
違うものを埋めてきました

1デイ・リトリートに参加してくださった方々に、お土産として、
弥山に埋めたのと同じクリスタルを差し上げました

そうすることで、皆が始まりの場所と繋がれます

光のコードが、張り巡らされます



やっぱり、この弥山に登拝することが、
今回の旅のひとつのクライマックスでした

まだ、ずっと山頂に居たかったですが、暗くなってきたので、
山小屋に戻りました

山小屋に泊まるのは、私たちだけ、というラッキー
山小屋のピークは、連休のようです

山小屋の管理人さんは、天川の方で、連休から今まで、
ほとんど自分の家の蒲団では寝ていないとのことでした

パートナーの初登山に弥山を選んでくれてうれしい、と喜んでくださいました

天川の人たちがどうやって暮らしているのか尋ねたところ、
やはり林業を営んでいる方が多いとのことでした
畑は見つけることができませんでしたが、管理人さんの話では、
少しはある、とのことでした

簡素な夕食をいただいて、
7時には蒲団に潜り込みました

消灯は9時で、真っ暗になると言われましたが、
消灯など知らず、ぐっすりと寝てしまい、
いっぱい寝たーと思って目が覚めて、時計を見ると、
まだ11時半でした(^^;

とにかく、身体がぎくしゃくです
どのくらい回復するのか、消炎剤を腰や足に塗り込んで、再び眠りにつきました















2014年9月10日水曜日

天河大弁財天社 禊場の編 ~ 近畿五芒星レイライン巡礼の旅 3日目 ~

天河大弁財天社でご祈祷をあげてもらってから、
禊場を探しに行きました

禊場とは、かつて天河大弁財天社があったところで、
昔川の氾濫によって流され、今のところに移されたとのことでした

その禊場のエネルギーが素晴らしいとのことだったので、
そこに行きたかったのですが、
そこも3年前の台風によってまたもや川が氾濫し、
その禊場のお堂も流されてしまったと、ネットで調べてわかっていました

でも、流された後の情報がネットではわからずじまいだったので、
どうなっているのかと思い、探しました

ナビの通りに行くと、道が途中で川の中に消えています・・・

その被害のすごさに驚きながら、右往左往し、
ようやくタクシーに出会えて、道を聞くことができました

教えてもらったところに辿り着くと、
工事現場のようになっていました

その下に、川が流れています
川の周りは、氾濫で荒れた様子がまだ残っていました

水の神の、荒々しい側面です
ここに来る途中も、山にいくつもの崖崩れの後を見ることができ、
台風の被害のすごさを目の当たりにしてきました


工事の人に聞くと、写真の上の方、川の左手に造営中の段々の丘の上に、
新しくお堂を建てる予定とのことでした

「ああ、ちゃんと復旧が進んでいるのだな」と安心しました

今は、仮のお堂が川の右手に建っていました



祈りを捧げてから、お堂の後ろに回ると、
こんなものがありました


この三柱?がご神体なのでしょうか・・・?
まだ、真新しい石造りの柱?でしたが、とても意味ありげに見えます
三位一体を表しているのか、何を表しているのでしょう
時間がある時に、調べてみたいと思いました

お堂の横に、赤っぽい石が祭られていました


この赤い石があちらにもこちらにも大小たくさんあり、


なんだかこの赤が弁天様を表しているように感じたので、
川で小さな赤い石を拾い、我が家の弁天様として祀ろうと思いました









2014年9月9日火曜日

天河大弁財天社の編2  ~近畿五芒星レイライン巡礼の旅 3日目 ~

龍泉寺で禊をしたその足で、天河大弁財天社に向かいました
車で20分ほどです

真の目的は、奥宮である弥山(みせん・須弥山の略)にお参りすることです

弁財天が最初に降り立ったのが、その弥山であるということでした

一応、1895メートルの山で、それなりの登山になるので、
無事にお参りできるよう、ご祈祷をしていただこうと思いました

実は、旅行1週間前にぎっくり腰になってしまい、
まだ痛みが相当に残っていたし、膝も痛みが来ていたので、
本当に登り切れるのか、ちょっと不安もありました

「やる」と思ったら、どうしても無理してでもやらないと気が済まない質なので、
身体は気の毒です

天河大弁財天社に着き、ご祈祷をお願いしました

本殿で待つこと2~30分

それほど強いエネルギーを感じられた訳ではありませんが、
独特の神聖さの中で、気持ちよく瞑想して待っていました

やはり、何か独特の異空間という印象があります

土間になっていて、そこから階段が高いところまであり、その奥が神殿で、
土間を挟んでその反対側に舞台があり、
土間の両脇の天井にはたくさんの灯篭がさがっていて・・・
という独特の作りのせいもあるのでしょう

お賽銭箱の上に下がっている五十鈴も、
どなたかの「UFOのようだ」という記事を読んで以来、そう見えてしまうし・・・

UFOで舞い降りてきた天女なのでしょうか・・・

弁財天とは、インドのサラスバティー神のことで、
川の流れの妙なる様を神格化したものであり、
まさに水の神です

アマテラスが岩屋に隠れた時、アメノウズメが鈴を振って歌い踊ったという、
その鈴と五十鈴は同じものだということです

そのことから、芸能の神として人気があり、
芸能人の多くがお参りしているとのことです

神殿の前の舞台では、たくさんの有名無名のアーティスト達が、
奉納演奏や奉納舞をしているとのことです

私の友人の即興演奏家も、ここで奉納演奏すればいいのに・・・
などと思っていると、
巫女さんが、ご祈祷の準備を始められました


階段の中段に座って行われるご祈祷は、
とても気持ちがよく、心地よく身が引き締まる感じでした

玉串奉納の時は、階段を上って神殿の前まで行きます
ちょっと、結婚式のようでした

玉串を奉納して階段を下がる時、下の土間でたくさんの人が静かに待って見ていて、
何やら、神聖なショーのような感じでもありました

さすが、芸能の神だけあって、そういう効果も考えているのかもしれません

土間で、酒杯をいただいたのですが、
その後、神主さんが、しきりに弥山にお参りしてくれることに感謝の意を表してくださいました
心から、嬉しそうでしたので、私もとてもうれしくなりました
登山について、本当に気をつけてください、と何度もご心配もいただきました

その時はまだ、その意味が本当にはわかっていなかったのですが・・・
というのも、それほど大変な登山道だとは思っていなかったからです

その時はすっかり忘れていて、後で思い出したのですが、
その神主さんは、OSHOのファンで、OSHOのローブをいっぱい持っている方のはずでした

いろいろとお話できたので、その時に思い出していたら、
ローブを見せてもらえたかもしれません

残念なことをしましたが、
時間もなかったので、そういうことだったのでしょう
見てたら、弥山に登る時間が足りなくなっていたでしょう

でも、天川は、もう一度ゆっくりと日にちをかけて訪ねたいと思っているので、
その時にまたお訪ねしましょう












龍泉寺の編  ~近畿五芒星レイライン巡礼の旅 3日目 ~

8月25日

天川で泊まった洞川温泉には、龍泉寺というお寺があります

そこでは滝行をさせてくれて、すごくいいから、ぜひ行ってみて、
という友人のお薦めにより、
天河大弁財天社でご祈祷をあげてもらう前の禊として、
朝、滝行をしに行きました

あまり時間がなかったので、お寺をゆっくり見る余裕がありませんでしたが、
こんな石が目につきました




なで石というその石は、まるで大きなボージー・ストーンか、モキ・マーブルのよう
真ん中にラインがあり、あたかも2つの半丸がそこでくっついたか、
そのラインから石が成長したかのようです

なでると石が軽くなり、叩くと重くなるという説明の通り、やってみました

上の石は、なでられまくっているのでしょう、つるつるピカピカです


本当に、なでるとスッと持ち上がり、叩くとずっしりと感じます
不思議な、なんともかわいい石でした
こういう形には惹かれます

こんな石を探しに行ってみたいものです

滝行は、社務所で申し込むと、すぐにやらせていただけます
たったの300円です
行衣も貸してくださいます

滝の横に更衣室もあり、万全です
まずは、パートナーから



夏とはいえ、涼しかったので、水は冷たく、こごえます


般若心経を唱えようかと思いましたが、すでに忘れてしまっているので、
光明真言を唱えました

「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼたら まに はんどま じんばら はらはりたや うん」

密教をやっていたころを思い出し、懐かしくなりました
その頃通っていた等々力不動にも滝行のできる滝があったので、
滝行をやってみたくもありましたが、なぜか、あえてやりませんでした
そこで満足してとどまってしまうように感じていたのかもしれません

ただ、シンプルにまっすぐに、「悟りたい」と思っていたため、
滝行には手を出さずにいたと言えます


集中して5分ほど唱えていると、身体が温かくなってきました

頭も心も空っぽになっていきます

10分もやっていたかやっていなかったか程度だと思いますが、
本当に清々しく、
すっかりきれいなエネルギーになったように感じられました

ちょっと、くせになりそうです
すごく、いいです

本当に浄化されます
クリスタルも、流れる水に浸しておくときれいに浄化されるのですから、
人間も同じなのでしょう

滝行というのは、思っていた以上に効果があるようでした

友人たちの時は、グループだったせいか、
お寺に余裕があったせいか、(私たちの時は、すぐ後に団体さんが来ていたので、忙しそうでした)
法螺貝つきで、お坊さんが般若心経を唱えてくれたそうです

それも楽しそうですが、
やっぱり、ひっそりと自分たちだけでできたので、集中はできたかと思います

ご祈祷をあげてもらう前の、とてもいい禊になりました
ありがとうございました





2014年9月3日水曜日

お宿の編  ~近畿五芒星レイライン巡礼の旅 2日目 ~

天川村、洞川温泉は、川沿いに小さな古い民宿が立ち並んでいます

お宿のあちこちに生花が活けてあるというふれこみと、
‘素泊まりでも朝食におかみの握ったおにぎりとお味噌汁のサービス’に惹かれて、
柳屋というお宿を予約しました

廊下と部屋を隔てるのは曇りガラスの障子一枚という造りには少々驚きましたが、
置いてある小物や焼き物がどれもこれも素敵で、
オーナーのセンスの良さを感じました

玄関正面の飾り


玄関横の焼き物


別館玄関

おじいさんが山から運んできたという古木、すごい、欲しい~♪ でも、ピンぼけ~(涙


外のちょこっとした灰皿、これ、かなりいけてると思います

いろりの入ったお座敷


廊下の飾り 中は噴水になっています

などなど、全部は撮りきれませんでしたが、
(一番気に入った、廊下のライトの飾りが、スマホの調子が変でちゃんと撮れてなくて、
残念(涙)
お部屋の食器や小物のどれもこれも気が利いていて素敵でした

焼き物は、オーナーご夫婦が、備前まで買い付けに行っているとのこと
古木もいろいろあって、それらを見るだけでも楽しかったです

小物、焼き物、古木好きにはお薦めのお宿です

そして、絶品だったのは、
‘おかみのおにぎり’!!!

おいしすぎて、写真に撮るのも忘れていただいてしまいましたが、
本当に久しぶりに、「おいしい!」というお握りをいただきました

お米がおいしいとか、お水がおいしいとか、それもあるのだろうけど、
そういうのよりも、
たぶん、手で握られているのだと思いますが、ちゃんと手のエネルギーが入っているお味

何かが全くちがうのです

これは、食べに行く価値があります

何時に着くか、予想ができなかったので、
素泊まりにしてしまいましたが、
夕食も食べてみたかったと思いました

お部屋の窓の下は、川
リバー・ビューです(^^)

早朝、川を見に行ったら、とても気持ちよかったです

あ、温泉も、お風呂は狭かったけど、お湯は気持ちよかったです












2014年9月2日火曜日

天河大弁才天社の編  ~近畿五芒星レイライン巡礼の旅 2日目 ~

夕暮れも迫る頃、
ようやく天河に辿り着きました

無事に着いて、よかったー♪

実は、この旅の1週間前にぎっくり腰になり、
本当に旅に出られるのか、
またまた天河に行けないのではないかとやっぱり心のどこかで心配だったので、
とにかく辿り着いてほっとしました

雨はまたまた止んでくれました
本当にありがたいです


赤い鳥居に金縁の青い扁額が、今までの神社神宮とはまったく違う雰囲気を漂わせています


次の鳥居をくぐった先に、本殿があります

本殿は、全く違った異空間でした

その構造もですが、エネルギーがまったく違う

噂に聞く五十鈴も、初めての感覚でした

この日は、疲れ果てていたのと、すでに夕闇迫る時間だったため、
ゆっくりお参りするのは翌朝にして、
とりあえず、ご挨拶だけにとどめました

お宿は洞川温泉です

さらに車で走らなければなりません
最後のひとふんばり、がんばれ~


丹生川上神社下社の編  ~近畿五芒星レイライン巡礼の旅 2日目 ~

奈良をずっと下って、いよいよ天河に近づいてきました

天河に行く前に、必ず行くという、丹生川上神社下社
日本で一番古い水の神様を祀る神社です


古びた感じですが、注連縄がすごい
出雲大社を彷彿とさせます


もう、ここは本当に龍神の気配
神宮とはまったく違う、水のエネルギーを感じさせます


この木がちょっと気になりました

古いけれど、何か凛としたものを感じさせる神社でした

あまりゆっくりしている時間もなく、
次はいよいよ天河へ



橿原神宮の編  ~近畿五芒星レイライン巡礼の旅 2日目 ~

強くなったり弱くなったりする雨の中、橿原神宮へ

ここはあまり取り上げられませんが、
以前、娘と早朝ここに来た時、あまりのエネルギーのすごさに驚きました
伊勢ばりです

何の知識もなく、娘と古墳めぐりをしていて、たまたま泊まった宿の側にあったので、
朝早くおまいりしてみたところ、キーンと張ったそのエネルギーの神聖さと強さに、
「これは伊勢にも負けない」と思ったのでした

それから調べてみると、橿原神宮は初代天皇である神武天皇の京であったこと、
その陵もあり、ご神体である畝傍山は大和三山のひとつであるということ

エネルギーがすごいのも当然です

そして、まさに中心のレイライン上にあります

これはパートナーにもぜひ見せないと、と、今回の旅の目的地のひとつにいれました


駐車場に着くと、再び雨が止んでくれました

鳥居は改修中のようでした


拝殿です
夕方のせいか、前回よりもエネルギーはゆるやかでしたが、
やはりそこそこのものがありました


ご神体の畝傍山です
登山口を発見したので、今度、登りに来たいものです
こちらこそがすごそうです

また、神武天皇陵にも行ってみたいですね


松が、伸びやかにとてもいい感じに生えていました
ここのエネルギーがとてもよかったです

屋根を改修するとのことで、檜の皮用の寄付を納めてきました

やっぱり、ここに来ると何かすがすがしくなります

ここですでに夕方近くになってしまったため、
大神神社にも寄る予定でしたが、
大神神社は広くて回るのに時間がかかるのと、
何か今回の旅の目的とはちょっと違う感覚があったので、
パスして、
丹生川上神社下社に直接向かうことに

また、車が走り出すと、雨が降ってきました

水の神様、ありがとう







平城京跡の編  ~近畿五芒星レイライン巡礼の旅 第2日目 ~

どしゃぶりの雨の中、平城京跡に向かいます
ほぼ、五芒星レイラインの中央に位置する平城京跡

なぜ、平城京跡のなのか、私にもはっきりとした理由はわからないのですが、
何か直感的に「平城京」と出てきたので、寄ることにしました

駐車場に着くと、雨は止んでくれました


朱雀門です
その大きさに、初めはただの門だとは思わず、これが中心だろうと思ってしましましたが、
中心のお宮は、はるか遠く、こちらでした


この広大さは、すごいものです
圧倒されます

守衛さんに聞いたところ、そこまで歩いて10分ちょっとかかるというので、
遠くから眺めるだけでオッケーということに

次の重要な行程がまだまだあるので、ここはさらっとすませました

また車に乗って走り出すと、どしゃぶりに・・・
見ている間、止ませてくれて、ありがとう




ヒロヒロさんのイセヒカリの田んぼの編  ~近畿五芒星レイライン巡礼の旅 第2日目 ~

淡路島から神戸に戻り、アウトレットで翌日の登山に備えて登山ウェアをゲットし、
そのまま奈良の生駒にあるヒロヒロさんの田んぼに直行

ヒロヒロさんとは、私がいつもイセヒカリを購入している農家さんで、
(リトリートや1デイでお出ししているイセヒカリです)
私のイセヒカリ畑作の師匠でもあります

とても熱い思いと想像力を持って稲作を20年以上続けてこられているお方で、
免許取り立ててでいきなり険しい山道をレーシングカーで走るごときの
無謀なるイセヒカリ畑作に取り組んでいるどしろうとの私に、
いつもいろいろと教えてくださっています

今回の旅の目的の聖地とはちょっと違いますが、
ヒロヒロさんの田んぼが中心のレイラインのすぐ横、平城京跡のすぐ近くにあることがわかり、
これも深い縁と思って、寄ることにしました

待ち合わせの場所に着いてすぐ、
後ろからノーヘルの‘若者’が単車をぽこぽこと走らせて来たなあーと思って見ていたら、
なんと、それがヒロヒロさんでした

いつも教わっていることの内容や、そこから感じられる経験と知識の深さから、
なんとなくヒロヒロさんは50代くらいの方だろうと思っていたのですが、
見た目はずっとお若い方でした

いつも、そう言われるとのことでした(^^)

早速、田んぼに連れていってもらい、イセヒカリを見せていただきました


気持ちよくて、わくわくしてきます♪
とても気持ちのよい、手も心もかけられているのが伝わってくるやさしい田んぼでした

イセヒカリは、見ているだけでなんだか気持ちがいいですね

今は水を抜いているそうです
田んぼはずっと水を張っているものとばかり思っていたのですが、
時期により、抜いたり張ったりしているそうです

根っこには、田んぼ根と畑根の2種類があるそうで、
ずっと水を張っていると畑根が成長できないそうです


ここの部分は、籾殻くん炭を入れたところで、他のところより成長が良く、
葉の太さも張りも違っていました


でも、今年はあまり状態が良くないらしく、
中央の黄色っぽくなっているところの成長が悪いそうです

そのため、あまり収穫は見込めないとのこと

収穫の7割は酒造用に回すそうです

酒蔵の方が、品評会用のお酒を作るのに使うそうです

そのお酒も2本、予約して、楽しみが増えました

イセヒカリの隣は、お爺様が植えられた小豆とのこと(^^)




田んぼのすみに咲いていたかわいい清楚なお花
ちょっと鷺草っぽい

おっきなつるかぼちゃのかわりだねをお土産に、
ぽつぽつ、ザーザーと降り出した雨に追われて、
ヒロヒロさんの田んぼを後にしました

ヒロヒロさんから後でいただいたメールに、
「ご主人とは前にどこかで会ったような感じがして・・・そんなこともあるのだなー・・・」と
ありました(^^)

やっぱり、魂の縁があるのですね

今はまだはっきりとは見えてこないけど、
この旅のひとつにヒロヒロさんの田んぼが含まれていたこと、
何かの深い意味があるのでしょうね