2019年4月9日火曜日

なぜ苦しむのか2 苦しみの本質(2)~諸行無常、一切皆苦~     トータル・パス ~魂への道~4


「釈迦」の画像検索結果

苦しみについて、
もうひとつの観点から書きます

これから霊的進化の道を歩む上で、
「苦しみ」について深い理解を得ていることと、
自分が実はとても「苦しんでいる」ということに気づく事は、とても重要です

なので、くどいようですが、本題に入る前に、
今日は「苦しみ」について、
釈迦の示した言葉から理解を深めていきたいと思います


釈迦は、この世界について、
「諸行無常」であり、「一切皆苦」であると説きました

「諸行無常」とは、
全てが変化し、変化せずに恒常であるものは一つとしてない、
という事です

「全てが変化する」ということは、
「絶対的な正義」「絶対的な善悪」は存在せず、
全ては「相対的」である、ということです

正義、善悪が「相対的である」ということは、
全ての人が同じ価値観や考えを持つことはない、ということです

自分と周りの人たちの価値観や考えが違うということは、
集団で生きる人間にとって、
必ず衝突や摩擦が生じるということでもあります

これは、人生を送る中で、
誰しもが体験的に知っていくことでしょう

多くの人は、
「自分の価値観や考えが正しくて、相手のは間違っている」と解釈します

どちらが正しいか(「自分の方が正しい」と)、証明しようとします

これは、単なる価値観や考えというものに収まらず、
「自己の証明」に関わってきます

正しくは、「自我の証明」ですが、
自分自身が生きる指針となっているものの正しさを証明することは、
その「自我」が生きていていいと、その正当性を証明することでもあります

そのため、この世界では、
大きなところでは国と国の間で、
小さなところでは身近な人同士の間で、
絶え間なく「自己証明」の戦争が勃発しています

それは、例え、人が人間として成熟して、
「相手の考えは自分と違って当たり前」という認識を持っていたとしても、
自分の利権と相手の利権が明らかに相反する場合、
何らかの葛藤がそこに起こりえます

そう、
「諸行無常」であるこの世界にともに生きる私たちは、
常に何らかの「葛藤」を抱えざるを得ないのです

その「葛藤」が、「苦しみ」となるのです


では、「一切皆苦」の方はどうでしょうか?

これは言葉通り、
一切全てが苦しみだ、ということです

それは、
私たちが「生きている」からです

肉体を持って、存続しようとし続けているからです

病気とか、事故とか、死別とか、損失とか、不幸な出来事だけが苦しいのではないのです

「生きる」ということはどういうことでしょうか?

「生きる」ということは、
常に「生きる」ために何かを必要とする、ということです

それは、
「空気」だったり、「食物」だったり、「太陽の光」だったり、「重力」だったり、
「安全」だったり、「愛」だったり、「愛する人」だったり、
「仕事」だったり、「お金」だったり、
「生きがい」だったり、「生きる意味」だったり、
形は様々ですが、
常に「自分以外のもの」を必要としている、ということです

「自分」という「命」は、
自分だけでは生きられないようにできているのです

自分だけでは完結しないのです

では、
生きるために必要とするそれらが全て手に入ったら、
人は「苦しみ」から脱することができるのでしょうか?

誰しも、一時的に、
「自分はもはや苦しんでいない、私は満たされ幸せだ」と感じることはあるでしょう

でも、「諸行無常」です
同じ状態が永遠に継続することはありません

仮に、刻々と変化する「必要」が、刻々と手に入るとしても、
あなたは常に何かを必要とし続けます

その「何かを必要とする」状態そのものが、
実は「苦しみ」の種なのです

「生きる」というベクトルを考えてみてください

それは、
常に何らかの「欲」が生じ続けるということです

「何かを必要とする」こと=「欲」なのです

「欲」は、「生きる」ということです

人は、生きる以上、「欲」から完全に離れることはできないのです

そして、
その「欲」のある状態こそが、「苦しみ」の原型なのです

肉体、感情、思考、
仏教的に言えば、五感と意識の六根ですが、
それらが顕現する裡に、
すでに「苦しみ」の種が埋め込まれているのです

人間であるということは、
すでに「苦しみ」を産まれながらに携えている、ということです

では、
その「苦しみ」から逃れるすべはないのでしょうか?

それこそが、
釈迦の説いた教えです

人間でありながら、
この肉体と六根を持ちながら、
その「内在する苦しみ」そのものから解脱すること

人間でありながら、
完全に人間を超え、
全ての原因、根源に溶け去っていくこと

それを、
「仏」「神」「最愛なるもの」「創造主」「大いなるもの」「名無き者」「アラー」etc.etc.・・・・
人類は歴史上、様々な呼び名で呼んできました

そこに帰すること


そして、
それこそが、この「トータル・パス」のゴールです

だからこそ、
霊的進化を歩む上で、
「苦しみ」とは何かを深く理解し、
自分自身のその根源的な「苦しみ」に気づくことが大切なのです

それなくして、
「解脱」に達するだけのモチベーションとパワーを持つことはできないからです

「釈迦涅槃図」の画像検索結果
























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