2020年2月25日火曜日

伊勢神宮参拝2020 御垣内参拝 ~ヒエラルキー~

(二見ヶ浦の日の出)

先日、伊勢神宮へお参りに行ってきました

昨年はあまりの忙しさに行けなかったため、
今年こそ、旧暦新年が始まったらお参りに行こうと決めていたので、
新型コロナウィルスの心配もありましたが、
こういう時こそ伊勢参りと思い、
決行してきました

(熱田神宮 大楠)


途中、名古屋に2泊し、
熱田神宮など名古屋市内の神社にもお参りしました
大楠は、やはり素晴らしいエネルギーでした

やはり、市内は人は少ない感じで、
夜の街並みは閑散としていました

ただ、宿泊したどのホテルでも、
新型コロナウィルスの感染の有無をチェックイン時に確認されることはありませんでした

各県の行政から、
宿泊客の感染の有無を確認するよう、
各宿泊業主は要請されているはずですが、
実施しているところはほぼないようです

お客様に聞きづらいのはわかりますが、
これでは、感染が拡大しても致し方ないですね

認識の甘さもあるのでしょうが、
日本人の心遣いが、
こういうケースにおいては、マイナスに働いてしまう事もあるようです

せっせと自衛しながらの旅となりましたが、
二見ヶ浦に1泊した後、伊勢に着き、まずは伊雑宮にお参り
朝一の伊雑宮はとても澄み切っていて、
静かで穏やかで、気持ちが良かったです



その後、外宮にお参りすると、
参拝者で大賑わい!

2月の平日、
学生は春休みに入っているのでしょうが、
各地の観光地の閑散さに比べて、
予想外の人の多さ!
皆「伊勢参りなら大丈夫」と思っているのかも知れませんね(*´ω`*)

同時に、
こんな時期にこれだけ伊勢にお参りする人が多いなら、
日本は大丈夫だろう、とも思いました(*´ω`*)


その後、同行した娘が今年は「八方塞がり」の年だということで、
内宮でご祈祷をあげてもらいました
その直後、空に不思議な雲が・・・
中に何かいらっしゃるみたいですね(*´ω`*)

翌朝、日の出前に内宮にお参りし、
御垣内参拝をしてきました


冬は日の出が遅いので、すでに結構人がいます


ちょうど、私たちが正宮に着いた時、
1人の女性が御垣内参拝をされていました

伊勢の正宮は、四重の垣根によって囲まれています
正殿に近い内側から、瑞垣(みずがき)、内玉垣、外玉垣、板垣の4つの垣根です

一般の参拝者は、一番外側の板垣と2番目の外玉垣の間、
御幌(みとばり)で仕切られたところから参拝します

御垣内参拝は、その外玉垣の内側に入って参拝するもので、
特別参拝とも言われています

これは、神宮に何らかの貢献(寄付)をした人に対して、
神宮側からのお礼として、
普通は入れない御垣内に入り、
ちょっとだけ神様に近づいて参拝させていただけるものです

他に、神社関係者など、
寄付のいかんにかかわらず、入れる場合もあるようですが、
詳しくはわかりません

私たちは伊勢神宮崇敬会の会員になっているので、
御垣内参拝をさせていただけます

今回同行した娘は、成人しているため、
家族扱いにはならず、
当日、遷宮の寄付をすることで、御垣内参拝をすることができました

なぜ、御垣内参拝をするかというと、
垣根の外側と内側では全くエネルギーが違うからです
全く違う時空間と言うこともできます

垣根は、まさに結界です

つまり、
神宮の正殿は、四重の結界に守られているということです

その結界内に入って神様にご挨拶するため、
正装であることが必須です

(下記参照


さて、
私たちはいつも年会費5000円を納めているため、
下図で言うところの3級賛助会員と同等で、
外玉垣と内玉垣の間の一番外っかわ、
中重鳥居と御幌のちょうど間位のところで参拝をします
御垣図 内宮
ところが、
その私たちの前に参拝されていた女性は、
中重鳥居をくぐって内玉垣のすぐ手前で参拝されていたのです

そこで参拝をされている人を見たのは初めてでした
(ちなみに、後で調べたところ、そこで参拝できるのは、奉納金100万以上納めた方です)

(もう一つちなみに、内玉垣の内側に入れるのは特別な神職だけで、それ以外は、いくら奉納金を納めても、誰も入れません
また、最奥の瑞垣の内側の正殿に入れるのは、天皇だけです)

そして、
私たちの番となり、私たちはいつも通り、
神職の方の引率に従って、
中重鳥居と御幌の間で参拝しました

いつもの私なら、
私たちとは違い、そんな近くで参拝できる事をうらやましく思うところですが、
この時、私の心の中には、
「一番下っ端でいい」「皆が先に」というような思いが湧いてきていて、
何も気になりませんでした

中で参拝することに何の特別感もなく、
むしろ、外でも十分という感覚でいました

御垣内参拝で、
そういった恩寵を受けたのは初めてでした

今までは、
むしろ、何か「特別感」を抱いてしまうような体験が多かったのですが・・・

最近、神様から何かをいただきたいという思いそのものがなくなっています
何か、特別なエネルギー体験をしたいという思いもなくなっています

むしろ、
ただ捧げたいという感じです

それ自体が、神様の恩寵なのでしょう

さて、
私達が御垣内参拝をしている間、
受けつけのところで私たちを見ながら、
いかにも自分も入りたそうにしている男性がいました

その男性はニット帽をかぶって、
山登りをするような、とてもラフな格好をされていたので、
御垣内参拝については何もご存じないのだろうということと、
きっと断られるだろうことはわかっていたので気がかりでしたが、
案の定、
その男性は受けつけの神職の方に尋ねて、
「スーツ着用の上、なにがしかの資格をお持ちでないと」と、
断られていました

「なにがしかの資格」というのが、
先ほど書いた、なにがしかの寄付、もしくは崇敬会会費を納めて、
「特別参宮章」というカードをもらう、
あるいは、なにがしかの神社関係者である、ということです

どうすれば御垣内参拝ができるか、
追いかけて教えてあげたいと思いましたが、
終わった後、すでに姿は見えませんでした

こうして、
ほぼ同時刻に、
1.中に入って最も近くで参拝した女性
2.中に入ってちょっと近くで参拝した私たち
3.中に入れなかった男性
と、
3つのヒエラルキーがそこに存在していたのを、
体験しました

神様につながるのは、
別に御垣内であろうと、外側であろうと、
そもそも伊勢でなくとも、
どこでもつながることができます

つながるのは、
一人ひとりのハート、存在そのものを通してだからです

なので、
本質的にはそんなヒエラルキーはないのですが、
どうしてもこの現象界にはヒエラルキーが現れてしまうようです

私のパートナーさんは、
「そんなヒエラルキーを見せられて、嫌になっちゃった」
「伊勢に来るのも最後かも、ってちょっと思った」
と言っていました

日本で最も聖なる場所である神宮で、
お金や金額によってそんなヒエラルキーが作られてしまうのは、
確かにちょっと残念ですが、
そもそも、なぜ、
この世界にはあらゆるところにヒエラルキーが存在するのでしょうか?

それがこの世界の仕組みになっています

いろいろなヒエラルキーがあります

私たちの心は、
いつも自分がそれらのヒエラルキーのどこにいるか、
気にしています

そして、上位に行きたいと思う人がほとんどで、
下位に行きたいと思う人はいないでしょう

下位で甘んじていたとしても、
本音の部分では、上位に行きたいと思っているはずです

また、本音の部分で、
ヒエラルキーの上位にいることに不満を持つ人はいないでしょう

そもそも、
「神様」と「神様でない人」と分けること自体が、
ヒエラルキーです

あるいは、
神様をヒエラルキーの最上層に置くことが、
ヒエラルキーを作り出しているとも言えます

神と私たちの関係は、
何なのでしょう?

もし、私たちが、
神がヒエラルキーの最上部だと思っていたら、
神に到達することはできないと思います

なぜなら、
ヒエラルキーの最上部に到達したいと思う心そのものが、
神とかけ離れているからです

神様を、
尊い存在として崇めるその謙遜の心は、
美しいし尊いと思います

でも、
案外、
ヒエラルキーの下層部に下がっていくことの方が、
神に近づくことかもしれません

ヒエラルキーの一番下っ端でいることに、
果たして私たちは歓びを感じることができるでしょうか

もし、
あなたがそこに歓びを感じられていたら、
あなたはすでに神なのかもしれませんね(*´ω`*)

今回の御垣内参拝は、
そこで私達が見せられたものと、
私が参拝中に賜った恩寵とが、
見事に一つのテーマで彩られていました

まだまだ、
通常生活に戻った私の内側には、
「一番下はいや~」と、
一番下っ端であることに抵抗を感じるものがうごめいていますが、
何か、
目からうろこ、的な、
視点の逆転が起こるような見地が示されたように思います

その抵抗を感じてうごめいているものこそ、
自我ですが、
今回、神様が啓示してくれたその境地が、
その自我に浸透し、溶かしていってくれるような気がします

ありがたいですね



























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