昨年12月に、「ヒューマン・ブッダⅡ 魂の覚醒とは何か」が、アルテより出版されました。
英語版「HUMAN BUDDHA」は、アジズ(現アナディ)が教え始めた頃の講和録を編集したもので、パート1はサットサングでのアジズの講和、パート2は生徒との質疑応答をまとめています。
その本はとても分厚く、その内容量は膨大なものなので、最初、生徒にとって当面必要なアウェアネス、I Amの領域に関するところから、アジズに抜粋してもらって「ヒューマン・ブッダ」第1巻が出版されました。
当初、続きを出版する予定がなかったため、抜粋という形になりましたが、今回、続きを全て出版するという運びになりましたので、第2巻で第1巻で抜粋したところの残りの部分と、知性の領域までを全て、翻訳いたしました。
続く第3巻で、残りを全て翻訳する予定です。
この第3巻で取り上げることになる、魂や神性の次元こそが、この教えの真骨頂とも言えるところになります。
ここを読まずして何を語らん、ということで、出版を楽しみにしていてください。
今回の第2巻を訳しながら、改めて、自分たちが悩みながら通ってきた道、そこで得て来た理解が正しかったことを再確認できました。
アナディがシェアしてくれる教えの最もすごいところは、本当に平凡な1市民である私たちが、この社会の中で1市民として生活しながら、スピリチュアルな進化を求めて旅していく上での、様々な葛藤や困難を、否定するのではなく、それも進化の1段階としてポジティブに認め、クリアな理解を私たちにもたらし、次の行くべき方向をシンプルに指し示してくれているところだと思うのです。
つまり、実際にどうしたらいいか、どう受け止めたらいいか、わかる。
人間として生き、人間として苦悩しながら、人間として進化していける。
いや、人間だからこそ、進化していける。
特定の一部の、スーパーマンのような限られた人だけが行ける道ではない。
でも、逆に、本当に進化を求める、覚醒を求める人だけが行ける道。
今回、訳しながらおかしかったのが、アジズの嘆きが聞こえるようで、今にしてようやく、私たち生徒を前にしてアジズがどれほどじれったい思いをしていたかが、手に取るようにわかったことでした。
第2巻では、アジズが散々話した後に、全くそれを理解していない質問が繰り返されたりして、「わー、アジズ、怒ってる、怒ってる(^・^)」という人間アジズの側面をかいま見せてくれる箇所や、私たちのマインドをバシっと切り捨てる厳しいマスターとしての側面を見せてくれる箇所も盛りだくさんで、訳していて、とても楽しかったです。
訳しながら気づいたこと、感じたこと、伝えたいこと、たくさんありましたが、
訳すことに精一杯で、ブログにまで手が回りませんでした。
第3巻を訳すときには、それが少しでもできるよう、存在が計らってくれるといいな、と思っています。
2012年1月20日金曜日
またまたお久しぶりです
2012年になったら、ブログを頻繁に書こう・・・
と思いつつ、すでに20日が経過・・・
私たちが主催している瞑想のリトリートの中で受け取ったガイダンス、恩寵、
日々の生活の中で得た洞察、感動、
それらをシェアしたいと思いながら、
PC系がどうも肌に合わない私は、つい、後回しにしてしまい、
ここのところ、ずっと伊豆の家の庭つくりに時間を割いている
やっぱり、外の大気と太陽の光と土の感触が肌に合っている
それでも、何人かの方から「読みました」と言われると、
やっぱり書きたいな、と思う
できるだけ、書こう
と思いつつ、すでに20日が経過・・・
私たちが主催している瞑想のリトリートの中で受け取ったガイダンス、恩寵、
日々の生活の中で得た洞察、感動、
それらをシェアしたいと思いながら、
PC系がどうも肌に合わない私は、つい、後回しにしてしまい、
ここのところ、ずっと伊豆の家の庭つくりに時間を割いている
やっぱり、外の大気と太陽の光と土の感触が肌に合っている
それでも、何人かの方から「読みました」と言われると、
やっぱり書きたいな、と思う
できるだけ、書こう
2011年3月22日火曜日
アセンション
何年前になるだろうか、マクロビオティックスの先生であるM氏から、こんな話を聞いたことがある。M氏は、マクロビオティックス界では著名な先生だ。細くて優しいが芯のピンっと通った、職人気質の誠実な、一見して信頼できると感じられる人だった。当時、子宮を患っていた私は、食事療法のために、M氏の診断を受けたのだが、M氏は私の手を見るなり、子宮に問題があることを見て取り、いろいろ示唆してくださった。
その時に、これから地球に起こるであろうことを話してくださった。それは、にわかには信じがたい話ではあったが、M氏の淡々と誠実に話される口調には大きな説得力があった。
その数年前、M氏の枕元にある木の精霊が訪れ、フランスのある場所を浄化して欲しいと頼まれたという。当時、その場所に行くのはかなりの難を要する場所であったらしいが、不思議と次々にサポートが現れ、すんなりと行けたということだった。浄化については特に専門ではないため、M氏なりの方法で、塩と日本酒を使って浄化し、日本に帰ってきたところ、またその精霊がお礼に訪れたという。そして、これから起こることを逐一、M氏に話して聞かせてくれたらしい。
・・・・
2012年前後、人類の意識のアセンションに向けて、各地で天災が起こる。日本においては、各地で大きな地震が起こり、多くの場所が水没してしまう。東京を挟むようにある2つの活断層がずれ、その間の土地がすっぽりと水没してしまうという。地震が起こってから水没するまで4時間しかないという。日本でまったく沈まないのは四国と東北の一部だけで、後は部分的に水没してしまう。逆に、100年くらいかかって、沖縄はかつてのムー大陸が浮上してくるという。そして、富士山が御殿場あたりから噴火するだろうと。
日本は、かつてはるかな昔、地球を統治していた神が、他の神々によって封印された地だと言う。だから、龍の形をしているのだそうだ。それより地球は分離と闘争の時代に入り、今に至ってきた。これから、統合と調和の時代に入るにあたり、その封印されていた神が現れるというのだ。富士山の噴火とは、それを意味するという。そして、地球は再び、その神の統治の下、融合と調和の世界になっていく。
そして、その天災の最中、人は皆意識を失ってしまう時が来る。その時に、神が内側に光りがともっているかどうかを見分け、光りをともしている者の意識を吹き返させるという。
・・・
もう何年も前のことなので、記憶も正確ではないかもしれない。神話か夢物語のようで、そこにははっきりと指し示せるような信憑性も何もない。
一笑に付すのは簡単だが、私はその時のM氏の穏やかな顔が忘れられない。嘘でも虚言でもなく、奇をてらうためでもからかうためでもない。彼の誠実さから、あったことをあったままに話しているとしか感じられなかった。
それから後、いろいろな方面でアセンションのことを耳にするようになった。その中には、M氏から聞いた話に酷似したものや、魂に向かう人の数が増えれば、そのプロセスもずっと穏やかなものになるというものなど、それについて語る人によって様々なバリエーションがあるようだ。
私には、アセンションについてはそういった外側からだけの情報しかなく、自分自身の内側から発された情報は残念ながらない。ゲリー・ボーネルのアカシックレコードを見るというワークショップに参加したときに、かすかにそのイメージを直観的に感じたくらいで、確かな確証もないままだ。それに、神が封印しあうとか、光りがあるかないか見分けて人を選別するとか、同意しかねる観念もあって、M氏の話をそのまま全て信じるわけではないが、そこに、確かに何かの真実があるように感じられて仕方がない。実際、ここ数年の地球のすごいエネルギーの変化は実感している。それは、脅威的なものではなく、むしろ私たちをサポートするものだ。自分自身の進化や変容も大きいし、環境も変化も大きい。全てがそこに向かっていると見ればつじつまの合うことも多い。
そして、今年に入って、ニュージーランド、東北関東大震災と続いた。これは、その序章なのだろうか。それとも、このまま収束していくのだろうか。
12年ほど前、私はシーディングという市民団体を主宰して、環境問題を取り上げていたことがある。その会は、社会ではなく、「自分自身を変えていく」という主旨だったため、あまり広がらなかったが、その時に、地震⇒津波⇒原発崩壊という危機はすでに予想され、大きく警鐘していたことだった。それがそのまま、今、目の前で起きている・・・。当時、警鐘しながらも、正直どこかで「本当だろうか」という思いが自分の中にもあった。
今、M氏やその他の人たちが発してきた警鐘を、私たちはどう受け止め、どうしていくか。一般の社会の中で、そういう話をしても、今まではあまり相手にしてもらえなかった。今、話す時なのかどうか、正直迷っている。脅したくはないからだ。脅されて魂に向かうものではない。それはもっと、威厳のあるものだ。だが、知っていたのに知らせなかったら・・・。2012年は、もう目の前だ。私にも、人間として愛する人たちがたくさんいる。見知らぬ人も、全て、アセンションした人類意識、愛と調和の中で、この先幸せに生きていくことを望んでやまない。
このブログを読んだ方がどう判断されるかは、各自におまかせする。それぞれが、それぞれの真実、誠実さの中で、受け止めてもらえたらうれしい。
その時に、これから地球に起こるであろうことを話してくださった。それは、にわかには信じがたい話ではあったが、M氏の淡々と誠実に話される口調には大きな説得力があった。
その数年前、M氏の枕元にある木の精霊が訪れ、フランスのある場所を浄化して欲しいと頼まれたという。当時、その場所に行くのはかなりの難を要する場所であったらしいが、不思議と次々にサポートが現れ、すんなりと行けたということだった。浄化については特に専門ではないため、M氏なりの方法で、塩と日本酒を使って浄化し、日本に帰ってきたところ、またその精霊がお礼に訪れたという。そして、これから起こることを逐一、M氏に話して聞かせてくれたらしい。
・・・・
2012年前後、人類の意識のアセンションに向けて、各地で天災が起こる。日本においては、各地で大きな地震が起こり、多くの場所が水没してしまう。東京を挟むようにある2つの活断層がずれ、その間の土地がすっぽりと水没してしまうという。地震が起こってから水没するまで4時間しかないという。日本でまったく沈まないのは四国と東北の一部だけで、後は部分的に水没してしまう。逆に、100年くらいかかって、沖縄はかつてのムー大陸が浮上してくるという。そして、富士山が御殿場あたりから噴火するだろうと。
日本は、かつてはるかな昔、地球を統治していた神が、他の神々によって封印された地だと言う。だから、龍の形をしているのだそうだ。それより地球は分離と闘争の時代に入り、今に至ってきた。これから、統合と調和の時代に入るにあたり、その封印されていた神が現れるというのだ。富士山の噴火とは、それを意味するという。そして、地球は再び、その神の統治の下、融合と調和の世界になっていく。
そして、その天災の最中、人は皆意識を失ってしまう時が来る。その時に、神が内側に光りがともっているかどうかを見分け、光りをともしている者の意識を吹き返させるという。
・・・
もう何年も前のことなので、記憶も正確ではないかもしれない。神話か夢物語のようで、そこにははっきりと指し示せるような信憑性も何もない。
一笑に付すのは簡単だが、私はその時のM氏の穏やかな顔が忘れられない。嘘でも虚言でもなく、奇をてらうためでもからかうためでもない。彼の誠実さから、あったことをあったままに話しているとしか感じられなかった。
それから後、いろいろな方面でアセンションのことを耳にするようになった。その中には、M氏から聞いた話に酷似したものや、魂に向かう人の数が増えれば、そのプロセスもずっと穏やかなものになるというものなど、それについて語る人によって様々なバリエーションがあるようだ。
私には、アセンションについてはそういった外側からだけの情報しかなく、自分自身の内側から発された情報は残念ながらない。ゲリー・ボーネルのアカシックレコードを見るというワークショップに参加したときに、かすかにそのイメージを直観的に感じたくらいで、確かな確証もないままだ。それに、神が封印しあうとか、光りがあるかないか見分けて人を選別するとか、同意しかねる観念もあって、M氏の話をそのまま全て信じるわけではないが、そこに、確かに何かの真実があるように感じられて仕方がない。実際、ここ数年の地球のすごいエネルギーの変化は実感している。それは、脅威的なものではなく、むしろ私たちをサポートするものだ。自分自身の進化や変容も大きいし、環境も変化も大きい。全てがそこに向かっていると見ればつじつまの合うことも多い。
そして、今年に入って、ニュージーランド、東北関東大震災と続いた。これは、その序章なのだろうか。それとも、このまま収束していくのだろうか。
12年ほど前、私はシーディングという市民団体を主宰して、環境問題を取り上げていたことがある。その会は、社会ではなく、「自分自身を変えていく」という主旨だったため、あまり広がらなかったが、その時に、地震⇒津波⇒原発崩壊という危機はすでに予想され、大きく警鐘していたことだった。それがそのまま、今、目の前で起きている・・・。当時、警鐘しながらも、正直どこかで「本当だろうか」という思いが自分の中にもあった。
今、M氏やその他の人たちが発してきた警鐘を、私たちはどう受け止め、どうしていくか。一般の社会の中で、そういう話をしても、今まではあまり相手にしてもらえなかった。今、話す時なのかどうか、正直迷っている。脅したくはないからだ。脅されて魂に向かうものではない。それはもっと、威厳のあるものだ。だが、知っていたのに知らせなかったら・・・。2012年は、もう目の前だ。私にも、人間として愛する人たちがたくさんいる。見知らぬ人も、全て、アセンションした人類意識、愛と調和の中で、この先幸せに生きていくことを望んでやまない。
このブログを読んだ方がどう判断されるかは、各自におまかせする。それぞれが、それぞれの真実、誠実さの中で、受け止めてもらえたらうれしい。
2011年3月19日土曜日
「愛」という潜在性
伊豆は珍しく風が止み、木々は静まりかえっている。
人間には、大きな潜在性がある。
「愛」という潜在性が。
種が芽を出す時、その殻は割れる。
やがて咲く花のために、種は自らを打ち破る。
日暮がゆっくりと進み、山々は徐々に空に溶けていく。
人間には、大きな潜在性がある。
「愛」という潜在性が。
種が芽を出す時、その殻は割れる。
やがて咲く花のために、種は自らを打ち破る。
日暮がゆっくりと進み、山々は徐々に空に溶けていく。
2011年3月17日木曜日
お久しぶりです
伊豆は今朝から、時折太陽の光りが差し込む中、あられまじりの雪がちらついています。
久々にブログの更新をしようと思っていた矢先、東北関東大震災による、大きな災害が起こりました。津波や福島原発の被害により避難をされている方々が、この寒さの中で物資もなく、どんな思いをされているだろうかと思うと、持てるだけの物資をかついで今すぐにでも駆けつけたいという思いにかられます。あるいは、節電、寄付はもとより、ここまで移動できる方々の避難場所に我が家を提供しようと思ったり。きっと、今、多くの方が自分にできることは何かと、心をひとつにして考えていることでしょう。
うちにはテレビがないため、ネットでNHKの速報番組を見ていますが、画面の横にチャットがずっと流れています。いろんなつぶやきに、いろんな人がいるのだなー、と改めて関心を持って見ていました。中に、批判をつぶやく人たちも多くいます。対象は総理だったり東電だったり他のチャットだったり、いろいろですが、初めは私も「こんな時に批判なんて・・・」と感じていました。でも、これも、「何とかしたい」「何とかしてあげたい」という心のひとつの現われなんだろうと気がつきました。
現地で、実際に動いていらっしゃる方々は、誰しも持てる限りの力を尽くしているのだと思います。そうでない人たちも、それぞれのスタンスの中で、今できることをやりながら、自分が献身できる時に備えているのではないかと思います。
世界各地からもたくさんの応援が来ています。
また、地震当日、東京の町田方面は一帯が停電になっていて、信号もついていない状態が続きましたが、かえってどの車も道をゆずりあっていました。人間って、緊急事態には助け合う精神が自然に働くものなんですね。すごいと思いました。
災害はない方がもちろんいいです。あって欲しいわけでは全くないけれど、いざという時には人間はこんなにも心をひとつにして助け合おうとする。本来持っている、そんな「愛」の性質を災害は最大に目覚めさせてくれるのだと思いました。
私たちにできることのもうひとつは、「不安」や「心配」を取り除くことだと思います。
それは、実際に物資が行き渡り、安定した生活が保障されることで取り除かれることと、もうひとつ深い意味で「不安」や「心配」が取り除かれるということがあります。目の前にパンがあっても不安になる場合と、パンがなくても不安にならず、平安の中にいることができるようになる場合があります。
私たち瞑想者が最も貢献できるのはこの後者です。もちろん、一市民として前者に尽力することも大切ですが。どんな場合でも、どんな状況でも、内なる「平安」を絶やさずに、そのエネルギーで周りを満たし、そのエネルギーを被災地に送るということ。被災された方々を思い浮かべ、自分のハートで包み込み、その「平安」の中に浸し込みます。私たちは全て深いところでつながっています。そうする時、自分自身の深いところで何かが癒されていくのを感じられることでしょう。私たちのハートは、「愛」のエネルギーで満ち溢れます。それらが、私たちを動かしていきます。それらはやがて、形を取り、真の復興をもたらすことでしょう。
雪は止み、海は穏やかに雲を映し、森は静かに、ただたたずんでいます。
久々にブログの更新をしようと思っていた矢先、東北関東大震災による、大きな災害が起こりました。津波や福島原発の被害により避難をされている方々が、この寒さの中で物資もなく、どんな思いをされているだろうかと思うと、持てるだけの物資をかついで今すぐにでも駆けつけたいという思いにかられます。あるいは、節電、寄付はもとより、ここまで移動できる方々の避難場所に我が家を提供しようと思ったり。きっと、今、多くの方が自分にできることは何かと、心をひとつにして考えていることでしょう。
うちにはテレビがないため、ネットでNHKの速報番組を見ていますが、画面の横にチャットがずっと流れています。いろんなつぶやきに、いろんな人がいるのだなー、と改めて関心を持って見ていました。中に、批判をつぶやく人たちも多くいます。対象は総理だったり東電だったり他のチャットだったり、いろいろですが、初めは私も「こんな時に批判なんて・・・」と感じていました。でも、これも、「何とかしたい」「何とかしてあげたい」という心のひとつの現われなんだろうと気がつきました。
現地で、実際に動いていらっしゃる方々は、誰しも持てる限りの力を尽くしているのだと思います。そうでない人たちも、それぞれのスタンスの中で、今できることをやりながら、自分が献身できる時に備えているのではないかと思います。
世界各地からもたくさんの応援が来ています。
また、地震当日、東京の町田方面は一帯が停電になっていて、信号もついていない状態が続きましたが、かえってどの車も道をゆずりあっていました。人間って、緊急事態には助け合う精神が自然に働くものなんですね。すごいと思いました。
災害はない方がもちろんいいです。あって欲しいわけでは全くないけれど、いざという時には人間はこんなにも心をひとつにして助け合おうとする。本来持っている、そんな「愛」の性質を災害は最大に目覚めさせてくれるのだと思いました。
私たちにできることのもうひとつは、「不安」や「心配」を取り除くことだと思います。
それは、実際に物資が行き渡り、安定した生活が保障されることで取り除かれることと、もうひとつ深い意味で「不安」や「心配」が取り除かれるということがあります。目の前にパンがあっても不安になる場合と、パンがなくても不安にならず、平安の中にいることができるようになる場合があります。
私たち瞑想者が最も貢献できるのはこの後者です。もちろん、一市民として前者に尽力することも大切ですが。どんな場合でも、どんな状況でも、内なる「平安」を絶やさずに、そのエネルギーで周りを満たし、そのエネルギーを被災地に送るということ。被災された方々を思い浮かべ、自分のハートで包み込み、その「平安」の中に浸し込みます。私たちは全て深いところでつながっています。そうする時、自分自身の深いところで何かが癒されていくのを感じられることでしょう。私たちのハートは、「愛」のエネルギーで満ち溢れます。それらが、私たちを動かしていきます。それらはやがて、形を取り、真の復興をもたらすことでしょう。
雪は止み、海は穏やかに雲を映し、森は静かに、ただたたずんでいます。
2009年12月7日月曜日
満月の瞑想会 in 世田谷観音
晴れ渡る空、澄んだ空気の中、世田谷観音における満月の瞑想会第1回目が行われました。
ご住職のお声がけで数名の方が集われ、1回目とは思われないくらい、繊細で静かなエネルギーに満ちたものとなりました。
当日まで他の仕事が恐ろしく忙しく、もうよれよれボロボロどよどよでどうなることかと思われましたが、無事に準備も整い、朝、聖観音さまにご挨拶にお参りしたところ、その日のお天気のように澄んで温かなエネルギーに変わっていました。
まずは、瞑想入門ということで、瞑想ってなんなのか、どうして瞑想が必要なのか、私たちの存在ってどういうものなのか、お話をしました。
そこでお伝えしたのは、次の主な3つの点でした。
① 自分自身を信じることが大切であること、全ての答え、全ての道は自分の中にあること
② 2つ目は魂とパーソナリティのこと、それぞれの道を通って本当の自分である魂に出会うために誰しもが 生まれてきていること、パーソナリティの浄化が大切なこと
③ 3つ目は瞑想とは、もしくは魂に向かうためには、自分の内側に意識を向けて入っていくこと
意識のセンター、ハート、ビーイングと3つの側面から入っていくこと
その詳しいことについては、また折をみて書いていきたいと思っています。
その後、身体を整えてから、ホ・オポノポノというハワイに伝わる古くからの癒しの叡智を使い、マインドの浄化を行いました。ホ・オポノポノというのは、私たちの潜在意識に蓄積している過去の記憶を、「ありがとう」「愛しています」「ごめんなさい」「許してください」という4つの言葉で消していくというものです。過去の記憶といっても、ここで言っているのは旅とか子どもの頃の思い出とかそういう意味ではなく、潜在意識に刻み込まれた痛みや恐れ、怒りなどネガティブな感情、エネルギーブロックなど、私たちを無意識にコントロールしているものについてです。それら4つの言葉は、ごく普通のシンプルな言葉ですが、本当にパワフルなのです。
そして、さらにチベタン・ベルの音でマインドのゴミを取り除き、クリアにしてから、瞑想に入りました。
呼吸を使い、まずは内側に意識を向けるということがどういうことか、体験的に理解できるよう、ガイドしていきました。
予定では、身体の部位を観察したりして、自分の中に距離を作るという瞑想をしようかと考えていたのですが、参加者の方がすでに十分静けさの中にいたので、そのままさらに深い瞑想へと入っていきました。
ランチは玄米と黒米、小豆、麦、きび、クコのお粥と、根菜やきのこをたっぷりと使ったお味噌汁や、さつまいもときくいものきんぴら、おひたし、柿の白和え、ゆず大根でした。
参加者皆で協力して作り、おいしくいただきました。
料理も食事も瞑想です。常に自分の内側を見つめ、そこで起こっていることに気づいています。
人それぞれにやり方も違います。他の人のやり方を尊重し、調和が生まれてくることをここでは目指しました。もちろん、初めて出会う方々ばかり、初めての調理場で、うまくいくことばかりではなく、予想以上に時間がかかってしまい、今後要検討のことが多々あるものの、参加者の方々の手と心のこもったおいしいお食事ができあがりました。
お手軽マクロビの献立でしたが、やはり、身体や心に優しいものが瞑想の時にはふさわしいですね。
以前、マクロビをされていた方もいらして、またやってみようかという気になってくださった方もいました。
午後はダンスから始まりました。
瞑想というと、ただじっと座っているというイメージを持たれているかもしれませんが、瞑想とはとどのつまり、エネルギーワークなのです。現代人は、頭にほとんどのエネルギーが行っているので、すぐに座ってもなかなか頭から離れることができませんし、エネルギーが停滞していると、瞑想も深まりません。そこで、まずはダンスで全身のエネルギーを活性化させます。同時に、バラバラな身体のエネルギーの流れをよくし、バランスをとっていきます。
その後、ナーダブラーマ瞑想という、ハミングを使ったとてもヒーリング効果のある瞑想を行いました。ハミングのバイブレーションが微細なエネルギーブロックもほぐしてくれたり、身体全体の振動数を高め、バランスをとってくれるのです。
これは、ハートを開いていくのにもいい瞑想法です。
そして、呼吸とともに手放していきながら、ビーイングへと入っていく瞑想を行いました。
世田谷観音は、すぐ隣に高校があり、生徒たちの賑やかな声や、道を行くバイクや車の音も入ってきます。庭を掃く箒の音や鐘の音など、様々な生活音が入ってきます。今回参加された方々はあまり気にならなかったようで素晴らしいなと思いましたが、普通、瞑想に慣れないと、そういった音が気になるものです。でも、実はうるさいのはそういった周りの音ではなくて、自分自身のマインドなんですね。本当に内側に集中していくと、そういった音はただ周りを流れていくだけで、内側の静けさには何の関係もないことがわかるようになっていきます。
最後は、ハートと祈りの瞑想を行いました。
時間がなかったので、ほんの少ししかできませんでしたが、ハートは魂の眠っている場所です。やはり、そこを開いていくことが瞑想の真骨頂です。
本当の祈りとは、神さまや仏さまに個人的な何かをお願いすることではありません。もちろん、そういったお願いもどんどんお願いしていいと思います。この世界で願いをかなえ、幸せになることは大切なことです。でも、真の祈りは、自分自身の内側にエネルギー的な平安と愛を実現し、そこにとどまっていることなのです。それは、自ずとあふれだし、世界に分かち合われます。それが本当の瞑想でもあります。
愛するとは、誰かが誰かを愛するのではなく、自分自身が内なる愛の中にとどまっているということなのです。そして初めて、世界に本当の平安と愛がもたらされるのです。
それは、パーソナリティを超え、実際の生活がどうあるか、何が起こっているかに全く関係なく、誰もが瞑想を通して実現できるものなのです。
そういったことを、瞑想という実際のエネルギー体験を通して、これからも伝えていきたいと思っています。なにより、ひとりでもふたりでも、本当に真の自分自身に出会っていくお手伝いができれば、それがなによりです。
最後に、ご縁があって、素晴らしい場所を提供してくださった世田谷観音のご住職と、ここを紹介してくださった方と、そしてここで出会われた方々に感謝をお伝えしたいと思います。ありがとうございました。
らぶ。鏡海
2009年11月16日月曜日
満月の瞑想会 in 世田谷観音
12月2日(水) 朝10:00~ 世田谷観音にて
私の生まれ育った世田谷に、世田谷観音という温かく明るいエネルギーに満ちた素敵なお寺があります。 龍神に守られた観音様や、マリア観音、パワフルな光りを放っている阿弥陀如来や夢違い観音など、様々な仏さまがまつられ、お参りする人たちの祈りを聞き届けてくれる、祈願寺として有名なお寺です。
こじんまりとしているものの、その本堂と阿弥陀堂で少し座ってみて、そのエネルギーの素晴らしさに本当に驚きました。本堂の観音様は、もう、愛のエネルギーの温かさにあふれているのです。そして、私に何かを伝えたがっているようでした。
その観音様に呼ばれたかのように、そこで瞑想会を開くことがとんとん拍子に決まりました。
世田谷観音には、旧小田原藩の代官屋敷を移築した建物があります。どっしりとした、今ではありえないほどの太い梁や柱。そこにいるだけで静けさの中へと入っていけるような場所です。そこで、12月の満月の日(2日)に、瞑想会をスタートさせます。
たくさんの方に、瞑想の心地よさを知ってもらいたい。瞑想を身近に感じてもらいたい。
そして、瞑想を通して、一人ひとりが本来のその人である魂に出会い、真の平安と歓びと幸せを手にしていけるように。
そして、それを実現した人の愛のエネルギーで、世界を満たし、真の平和をもたらしていけるように。
そんな思いで、この瞑想会を立ち上げました。
満月の日は、とてもパワフルな日です。
今まで背負ってきた重荷、不必要なもの、そんなものたちを手放し、心をお掃除し、解放するのに適した日です。 観音様と、月の力とともに、一緒に瞑想しましょう。 それは、きっと、人生に何か新しい光りをもたらすことでしょう。
この瞑想会は宗教もいかなる組織も関係なく、どなたでも参加できます。
瞑想というと、敷居が高く思われがちですが、初めての方でもわかりやすくできるよう、プログラムを組んでいきます。
朝の部、ランチの部、昼の部と3部に分かれていて、どれに参加しても大丈夫ですが、できれば一日通して参加されるといいでしょう。より深い体験ができます。
どんな方々と出会っていけるのか、そして、ともにどんな場が創られていくのか、とても楽しみにしています。
らぶ。鏡海
お問い合わせ、お申込 は gracetomoko@gmail.com
世田谷観音:http://www.setagayakannon.com/
私の生まれ育った世田谷に、世田谷観音という温かく明るいエネルギーに満ちた素敵なお寺があります。 龍神に守られた観音様や、マリア観音、パワフルな光りを放っている阿弥陀如来や夢違い観音など、様々な仏さまがまつられ、お参りする人たちの祈りを聞き届けてくれる、祈願寺として有名なお寺です。
こじんまりとしているものの、その本堂と阿弥陀堂で少し座ってみて、そのエネルギーの素晴らしさに本当に驚きました。本堂の観音様は、もう、愛のエネルギーの温かさにあふれているのです。そして、私に何かを伝えたがっているようでした。
その観音様に呼ばれたかのように、そこで瞑想会を開くことがとんとん拍子に決まりました。
世田谷観音には、旧小田原藩の代官屋敷を移築した建物があります。どっしりとした、今ではありえないほどの太い梁や柱。そこにいるだけで静けさの中へと入っていけるような場所です。そこで、12月の満月の日(2日)に、瞑想会をスタートさせます。
たくさんの方に、瞑想の心地よさを知ってもらいたい。瞑想を身近に感じてもらいたい。
そして、瞑想を通して、一人ひとりが本来のその人である魂に出会い、真の平安と歓びと幸せを手にしていけるように。
そして、それを実現した人の愛のエネルギーで、世界を満たし、真の平和をもたらしていけるように。
そんな思いで、この瞑想会を立ち上げました。
満月の日は、とてもパワフルな日です。
今まで背負ってきた重荷、不必要なもの、そんなものたちを手放し、心をお掃除し、解放するのに適した日です。 観音様と、月の力とともに、一緒に瞑想しましょう。 それは、きっと、人生に何か新しい光りをもたらすことでしょう。

この瞑想会は宗教もいかなる組織も関係なく、どなたでも参加できます。
瞑想というと、敷居が高く思われがちですが、初めての方でもわかりやすくできるよう、プログラムを組んでいきます。
朝の部、ランチの部、昼の部と3部に分かれていて、どれに参加しても大丈夫ですが、できれば一日通して参加されるといいでしょう。より深い体験ができます。
どんな方々と出会っていけるのか、そして、ともにどんな場が創られていくのか、とても楽しみにしています。
らぶ。鏡海
お問い合わせ、お申込 は gracetomoko@gmail.com
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