2019年1月1日火曜日

新年 明けましておめでとうございます



新しい年が始まりましたね

昨夜、0時前に、
「やれやれ、厄年が無事に終わった」とホッとしたとたん、
大型のモリオンにけっつまづいて、
足の指を痛めてしまいました

指は腫れて痛いですが、
なんだか身体はちょっと軽くなりました

こうして最後の厄落としも無事に終え
(・∀・)、
今朝は近くの海に初日の出を見に行きました

昨年までは、誰もいなかったのに、
今年は大勢の人が見に来ていて、驚きました

なんだかいいなあ、と思いました(*´ω`*)

空にはまだ雲が残っていましたが、
隙間があって、そこから初日の出が顔を見せてくれました

今年はまだまだ、
遮るものが残っていて、
ちらっとしか光が顕れないのかな、
と思いましたが、
それでも十分に太陽は力強く、
とても神聖でした

晴れ渡っていたら、
大島から登る太陽が見られるのですが、
それも素晴らしいでしょうが、
意外と雲がある日の出も、
刻々と変わる、
雲との色と光のコラボレーションは、
人の手では決して描き出せない芸術以上で、
本当に美しくて、好きです


上の雲に隠れた後の、大島に降り注ぐ
黄金色の神々の階段が、
素晴らしく荘厳でした

今年は、元号が変わるという、
大きな変化がありますね
しかも、生前退位という特殊な形で行われます

昨年12月23日、誕生日のスピーチで、
天皇陛下がこれまでの天皇としてのご自身の旅について、涙声も交えながら語られました

そのお姿から聞こえて来るのは、
天皇という日本の象徴として生き、
歩むことへの、
一人の人としての深い探求と苦労でした

象徴という言葉は、天皇を、
絶対的な神と等しい責任ある権威者から、
理想の国民代表へと変えたのかも知れません

一方で、
天皇家代々に伝わる、それこそが本質である
国そして国民を守り育むための祭儀を、
滞りなく行わなければなりません

天皇に即位する際の大嘗祭において、
実際に神が天皇に降ろされ、
それ以前とそれ以降では、
天皇自身のエネルギーが全く変わると言います

その時初めて、
本当の意味で天皇になるのでしょう

国皇ではないのです
天の皇なのです

にもかかわらず、
国民代表に過ぎない天皇は、
神とつながった絶対的な権威者としても
生きられず、かと言って、
ただの国民としても生きられない

在位中に象徴と変わった昭和天皇ともまた
違う葛藤がそこにあっても、
不思議ではないでしょう

前例がないのです
自分で模索するしかない

それを受け入れ超えて来られた天皇陛下に、
悔いも、
不条理さを感じる事もないのでしょうが、
生前退位、そして譲位を選ばれたところに、
天皇陛下の最後の抵抗、
心の叫びを感じ取るのは、
私だけでしょうか

昭和という激動の時代から、
平成という元号の名の如く、
戦争のない平和な時代を天皇として生き、
国民を見、
直接相まみえ、
国民に姿を晒しながら、
国民の一人であった皇后を選び、
その皇后もともに表舞台に立たせ、
支え合って、
歩んで来られた

そして最後は、
上皇ではあるものの、
天皇としての任を譲り、
一人の人間として生きる事を選ばれた

それは、
まさに非常に象徴的であると言えますね

終戦を迎え、
マッカーサーと対面した昭和天皇は、
「自分の命はどうなってもいいので、その代わりに国民の誰一人も飢えのない生活を送れるように約束して欲しい」と言われたといいます

自分の命を差し出す事で示した
昭和天皇の矜持

それに深く感動したマッカーサーは、
昭和天皇を心から尊敬し、
日本への対応を変えたと言います

昭和天皇の人としての本当の胸の裡を、
聞いてみたかったと思います

それらの時代を経て、
それらの天皇の生き方を経て、
次に在位する天皇は、
どういう時代を生き、
どういう生き方を見せてくれるのでしょうか

皇太子は、私とほぼ同年代、同世代です

平成天皇より、より自由に、
より積極的に、
一人の人として生きる事を模索したとしても、
不思議ではありません

でも、それは、
絶対的でたった一人しかいなかった
神としての顕現者、それを託された者が、
国民とさほど違いが無くなるという事を
象徴するという事かも知れません

つまり、逆に言えば、
国民一人ひとりが神の顕現者になっていく
という時代の到来を象徴する、
という事かも知れません

今朝、伊豆の本当にマイナーで小さな海辺に、
思いがけず大勢の人が初日の出を拝みに訪れた
という事も、
太陽が顔を出した瞬間、
喜んで手を叩く人もいましたが、
後は本当に皆静かに、厳かに佇んで、
初日の出を待ち、見ていたということも、
その象徴かも知れません

聞こえるのはシャッターの音だけ

これが日本人だなあ、と思いました

静かでいられるのは、
厳かでいられるのは、
誰かと一緒にいても、
一人で日の出と向かいあえるのは、
心の中で神聖さを知っているからです

心の深くに、
太陽を神と崇める精神が宿っているからです

日の出も美しかったですが、
人々も美しかったです


今年、自然現象は、
ますます激しく動いていくかも知れません
同時に、
世界情勢も激しく動いていくかも知れません

でも、
平和ボケ、国民総おバカ化と言われた時代から
皆目が覚めつつあるように思います

今朝、大島に降り注いだ黄金の光のように、
私達一人ひとりの荘厳さが、
地上に降り注ぐようになるといいですね








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