2019年1月3日木曜日

五体投地〜心がきれいになる〜

年末の27日から、リトリートを行っています

リトリートのプログラムの中で、
午前中に私がリードするハートのワークの時間があります

その時の生徒さんの状態によって、必要なワークをしていくもので、
ハートに関するワークがメインではあるものの、ボディケアや呼吸法から、様々な浄化法、また高次とつながる方法等、多種多様に渡ります

今回は、古代神道における龍体文字のフトマニを用いて、言葉の音、形の持つエネルギーを受け取り、心身を整えて行く事を初めて取り入れてみました

声をたくさん発するし、
エネルギーの高い文字なので、
終わった後、とてもすっきりと整います

昨日、そのフトマニの祝詞の後、
ハートを開いていくための私オリジナルのハートの瞑想をしましたが、
非常に良いものとなりました

その後のパートナーがリードする瞑想も、
ハート全開で非常に良かったとのことでした

今朝も、さらに開いていくために、
もう一度そのハートの瞑想をしようと思っていたのですが、
なんとなく、「うーん、ちょっと違うような気もするなー」「プレイヤー瞑想でもない感じだしなー」と感じていたら、
突然、「五体投地」というガイダンスが来ました

「ええっ?!」
あまりに意外なガイダンスにびっくり❕

ここで突然、密教?!

「五体投地」と言えば、
もう20年以上前に、真言密教をやっている時に、授戒するために、その前の準備として、21日の礼拝行を伝授され、行ったものです

得度した僧侶が礼拝行を行う場合、
一日3回の五体投地を7日間行うそうですが、
在家の者が戒を授かる場合は、
一日3回の時間がなかなか取れないため、
一日1回を21日間行えば良いようにアレンジしてくださったものです

1回の礼拝行で、108回五体投地をします

詳しい方法は本来直接に伝授されるべきものなので、ここでは割愛しますが、
20年以上も前の曖昧な記憶を辿って、
行ってみました

さすがに身体で覚えたものは、ちゃんと身体が覚えているものですね

自然に身体が動きます

というのも、修行好きな私は、
実は21日1回やればいいものを、それを2セット行ったからなのです
すごく修行してる気になれるので、その後も、ちょくちょくやっていました(笑

さすがに頭はボケてきているので、その時に唱える言葉はちょっと曖昧でしたが、まあ、概ね大丈夫でした

久々の五体投地、
還暦を過ぎた身体、
ちょっと心臓バクバク、汗ダクダク、足元ヨレヨレになりましたが、
無事に108回終わりました

終わった後、
「あ、心がきれい」
と感じました

フトマニも、水ごりも、
「エネルギーがきれい」になる、という感じ

ハートの瞑想は、ハートが広がって、
「愛と悦びのエネルギーに満たされる」という感じ

それらとはまた違って、五体投地は
「心がきれいになる」
という感じでした

エネルギーがきれいになるのと、心がきれいになるのと、あまり違いはないと思うかも知れませんが、
言葉では説明しにくいものの、
明らかにそこには違いがあります

他の表現で言えば、「感情がきれいになる」、「気持ちがきれいになる」とも言えるでしょう

エネルギーの場合は、もっと全体的な感じです

でも、この「心がきれい」というのは、
思った以上に良い感じがしたのです

さらに具体的というのでしょうか
パーソナリティの変容にとても良いような感じです

今日は、生徒さんが初めての五体投地だったので、ちゃんとできているか見ながらだったため、自分自身の五体投地に集中していた訳ではなかったので、より詳細にわかるまではいかなかったのですが、
五体投地を修した人達がよく、
「感謝の気持ちでいっぱいになった」
「周りの人や自分の置かれている環境が心底ありがたく感じた」
と言うように、
仏に対して身体全身を投げ出し、そのみ足を頂くという行為を繰り返す事で、
「自分が」という気持ちや、
奢った気持ちが削ぎ落とされ、
自然に謙虚になるのでしょう

身体全身を使うのも、
非常に大きな意味、効果があるのだと思います

「体は心を表す」

瞑想は別として、ずっと、私達のリトリートには仏教的要素はあまりなかったのですが、
今年、こんな形で起こりました

まあ、神道と密教の合わさったのが修験道なので、どちらかと言えば修験的要素なのかも知れません

キリスト的なものと神道、修験が、
融合されていくのでしょうか

私達にとって、
キリスト的なものというのは、この次元を超えた神性の次元、そしてその体験者である魂そのものの事で、この次元とは関わりのない事なのですが、
神道、修験は、
よりこの次元におけるそれらの体現に関わっているものと捉えられます

神性の次元と、魂の次元と、この肉体を持つパーソナリティとの架け橋

伝統的なそれらの教えの中には、
それを具体的に実現させていくための有効なメソッドという宝が、
たくさん持ち運ばれているように思います

ただし、通常、伝統的な教えにおいては、
それらは肉体の次元から神性の次元へ渡るための架け橋として修しているのだと思いますが、
私はむしろ逆なのではないかと思います

パーソナリティをいくら浄化、変容しても、
それだけでは神性の次元には行けないのです

逆に、神性の次元に至っても、
パーソナリティがヘコければ、
この次元で神聖な次元を十分に体現できない

パーソナリティの底上げをしなければならないのです

そのために、伝統的な教えのそれらは、
とても役立つのではないかと思います

「五体投地」
うーん、素晴らしいです🎵






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