2014年2月10日月曜日

内なる探求



プレイヤー瞑想 2013年4月27日


口で、大きく、ゆっくりと、ゆったりとした呼吸をハートの中へと、入れていきます

そして、腕を、手のひらを、全身をセンサーにして、とても意識的に、とても繊細に、
その腕に降り注ぐ白い光のエネルギーを感じていきます

それは、内なる目で見える光
内側で、その光を感じることができます

それは実際にまばゆく輝き、私達へと、さんさんと降り注いでいます

外に輝く太陽のように、それはいつも、さんさんと降り注いでいます
それは、内側も外側もなく、常に、あらゆるところで、降り注いでいます
それは非常に、高い振動数を持って、きらめいています
そのエネルギーを、ハートへと、呼吸とともに、たっぷりと吸い込んでいきましょう

そして、吐く時に一段と、そのエネルギーを感じて

吸う時に、ハートを開き、吐く時に、さらに開いて、手放していきます

あまり強く、自分をプッシュするようにはしません

バラの花びらが、一枚一枚、ゆっくりと開いていくように、
ハートという花びらが、少しずつ、開いていきます

ハートの底に住む、魂は、とてもシャイです
それは、とても繊細なエネルギー
身体全体の細胞を研ぎ澄まして、透明になり、
その繊細なエネルギーを感じていきます

最初、私達は、外側にある光のエネルギーを感じていきます
そして、それを十分に感じ取ることができた時、
あなたは、内側の自らのハートのエネルギーを感じていきます

私達のハートは、産まれた時から、今までの間に、
この社会の中で、開くことより、鎧を着込み、
その、とても繊細なものを、硬い鎧や仮面、マスクで、
守ることを覚えてきました
そうしなければ、ハートの繊細さはめちゃくちゃに壊され、
私達は精神の正常さを保つことができませんでした

でも、その鎧が、私達自身の魂に出会うことを、妨げてしまう結果になりました
今、その鎧をひとつずつはがし、硬く、凍ったハートを、溶かしていきます
その、繊細なハートを、裸のままで、あらわにしていくという作業を、
私達はしていくことになります

その着込んできた鎧をはずすことは、一方で、とても恐怖を感じることです
なぜなら、裸の魂をさらけ出すということは、
また、最初の傷つきやすさを取り戻すということでもあるからです
なぜか、私達は、裸のまま生まれ、たくさんの衣服や鎧を着込み、
そして、また裸に戻っていくというプロセスを経ることを、選んできました
それぞれの、ブループリントによって、その困難さ、その鎧の種類、鎧の厚さ、
そういったものを、それぞれが、魂の到達しようとすることに合わせて、
身につけてきました

それをはずし、裸に戻るというプロセスを通して、私達はたくさんのことを学び、
そして、もともと裸であった時よりも、より一層深く、堅固なものとして、
元の裸の姿を取り戻すことができるのです

この人生におけるドラマは全て、そのための、ひとつのプロセスに過ぎません

困難が多ければ多いほど、あなたの魂は、より強い光を放つことを望んでいます

私達は元々、その調和の取れた、この穏やかで、温かい、喜びに満ちたエネルギーを、
深いところで知っています
それがゆえに、この次元の荒々しいエネルギーに、
生まれた時から、違和感を感じています

それでも、私達は、私達自身を社会に合わせようと、必死になって、自分を偽り、
自分を変えようとし、自分がいけないのだと、周りと違っている自分が問題なのだと、
そのことでさらに自分自身を傷つけ、
深いところで、その痛みを抱えて、生きてきました

今、周りに合わせることを、自分自身を社会に調和させようとすることを、
手放していい時だということを、知ってください

それは何も、社会にあらがったり、抵抗したり、
そこから離れて、一人山の中で暮らすことを意味しているのではありません
ただ、あなたは内側で知る
あなたがいけなかったのではない
そして、社会に合わせる必要もなく、
あなたは、本当のあなた自身を目覚めさせることを、
それに専念していいことを、ただ、それだけが必要であることだということを、
知るということです

実際の時間軸の中で、ひと時、社会から距離を感じ、
一人、内側に入り、内側を探究していくことが必要になります

あなたは、世間の人たちとともに時間を過ごしながら、
自分の中で、ある距離を保ち続けます

あなたはより内面の方にエネルギーを注ぎ、
他者との関わりにあまりエネルギーを注がなくなります

あなたは、内側という避難場所に、多く、とどまる時間が、今はまだ必要です

けれど、あなたがあなた自身を目覚めさせた時、本当の自分が目覚めた時、
あなたは、全く違う質の調和を持って、また社会の中へ還っていくことができます

その時、あなたは一人あることにとどまりながら、
内側の自分自身にしっかりと根づき、とどまりながら、
その自分自身として、パーソナリティという、橋を通して、
社会と親密に、深く、関わっていくことができるようになります

でもまだ今は、距離を保っているべきときです
でなければ、あなたはあまりに周りの人たちに振り回され、
社会の重責を背負い込み、その中で、自分自身を見失い、
また暗闇の中でさまよってしまうからです

今はまだ、内面にとどまることを、
内側という避難場所にとどまって、
さらに自分自身の内奥を探究していくことに、時間を注ぐべき時です

そのことを、マインドにしっかりと理解をさせること
外側を変える必要はありません
ただ、外側にずっと、100%注いできたエネルギーを、
より多く、内側へと注ぐという、エネルギーの配分の問題です

そのためには、あまりにあなたを、もし、あなたをあまりに妨げる、
あなたのその内側に向けるエネルギーを奪ってしまう状況や人とは、
そのバランスを取る必要があります

バランスを取るということは、それに意識的になるということです
無意識に相手に奪われ、振り回されるのではなく、
もし、振り回されるのであれば、関わるのであれば、
意識的にそれに関わっていくということ
そして、自分の中に起こること、自分の中のエネルギーの関係、
そういったこと全てに、気づいていくということです

あなたが無意識でなければ、必要以上にエネルギーを奪われることはありません
あなたは、ハートから接し、
それを、ハートのワークの良い機会に変えることができます

それは、ただ、相手を受け入れるということではありません
相手に対し、ノーならノーと言うこと
自分にとっては何が必要かをきちんと見定め、それを相手に伝えること
そういったことも、含まれています
けれど、全てをあるがままに受け止めていくこと
許していくこと
それがあなたの、ハートのワークの、一番大きな力となります

もし、あなたが、誰かとの関わりの中で、被害者意識を感じるようなことがあれば、
なぜ、自分が被害者意識になるのか、そこを洞察していくこと
自ら被害者となっているのか、
あるいは、被害と受け止めている時、あなたは、自分自身に責任を全く持っていません

それらのことを、自分をジャッジすることなく

私達のマインドは、とても速く、何らかの思考や感情が起こった、
それを、私達が認識するより速く、その自分自身の意識や思考や感情に対して、
ジャッジを行っています
そして、無意識にそれらを抑圧しています
それらを、それらの抑圧やジャッジをほどき、
あなた自身のありのままを受容していくということ

それは、大変なエネルギーを使う作業です

あなたは、一時、外側のことにかまけている時間が持てないほど、
内側のことでいっぱいになります
そういう時は、そういう時間を、自分に保障してあげてください

そして自らを、縛っている自らの鎖をほどいていってください

世間があなたを縛っているのではありません

あなたは、世間に合った鎖を自分自身で作り上げ、それで自分自身を縛っています

それらから、自由になること
そのために、あなたは本当のあなた自身を確立しなければなりません
そうでなければ、一体、誰がその鎖をほどくのでしょうか?
マインドは、パーソナリティは、その鎖そのものです
鎖は、自らをほどくことはできません

あなたの中の、自分
私、Meという感覚

それが、全てのことの、アンカーとなります
全てのことの、柱となります
あなたはそれにしがみつき、そこにとどまり、
そうした時初めて、あなた自身を縛っている全てを解放していくという作業を、
成し遂げていくことができます

***

それは、何年も何年もかかる

なぜならそれは、今生だけではなく、前世から、何生も何生も、
今まで人間として生きてきた、その間に、積み上げてきた、溜め込んできた、
たくさんのカルマがあるからです

カルマがなければ、私達はここにこうして、肉体を持って存在することは不可能です

覚醒した後も、そのカルマを解放していくという作業は続きます

それは、個人的なカルマにとどまらないからです
私達一人ひとりの存在は、人類の集合的なカルマを持っています
家系的なカルマもあります
文明として、女性として、男性として、あらゆる人間として生きてきた、
人間だけではなく、全ての存在の集合的なものを土台にしています

あなたがハートの人であるならば、
あなたは個人的なカルマを解消するだけでは終わらないでしょう
それで、完成したという、自らが本当に充足したという、
完全にやり終えたという感覚を、その魂が持たないからです

     **



けれど、ひとつだけ、覚えておいてください
そういったカルマも全て、神の腕の中で起こっているということ

私達一人ひとりのブループリントは、今のパーソナリティ、この人生のドラマの全て、
神に責任があるのだということを、覚えておいてください

それはあなたが、あなた自身に責任を取らなくていいということではありません
あなたは、あなたの魂を目覚めさせるという、大きな責任を持っています
それが、究極の意味での、唯一の責任です

けれど、その他のことは全て、私達が魂を忘れてしまったということですら、
神の責任であると言うことを覚えておいてください

あなたは一人で、今あなたが抱えているものを解放するわけではありません
神がその責任を負い、全てのことをやってくれます
そのために、あらゆるサポートが、肉体を持たない存在も、肉体を持った存在も、
あらゆるものが、サポートしてくれます

あなた方は、一人ではありません

けれど、一人で立つということが、自分の足で立つということ、
自分に対して、責任を持てるということ
その時初めて、あなた方は、そういった、宇宙からのサポートを手にすることができます

だから、一人で苦しい時、もう自分ではどうしようもない時、
あなたはただ、叫べばいいのです
神に向かって、「助けてください!」

そして、その状況を、受け入れ許し、
それとともにあることができるように、私をしてください、と、祈ることです

あなたが神を信じている必要はありません
もし、何かを信じるということが、もし、それが心理的なものであるならば、
あなたが信じていようと、信じていまいと、それが起こる時には起こり、
起こらないときには起こりません

信頼は、信じるということは、むしろ、エネルギー的なことです
それは、ビーイングにくつろぐということ
内なる平安に安らぎ、安堵に、全身をゆだねられるということです
それは、心理的な事柄ではありません

もちろん、それは、心理的なことに影響を与えます
ですが、あなたは、神を信じようと努力はしない
信じないものは救われないという脅しに、振り回される必要はありません

あなたが神を信じようと信じまいと、あなたがここに存在していることが
あなたを造ったものがあることを証明しています

あなたは、今のあなたの容姿、性格、感情、考え方、両親、家族、国、
そういったこと全てを、生まれてから、
私はこれがいい、私はこれにする、と決めたのでしょうか?
生まれる前に、決めたのでしょうか?

そもそも、ここに存在するということ自体、決めたのでしょうか?

     **

あなたの持っている重荷は全て、神に返せばいいのです
あなたが抱えている必要はありません

ただ、それは、あなたが再び、神を思い出し、
それにつながる道に入るためのプロセスであったこと

あなたがそれを知った時、あなたは感謝の念で、身を打ち振るわせることでしょう
この道に入るということ自体が、
そこに、足を踏み入れることができたということ自体が、
どれほどの恩寵であるか、あなたは知るでしょう


***


2014年2月9日日曜日

何もしないこと エゴの声とハートの声



プレイヤー瞑想 2013年4月26日

少し顔を上に上げるような感じで、ゆっくりと口で呼吸をしていきます

甘い、蜜を吸うように、
その甘いエネルギーを、ハートいっぱいに入れていきます

そしてゆっくりと、あなたのハートが翼を広げていくように
腕を広げると同時に、ハートも開いていきます

大いなるものの前に、全てを投げ出し、
その、救いの手が、あなたのその上げた腕を取るように

あなたはただ、もろ手を上げて、明け渡していきます

そして、いつも、ここに、満ちている、そのネクターのような、
ジューシーで甘く、穏やかな、その愛に満ちたエネルギーを、
あなたの身体中に満たしていきます

呼吸とともに、吸う息と共に、そのエネルギーがあなたのハートを満たし、
吐く息とともに、さらにあなたの中は空洞となり、そのエネルギーで満たされていきます

吸う息と共に、開き、吐く息と共に、手放す

あなたは無限に、神なる次元へと拡がっていきます

あなたのハートがそのエネルギーで満たされてくると、
あなたはハートの中に至福を感じ始めます
あるいは、愛のエネルギーを

そして、明け渡すとき、大地にひざまづき、古いもの全てを、地球の中心へと向かって、
全て、それが洗い流されるように、手放していきます

あなたの中のもう必要でなくなった、今まで、ずっと持ち運んできた、
この次元で生きるために背負ってきた重荷
条件付けによって、しこまれてきた様々なプログラミング
それは今まで、あなたにとって、ここで生きていくために、必要であったもの、
でも、これから、神の次元に生きるあなたにとって、それらはもう、古い足かせに過ぎなくなります
それらが全て、この白い光によって、大地へと洗い流されるよう、
あなたはそれらを全て、手放していきます

あなたが受け取ったエネルギーが身体を通り、それらの不純物を洗い流してくれます

そして、まっさらな、白紙に戻って、ただの空っぽな竹筒のように、
あなたはただの空っぽな導管となって、
次に立ち上がります

生まれたての赤ん坊のように、あなたは何も知らない
ここの次元に初めて生まれ出たときのように、
あなたは初めて、今、ここに生まれてきます

今まで、知ってきたと思ってきたこと全て
身に着けてきたこと全て
その未知なるものを知るためには、不要なものです
もし、あなたが何かを知っていると思っているなら、
あなたは新しい、その、未知なるものを、受け取ることができません
この社会のなかで、積み重ねてきた情報
それらの多くは、むしろ妨げにこそなり、
あなたが未知なるものへと開いていくことの障害になりかねません
スピリチュアルな情報ですら、同じことです

ただ無垢な、何も知らないまっさらな状態になって、
ただ、今ここにあるものを、受け取って感じていくこと

あなたが本当に無垢になった時、あなたは、いつもの空間が全く違う空間であることに気づき、驚きます
平凡な風景が、本当に美しい風景となります
その空間が愛で満ちていることに気がつきます

あなたのすべきことは、全てを手放し、ただ明け渡していくこと
もし、あなたが何かのイメージを追い、それを得ようとしたならば、
あなたは今ここにあるものを逃してしまうでしょう

ただ受動的になって、感じていくこと

明け渡すということは、降参するということです
あなた方は今まで、自分で積み上げてきた何かで、どうにかしようと、もがいてきました
その積み上げてきた何かで、何かを得ようと、
手探りで、何かを掴もうと、手を伸ばしてきました

降参するということは、もう自分には何もできることがないと、知るということです

ただゆだねて
あなたのその、自分でどうにかしようとする、そのエゴを、手放していくのです
それが降参するということ
エゴにできることは、もう何もないのだということを、知るということ

あなたが、降参して、明け渡せば明け渡すほど、あなたは神の次元の入り口へと近づいていきます
あなたが完全に明け渡した時、あなたは、自分がその扉の内側に入っていることに気がつきます
神の次元は、どこか遠いところにあるのではなく、
今ここに、常に、あります

そこへ行く通路は、ハートです

それは、ビーイングと、ハートのコンビネーション

ビーイングの深みがなければ、本当にハートが開き切ることはありません

ビーイングの深みなくして、ハートの本当の深みへと、入っていくことは不可能です
もし、ビーイングのエネルギーなく、あなたがハートを感じているとしたら、
それはハートのほんの表層に過ぎません

そして、アウェアネスという光がなければ、本当の意味で、ビーイングの深みへと入っていくこともまた、不可能です

     **

ビーイングとは、深い安らぎ
その深い、くつろぎ、安堵の中で、
あなたは安心して、明け渡すことができます

もし、あなたのどこかが緊張したままであるなら、どうやってあなたは開いていくことができるのでしょうか?

この次元で生きていくということは、常に、どこかで緊張を持ち続けているということです
そうでなければ、あなたはたやすく他者に侵入され、利用され、攻撃され、
あなたは、めちゃくちゃになってしまいます

この次元で生きていくということは、ある種の緊張を常に要求します

ですから、緊張があるということは、決して悪いことではありませんが、
スピリチュアルなワークの中で、その緊張に無意識であり続ける、それを持ったままなら、
あなたは、浅い層でフックされたまま、深くへと入っていくことができなくなります
この安全な空間で、あなたはその緊張を解くことを許し、
その時、あなたの呼吸は一段と深くなる

大地へと、大地とのつながりを、再び思い出すことができます

人生の全てをやり終え、もう何もやり残したことがない
その充足感と、ハートの中でくつろぐ
あなたはもう、この次元でのやるべきことはやり終え、
さらに、深い次元へ、旅立つときを迎えています

自分の中の、その緊張
身体のどこかに必ず抱えてきた、その緊張を見つけ、感じ、それを、緩めていきます
みぞおち、下腹、そして、ハートを押さえつけてきた肩、背中
どこにあなたの一番のテンションがあるか、意識的になっていく

ここではあなたはもはや、社会の中で、あくせくして、努力して、一生懸命何かをする必要はありません
生まれたての赤ん坊のように、母親の腕の中で、身体の全ての力を抜き、
その腕に抱かれ、ただくつろいで眠る赤子のようになっていいことを、
自分に真に許します

自分がどれだけ今までがんばってきたか、
自分自身を十分に認め、ほめてあげてください
でも、もう、ここではもはや、その必要はありません

何もしなくていい

身体は動き、食べ、歩き、瞑想し、散歩し、お風呂に入り、
身体は何かの行為を続けますが、あなた自身はもう何もしなくていいのです

何かをし続けなければならない、何かを成しえなければならない
何かを達成しなければならない
そうやって、常に何かをしてきた、
その内側の行為自体を、手放します

あなたがここで、することは、何もしないこと

その何もしないところから、本当にあなたの必要なことが起こってきます
瞑想は、座っている身体の形ではなく、ロータスポジションを取って座ることではなく、
目を閉じ、ただ黙ってじっとしていることでもなく、
その内側のあくせくしたものを手放し、ただ何もしないでいる
この状態に常にいるということ
そこから全ての行為が自然に発生し、
あなたは、何もしないで、全ての行為を行う

瞑想とは、ここで座っている間だけ、瞑想が起こるわけではありません
あなたの中で本当に瞑想が起こった時、それは全ての時間を貫いていきます

     **

その何もしないところから、
あなたの腕は徐々に開き、天に向かい・・・
神と出会っていきます

あなたは何もしないのに、あなたの内側は喜びであふれ
あなたは何もしないのに、その悦びに涙が出、打ち震え、
あなたは何かに触れられている
あなたはハートの中で、何か、とてつもなく優しいものに触れられている

     **

この優しいタッチは、無条件で、無限で、
あなたの外側の状況とは一切関係なく、
あなたが開けば、常に、そこにあるもの

     **

優しく、穏やかに、自分自身に接すること

繊細に、内側を感じていきます

開いていくときに、もし、ある地点で抵抗が起きた時、
その抵抗と戦わないこと
ただ、その抵抗に気づき、それとともにいること
あなたが、優しくその抵抗を包み込むと、すると、その抵抗はゆっくりと溶けていきます

口で大きく、そこに呼吸を入れて
時間をかけて、ゆっくりと

抵抗が出てくるということは、あなたがそこまで開いたという証でもあります
今まで、開いてきた以上に、開いたという証でもあります

     **

あなた方は、あなた方の本当の姿を知っているでしょうか?
それは、あなた方が想像するよりはるかに偉大なものです

それが、この小さな肉体に、一人の人格として存在しているということ自体、不思議です

エゴは今まで、自分自身が主人だと思って、君臨し続けてきました

エゴは、その座を、本当のあなた自身に明け渡すことを、許しません
必ず、抵抗が起こります
あなたは時間をかけ、そのエゴをあきらめさせなければなりません
それは、エゴを否定するのではなく、包み込むということ
優しく
エゴもまた、私達が与えてもらった、ひとつの表現です
それ自体、悪いことは何ひとつありません
唯一の問題は、本当のあなた自身がまだいないということ
まだ、目覚めていない、眠った状態であるということ

そのことを真に理解すること

そして、エゴの声と、魂の声を、ハートの声を、聞き分ける力を、磨いていくこと

エゴの声は、いつもどこかに、居心地の悪さがあります
本当は知っているからです
それが、魂の声ではないからです
本当は、どこか深くで、知っているからです
その洞察を、自分でしていくこと

それは、エゴを批判するためでも、ジャッジするためではありません
ただ、優しく、包み込んであげること

自分に優しいということは、自分に甘いということではありません
その違いを、はっきりと知ってください
自分に優しいということは、エゴが何者か知り、優しく包み込むことです
自分に甘いということは、エゴの声と知りつつ、自分自身をもあざむき、そのエゴの声に従うことです

スピリチュアルな道を行くということは、私達がどれだけ、誠実で、正直であるか、問われることです
どれだけ、誠実に瞑想していくかも、もちろん、あります

もし、あなたが、エゴとしてのあなたであり続けたいと思っているのでしたら、それもまたオッケーです
でも、もし、あなたが、エゴよりはるかに偉大な本当のあなた自身でいたいと思うのでしたら、そこに妥協は許されません

それが、私達が唯一支払うべき、代償です

     **

エゴの声に従うとき、そこには必ず、正当化の理由が生じます
それを、よく見極めるように
もし、自分の中で、何か自分を正当化しようとしているものがあるなら、
それはエゴの声です
ハートからの声は、理由など全くありません
正当化する必要さえ、あなたは感じません
ただ、そうであるもの

それは、とても、シンプルです

     **





2014年2月1日土曜日

バラの剪定


今日、伊豆の家の庭の薔薇の剪定をしました♪

昨年から忙しさのあまり、ほとんど手入れができていない庭・・・
ずっと気になっていましたが、今年は薔薇はあきらめか・・・と思っていました

でも、昨日、仕事帰りに途中にあるホームセンターに寄り、
そこの店員さんにいろいろと薔薇や花の手入れについて教えてもらい、
「よし、やるか!」とモチベーションぐっとアップ!
なにせ、薔薇の剪定は今が一番いいタイミング、とのこと
しかも、ここ2週間でやらないとダメ、と・・・ってことは、もう、今日しかない!

『覚醒のトランスミッションⅡ』の校正が締め切りを過ぎていて、
それを仕上げなくてはならないものの、
やっぱり、春にはきれいな花を見たい!

写真の黒い土のところが薔薇たちです
剪定が終わって、肥料と堆肥をかけられています
全部で40本ほどあります

剪定は、思い切って全体の3分の1のところで切らなければなりません

かなり、そう、かなりの勇気がいります

せっかく伸びた枝を切るのは、結構、勇気がいるのです

だって、その枝にも、もうかわいい芽がいっぱい顔を出しています

まるで、パーソナリティの浄化のようです

ばさばさ伸びた枝をそのまま放置していたら、
美しい花は咲かないのです

たくさん花をつける、新しくて強い、いい枝が出てこないのです

思い切って、切り捨てること
思い切って、手放すこと

ふー

ばっさばっさ、
切りましたよー


家の中にも、たくさんの伸びた枝状のものがあります
物を捨てるの、本当に苦手だけれど、
思い切って処分しようかな

そんな感覚のこの頃です

神様ー、時間ちょうだい~

2014年1月25日土曜日

アジズ著『覚醒のトランスミッションⅠ』が発売されました!!



もうじき発売されますと書いたら、もう、発売されていました!

アマゾンでも購入できますので、ぜひ、読んでいただけたらと思います。
1デイリトリートでも、販売いたします。(ちょっとはおまけします)


~裏話その1~

出版業界のことはよく知らない私は、(出版業界に限らず、なにかと世間に疎いところのある私ですが)、編集の方にいろいろ教わります。

先日も、編集の方に、アナディの新しい著書を校正のために送ってもらうよう、
アナディに頼めるかどうか聞かれた私は、アナディのホームページで購入できるし、
1冊なら私が購入した分が余っているから、それを譲れますと答えたところ、
「翻訳者が著者からお金を払って本を購入するなんて話は聞いたことがない」
と笑われてしまいました(汗;

「通常は、著者が翻訳者と出版社に献本するものです」と教わりました。
(そうなんだ!!)

でも、私の中では、アナディと私は、著者と翻訳者という関係ではなく、
あくまでも偉大な師とその生徒というものなんですね。

翻訳するということで、アナディから電子データをもらってはいるのですが、
やっぱり、本を手元に置いて置きたいと思うのですよ。
本は、アナディの教えが凝縮されている、いわば「宝」。
もう、家宝なわけです。
あるいは、まさに「バイブル」
それにお金を払うのは、むしろ私にとって当たり前のことなんです。

それに、尊敬する師に、「それが通常なので、送ってください」とは、
恐れ多くてとても私の口からは言えません(汗;;;

と、編集の方にはお伝えしたわけなのですけども。

たぶん、アナディもその「通常」を知らないだけなのでしょうから、
頼めば普通に送ってくれるとは思うのですが・・・

アジズ(アナディ)の著書の翻訳は、
私にとって楽しみでもあると同時に、
やっぱり、私の魂の恩人であるアジズに対する恩返しのようなものなんです。

仕事や何やらの合間を縫って、
1年以上もかかって翻訳しても、
パソコンに向かい続けて、肩や頭をばりばりに固まらせて体調壊しても、
私に入ってくる印税は、おこづかい程度。

実際は、ほとんど奉仕のようなものなのです。

でも、だからこそ、続くのかも・・・

「この宝を、日本の探求者の方々にも伝えたい」という情熱がなければ、
続きません。

翻訳していると、英語がさぞや得意なのだろうと思われがちですが、
実は、英語は苦手科目だったもの。
自分の学びのために翻訳し出したのが元で、
わからない単語を辞書でいちいち引きながら、
英語と格闘すると言った方がいいくらい。

まして、翻訳を特に学んだわけでもなく。
英語どころか、このごろは日本語もまともに出てこないボケ度で。
ほんと、このごろ、「あれ、それ」しか出てこないのは当然のこと、
動詞も出てこなくなってきてるから、相当に危険指数高い・・・(涙;
英語の意味わかっても、それにふさわしい日本語が出てこない・・・(涙;
そのため、ヘタクソな翻訳で、読者の皆様には本当に申し訳なく思っているくらい(涙;

でも、アジズの英語は、とっても難しいのです。
さすがに、5冊も訳すと、アジズ英語の方がわかりやすくなってますが。
一文が、すごーく長いのです。
なので、ご容赦を・・・
最近、ようやく、思い切って日本語にすることができるようになってきた、と、
自分では思っているのですが・・・

それに、アジズの本は、英語ができるからといって、翻訳できるものでもなく。

やっぱり、体験的にその内容を深く理解していないと、
翻訳はできないのです。

だから、まだ体験的な理解のないうちに翻訳した『ヒューマン・ブッダⅠ』は、
いずれ機会があれば、翻訳しなおしたいと、常々思っています。

というわけで、
ちょっと翻訳に慣れてきた『覚醒のトランスミッション』、
ぜひ、皆様の家宝のひとつに加えてくださいね。



2014年1月23日木曜日

アジズ(現アナディ)講話集 『覚醒のトランスミッションⅠ』がもうじき発売されます。




先月、アジズの『覚醒のトランスミッションⅠ』のゲラ校正が終わり、
ようやく印刷へと漕ぎ着けました。

まもなく、アルテ出版から発売になると思います。

『覚醒のトランスミッション』は、Ⅰ巻とⅡ巻の2冊になり、
フーマンとの共著である『エンライトメント』を補完する内容です。

『ヒューマン・ブッダ』と同様、アジズのサットサンやリトリートでの講話集です。

『エンライトメント』を補完するもの、と書かれている通り、
より具体的に、より詳細に描かれていたり、
探究者が道を歩む上で直面する問題に即して書かれているので、
実際にワークをしていく上での大きな助けになると思います。

これは、これからワークを始める人にとっても、
ワークの最中の人にとっても、
また、ワークを終えた人にとっても、
たくさんの、また、大きな理解、
もしくは、検証をもたらしてくれるものと思います。

今までの人生であまり暇だった時はないのですが、
昨年はこれまでで最も忙しかったと言ってもいいほどの忙しさで、
翻訳するのに1年以上もかかってしまいました。

でも、いつもそうですが、私にとって翻訳の時間は本当に楽しい時間です。

この後、『覚醒のトランスミッションⅡ』のゲラ校正に入り、
それが終わったら、私のアジズとのワークを記した『魂への道(仮称)』の著作に入ります。
少し、書き進めていますが、これも、楽しみです。

その後、フーマンとのワーク、
そして、アジズ、フーマンがいなくなった後の、
一人で歩んだプロセスを書いていく予定です。

ただの個人的プロセスを記したものではなく、
むしろ、魂へのワークの様々な要素やエッセンスを伝えていけるものにできたらと思っています。

その後、アジズがアナディに改名してからの著書3冊の翻訳に入って行く予定です。

今年中には、自分の著作を仕上げたいと思っていますが、
なんだか、今年は昨年以上に走らされるかも・・・

でも、数秘で言えば、私にとっての今年は2の年。
昨年始まったものが、地下で根を伸ばしていく時期です。
じっくりと本を書き進めていくのが、とっても合っている感じです。
出版されるのは、芽が出る3の年になるのかな?

とはいえ、アナディになってからの本も、できるだけ早く出版したいので、
今年は、これらに時間が十分に取れるよう、生が流れていくといいなと思っています。


エネルギーのシフト



今日、7日間のリトリートが終わりました。

パワーダウンのまま、始まったリトリート。

こんな状態でちゃんとできるのだろうかと心配でしたが、
自分自身のプロセスを信頼して、
存在の提供してくれる流れのままに、
今、できることを、今、ベストを尽くしてやろうと望みました。

こういう、水面下で何かが進行している時の、
停滞した感じ、封印された感じは、今までにも何回か通過してきているのですが、
やはり、何か落ち着かない感じで、
マインドはいろいろな不安を作り出してしまうこともあります。

でも、だからこそ、ひとつひとつのことを、とても丁寧に、
今のベストを尽くそうという気持ちにもなります。

過去の状態を追わず、それらは全て手放し、
今、ここにあるものを繊細に感じ取っていく・・・

初心に戻ったようでした。
今、スタートなのだ、ここから、謙虚にできることをやらせてもらおう、という気持ちでいました。

そうしてやっていたら、
中日を過ぎたあたりから、エネルギーが完全に変わってきているのを感じ始めました。

昨年のミネラル・ショーで、ネパールの聖なる山、
ガウリシャンカールのクリスタルを手に入れたのですが、
その石のエネルギーは、今までのどのクリスタルより、高い波動で、
本当に純粋で、透明で清冽で、
キーンと、はるかはるか遠いところ、非常に高い次元のエネルギーという感じなのです。

まさに、「KING of 覚醒」と名づけたいほどの、純粋覚醒系の石。

あるいは、もう、「GOD」って言ってもいいかも♪

(普通のクリスタルも、もちろん覚醒系ではありますが、
今のところ、このガウリシャンカールのクリスタルが最高頂、最高次という感じです。)

言ってみれば、「アジズ的(系?)覚醒の石」(ふふ・・

「2014年の石は、この石だな!」、と思っていました。

(ちなみに、2013年の石は、「シリウス・クリスタル」でした。ガウリシャンカール・クリスタルは、それを超える高次のエネルギーです。というか、ちょっと質が違う?という感じかな。「シリウス・クリスタル」も非常に高次のエネルギーですが、ガウリシャンカールのは、もっと、硬質というか、純粋透明というか、他を寄せ付けないような、孤高のキーンとした感じなのです。「シリウス・クリスタル」は、もっと軽くて明るくて柔らかくて、より、喜びの質を表しています。)

           

そう思っていたら、今回のリトリートでつながったエネルギーがまさにそのエネルギーだったのです。

今回のリトリートに参加した生徒さんの本質のエネルギーも、まさに、このエネルギー。

今までの自分のエネルギーとは全く違う質で、あまりにキーンと透明なため、
初めはわからなかったほど。

パワーダウンと感じていたのも、
今までのエネルギーの質を基準にしていたからわからなかったのか、
それとも、今回のリトリートの中で、取り戻っていったのか、
封印されている間に、再編成されてエネルギーがシフトしたのか・・・

(封印されている間の浄化もすごかったですからね)

リトリート6日目には、調節のためか、頭痛がひどくて、大変でした。
リトリート中に初めて寝込み、自分で頭を愉気し続けました。

今朝、目が覚めると、頭痛も消え去っていて、ほっ。

今日は、すっかり体調も取り戻りました。
やれやれ、と、ちょっとほっとしているところではありますが・・・

やっぱり、2014年は、このエネルギーみたいです♪

ちょっと、すごいですよ

年々、エネルギーが高次へとシフトしていきますね♪













2014年1月22日水曜日

2014年も走り続ける?


2014年がスタートしてから、あっという間に半月以上経ってしまいました。
昨年の10月から、ものすごい勢いで忙しさが増し、 1月までにお休みが取れた日は、たったの2日だけ。
1月に入ってからも、なにやら走り続けさせられています。

 と同時に、ちょっとパワーダウン。

上とのつながりも、何かが詰まっているような感じ。
必ずしも忙しさのせいというだけではなさそう。

むしろ、大きな変化の前の停滞といった感じ。
というより、何か、封印されていると言うのが、一番近い感じなのです。

 先日の12日、娘の成人式で、京都の三十三間堂に行き、弓道をやっている娘の晴れ舞台を見に行ってきました。

その後、八坂神社、上賀茂神社、下賀茂神社と廻ってきましたが、以前はよく感じられたエネルギーがあまり感じられないのです。
連休で人がごったがえしていたせいもありますが、それ以前に、自分自身が停滞している、もしくは封印されている感じなのです。

 昨年は諏訪大社や伊勢神宮、出雲大社に詣で、それぞれと繋がってきました。 それぞれの旅模様はぜひ、いつかブログにアップしたいと思っていますが、出雲に行く前くらいから、変化が起きてきました。

 体力もかなり落ちていて、体調も超低空飛行状態ではありましたが、それだけが原因ではなさそう。

12月後半から1月前後に太陽のポールシフトが終わったようで、その後も彗星だの木星だのの動きにいろいろ大きなイベントがありました。

そのあたりから、何かが開けた感じがあり、少しずつ取り戻ってきている感はありますが、全然、まだまだ、といった感じです。

水面下で、何かの再編成が進行している、そんな感じです。

それでも、2014年は、地球全体のエネルギーがあきらかにシフトしたのを感じました。

 2012年のアセンションの時、エネルギーがより高次の振動数にシフトしました。

それが、また一段高く、シフトしたようです。

さらに、進化に向けて、より高く、より高くと、スピードアップしていくことでしょう。

本当に、個人一人ひとりの明らかな意図が重要になってくるという感じがします。

そんなわけで、なにやら2014年は、さらにさらに走らされそうです。

・・・ カラダ、もつかなあ~


(1月18日付け)