2014年10月9日木曜日

弥山登山小屋&修験道の編  ~ 近畿五芒星レイライン巡礼の旅 3~4日目 ~

8月26日、午後6時過ぎ、ようやく弥山山小屋に到着
その日は、疲れ果て、写真を撮る間もなく、消灯時間も知らずに寝てしまいました

かなり霧が出ていたので、朝日の出を見るのは無理そうでしたが、
その時間に山頂で礼拝するのが大切だと思ったので、
4時40分に起きて、山頂に参拝に行きました
日の出は、5時25分


やはり、日の出は全く拝めませんでしたが、幽玄な雰囲気の神殿
霧で下は何も見えないので、1895メートルという山のてっぺんという実感はありませんでしたが、
ぽこっと天空に浮いた異空間という感じで、
何かとても不思議な感覚でした
霧で下界から遊離して守られているという感じでもありました



  弥山神社御祭神
   天之御中主神   高御産巣日神   神産巣日神
   伊邪那岐神   伊邪那美神   天照大御神
   月読命   建速須佐之男命   始め百柱の神等
  主祭神
   市杵島比売命   天宇受売命
   吉野坐神   熊野坐神
  此らの神々を習合し
   天河大辨財天   法辨財天と称す
  
           大峯 弥山 御縁起
    大峯弥山(標高一八九五㍍)は吉野熊野の大峯連峰中央に
   君臨し、峯中七十五靡の五十四番目に評される全山原生林に
   覆われた荘厳なだらかな山として、神代から水の精、木の精、
   土の精等、大和の神々が鎮まる神奈備として信仰され、
   二〇〇四年には世界遺産に登録された。
    弥山とは、宇宙の中心、万物の根源となす須弥山の
   略称であり、役行者が大峯連峰に修験道場を開山、
   弥山において鎮護国家の神を祈ったところ天降る天女を
   辨財天と感得せられ山頂に祀り、これが日本辨財天の
   初めとされ弥山大神と崇められた。
    辨財天の神格は南北不二、胎蔵界金剛界不二の蘇悉
   地曼陀羅で内証は不動、外用は天女を示し長寿福徳の
   利を与えるとされ、大峯修験者達は、見え隠れする
   険しい大峯奥駈道を歩き弥山を仰ぎ見たとき、人間が
   達しうる水平的な奥の極点ともいえる場として捉え、
   また水神信仰の根源地として祈りを捧げた。
    近世には聖護院御殿や三宝院御殿を有し大峯修験の
   宗教的権威の源泉として吉野熊野の奥院と称され、
   大峯本宮として位置づけられたが、明治の修験道廃止
   より周辺の御殿は損なわれ、現在は昭和五十五年に
   造営された弥山神社、役行者堂が祀られている。



神殿の横に、かわいらしい白いお花が咲いていました
ヤマハハコという名前の花かな?



弥山の頂上の木々が立ち枯れているのですが、
その根元のあちこちで、木々が再生していました
赤ちゃん木々、なんともかわいらしい!!


かわいくて、愛おしくなります( *´艸`)

いつごろから立ち枯れたのか管理人さんに聞いてみたところ、
はっきりした年数はわからないようでしたが、かなり前からだそうです

理由は、酸性雨だのなんだのと、いろいろあるようでしたが、

立ち枯れた木々と、再生し始めた木々を見ているうちにふと感じたのは、
いつごろからか、弁財天がどこか別の場所に行って留守をしていて、
最近、また戻ってきたのではないか、ということでした

封印されていた龍神が、再生してきたことと関係があるのかもしれません

3年前の天ノ川の氾濫は、その再生によるものだったのかもしれません
赤ちゃん木々の大きさからも、だいたいその位の年月ではないでしょうか?

浄化が終わり、再生が始まったのでしょう

いずれにしても、森が蘇ってきたことは、
これからの時代を表しているようで、うれしくなりました

山小屋に戻ると、管理人さんが朝食を用意してくれました


昨夜の夕飯もこんな感じで、塩鮭が一切れと、ひじきの煮物がついていました
今は、お米以外、おかずはレトルトパックになっているそうです

ご飯をもりもり、おかわりしました

食堂に、修験道の行場である大峰奥駈道の手書きの地図がいろいろ貼られていました







大峯奥駈道は、今でも、女人禁制のエリアのある、吉野から熊野にかけて、
170キロにわたり、1200~1900メートル級の山々が連なる大峯山脈を縦走する、
非常に厳しい修験道の行場です
2004年に、世界遺産になっています

現在修行している方々は、約1週間かけて吉野から熊野まで縦走するそうです
途中で宿泊できるのは、女人禁制の山上ヶ岳の宿坊と、弥山山小屋、玉置山の宿坊と、
後は避難小屋が2つあるだけのところなので、後は野宿になるのでしょう

170キロを7日ということは、単純計算しても、1日に24キロ以上です
もちろん、平地ではなく、急峻な上り下りの続く道が多いのだと思います
そこを歩くのではなく、走り抜けるのです

修験道の修行者は、懐に短剣を忍ばせて修行すると聞きました
今でもそうかどうかはわかりませんが、
修行を止める時は、自らの命を絶つ時だということでした
その覚悟をもって、修行に臨んだということです

昨年、鳥取の投げ入れ堂に行った時に、そこのお坊さんから聞いた話ですが、
修行途中で怪我をした場合、その短剣で自らの命を絶つそうです
そうしなければ、他の修行者の命も危険にさらすからです
ヘリなどない時代、救助する側も命がけ、というより、
怪我人を抱えて行けるようなところではないのです

修験の修行者は、ひたすら走り続ける

走るのを止めることは、
修行を止めることであり、
それは命を絶つ時なのです

それを知った時、
私が人生で走り続けているのが、修験のカルマだったのだとわかりました

前世で散々、修験をやってきたのでしょう

もちろん、今生は、実際に山野を走りまわっている訳ではありませんが、
いつも大変な方の道を選び、
苦労する方を選び、
言葉通り、倒れるまで、休むことができずに、
走り続けてきました

いつも周りの人から「もっと休めば」「もっと気楽にすれば」「もっとのんびりやれば」
などなど言われるのですが、
まさに、「走るのを止めるのは、生きることそのものを止めること」という感覚があって、
休むことができないのです

昨年から、どうも修験の聖地を巡る旅をさせられているので、
それが完結した時、そのカルマが落ちるのか、
はたまた、もともとがそういう魂なのか、
どう収束していくのかが、楽しみではあります



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