2018年3月1日木曜日

アナディの教え~アナディwebサイトより その6 目覚めの地図 vol.5  ハート

目覚めの地図
vol.5
ハート                        

 ハートは、『最愛なるもの』、愛、そして恩寵の領域に属している。そのエッセンスを実現しないものは、誰も完成に到達することができない。霊的なハートを開くためには、『ホールネス』に到達する必要があるが、それは、まず私たちがマインドを超えて、『源泉』へと吸収され、私たちのアイデンティティを堅固にしない限り、不可能だ。霊的な見解を愛と献身だけに限定している道は、彼らが意識とビーイングにグラウンディングしない限り、リアリティへの橋を架けることはできない。内的境地の土台がなければ、ハートは感情とは別のリアリティを何も持たない。私たちを魂と神性の次元に開くためには、ハートは明晰さと静けさのスペースの中で、感情を超えて出会われなければならない。

 ハートは、いくつかの層を持っている。それは私たちの深い実存的な感情と結びついているが、実際は私たちの肉体の中のより高次の感覚のセンターなのだ。愛や寂しさのような本当の感覚は、ハートの中だけで体験される。ほとんどの感覚が私達人間の心理的なリアリティに関係しているが、私達がハートのスペースへともっと深く飛び込んでいけば、私達はそれ自身の中のまさに感覚のエッセンスに目覚める。それは、ハートのI amであり、創造の光と愛との親密さの深みだ。魂の感覚のセンターであることとは別に、ハートは、私たちが聖なる次元と呼んでいる『彼方』の側面への通路でもある。純粋なmeを通して、ハートの光が体現された後、さらなる明け渡しが、『最愛なるもの』の普遍的なハートと溶け合うことへと導いていく。

 実現される必要のある主な3つのハートの次元がある。人間の感覚と結びつき、世界に関係する人間のハート;愛の純粋な主体を表す霊的なハート、もしくは魂のハート;そして、ハートと「絶対」との合一を通して生まれる聖なるハートだ。ハートの中に入っていく最初のステップは、そのエネルギー的な次元を開くことだ。それは、私達をハートにアクセスさせてくれる。これに続いて、「ハートの純粋なme」が目覚めがあり、それから、「純粋なme」が神性の次元に溶け合うことが続く。最終的に、その垂直な明け渡しを通して、ハートは『非顕現』とひとつになる。


人間のハート                             

 人間のハートは、魂のハートへの通路だ。人間のハートのエッセンスは、「感じているme」だ。それは、潜在意識的にも、前意識的にも、意識的にも体験され得る。「感じているme」は、寂しさや痛み、そして愛というような人間の感覚の主体だ。それが潜在意識的な時、それはこれらの感覚と完全に同化している。それが進化するにつれ、自分自身を、これら全ての感覚のまさに主体そのものであるmeとして感じることに近づいていく。これが、ハートの目覚めの複雑なプロセスの始まりだ。「感じているme」は、人間の感覚と魂のハートの懸け橋だ。ハートの浄化と癒しとともに、人間のハートの目覚めを構築するのは、「感じているme」の目覚めだ。ハートの浄化とは、私達の潜在意識とハートの高次の意図を整合させることだ。ここで、人間のハートは魂に仕え始め、人間の次元の中で、彼女のポジティブな表現となっていく。ハートの癒しとは、魂の光を通して、私達の人間の痛みを消し、変容させるプロセスだ。これが可能になるためには、「感じているme」が「ハートの純粋なme」に明け渡さなければならない。人間の低次のハートは、魂の高次のハートに明け渡さなければならない。ハートの浄化と癒しを起こさせてくれるのは、魂の恩寵だ。

 
「ハートの純粋な(ピュア)me」                       

 「感じているme」は、霊的なハートへの通路を開くための任を負っているが、私たちのより高次のハートのエッセンスは、「純粋なme」だ。私達のハートが純粋な主体として悟られ、まさに私達の魂として体現されるのは、「純粋なme」の目覚めを通してだ。それ自身の中のハートは、『彼方』への通路ではない。むしろ、それはそれぞれの人間存在の中で、私達の本来の自己を思い起こさせる聖なるものとしてのI amの種が保存されているところだ。そのエッセンスそのものはI amであるため、ハートは「純粋なme」を通して体現され得るのだ。「ハートの純粋なme」は、私たちの神聖な性質と、『最愛なるもの』との最も直接の結びつきを表している。愛が、私たちの実存の土台としての対象のない、その本来の姿で実現されるのは、「ハートの純粋なme」の中だ。「ハートの純粋なme」が完全に実現されるためには、「感じているme」が明け渡し、それと溶け合わなければならない。「感じているme」と「ハートの純粋なme」の統合は、私たちの完全なハートの実現を映し出している。
 
 完成に到達し、その自然な状態に達するために、ハートは、垂直な明け渡しを通して、ビーイングの境地とつながらなければならない。垂直な休息の境地は、「源泉」への方向性の中での吸収の最初の段階だ。このプロセスにおける最終的な段階は、聖なる境地の実現だ。

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