2015年10月20日火曜日

パーソナリティの浄化方法 その5 自分の中で起こっていることに意識的になること

一般的な人は、
通常、自分の内側で実際に起こっていることに対して、
無意識です

それは、
自分が怒っているとか、
悲しんでいるとか、
楽しいとか、
そういう感情に気がついていないという意味ではありません

誰だって、今自分がどういう感情を体験しているか、知っています
そんなのは当たり前のことですよね(*^ー^*)

ここで取り上げるのは、
そういう表面的なことではありません

たとえば、
よく「地雷を踏む」という言葉がありますね

何か、その人にとって触れてはいけないところに触れた時、
人は過激に反応して、怒りを爆発させたりします

それで、「地雷を踏む」とか「逆鱗に触れる」とか言いますね

その人は、表面上は怒っていますが、
では、その奥でその人が体験していることは一体何なのでしょう?

それは、しっかりと蓋をしている大きな痛みに触れていたり、
見ないようにしている恐れに触れたりしているのです

でも、それは体験したくないことですから、
そこに触れられた瞬間に、無意識的に怒りに転換してしまうのです

でも、どうしてそこまで怒るのか、
自分でもよくわからないのです

でも、触れて欲しくないところであることは、
なんとなくわかっています

そういうこと、思い当たりませんか?

また、たとえば、
母親が子どものためだと思って「勉強しなさい」と言う

でも、「勉強しなさい」と子どもをせっつく本当の理由は、
「自分の子どもが悪い成績を取って、自分が恥をかきたくないから」とか
「自分の見栄のため、自分が優越感を感じたいから」だったりします

たとえば、
相手のために何か一生懸命やってあげる

でも、それは相手から見返りとして何かを得るためだったりする
つまり、自分が何かを欲しいから、相手に何かしてあげる

相手の気を引きたいから
認められたいから
愛が欲しいから
優位になりたいから・・・etc.etc.・・・

通常、私たちの行為の裏には、
たいてい何かのこういった「取引」が隠されています

それを、「パワーゲーム」と言うこともあります



そして、
それが得られないと、相手に対して不満を持つ
ひどい場合は、憎しみを持つことさえあります

これもきっと、思い当たることが多いと思います

思い当たる人は、自分をよく見ている人です(*^-^*)

中には全くもって無意識で、
あるいは見ないふりして、
完全な偽善者でいる人もいることでしょう

そういったマインドのトリックに気づいていないのです

あるいは、
小さな自分を大きく見せるために、
人はあらゆることをしています

自分で抱いている自己イメージ通りに相手が自分を見るよう、
あらゆるところで心をくだいています

そして、相手がそのイメージ通りに見ないと、
相手を悪く言ったり、相手を操作しようとします

そういう、「操作」をいたるところでしているのが、
人間というものです

あるいは、憂さ晴らしや八つ当たり

自分の中の不消化のネガティブなエネルギーを、
誰彼かまわずに投げつけます


ここで取り上げるのは、
そういう、表面的な感情の奥で「本当に起こっていること」
もしくは、表面的な行動、行為、言動の陰に隠れている「本意」や「動機」

そういった、自分の中で何かすりかえていること、
マインドのトリック、
そして「操作」や「パワーゲーム」、
もしくは正当ではない無意識的なエネルギーのやりとり

一言で言えば、
「自分が実際にエネルギー的にやっていること」です

それらは全て、エネルギー的に重く、どんよりとして、ねばついています

それらは、私たちをこの地上に縛り付けます

それらは、私たちの生気を奪い取っていき、
私たちをしおれた花のようにします






それとは逆に、
自分の行為や言葉に対して、
あるいは相手の行為や言葉に対して、
「何かひっかかる感じ」を感じることがあります

「何か、ざわつく」感じ

何が引っかかるのか、ざわつくのか、
明確にはわからない

わからないので、なんとなく流して通り過ぎてしまう

なんとなく気にはなるけど、よくわからないし、
「まっ、考えてる暇もないし、いっか」と、
気づかなかったことにする

それも思い当たるのではないでしょうか?

実はそういう時は、
魂からのコールがかかっているのです

何かに気づかなければならない

何に引っかかっているのか、
何に気づかなければならないのか、
「見て」と、魂が呼びかけているのです

それは、たとえて言えば、
釣りをしていて、
海の底の重いごみ(宝かもしれないけど)を引っ掛けて、
釣り糸がクンと引くようなもの

でも、海の上からは、何を引っ掛けたのかよく見えない

釣り糸を強く引っ張ってしまうと、
運がよければごみがはずれて釣り糸は元に戻るけど、
運が悪ければ糸が切れて、針はそこに残されてしまい、
いずれにしても、何に引っかかったのか、わからずじまい

で、ごみ(宝かもしれないけど)はそこに残されたまま


そういう時は、
海の底まで潜っていって、
そのごみ(宝かもしれないけど)を回収しなければならないのです

「海の底 潜り フリー素材」の画像検索結果


何が引っかかったのか、
何に気づかなければならないのか、
深く見ていく必要があるのです

海の底を光で照らし出さなくてはなりません

「海の底 フリー素材」の画像検索結果





そういった、自分の内面に起きているあらゆることにおいて、
本当は何が起きているのか、深く見て、知っていくこと



それは、自分の内面深くに、
潜在意識に意識の光を当てていくということです

「海の底 フリー素材」の画像検索結果


そして、隠れて見えなかったものを、
白日の下にさらしていくということです



それが、
自分の内面に対して「意識的」であるということです

ただ、表面に出てきた感情や思考に気づいているだけでは、
意識的であるとは言えません

「意識的」であって初めて、
スピリチュアルであると言えます

世の中には、全く無意識な自称「スピリチュアル」な人があふれています(^^;

そして、大切なことは、
それは「ジャッジ」するためではないということです

自分であれ、他者であれ、
「裁く」ことは私たちを「真なるもの」から遠ざけてしまうだけです

それは、
潜在意識に隠れていたものを、
白日の下にさらすことによって浄化し、
昇華していくためです

重く、どんよりとしたそれらのエネルギーに、
光を与え、振動数を上げ、軽くしていくためです

「無意識的」である時、
私たちはそれによってコントロールされ、
引きずられてしまいます

「意識的」である時、
私たちはもはやそれによってコントロールされず、
それらを愛を持って包み込むことができるようになります

私たちは、
パーソナリティを「変える」必要はありません

でも、それを「知る」必要はあります

そのことによって、
私たちは透明になっていきます

そのために、
アウェアネスと知性が必要です

どんよりとした知性では、
見ることができません

とはいえ、
潜在意識の全てを「知る」必要はありません

潜在意識には、潜在意識としての役割もまたあるからです

隠れていていいものもあるのです

それらも全て明るみに出そうとするのは、
コントロール・フリークに過ぎません

コントロール・フリークになってしまっては、
何の意味もありません

ただ、
私たちをこの地上にフックし、
飛翔するのを妨げているもの

自分にとって「重たい」もの

それらに「光」を当てていくこと

そのバランスは、
ハートの深みが知っています

「これは見るべき」
「これは見なくていい」

マインドの声ではなく、
(マインドはきっと、どれもこれも「見なくていい」と言ったり、
あるいは、強迫観念的に「見ないと!」と言うでしょう(^-^))
ハートの声を聞き分けていく

パーソナリティの浄化は、
ハートとともにやらなければ、うまくできません

だからこそ、
パーソナリティの浄化はハートのワークでもあるのです

絵 by Mizuka



そして、重要なことは、
ある地点でこれは手放していくということ

これをやりすぎると、
自分の中で乖離が生じてしまうからです

本当にあなたが「あるがまま」でいられること

それが、最終地点です

そのとき、
あなたはまったくもってシンプルに「普通」になることでしょう(*^-^*)V
















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