2015年10月27日火曜日

パーソナリティの浄化方法 その6 初歩的な「観察」

「パーソナリティの浄化方法 その5」までに書いたように、
自分自身の言動、行為、感情、感覚、思考、
その奥にある潜在的な素因に意識の光を当て、
自分自身をこの地上にフックしているものを解放していくことは、
スピリチュアルな道を歩む上で、必須であることは、
すでに理解していただけたことと思います

日々の瞑想とともに、
この日々の浄化をしていく上で、
正直さと誠実さ、クリアさ、忍耐強さが要求されますが、
これは魂の探求者として本当に大切な資質です

それは、魂の進化とともに、
また、浄化が進むにつれ、
徐々に養われていくものでもあります

とはいえ、「パーソナリティの浄化 その1~5」に書かれていることは、
実は「上級編」とでも言うべきものかもしれませんね

目覚める前、マインドはとても複雑です

それは断片的で、表層的で、
移ろいやすく、いつも混乱しています

それらは、バラバラにされたジグソーパズルのようなものです

[フリー画像素材] バックグラウンド, ジグソーパズル ID:201408181000

混沌以外の何物でもありません

人はあらゆる行為、言動、思考、感情の吐き出しなどをしますが、
それをしている「主体」がまだいません

皆、「私は~している」「私は~思う」「私はうれしい」「私は悲しい」と思っていますが、
その「私」はまだ潜在意識的で、意識は常に外側の対象に向けられ、
「私」は常に感情や思考と同化しています

感情や思考といったマインドという「内容物」のない、
それらとは何の関わりもない、純粋な「私」をまだ知らないのです



もちろん、誰でも、ほんの一瞬、それが現れ、
その純粋な「私」の香りをほのかに味わうことはありますが、
すぐに、またいろいろな「内容物」に意識を逸らされ、
それらに固着していってしまいます








そういう段階の人は、
集合的な潜在意識を映し出す、単なるモニターに過ぎません

「私の考え」と思っているかもしれませんが、
それは、集合意識から浮き上がってきたひとつの思考のエネルギーに過ぎません

目覚める前の私たちは、
たとえどんなに「私は特別」と感じていようと、
残念ながら、
集合的なものの単なる寄せ集めに過ぎないのです


その状態でマインドの浄化をしていくことは、
最初は困難で、大変な労力を伴うことはごく当たり前のことです

なので、
道に入って間もない人、浄化がまだ進んでいない人は、
内側の「観察」から始めることが必要です

自分の思考、感情、
なんであれ、自分の内側に起こることを「観察」するのです

太郎次郎の人間観察BLOG

「観察」するためには、
「観察するもの」と「観察されるもの」との間に距離がなければなりません

鏡に顔をくっつけていては、
顔を見ることはできません

そうして、まずは、自分の中に「距離」を作るのです


同時に、その「観察」を行うのは「知性」ですから、
日々の中で「観察」を行うことは、
「知性」を発達させていきます

とはいえ、
マインドに完全に「糊付け」されている状態では、
その「観察」ですら非常な困難を伴うことでしょう

一般的なほとんどの人は、
自分の感情や思考に溺れて、窒息しています

そこに何のスペースもないからです

一瞬、「観察」しても、
すぐにまた思考や感情の渦に巻き込まれ、
その海に溺れていってしまうでしょう

「観察」することもすぐに忘れてしまう

そういう人は、呼吸も非常に浅い状態です

ハートや下腹とつながっていず、頭だけにエネルギーがある状態です

もう、頭が沸騰している状態です

∫∫∫
(@_@;)

現代人のほとんどがそうです

「いっぱいいっぱい」というやつですね(・∀・)

皆、本当に自分の中に浮き上がってくる思考や感情で頭が忙しくて、
いっぱいいっぱいになっています

ですから、まずは下腹への深い呼吸を毎日の日課として、
エネルギーを下に落としていく必要があります

エネルギー的に変化を与えることは、非常に重要です

Abstract blue background

そして、「思考や感情は私ではないもの」と、
ちょっと脇によける

自分の思考や感情に、あまり重きをおかないようにします

大体がそれらを重要視しすぎて、
「もう!腹が立つ!」とか「え?そんなのおかしいんじゃない?」とか、
「~が欲しい!」とか「どうしよう、こうしよう」と、
自分の中の思考や感情にいちいち大騒ぎしすぎているので、
そこに「私はそれらより、何かもっと大きなものだ」という視点をもたらしてあげる

[フリー素材] 地球と太陽光のイラスト (cc-library010007042)

すると、それらをちょっと脇に置いておけるようになります

日常の生活に追われているなら、
頭の中であれこれ悩んでいる誰かとの関係性より、
「自分は今、この宇宙の中の地球という星に生きている」ことの方が、
はるかに確かな事実であることを、思い出してみるのもいい方法です

[フリー画像] 自然・風景, 天体・宇宙, 銀河・星雲・星団, 201109051900

限りなく広がる大空に目をやり、
自分が立っている大地を足で踏みしめてみる
そして、深い呼吸をしてみる

そうすると、何か自分の中にスペースが生まれてきます

それまで、思考や感情で満杯になっていた内側に、
何か何もない空間のようなものが生まれるのです

白背景の撮影スタジオ風の高画質な画像素材5枚セット

それをリラックスと呼ぶこともありますが、
ただくつろいでいる状態というよりも、
何か、自分の中に開けたスペースがあるという感じです

そのスペースがないと、「観察」どころか、
波にもみくちゃにされて息も絶え絶えのまま、生を送ることになります

深い呼吸と、「私は思考や感情ではなく、それらよりもっと大きなもの」という視点とともに、
そこから生まれたスペースから、
自分の思考や感情を「観察」していきます

「観察」する、ということは、
自分は、今自分が「観察」しているその対象物ではない、ということです

つまり、
誰かに怒りを感じたとして、その「怒り」を観察します

「観察」する前は、自分はその「怒り」と同化して、
「怒り」にすっかり飲み込まれていました


でも、「怒り」を観察すれば、
自分はその「怒り」ではないことがわかります

そして、「観察」がうまくできるようになると、
その「怒り」自体が消えてなくなってしまいます

でも、「観察者」は消えません

この「観察」は、
自分が、「観察」している対象物ではない、と知ること、
そして、自分の中に「距離」を作りだすことが目的です

そして、マインドと同化してべったり糊付けされている状態から引き剥がし、
真の自分へと向きを変え、それを認識できるだけの「知性」を育むためです

あなたはもはや、マインドと同化せず、
あなた自身が何かもっと違うものだと知り、
それを探し始めます

それこそが、
最初のパーソナリティの浄化なのです

マインドとのべったり同化の状態に、わずかな隙間ができること
それこそが、最初の浄化なのです


隙間ができれば、
そこから光が差し込みます

あなたは、その光に照らし出された「自分自身」を見つけることができるようになる

それが、最初の一歩です


ただし、
この「観察」は、道の初期段階のある程度の期間やるべき修行で、
長年にわたってやるべきことではありません

それを何年も続けてしまうと、
それを落とすのが大変になってしまいますし、
自分の中に乖離が生じてしまいます

真の自分、純粋な「私」を直接に認識できるようになったら、
この「観察」は手放していいものです

真の自分、純粋な「私」にとどまっていられるようになったら、
そこから、自分の潜在的なマインドの浄化を行っていけるようになります




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